余話Ch.3.-1:魔術師と令嬢
ニンナという美しい女性がいた。
若くして才女と言われ、河川交易を実質支配している。
そんな彼女は、朗報を待っていた。
庭園にある離れ。
木陰に風がそよぐテラスでニンナは、読書の合間のティータイムを楽しんでいた。
ニンナが風を感じて視線を上げる。
庭の木立の影から、ローブ姿の者が近づいてくる姿が見えた。
外周を見張る騎士が通した人物なので、魔術師タース・リディルプスだと分かる。
「ニンナ様、ご報告に参りました」
「待っていましたよ、タース殿。吉報ですね」
ソファーに横になっていたニンナは、開いていた本をサイドテーブルに置いた。
だがすぐに応えがないことに、ニンナは不測の事態を予感した。
「――イムジム伯爵を処分して参りました」
「どういうこと?」
ニンナは手に取った羽扇子を開いて、顔を覆った。
「すべては国王と王宮魔導師による陰謀にございました」
「詳しく話してくださいな」
優雅な動作で体を起こしたニンナは、羽扇子を閉じて魔術師を見つめる。
「山羊を捕まえようと白の騎士が動いておりました」
「それは聞いていますわ」
「では、山羊作りの事実を隠蔽する切り札として聖獣を探そうと、伯爵が伝説の便利屋エブリシン・オルオケを雇ったという話は?」
「エブリシン・オルオケ、まさか実在していたとは――」
「代を重ねた継承者なのでしょう。その名の通り、聖獣を捕獲してイムジム・タウンまで連れてきました。そこで手はず通り、ニンナ様の騎士が保護致しました」
「では、聖獣は手に入ったのですね」
「残念ながら、ヤスラギ・ユメカと称する自称美少女剣士によって奪われました」
ニンナはソファーに背を深く沈めると、羽扇子を開いてゆっくりと扇ぐように顔を隠した。
「美少女? ふん」
嘲笑混じりの息を吐き出し、ニンナは扇ぐ手を止め、続きを促した。
「ニンナ様の騎士は、聖獣を奪われるというのに、命張ることなく逃亡しました」
「逃亡? あの五人は、わたしの騎士の中でも選りすぐりの者で、タース殿に強化していただいたはずでは?」
「左様。私が魔石による身体強化を与えていたにもかかわらず、ニンナ様に恥を掻かせるような所業でしたので、処分致しました」
「その少女はそこまで強いのですか?」
「強いには強いですが、シーラ・デ・エナほどではなく、五人が本気にならなかったのが要因でしょう」
「本気を出さずに敗走? 酷すぎるわね」
「おそらく、下手な欲心を抱いたためかと存じます」
「ああ、そうですか。お手を煩わせましたわ」
アマタイカ王国随一の美女と言われる者に仕える騎士でありながら、自称美少女などという小娘に欲情するなど、クズである。
焼却処分は当然の報いなのだ。
使える騎士はなかなかいないものだと、かつて寵愛した有能にして秀麗な騎士を、ニンナは思い出していた。
「それと、イムジム・タウンに巨大ゴーレムが現れました」
「ゴーレム? ミューニム大森林の守護者の?」
「そのようです」
「あの太古の森から出られないはずでは?」
「操っていたのが、魔導師クリスティーネ・シュバルツと称する幼女」
「何者ですの?」
「王宮魔導師ディリアの弟子にございます」
「弟子? そんなのがいたとは、聞いてませんわよ」
「隠していたのでしょう」
「なんのために?」
「幼いながら、かなりの魔力を操れます」
「タース殿よりも?」
「呪文詠唱が必要な魔法など、真実を悟った我が魔術の前では児戯に等しい」
「ならば、ゴーレムはタース殿が倒されたので?」
「例の自称美少女剣士が倒しました」
ニンナは小さく溜め息を吐き、疎ましそうにタースを見た。
永命の法を用いてすでに人の寿命を凌駕して生きる魔術師は、見た目は初老である。それでも齢百歳を越えているという。永命の法の秘技を知るのが遅かったためであり、早く知っていれば若さも保てるというのだ。
大人の交渉によってニンナは、タースからその秘法を学んでいる。
実際肌つやは、十代の頃を取り戻している。
側仕えの侍女や騎士からも、若く美しいと日々言われている。
だが、若さを取り戻しても、過去の行為の数々は消し去れない。そうした悩みをタースに相談し、大人の交渉術を用いて得た情報が、時を戻すという聖獣の存在だった。
「よく分かりませんわね。わたしの理解が悪いのか、タース殿の話し方が悪いのか」
「失礼いたしました。私の話し方が悪かったようです」
「そうでしょうね。簡潔に話してくださいな」
一瞬、ニンナの眼差しには侮蔑の色が滲んだ。
羽扇子で扇ぐように顔を隠した瞬間に、無機質な微笑みを浮かべた顔となる。
「その自称美少女剣士と、王宮魔導師の弟子、伝説の便利屋は、つるんでいたのです。王宮魔導師の弟子が飼っていた聖獣を、便利屋が捕獲したと偽って伯爵に近づこうという企み。また、町を巨大ゴーレムで襲わせ、自称美少女剣士が倒してみせることで伯爵に取り入ろうという企み。しかも、王宮魔導師の弟子は幼女だというおまけつき――」
「なんとも、伯爵好みなことですわね」
「私は伯爵に警告したのですが、欲望に足元を掬われ、また伯爵の騎士は役立たずどころか足手まといとなる始末。魔術で魔獣を召喚しすべてを消し去ろうとするも、自称美少女剣士が持つ魔剣は強力でした。召喚した魔獣は全滅させられてしまいました」
「タース殿が勝てぬとは――」
「王宮魔導師の弟子がサポート役となり、防御魔法を使ったからです。しかも、奴らの背後には、白の騎士もいたのは想定外にて――」
「厄介ですね」
「やむを得ず、証拠隠滅のため地下工場を焼き、伯爵と執事の口を封じたという次第」
ニンナはゆっくりと立ち上がった。
「その三人、いえ、白の騎士を入れると四人ですか。その者たちはどこへ?」
「こちらに向かっています。ニンナ様と伯爵の繋がりを暴こうという魂胆でしょう」
「完全なる濡れ衣ですわ」
「ない証拠もあるとする。国王に入れ知恵する王宮魔導師ならばやりかねません」
「とはいえ、山羊は父も知らぬこと。証拠もなければ疑惑止まりとなりましょう。それで大公家を潰すなど、無理筋ですわ」
「さようにございます」
「ですが、折角ですからその力、利用させてもらいましょう」
ニンナは羽扇子を閉じた。
脳裏に策略を想い描いていた。
成功すれば確実に、山羊との関わりを隠蔽できると思えた。
「巨大ムカデ、でしょうか」
「タース殿は勘がよろしいですね」
「恐れ入ります」
「どうであれ、わたしが命じて殿下を救えば、わたしの功績になりますの」
「私は、万が一に備えておりましょう」
「では、西の離れを使ってくださいな」
「感謝を――」
タースは恭しく頭を下げると、静かな足取りで立去っていく。
ニンナがテーブルの上のハンドベルを鳴らすと、部屋の奥から侍女が現れた。
いくつかの指示を与え、最後に懇意にしている商人、イークソン・エデキを呼ぶように伝えた。
「意地を張るのは終わりですよ、殿下」
婚約しておきながらあれこれ理由を付けて結婚を先延ばしするのも、これで終わりにできるとニンナは確信した。
二人が結ばれるならば、大金貨政策は無駄に終わる。
大公家もこれで安泰だと、ニンナは笑んだ。




