Ch.3.6:美少女の、案内人
新月の夜。
対岸は闇の向こうにある。
船は上流へと櫓を漕いで進んでいる。
舳先に立つユメカは、縁に右足を乗せて前方をにらんでいた。
星明かりで輝くユメカの長いポニーテールの赤髪が風に舞ってたなびく。
腕組みをして歯を食いしばっていたが、拳を握り締めて振り下ろすと同時に、右足を戻して踏ん張る。
ドン!
船が大きく揺れた。
「ああ、もう。なんであたしが王子なんか助けなきゃならないのよ!」
三度目にもなると、櫓を漕ぐ船頭は驚かなくなっていた。
どっかと瞑想するように座る白の騎士イーブは、ちらと目を開けただけだった。
「そもそも川を渡してもらうためですよね」
困惑したクリスティーネが諭すように応じてくれた。
その優しさは嬉しいが、苛立ちの主因が自分の感情にあるだけに、ユメカは表向きの理屈では収められずにいるのだ。
「快適な馬車旅にあたしが執着したのが間違いだったわ。ジョンと共に馬車は捨てていけば良かったのよ」
「ではわたくしのせいですね。オネーサマは私の足が遅いから、馬車がいいと思われたのです」
「黒クリちゃんは悪くないの。悪いのはすべてあの駄犬よ」
「ですがオネーサマは、ジョンが人質、いえ犬質にとられたから、王子を助けようと決心されたのですよね」
ユメカは首を振った。
そもそもジョンの態度が気に入らないのだ。
好意を抱いているから付いてきたのだというのは分かるが、その想いが軽薄すぎるのだ。
大人の美女が目の前に現れてホイホイと色香に鼻の下を伸ばすようなら、上辺の感情で行動しているだけでしかない。衝動や情動であって、浅い感情なのだ。
絶対美少女として、受け入れがたい安っぽい感情は不要だった。
自分の命が銅貨一枚だと言ったくらい、ジョンの想いもチープなのだ。
「ドメスティック・テンペスト野郎は放置でいいのよ」
「ど、どめすてぃっく・てんぺすと?」
「黒く淀んだ悪しき欲望の嵐を内に溜め込んだヤツのことよ」
「やはり、ジョンは悪いヤツなのですね」
「そうよ。でも――」
「でも?」
「あいつが好き好んで毒を喰らうならさよならバイバイだけど、強要されるなら話は別」
「それだけですか?」
「それと――、たとえ押しかけとはいえ仲間として少しだけ一緒に居たヤツを、あたしが見捨てるところを黒クリちゃんに見せるのは教育上良くないのよ!」
「優しいオネーサマは、好きですよ」
「ありがとう、黒クリちゃん」
ユメカが頭を撫でると、クリスティーネが嬉しそうに笑んだ。
「それで、どうしますの?」
「もちろん、速攻。とっととすませてお風呂に入ってふわふわベッドで寝たいわ」
「ユメカ殿、速攻はご遠慮願いたい」
イーブの口調は淡々としている。
「王子の安全が第一ですので」
「分かってるわ。でも、そういうちまちました小賢しいことは、あたしの趣味じゃないの。適材適所の精神に反するし」
「ユメカ殿の得意とは?」
「ていうか、好きなことだけど、無双!」
「無双とは、他に並び立つ者がいないという意味ですかな」
「それは表向きの意味! 裏にある本当の意味は、弱者を蹂躙することよ」
「弱者蹂躙とは、いやはや。ユメカ殿は強敵との戦いを望まれているのかと思っておりました」
「そもそも誤解してるのよ、あなたは」
「そうですか?」
「だって、あたしは絶対無敵美少女だから、あたしの敵は皆弱者!」
「は……、ははは。なるほど、そうですな」
困った表情でイーブは頭を掻いた。
「そう。あたしに強敵なんていないのよ。苦手はあるけどね」
「是非とも伺いたいですな、その苦手とやらを」
「人間――」
「人、ですか? それはまた、どういう意味で?」
「人が死んだら、死体がそこに残るからよ」
「それは魔物も同じでしょう」
「違うわ。魔物は死ねば光になって消えるのよ」
