Ch.3.3:美少女の、デート
イシャイルク町の宿屋に泊まった翌朝。
ユメカが目覚めた時には、クリスティーネはすでに起きていた。
早朝の空気が澄んでいる時間帯の方がいいというのは聞いていた。
クリスティーネの側には、黄金の毛並みを持つ聖獣オケニークが佇んでいる。魔石から出していたのだ。
「おはようございます。オネーサマ」
「おはよう。黒クリちゃん。そう言えばゴルデネちゃんは、魔力を食べるんだっけ?」
「はい。起こしてしまいましたか?」
「ちょうど起きる時間だから平気。そういえば船はどうなったかな」
「イグイチョ王国にゴルデネツァイトの居場所があればいいのですけど――」
聖獣は召喚獣のように魔杖に嵌め込まれた小さな魔石に聖獣は姿を隠せるのだが、何日も閉じ込めておくと死んでしまうという。たまに外を走り回らせて運動させ、外世界から魔力を導いて食べさせたとしても、環境が悪いと弱っていくそうである。
「黒クリちゃんが住んでた森もダメなんだよね」
「はい。ミューニム大森林は手狭になりました。この子はお師匠様がどこかから連れてきたのですが、その時はまだ両掌に乗るくらい小さかったので問題なかったのですが――」
今は背中にクリスティーネが乗れるほど大きい。
猛獣使いの美少女というのも絵になるなあと、ユメカは黄金の毛並みの聖獣を見つめる。
「それから八年経ちました。成獣になると清涼な水と空気がある、広大な森林と平原が必要になると、お師匠様はおっしゃいました」
だが、ミューニム大森林が太古の姿を取り戻すことはないと、世情を知るイーブも認めていた。そのイーブが、イグイチョ王国はこの大陸で最も広大な自然が残されていると言ったのだ。
「あの森の外縁が人の手によって開拓されてしまったのです。かつてお師匠様はその時の国王と不可侵の契約を結んだのですが、それが反故にされたと嘆いていました」
「一方的な侵略か。ひどいね」
「森の外縁は保護区にする協定だったのです。動植物を守りながらも、人々が糧を得るための行為を認める区域でした。ですが、糧を得るという名目で、農地拡大による伐採が始まったのです」
「大人がよく使う、方便と文言の拡大解釈ね」
「お師匠様は、周辺の人口が増えたから仕方がないとおっしゃっていました。ですが、その内側の侵入禁止領域にまで頻繁に人が入り込むのは困りました」
「既成事実を作って、緩やかに侵略する戦術かな」
「お師匠様もそのようなことをおっしゃっていましたが、強制排除もできなかったのです」
「どうして?」
「自生する薬草の採取は見逃す協定を結んでいたからです。ですが、根こそぎ採取されては困りますから、お師匠様は森を守るためにゴーレムちゃんを作り、見回らせるようにしたのです」
「そのためのゴーレムだったのね」
ユメカは「ごめんね」と項垂れる。
人それぞれに事情があり、一方だけを見て判断するのは良くないと知っていた。
それなのに、魔物だから倒していいと決めつけたのは短絡的だったのだとユメカは反省する。
「オネーサマは悪くありません。初めはわたくしもオネーサマを殺そうとしていましたし、あの時は暴走したので、マザーは殺すしかなかったでしょう」
「でも、ゴーレムがいなくなったら、森はどうなるの?」
「最深部は不可侵領域なので結界で守っていますから、しばらくは大丈夫です。でも、いずれ結界も破られてしまうでしょう。森を守るゴーレムちゃんが人を襲うからと退治しに来ていた騎士や兵士が、結界によって近づけないゴーレムも討とうと考えるでしょうから」
「だからゴルデネちゃんがこれから暮らす場所としては相応しくないんだね」
「お師匠様も、いずれは森を出なければならないとおっしゃっていました」
「なら、必然だと思うことにするわ。むしろ、あたしが黒クリちゃんと出会えた結果を感謝しなくちゃね」
