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  Ch.3.2:協力者の皮算用

 夜の町の喧騒を通り過ぎる男が一人。

 ダークグレーの服は夜陰に目立つことなく、ひとけのない裏通りへと向かう。

 二メートル近い大男でありながら、気にする者はいない。

 誰もが皆、己の欲望に熱心だからである。

 大男は符牒を使ってドアを叩く。

 名の知れた料亭の裏口である。

 招き入れられ、複雑な廊下を案内され通されたのは、川面を望む二階の部屋だった。

 窓辺の席でグラスを傾けていた中年の男が、視線を内に転じると、気難しい表情が少し和らいだ。その微妙な変化に気づかぬように、大男はずかずかと歩み寄ると、窓辺の男の向かい側に座った。


「汚れ仕事か? イーブ」

「さすがに裏の仕事はまわされなかったさ」

「白の騎士の名は汚さずか」

「どうだろうな、イークソン。密偵だぞ?」


 イークソン・エデキは、イシャイルク町の開拓移民の末裔で、手広く商売をしているが、その主たる業種が、川を利用した船による輸送業だった。

 イーブは差し出された酒杯を受け取った。


「グレーゾーンという訳か。そのなりじゃあ、誰も白の騎士イーブ・ウィギャと分からんだろうから、適役だな」

「そうでもない。イムジム伯爵の騎士隊長には気づかれた」

「アダセン・アジミュか。食えない男だと聞いている」

「世渡り上手なのさ。身軽になって喜んでいるだろう」

「伯爵は、重荷か」

「騎士の体面を保とうとすれば、だがな」

「いやだねえ、階級社会は」

「お前だってそうした貴族連中に寄生しているだろう」

「宿主は変えられるのさ。で、何の用だ?」

「ちょいと獣人の国に行きたい」


 イークソンは口にしかけた杯を戻した。


「イグイチョ王国に渡りたい? バカなこと言うな」

「どうにかならんか? お前、船問屋だろう? できれば馬車ごと乗せたい」

「この町の対岸は四カ国の国境が交わる、空白地帯だ。戦乱の種が埋まっているのさ」

「種と例えるか、面白いな」

「川を渡ったところで、その先に湖がある」

「知ってるさ。トルアーハ湖とその中心の島にある、アッカンイナ村は実質小国と言える、自治領になっているんだろう?」


「無法地帯だ。盗賊の温床だと言われている。関わるな、手を出すな、がこの辺りの鉄則だ。アミュング国が魔王に支配されてから、そこに難民が流れ込んでいるって噂だ。島に渡れない連中が、湖畔に村を作り出しているって話もある」

「難民とは、厄介だな」


 古来より近隣国同士は条約を結んで戦争を回避してきたが、実質どの国にも属さないアッカンイナ村に巣くう連中はどの国とも条約を結んでいない。

 それでいて存在が黙認されてきたのは、利害関係の妥協点となるからだった。この周辺で地形的にも最も適した川港であるため、その領有権を巡って小競り合いは頻発していた。そこに仲裁という名目の実力行使によって、支配したのがアッカンイナ村の連中だった。中立といえば聞こえはいいが、イーノット川左岸の川港を実質的に支配している。そこでの荷役によって税金のように収益を得ている。ただ、手間賃を払えばどの国の荷物であっても扱ってくれるので、周辺四カ国は支配権を巡る争いよりも、交易による利益を得るために黙認したのだ。


 だが、難民がアッカンイナ村周辺の中立地帯に集まれば、均衡は崩れる。


 今のところ難民救済と称して食料を配給しているが、人が集まれば領地も食料も不足する。難民の自国への流入を望まない各国はそれを見越して、人道支援の名目で食料や金銭を送ることになる。だが、それでも難民が増えればアッカンイナ村ではまかないきれなくなる。

 おそらく彼等は失地回復と称してアミュング国に攻め込み、領土拡大を図るだろう。その行為を表向き批難できない各国がその侵略行為を黙認すれば、新たな勢力の台頭を許すことになる。だがそれを認められない各国は、軍事的均衡が崩れる事態を危惧して、支援と称して軍を送らざるをえなくなる。

 結果、この大陸は再び戦乱の時代を迎えるという嫌な予測が成り立つのだ。


「今アミュング国の南側、つまりこの国との国境沿いにいるのは、魔王の軍門に降った連中だ。魔王配下の魔人に背後を突かれていれば、南下せざるを得ない。どのみち戦端が開かれる」