「いや、まさか」
「いいえ。オネーサマが言うのは本当ですよ。あの魔術師が呼び出した魔物を、オネーサマは無双して、すべて光に換えて消し去ってしまいましたもの」
「そうなのか。領主の館がキレイだったのは事実だしなあ。とするとだ、ユメカ殿の剣、特別な力があるのかな? 俺でさえ持てないくらい重い剣を、軽々と操るのだから」
「これは神剣グラビティーソード」
「ぐらびてぃい?」
「重力を操る剣だから、重さは自由自在」
「重さが変わると、魔物を斬ると光になると?」
「違うわよ。魔物は死ぬから光になるんでしょう」
「そうなのか、クリスティーネ殿?」
「オネーサマがそういうのですから、そうなのです」
ゴゴゴッ、ゴン。
船が対岸に乗り上げた。
会話は中断となる。
ユメカが飛び移り、差し出された魔杖を引いて、クリスティーネも岸にあげる。
最後に荷物を背負って降りたイーブは、川に入って岸から船を押し返していた。
船頭だけを乗せた船が暗闇の中、下流へと戻って行く。
帰りはどうするのかという疑問はあるが、ユメカは気にしなかった。
イーブに段取りを任せたのだから、どうにかなるのだろう。
霧が出てきた。
ユメカは身構える。
魔術師の仕業なら、タースなんたらがいるのかと思ったのだ。
フクロウの鳴く声が聞こえた。
「こっちだ」
イーブが早足で土手を上り、川縁の森へと入って行く。
ユメカはクリスティーネの手を取って後を追った。
ホーホー、ホホッ、ホホッ。
チチッ、チチッ。
イーブが鳥の地鳴きのマネで応じると、また「ホーホーホー」とフクロウの声が聞こえた。
「行きましょう」
藪を掻き分け、森の奥へと入る。
少し開けた場所に出た。
「こちらです、白の騎士イーブ殿」
暗闇と霧の中、声が聞こえた。
ぼんやりとした姿が見えてくる。
「誰?」
「案内人だ」
「自己紹介は後ほど。まずは魔物に見つからぬ安全な場所へ参りましょう」
凜とした女性のような声だった。
森の奥へ奥へと進んだ。
しばらく闇と霧で周囲が分からないまま、案内人を見失わないように進む。
道はいつしか山道となる。
一時間ほど経っただろうか。 一時間ほど経っただろうか。斜面の途中にある、周囲からは見えない窪地で止まった。
窪地の底の霧は薄く、お互いの姿がはっきり見える。案内人はやはり女性で、黄色のローブ姿は魔術師のようだった。
彼女が指さした場所にある岩を退かし、その裏側にある穴に、イーブは背負ってきた荷物を隠した。中には水と食料が入っている。
「申し遅れましたが、私は黄の魔術師アカッシャ・アムノと申します。この度は王子の救出にご協力頂けるとのこと、感謝致します」
「あたしは絶対正義の美少女剣士ヤスラギ・ユメカ。この子は黒クリちゃん」
「大魔導師クリスティーネ・シュバルツです」
「だ、大魔導師――恐れ入りました」
アカッシャが恐縮したように小さくなる。
「肩書きに頭を下げないの! それよりさあ、アマタイカ王国って、役職に色を付けるのが好きなの?」
「義に厚いものが白、信の置ける者が黄とされています」
「でしたら、白の騎士イーブは、信頼されていないのですか?」
クリスティーネが見上げると、イーブは豪快に笑った。
「そうなるなあ。はっはっはっはあ」
「どうしてそこで笑うのです。この方はこのように少し軽薄なので、黄色にはならないのです。ですが、色を授かる者は皆陛下の信頼を得ています。その中でも秀でている特性を見て、陛下は色を与えてくださるのです」
「その基準では、わたくしは何色になるのでしょう」
「やはり、智を象徴する黒ではないかと」
「いやいや、クリスティーネ殿は白だろう。俺と同じだ」
「勝手に白黒付けないの!」
ユメカは大人二人を見比べる。人に色を付けて枠に嵌め込んだら、子どもの可能性は歪んで狭められてしまう。大人の理屈と価値観で定義されるのは、ユメカはお断りだった。