「はい。わたくしもオネーサマと出会えて嬉しいです」
部屋のドアがノックされた。
駄犬にしては礼儀正しいので、別人だろう。
「ユメカ殿、いるか?」イーブの声だった。
ドアを開けると、イーブの巨漢が見える前に、酒の臭気に圧倒された。
「まさか朝帰り?」
「がーはっはっは。まだ宵の口だ」
これだけ外が明るい状況で言うのだから、重症である。
「お酒臭いから、離れて話してよ。それで、どうだったの?」
「話は付いた。だが、段取りを付けて後で連絡くれるそうだ」
「いつ?」
「ま、今日中ってとこだろうな。いずれにせよ、出発は早くて明日になる」
「そう。良かったわ」
「遅いと怒られるかと思っていたが」
「そりゃ早い方がいいけど、今から出発なら、イーブは置いていくことになるから」
「なんと、それは冷たいなあ」
「酒臭いのは同行お断りなのよ」
「がーはっはっは。ならば迎え酒で酔い覚ましだ」
「はいはい。分かったから、イーブは部屋に行って寝てなさい。それに、待ってるのは暇だから、あたしたちは少し出かけるから」
「おお、そうか。なら、まだ飲めるなあ、ありがたい」
「酔っ払いはお断りよ」
「だーはっはっは。酔ってない酔ってない、こんなのまだ素面だ。まだまだ負けん、酒など水のようなものなのだ」
ふらふらとよたつきながら、イーブは廊下を歩いて隣の部屋に入っていった。
呆れたとユメカは換気のために窓を開け、ドアを開閉して室内の空気を入れ換える。
「オネーサマ、あれは?」
「アル中成人の成れの果てね。あれ、ゴルデネちゃんは?」
「臭いを嫌って魔石に隠れてしまいました」
「ああ、そうか。じゃあ、折角だし、町を散策しようか。近くでゴルデネちゃんを遊ばせる場所があるかもしれないし」
「はい、オネーサマ」
「ワンワン、お伴するワン」
唐突にした声に振り向くと、窓からの不法侵入者がいた。
窓辺に犬座りしているのはジョンだった。
「この駄犬が! どこから侵入した」
「オレの目と鼻と耳は特別なのだワン」
「答えになってないわよ」
「風の便りに散歩に行くと聞こえたワン」
「まったく、油断も隙もない。首輪とリードをつけてあげるわ」
「そういうプレイが好きなら付き合うワン」
「いや、要らないから」
「ならノーマルプレイで大丈夫だワン」
「あんたは留守番。イーブが酔っ払って寝ている時に、連絡が来たらどうするのよ」
「むさくて臭いおっさんは嫌だワン。一緒に行くワン。連れてってくださいワン」
「うるさいなあ。わかったから、外で待ってなさい」
「やったーワン」
ジョンが窓から飛び降りて出て行くと、部屋は静かになった。
「オネーサマ、ジョンって、何者なのでしょう」
「さあね。でも、番犬代わりにはなるわ。あたしたちだけだと、ナンパされるのが鬱陶しいからね」
「ナンパとはなんです?」
「あ、そっかあ。知らないか。そうだなあ。硬派の反対だけど、初対面でも礼儀作法もなく気安く声を掛けてきて、一方的に友好的な態度を押し付けてくる男が現れることよ」
「な、なんですのそれは。なんか恐いですわ」
「そうなの。恐いのよ。でも、ジョンがいれば吠えて噛みついて追い払ってくれるわ、きっと」
「役に立つでしょうか?」
「そうだなあ、駄犬だからダメかもしれないけど、そしたら川に流して綺麗さっぱり忘れてあげよう」
「オ、オネーサマは時々すごいことをおっしゃるのですね」
「そう?」
「ジョンを川に落として溺死させるなんて」
「あたしそこまでは言ってないけど」
「ですが、同じことですわ」
「でもあいつ、死なないわよ、多分」
「本当に不死身なのでしょうか」
「分からないけど、あたしが蹴っても殴ってもあいつ、軽く受け流すのよ。斬ろうとしても避けるし」