「嫌な時代になったものだ。ならば、諦めるか」

「まあ待てイーブ。あんたとの付き合いは古い。事情と報酬によっては手を貸すぜ」

「今は、美少女の護衛だ」

「そんな趣味があったとは。あんたには大人の女が似合いだと思っていたが」


「ちょいと南の湖で運命的な出会いをしてな」


「ゴーレムが町を襲ったとかイムジム領主が死んだとか、その絡みか?」

「耳が早いな」

「商売は情報が命だ。昨今は下流が重要だしな」

「上流が魔王に支配されたせいか」

「それがでかい。そもそも川が国境だ。両岸の情勢を知らなければ、下手すりゃ船を沈められて大損害だ」

「いっそ、海に出たらどうだ?」

「もうやってるよ。だが、荒波と海の魔物が厄介だ」


「魔術師でも雇ったらどうだ?」


「それも必要だが、もう少し大きい船が要る。大波を越えられるようにな」

「だが、大船はこの辺りまでは入れないか」

「そう。海の手前で荷の積み替えとなると、荷役に払うカネがかさむ。採算が合わないから、高値で売れる商品が必要になる」

「過渡期なのだろうな」

「だが、戦争というのが追い風だ。食料と武器が高値で売れる」

「その分、庶民は買えなくなるわけだ」

「長引けば飢えた民が増え、寝食さえ用意すれば、荷役が雇えるようになる」

「おいおい、そりゃあ、奴隷みたいだな」


「そうし向けた戦争が悪いのさ。王の統治も問題となる。いずれ民衆の武力蜂起になるって読みもある。一部の同業者は足元見て搾取するが、その先を見すえてこっちは、施しもする。そうすりゃあ、王と民衆、どっちが勝っても商売繁昌だ」


「悪いヤツだ」


「だがな、もっと怪しげなのは、慈善活動といって、無償で衣食を提供している連中だ」

「聖言教か?」

「わからん。表向きは少し裕福な農家や商家の次男三男の音頭で動員されているが、この世界はカネで動いている。カネなしで、人と物が動くなんて、ありえん」

「人の善意をカネ勘定でしか測れない商人らしい見方だな」

「カネ換算するから、公平に商売ができるってもんだ」

「それなら、頼めるか?」

「お前の頼みだ、少し当たってみるよ。泊まっている宿に伝えに行かせる」

「悪いな。助かる」

「なあに構わないさ。それより、まだ時間はあるんだろう?」


 商人は酒瓶を手に持って振ってみせた。

 男二人の夜は、それから始まる。

 宵はとうに去り、酔いが深くなる。

 思考は鈍り、倫理観は薄れ、論理性が失われ、欲求に正直になる。


「機密事項だが、王子が魔王軍に捕らわれたという話、聞いたか?」

「事実か?」

「そうらしい」


 イークソンは、極秘情報を披露して、自慢したい性格の男だった。言うなれば、酒が入ると少しばかり口が軽くなる。だが断定しないのは、噂話として情報源を誤魔化すためである。酒を飲ませて追及すれば誰から聞いたのか話すだろうが、真偽については変わらないだろう。

 イーブにとっては、王子が魔王軍に捕らわれたとの事実が重要だった。


「白の騎士としては、動かないのか?」

「陛下の勅命が下れば、な」

「やはり、嫌いか?」

「苦手なだけだ。だが、俺より先に、黄の魔術師が動くだろう」

「もう動いたさ」


 アマタイカ王国で最も優秀なのが、黄の魔術師の称号を持つ女性だった。彼女は魔術師部隊を組織し、その力は少数精鋭だった。魔術に対抗するための重装備をした騎士でも、魔術師一人と相対しては、互角になるかどうかというほどに力の差がある。が、それでもダメだったというのだ。