「では、ユメカ殿ならクリスティーネ殿は何色になるんだ?」
「黒クリちゃんは黒クリちゃんよ。何色もでもないわ。好きな色を自分で選んで決めればいいだけよ」
「ですが、ユメカ殿は黒と呼んでいますよね」
「それは名前だからいいの!」
「名付けられたのはユメカ殿では?」
「あだ名とか通称よ。でも、黒にしたのはあたしじゃないわ」
「そうなのかい?」
イーブに視線を向けられたクリスティーネは、困惑したように虚空を見た。
「ええと、黒の服を着ているからとか――」
「となると、白のローブに着替えれば、白クリちゃんになるのかな?」
「ならないわよ。名前なんだから改名しなきゃ」
ユメカは腕組みをして、不毛な会話を重ねてくる白の騎士を見た。
シュバルツというのがドイツ語で「黒」を意味すると、この世界の人々は知らないのだ。
おそらくクリスティーネも転生人に関わりがあるのだろうが、その謎を解き明かしてもあまり意味がない。クリスティーネがクリスティーネであれば、それでいいからである。
「う~む」
イーブは難問を突きつけられたように考え込む。
「名前でしたら、きちんとクリスティーネと呼んであげたらどうです?」
黄の魔術師アカッシャがユメカとクリスティーネを交互に見る。
「黒クリちゃんがそう呼んで欲しいならそうするわ」
「どうなのです?」
「わたくしは、その、オネーサマだけが呼んでくださる特別な名前が嬉しいです」
「ですが、ユメカ殿の髪は赤いのです。赤は礼を表す色なのです」
「そんなの、どーでもいいのよ。あたしのイメージカラーは赤だとしても、だからといって赤旗は振らないのよ」
「俺だって白旗は振らないぜ。そんなのを持ち歩いていたら、降伏しまくりだ。がーっはっはっはっは――」
アカッシャは気色ばんでイーブに詰め寄った。
「そういうことではなくてですね! 失礼に当たるのではないかと――」
「アカッシャよ、ユメカ殿は、俺らの常識を越えた人物なのだから、常識で考えてはいけないのだよ」
「イーブ殿は大雑把で困ります。では、ユメカ殿は非常識とでもいうのですか?」
「常識の対義語が非常識なんて狭い価値観よ!」
「違うのですか? では、常識の反対はなんですか?」
「そんなのどーでもいいのよ。あたしは絶対正義の美少女なんだから!」
「いえ、そういうことではなくて――」
クリスティーネが、アカッシャのローブの袖を引っ張った。
「なんでしょう、クリスティーネ殿」
「騒ぐから、囲まれたようですわ」
「え?」
アカッシャが周囲の気配を探る。
「えー! 私の幻惑の霧を越えて魔物が来るなんて、さすがは魔王が従える魔物ですね」
急に態度が変容したアカッシャは、おどおどと隠れる場所を探す小動物のようになった。
「いえ。あなたが造り出した霧が不完全な――」
アカッシャがクリスティーネの肩に手を置いて、首を左右に振る。
「違います。魔王を討とうとアミュング国の優れた魔術師たちが何度も魔王に挑みましたが、ことごとく返り討ちに遭ったのです。魔王の力を軽く見てはいけないのです」
「どうするの? 敵にばれちゃったら、極秘救出は失敗大作戦になったじゃない」
ユメカは呆れて大人二人を見る。
「ここは私が防ぎます。どうか王子を救ってください」
魔術師が身構えると、いくつもの腕輪がぶつかり合ってシャランと鳴った。腕輪に魔石が嵌め込まれており、それが魔術の源泉なのだ。
「ダメよ!」
誰が道案内するのかと、ユメカはアカッシャを見る。
「止めないでください。私はこの命に換えても、王子を助けなければならないのです。ああ、どうか王子、幸せになってください。そして私が命懸けでお救いしたのだと、生涯想い続けて生きてください!」
――自己陶酔のダメな人だ。
