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  Ch.3.5:美少女の、苛立ち

 ニンナが見せる不敵な笑みは勝者の余裕に彩られてゆく。

 ユメカは少しずつ飲み込まれていくような焦燥を感じていた。


「それよりあなた方は、イグイチョ王国に行きたいのですよね」


 遠回しな言い方に、ユメカは苛立つ。

 相手の足元を見て取引を持ちかけようという魂胆が露骨だった。高みに立ったままでの交渉は、既に強要の投網を広げているようなものなので、忌むべき態度である。

 行きたいなら要求を飲めというのだ。


「馬車ごと川を渡りたいだけよ」

「同じことです。わたしが協力すれば、馬車を積める船を用意できますのよ。それに、少し遠回りになるけど、イカルア王国に入ってそこからイグイチョ王国へ入る手形も出せます」

「遠回しは嫌いなの」

 とっとと用件を言えとユメカはニンナをにらむ。


「せっかちですね」

「無駄は省きたいのよ」

「そういう考えは、心が貧しいからですわ」

「豊かだと、無駄をしていいとでも? 人もおカネも時間も、無駄に使って無駄に消費する」

「皮肉かしら」

 高みに立つ自負による余裕なのか、ニンナは微笑みを崩さない。

「事実よ」

 ユメカは精巧な仮面のような表情を作るニンナの、心の内を覗き込むように探る視線を向け続けた。


「若いっていいわね、無鉄砲で。若さこそが至上の価値だと勘違いしていられて」

「羨ましい?」

「いいえ。私はあなたの知らない世界を知っている。そちらの方が素晴らしいのよ」

「なら、あたしの世界に干渉しないで」

「そうね。憧れもしないし関わりたいとも思わない。でも、あなたの世界はこの世界の一部だから、繋がっているのよ。だから、あなたがこちらに関わることになるの。お分かり?」