「なら、俺の出番はない」

「だから、あんたの連れならどうかと思ったのだ」

「子どもに頼るなど、大人の有り様を疑いたくなるな、イークソン」

「巨大ゴーレムを倒し、突然現れた魔物の群れも全滅させたというではないか」

「あの場に、魔物の死体はなかった」

「こっちの情報がウソだと?」

「俺は現場に居たんだぜ」


 イークソンは杯の酒を飲み干して新たに注ぐと、イーブを見据える。

 酔った眼差しの中に、商売人としての鋭さは残っていた。


「タマでも握られたのか?」

「単なる好奇心だ」

「そいつは、重傷だな」


 呆れたと言わんばかりのまなざしを向けられ、イーブは何を勘違いされているのかと考えたが、酔いのために答えを見付けられぬまま、杯を重ねる。


「それより、伯爵のところに出入りしていた魔術師について知らないか?」

「魔術師?」

「なんだ、知らないのか?」


 教えてやろうかとイーブは身を乗り出す。

 物だけでなく情報も売買する商人には、大金を要求しても心は痛まない。だが、酔いで会話の記憶が薄れ、前後の脈絡が入り乱れている自覚が芽生えなくなっていたのだ。


「どこまで知っている?」


 問われたイーブはイークソンの目を見すえる。

 値踏みするような目の奥に、酔いの及ばない理知的な光が見える。頼み事をしに来た手前、出し惜しみして情報の値をつり上げるのは得策ではないと、イーブは考えた。


「山羊の製造」

「おっとそいつは――」

「どうした?」

「やばい橋だ」

「俺はもう渡りかけてしまった。今更戻ったところで、知らぬ存ぜぬは通用しないだろう」

「いま、巷じゃ予言が流行っている」

「商人が予言を気にするのか?」


 露骨に話題が変えられ、イーブは顔を上げた。

 よほど偽大金貨の話題には関わりたくないらしい。

 イークソンは惚けているのか、何食わぬ涼しげな顔をしている。


「魔王は、神が滅ぼしてくれるんだとよ」

「世の中にはいろんな神がいると言われてるが、どれが本物なんだ?」

「知らんよ。だが、真実の言葉を語るのが本当の神だという」

「言葉で魔王を殺すのか?」

「浄化の光で滅ぼすという話もあるが、出所が分からん」

「それが事実なら、早くして欲しいな。だがそもそも、魔王が生まれる前に片付けるべきだ」

「敵がいないと力を示せないし、事前に対処したらありがたがられない」

「自己顕示欲の塊だな」

「恩は高く売ろうってことだ」

「どこぞの商人みたいだな」


 イーブは目の前の男を指さした。


「こっちの商売は、もう少し良心的だ」

「どうだかな」


 イークソンは肩をすくめた。


「それより、陛下はなぜ早々にアミュング国に援軍を出さなかったのだろうな。魔王軍が攻め込む前なら、平原に進出してきたところを包囲殲滅できただろうに」

「貴族連中が動かなかった。特に大公が兵士を出さないから、王に近い兵だけで遠征すれば、首都が手薄になる。それに、戦場なら不慮の死も不審と思われづらい」

「まったく、何を考えているのやら」

「そのために、白の騎士に勅命が出たんだろう?」

「黒幕が貴族では、問題の質が変わる」

「大金貨なんて作るからだ」

「商人のお前なら、理解しているだろう」

「事情はな」


 金貨二枚で大金貨三枚が作れて価値は十五倍になる。

 国庫の赤字を隠すために、改鋳によってごまかそうとしているという噂は当初からある。

 だが本質的な問題は、経済活動が活発になり、商取引現場における貨幣が不足気味になったことにある。

 かといって、金山から無尽蔵に金が採掘できる訳ではない。

 そこで金貨の不足分を補うために、各地の領主が勝手に手形を発行し、金貨相当分だとして保証したのだ。ところが手形では他の領地では使えず、換金しようにも領主が拒むことが多く、国王に仲裁を求める声が多数上がってきたのだ。

 そこで、知者の提案を取り入れ、大金貨の発行に至ったのだ。

 国家が保証すれば、少なくとも国内では問題なく使えるからである。


「だが、貴族が国庫に納める貨幣を、金貨に限定した反発は根強い」

「初めだけだ。二年後には大金貨で納められるようになっただろう」

「未だに、大金貨はダメだという徴税人もいる」

「それは陛下にも報告済みだ」


 大金貨を作るための金が必要なため、貴族が大量に抱え込んでいる金貨を合法的に取り上げる制度だった。だが、偽大金貨が広まり、徴税人が真贋を見極められず国庫に納めて叱責されるのを嫌がり、受け取りを拒否する事案があったのだ。そうした問題も加わり、使えない貨幣だという印象は強まり、大金貨の信用が落ちる要因となった。


「国の公共工事では、請け負う貴族には大金貨で支払われる」

「当然だ。輸送が楽になり、強盗からも守りやすい」

「それを、王の錬金術だと思う貴族は多い」

「流通量は管理されてきた。山羊金貨が出回りすぎたせいだ」

「すべては山羊か。厄介な話だ」

「ああ。黒幕は行方知れずだからな」

「何者なんだ?」


「タースとかいう魔術師だ。知っているか?」


「いいや。伯爵別邸に出入りのある仲間の話でも、魔術師がいたなんて聞いてないな」

「暗黒面に隠れているのかもな」

「なんだそりゃ?」

「ユメカ殿が言っていたのだ」

「ああ、その少女の名か」

「美少女、と呼ばないと怒られるがな」

「一度、そのご尊顔を拝したいものだ」

「なら、船の手配、頼むぜ」


 イーブは酒杯を掲げ、傾けた。

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