ユメカは脱力の極意を覚えた気分になった。
「オネーサマ、まだ包囲に隙間がありそうですから、わたくしが幻術を使えば抜けられと思います」
「ありがとう。でも、多分無駄だと思う」
「大丈夫です」
「いや、この人たち、人の話を曲解するから」
ユメカが白の騎士と黄の魔術師を、タクトを振るように交互に指さす。
「いやいやここは騎士の役目。アカッシャは、お二人の案内役なのだ」
「ですが!」
大人二人で不毛な口論をしてお互いに譲らない願望をぶつけ合っている。
ユメカはアカッシャの襟首を掴んで、引っ張った。
「行くわよ。忠臣ごっこは帰ってからにしてよね」
斜面を登り始める。
「ああ、イーブ殿、あなたの死は無駄にしません」
「任せておけ。王子救出は、頼んだぞ」
イーブは剣を抜いて身構えた。
「バカなことやってないで、イーブも来なさい。幻惑の霧が不完全でも効果はあるんだから、バカ正直に包囲されるまでそこで待っていてどうするのよ」
「いや、しかし囮として――」
「あんたは殿を務めなさい。今は前進あるのみ!」
ユメカの強引な歩みに、アカッシャは引きずられて歩き、イーブはすごすごと続いた。
「ああ、ユメカ殿は勇敢な御方なのですね。魔獣ひしめく禍々しき山の砦へ、躊躇なく踏み込んでいくのですから」
「あ、そうね」
ユメカは立ち止まってアカッシャの襟首を放した。
「どうしました?」
ユメカはクリスティーネの背中を押して、アカッシャの後ろに回る。
「あのう、どうして私を先頭に? まさか転ばぬ先の――とか?」
「案内人があたしの後ろに隠れていてどうするのよ」
「いえ、魔術師は接近戦が苦手ですので――」
進行方向に背を向けたアカッシャからユメカは、懇願するような視線を向けられた。
「王子様があなたの助けを待っているんでしょ!」
ユメカはアカッシャの両肩に手を乗せ、目を見つめる。
ハッ、としたようにアカッシャの目が輝いた。
「そう。そうです。私が救わずして、誰が救うというのでしょう。そのためにあなたがたに来て頂いたのです」
「まあ、そうだね」
「では、私が王子の命の恩人となるために、皆様を捨て石にさせていただきます!」
アカッシャが急に意気込んでどしどしと斜面を力強く登りだす。
「オネーサマ、あの人、捨て石にするとか言いましたけど、人形の黒炭墓標にして捨て置きましょうか?」
「黒クリちゃんはいい子だから、そんなことしないのよ」
「ですが、オネーサマへの侮辱は許せません」
「大目に見ようよ。とりあえず、案内する気合いは入ったようだから」
「わたくしたちを囮に使いますよ、きっと」
「あたしたちの本来の目的を忘れちゃダメよ」
「王子の救出ですか?」
「ゴルデネちゃんの安住の地を探すことよ」
クリスティーネが目を輝かせる。
「はい。オネーサマ」
「王子を助けるのは、この先の旅を楽にするための、ちょっとした努力みたいなものよ」
「わかりました。では、行きましょう」
「うん。行こう! あの人、杖代わりになってくれてるしね」
前方、霧にかすんで見えない先から、微かに声が聞こえる。
「ぎゃあ、魔獣だ。どけえ! とりゃあ、おりゃあ、そりゃあ」
魔術の閃光が瞬く。
「悪いな、あいつはちょっと変だが、そこそこ腕は立つんだ。ただ、集団行動が苦手なのさ」
イーブは肩をすくめた。
「――まあともかく急ごう。早く追いつかないと、分断される」
「そうね」
ユメカはクリスティーネの手を取って、斜面を駆け登る。
アカッシャの特攻によって包囲しつつあった魔物の動きが、変わっていた。好戦的な魔物は戦闘の騒動に惹かれてアカッシャへと駆け、慎重な魔物は集団でユメカ達を包囲しようとしてくる。
稚拙な連携は混乱の元なのは、お互い様だ。
ともかく、アカッシャを孤立させないように、ユメカは急いだ。