「お断りよ。あたし、権力者の犬に成り下がらないから!」


「そう。ではそこのワンちゃん、あなたはどうなの?」

「こいつはあたしの下僕の駄犬よ」

「駄犬と呼ぶなんて可哀想よね。ちゃんとお食事もらってる?」

「お預け食らってるワン」

「ジョン、あんたねぇ! 昨日の夜も今日だって、ちゃんと一緒に食べたでしょ!」

「お子様の発想ね。ねえジョン? なんなら、わたしの犬になる?」

「魅惑的な申し出だワン」


 ふらふらあっとジョンがニンナに近付いて行く。

 ニンナが頬に触れると、ジョンの顔はとろんとした腑抜けになる。


「駄犬が!」


 吐き捨てるようにユメカは呟き、足でビートを刻む。

 8ビートののろさに苛立ち16ビートでテンポも上がる。

 指先を舐めようとするジョンの鼻先を指で弾いたニンナがテーブルの上で手を組むと、誇るような笑みをユメカは向けられた。ジョンを手懐けた勝利を自慢しているようだった。


「どこかの誰かが、イムジム領主を殺害したそうですね」


 ニンナが話題を転じた瞬間、ユメカには流れが読めた。

 だが、流れから逃れる方法はすぐには見付けられなかった。


「犯人は、魔術師よ」

「あら、お詳しいのね」

 知っていながら迂遠に話を巡らせてくる。

 大蛇にじわじわと締め付けられる気分にユメカはさらに苛立つ。


「あたしがそこにいたからよ」

「噂では、どこぞの凶暴な田舎娘が暴れ回って領主を殺害したとか」

「残念ね。あたしじゃないわよ」


 大人の面倒な駆け引きに付き合うつもりはユメカにはない。事実による直球勝負で貫き通すのがユメカの生き方だった。


「そう?」

「だって、あたしは美少女剣士だから」


 ニンナが嫌な笑みを浮かべた。

 美少女という言葉の魔力を、表層ですら理解しようとしていないのだ。夢見る子どもの戯れ言と切り捨てる、そういう笑い顔だった。


「信じましょう。ですが、他の貴族はどうでしょう。あの領地を手に入れる大義名分を得るために、犯人を捕らえ処刑しようと水面下で争いが始まっていますわ」

「だから?」

「今は手が回らないでしょうけど、国王陛下もいずれ犯人を捜すでしょう。貴族連合の突き上げがありますから」

「それなら魔術師を探しなさいよ。タースなんたらという」

「真犯人を知っていて、あなたは探さないの?」

「そうよ。あたしの仕事じゃないから」


 ニンナの巡らせる論述論法の罠に絡め捕られつつあると感じながらも、ユメカは生き様を曲げられずに歯を食いしばる。


「そうなりますと、すぐに雲隠れして実体が分かりづらい魔術師を捕らえるのと、その凶暴な田舎娘を捕らえるの、どちらが楽でしょうね」

「どういう意味よ」

「噂があって、噂通りの犯人を捕らえたなら功績になる、という意味です」

「バカバカしい」

「そう思われるでしょうが、そういうもの。ですが――」


 ニンナの微笑みは意味深さを演出するつもりなのだ。

 だがユメカには通じない。

 大人が使う言葉のまやかしという魔法なのだ。

 重要なのは事実と認識できる筋立てでしかなく、真実の所在を見ようともしない。


「わたしが後ろ盾になれば、あなたが犯人でないと証明できるのです」

「逆を言えば、犯人に仕立て上げることもできそうね」

「お望みでしたら」


 ニンナは、ふふふと笑った。


 これだから権力者と関わるとろくなことがないと、ユメカは肩を落とした。

 権力という横暴に逆らう力がユメカにはあるが、行使すれば単なる暴力にしかならない。

 権力というのは言葉の暴力の一種なので、対抗して武力を行使するのは、暴力の応酬にしかならない。かといって、権力に屈するのは嫌だった。

 自分の道を歩みながら踊らされていると見せる道筋を探すことが、今のユメカが選べる自由の範囲だった。


「――と、言う訳でイムスタ王子を救い出して欲しいのです」


 何が「と言う訳だ」とユメカは内心で毒づく。

 嫌な女だと思うと同時に、ああいう大人にはなるまいと自らを律することで見えない抵抗を続ける。人を騙し世を偽って権力にしがみつく連中の最大の弱点であり恐怖は、真実の暴露なのだ。ウソと偽りに絡め捕られる道だけは、禁忌を破ってでも避けようとユメカは決意する。