「オネーサマはジョンを殺そうとしたのですか?」
「美少女は殺人なんてしないわよ。ただ、あいつの歪んだ性根を叩き斬ろうと思っただけで」
「斬れば死ぬのでは?」
「あたしに殺す気がなければ、死なないわよ」
「そうなのですか?」
「うん。そうだよ。だから黒クリちゃんも、人を殺そうと思うのはダメよ」
「はい、オネーサマ。難しいですが、頑張ります」
「偉い。黒クリちゃんは偉い、かわいい。そのかわいさをあたしが独占したいから、フードを被せてあげる」
「はい。オネーサマ」
宿の外に出ると、ジョンが犬座りで待っていた。
「どこ行くワン。お茶を飲みながらゆっくりするのはどうだワン。それとも公園のベンチで愛を語らいうのもいいワン」
などとうるさいので、人の迷惑になると思ったユメカは、町の外に向かうことにした。
イーノット川の土手に出た。
水量は多く、思いの外流れも速い。
対岸は遠い。
見えるくらいには近いが、簡単に渡れる距離ではない。
この場所は、四カ国が国境を接する。
ひとつはユメカがいるアマタイカ王国。
残る三国は対岸にある。魔王に征服されたアミュング国、獣人が支配するイグイチョ王国、大陸の穀倉地帯と言われ農産物の生産が多いイカルア王国である。
川を少し下れば海運と食品加工に強いアビク国、さらに南下すれば神の祝福を得て発展したウォイク聖国となり、広大な湾を横切れば工業国家のアワギャナ国となる。
七つの国があるこのユーオタンカ大陸は、広大なようでいて狭い世界でしかない。
クリスティーネを師匠の元に送り届けるのも、最優先にすればすぐに達成できそうに思えてくる。とはいえ、何の手掛かりもなく訪ね歩くつもりはユメカにはない。
成果が出そうにない目標を第一に掲げれば徒労感に心は病んでしまう。これらを長期目標とするならば、すぐに成果が得られそうな案件を短期目標とすべきなのだ。
「古式ゆかしいデートコースだワン。土手に座って手作りサンドイッチを食べたいワン」
耽っていた想いから現実に戻されたユメカは、ジョンを睨んだ。
「そんなのないから」
「マイハニーはデートが初めてなのかワン」
「美少女はデートなんてしないのよ」
「そんなルール知らないワン。それならデートするワン」
うるさいなあと、ユメカは髪掻き上げる。
「しないわよ。代わりに遊んであげるからガマンしなさい」
「ほ、本当に?」
「美少女はウソつかないわ」
ユメカは押していた枝を拾うと、放り投げる。
「よし、取ってこい、ジョン」
「ワンワン」
ジョンがダッシュして枝を拾ってきた。
手で拾い上げ、両手に持って捧げてくる。犬というよりは下僕のようだった。口でくわえてきたら、汚いと言って終わりにするつもりだったのだが、裏をかかれた気分である。
「次はジョン、あんたの実力を見せなさい。あそこからあっちまで、ダッシュよ」
「はい?」
「いけ、ジョン。走れ!」
「ワンワン」
ジョンが土手を走って行く。
だが、思ったほど速くはない。一〇〇メートルを五秒切るくらいの速さを期待したのだが、駄犬に成り下がったとはいえ、所詮は元人間でしかないようだった。
とはいえ、一〇〇往復くらい走らせると、ジョンは満足してくれたようだった。
土手に大の字になって寝転がり、恍惚の笑みを浮かべて寝入ってくれたので、ようやく大人しくなった。
「それにしても、このあたり、人が多いですね」
クリスティーネは魔杖を握り締めた。
土手の上から街並みを眺める。
人目に付かず、清浄な空気が満ちる、ゴルデネツァイトを魔石から出してあげられそうな場所は近くには見当たらないのだ。
広大な森が見えるのだが、周囲が塀で囲まれた向こう側にあるようなのだ。
それに、いつのまにか、人が集まってきていた。
飼い犬の訓練をする美少女は、絵になるからだろう。
人の興味と好奇心をくすぐるのだ。
「楽しそうだね」
知らないおじさんが声を掛けてきた。
「楽しくはないわ」
「それは意外だなあ。この町は初めてかい?」
「そう見える?」
「君のような子なら、すぐに町中の噂になるからね」
「プライバシーは守って欲しいわ」
「え?」
「こっちの話よ。ところで、あそこの森は何?」
「ああ、あれは大公様の別邸の庭だ」
「入れる?」
「それは無理だ。勝手に入ったのが見つかれば、どうなることやら」
「庶民は立ち入り禁止なんて、貴族は横暴ね」
「それを大声でいっちゃあダメだ」
「どうしてよ」
「ここじゃあちょっとな。どうかな、近くにおいしい料亭があるんだ。ごちそうするよ」
結局はナンパかと、ユメカは溜め息をつく。
「おっさん、人の連れに何の話だい?」
バテて寝ていたはずのジョンが土手を駆け登ってきて、間に割り込むように立った。
「いやいや、世間話だよ」
「だったらもう用はないだろう、あっちいけしっし」
「いやあ、参った。そんなつもりはないんだよ」
知らないおじさんは平和的に撤退していった。
さらにジョンが美少女目当てに集まってきた群衆を追い払う。
番犬として少しは役に立ったようである。
「あそこの森に行けたら良かったのに」
「大公の別邸の庭ですか?」
「独占禁止法って、ないのかな?」
「ですが、それで森が守られることもあるのです」
「そうだね」
クリスティーネが暮らしていた太古からの大森林地帯は、法的には国王の直轄地とされてきたという。その結果として長い間守られてきたのだが、王族の分家が増え、いつの間にか領地が割譲され、森の外縁部は直轄地でなくなったことで、農地開拓につながったのだ。
そして今は、クリスティーネが去り、ゴーレムという森を守る者たちがいなくなり、いずれ開墾されて失われる運命をたどるだろう。
いずれにせよ、本日のゴルデネツァイトを遊ばせる場所探しは、延期である。もっと遠くまで足を伸ばせば見つかるかもしれないが、今からでは出発が遅すぎる。
「それよりオネーサマ」
「なに、黒クリちゃん」
「わたくし、お腹が空きました」
「そうね。宿は朝食付きじゃなかったからね」
「オレも腹ぺこだワン」
「なら、あんたの鼻でおいしいお店を探し当てなさい」
「合点承知だワン、ご主人様の驕りだ嬉しいワン」
「違うわよ。散歩してあげたんだから、あんたが払いなさいよ」
「ペットの散歩は飼い主の義務だワン」
「美少女二人で散歩してあげたんだから、いい思い出になったでしょう」
「思い出はプライスレスなのだワン」
「美少女との思い出はプレミアムよ」
「プレミアムならデートだワン。デートなら払うワン」
内容が同じなのに言葉を換えるだけでなにが嬉しいのか不思議なくらいの笑顔を、ジョンは見せてくる。
「オネーサマ、デートとはなんです?」
「親しい男女が日時を決めて遊ぶことかな」
「では違いますね。出かける前に急に決めたのですから」
「事前予約がなくても成立するんだワン」
「そうなのですか?」
「そうだなあ。そういうこともあるかな」
「でしたら、デートでいいのではありませんか、オネーサマ」
「黒クリちゃんがそう言うなら、それでもいいけど――」
「ではジョン、デートになりましたから、おカネはあなたが払いなさい」
「ファイナルアンサー?」
ジョンの眼差しは真剣そのものだった。
「い、いいわよ、それで」
「おお、マイハニーとの初デートゲットだぜ」
「黒クリちゃんもいるわよ」
「両手に花とは、男子の本懐なのだあ!」
「調子に乗るな!」
浮ついた妄想に陶酔するジョンを反射的に殴ろうとした手を止めた。
あまりにもジョンが嬉しそうな表情をしていたからである。
これも美少女の罪なのだと、ユメカはジョンの誤解を受け入れた。