「それで、王子はどこにいるか知ってるの?」

「山頂の砦に捕らわれているとか」


 ニンナが目配せすると、侍従がテーブルの上に地図を広げ、指し棒で示したのがイギャカ山だった。アミュング国南方平原の北側にある山である。


「どっちにしても川を渡るのね」

「それはそうでしょう。魔王の領域に行くのですから」

「川を渡るなら、わざわざ王子を助けに行く必要なんて、あたしにはないわ」

「安心なさい。足手まといのそのワンちゃんは、預かっておくから」


 人質にしようというのだろうが、ユメカにとっては無意味だった。


「なんならあげるわよ。その駄犬」

「そんな、殺生な。マイハニー」

「だから、勝手にハチミツにして目で舐めるんじゃない!」


 イヤらしい視線はうんざりだとユメカはにらむ。大人の女の色香にふらふらと近寄って尻尾をふりながら何を言うのかとユメカは嫌悪する。


「オレの命は一〇〇億ドルだといってくれた君の熱い想いはどこへやら」

「言ってないし、いらないし」

「オーマイハニー」

 ジョンが天を仰ぐが、ユメカ無視する。


 袖を引っ張ってきたクリスティーネの方を向くと、笑顔を向けられた。

「オネーサマとようやく二人きりになれると思うと、うれしいです」

「そうね。うるさいのが消えてゆっくり眠れるわ」

 女子トークも気兼ねなくできるのだ。


「そう? ならこのワンちゃん、私の自由にしてもよろしい?」

「どうぞどうぞ」

 ユメカが掌を上に向けて手を差し出すと、ジョンはいそいそと近付いてニンナの前に犬座りをする。


「ナイスバディのお姉さん、よろしくお願いしますワン」

 豹変の態度にイラッとしてユメカは剣を抜いて投げた。

 ジョンの前に突き刺さる。


「あら、嫉妬?」

「違うわ。駄犬に最後の躾を忘れただけよ」

「あら、そう?」

「ジョン、ステイ」

「ワン!」

「据え膳食わずに待っていたら、頭くらいは撫でてあげるわ」


 ユメカは立ち上がって近付くと、剣を床から抜いて鞘に収める。

「なら、亀のように首を長くして待ってるぜ、ハニー」


 ユメカは即座に脳天を殴った。

 ジョンは顎を床に激しくぶつける。


「ジョン、ダウン」

「さ、先に言ってくれ」

「勝手にイッてなさい!」

「ああ、つれないなあ、ハニー。でもオレのダイナマイト堤防は頑丈なのだワン!」


「あ?」

 ユメカはゲスを見くだす視線をジョンに向ける。

「熱い眼差しに、痺れるワン」


「あんた、ダイナマイトで堤防壊してどーすんのよ!」

「それならダイナミック堤防で守るぜマイハニー」

「ふん! どうだか」

「早く迎えに来てくださいワン!」

「グッド」


 ユメカはサムアップしてジョンに向けると、「行きましょう」とクリスティーネの手を取って部屋を出ようとすると、ニンナの指示で護衛の騎士がドアを開けてくれた。

 女中の案内で外に出ると、深呼吸する。

 ようやく息苦しさから解放された。

 だが、よく分からないままの流れで、王子救出作戦に加担することになってしまった。

 ふと我に返ってユメカは自己嫌悪しそうになる。

 人通りのない裏通りを、いらだちを踏みしめて歩く。


――駄犬のジョンなんていらないのに。


 強いて言えば、駄犬だからと見捨ててしまうのは、優生思想になる。物事の優劣を決めるのに一方的な視点しか持たなければ、正当な評価はできないのだ。ジョンが持っていた馬車と旅道具は有効活用できたし、後片付けの雑用など役立つ部分もある。


「オネーサマ、王子を助けに行くのですか?」

 ユメカは立ち止まってクリスティーネを見た。

 即答できなかったのだ。


「黒クリちゃんはどう思う?」

「わたくしは、オネーサマについて行きます」


 クリスティーネは物事を考えていないのではなく、優先順位の問題なのだ。

 ユメカは考え込んだ。

 王子救出作戦とは言っても、誰がどのような役割を担うかニンナと詳しい打ち合わせはしていないのだ。とはいえ、今更戻ってジョンとじゃれ合っている姿を見たくもなかった。


「失礼。美少女お二人で行きたいと希望するなら、俺はじゃまなのかな?」

 背後からの男の声に振り返り、イーブが付いて来ていることにユメカは気づいた。

「というか、足手まとい」

 ユメカはイーブを戦力としては見なしていなかった。


「はっきり言ってくれる。正直傷つくが、実力を知っているだけに嫉妬も虚しいな」

「イーブは、どうしたいの?」

「身の程を知っているだけに留守番と言いたいが、陛下の息子の命が掛かっているとなれば、そうもいかない。道案内か露払いくらいはさせてもらいたい」

「そう。なら、段取りは任せるけど、いい?」


 信頼という名目の、面倒ごとの押しつけだった。

 それでも深刻そうなイーブの表情が和らいだのが分かる。

 不要とされ何もするなと言われるより、役割を与えて頼られた方が人は生き甲斐を感じるのだと改めてユメカは気づかされた。要らないと言ったジョンに悪いことしたと反省させられた気分になる。でも謝るのは、王子を救出して戻るまで言いつけを守っていた場合に限るのだ。


「ああ、任された。じゃあ段取り付いたら宿に知らせに行くよ」

「頼んだわよ」

 雑踏の中に消えて行くイーブが、背を向けたまま右手を挙げて応じた。


「それじゃあ、黒クリちゃん、二人きりで町見物に行こう」

「はい。オネーサマ」


 あと数日滞在することになるだろうと割り切ってユメカは、クリスティーネとの散策を満喫しようと心を決めた。

 まずは夜の帳が降りた町から始めることになる。

 華やかで魅惑的な世界という幻想を、少しだけ味わうことにした。

 もちろん、美少女の領分の範囲で――。

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