Ch.2.12:魔術と、美少女
ユメカは歯を食いしばる。
反射的に右手を柄に掛けたが、剣を抜くのをためらった。
あんな魔術師など本気になれば倒すのは容易だが、ユメカが目指している道はその先にはない。
ちらとジョンを見ても起き上がる気配はなく、ぴくりとも動かない。
だが、ジョンはまた死んだフリをしているのかもしれない。
「駄犬の躾を怠ったあなたの落ち度ですよ、赤毛の少女よ」
「いっとくけどあたしは、アンじゃないわよ」
「あん?」
あんぐりと口を開け、魔術師は首を傾げた。
間抜けな顔が憎たらしい。
「オネーサマ、ここはわたくしが。あの魔術師を倒します」
ユメカがちらと見ると、クリスティーネの表情は固い。
思い詰めた表情に、衝動的に全力魔法を放つ焦燥が感じられる。
「黒クリちゃんは、手を血に染めちゃいけないのよ!」
「ですが、一門の問題のようですから」
「一門?」
反射的に尋ねたが、同時にユメカは脳裏で事情の片鱗を想定していた。
「あのローブに施された魔術紋章は、お師匠様の物です」
「ほう。これを知っているのかね」
ローブのあわせを引っ張り、魔術師は左胸あたりにある幾何学模様の紋章を示した。
クリスティーネは屋根の上の魔術師を睨み付け、魔杖で指した。
「名乗りなさい」
「無礼なお子たちですねえ。ですが、子どもですから、大目に見ましょう。とはいえ、後ほどお仕置きをしてあげますがね」
「あー、ちょっといいかな?」
魔術師の雰囲気が少し変わったとみたユメカは、ゆっくりと剣を抜いた。
「なんだね、赤毛の少女よ」
「今すぐ名乗るか、今すぐ降伏するか、どっちかに決めてくれないかな」
「ぶ、ははははははは。吠える吠える。駄犬の飼い主もまた、愚鈍なようだ」
「じゃあ、終わりよ!」
ユメカは地を蹴った。
瞬時にバルコニーまで跳び上がり、欄干を蹴って屋根に到達すると、剣を横に振り薙ぐ。
ブン、という空気を唸らす音とともに、魔術師の体が真っ二つになる。
と、見えたが残像となって消えた。
「あれ?」
手応えの無さにユメカは首を傾げる。今の一撃で、転移と虚像の魔石を壊せなかったからである。仕掛けは別に用意されているのだろう。
気配に振り向けば、屋敷の奥側の屋根の上に魔導師は立っていた。
「やっぱりダミーね」
「我が幻影を破るとは見事、と誉めてあげましょう」
「大人しくしないとあのバカ領主をどうにかするわよ」
ユメカは屋根の上からバルコニーで起き上がれずにいる領主の方に、剣先を向ける。
だが魔術師には、領主を殺す意志がないと見透かされているようだった。
薄ら笑いを浮かべた顔で、平然としている。
「どうぞどうぞ、ご自由に」
「う、裏切り者め」
「これは心外。我は貴方の保護までは契約してないのですがね」
「見捨てられたようね、領主」
ユメカが視線を向けると、領主は体を引き摺るようにして逃げようとする。
だが本気で領主に危害を加えるつもりはない。言葉で揺さぶり、魔術師との間にある信頼という繋がりを断つのが目的である。関係の綻びは緩やかに協調を乱し、崩壊へと向かわせる。
「お、おい、魔術師タース・リディルプス。ならば新たな契約だ。儂を助けよ」
「契約違反だ、領主よ。我が名を明かすとは」
魔術師が領主に向けて手を差し出す。
光がほとばしり、魔力の弾が放たれた。
普通の人間であれば確実に死に至る攻撃である。
「気安く人を殺すな!」
ユメカは屋根の上から宙返りをして飛び降り領主の前に立つ。
「マジックリフレクション!」
正面から剣を振り下ろすと、魔力弾は弾き飛ばされ、魔術師へと跳ね返って行く。
魔力弾は屋根の一部を吹き飛ばして消えた。
命中した感覚が無く、ユメカが視線を転じると、魔術師は再びバルコニーを見下ろす屋根の上に立っていた。
次の手を迷っているユメカの足元に、不意に何かが伸びてくる。
床に転がったまま擦り寄ってくる領主の手だった。
「おお、少女よ、儂を助けてくれるのか。ならば褒美をやろう」
「あんたのことなんかどーでもいいのよ。ただあたしは、血を見るのが嫌いなだけ」
ユメカが領主のたるんだ腹を踏みつける。
プギャァと不気味な声を発しながらも、痛みと煩悩は別物のようで、領主の手は止まらずにユメカのブーツを撫でてくる。
「ぐふふふふ。軽いなあ、華奢よのう。その細い腕、細い腰、儂に触らせておくれでないかい」
ブーツに触れた領主の汚い手が、舐めるように上ってくる。
ユメカの心に、警戒警報が鳴る。
「おっと、危ない」
たるんだ腹を踏みつけている足に力を込めると、領主が不気味な愉悦の吐息を吐き出すので、逆の足で領主の顔を踏み台にして跳び、ユメカは欄干の上に乗った。
「お、おしい」
領主は油断ならない人物だった。
あの瞬間でさえ領主の視線は、ユメカの絶対領域へ進入を試みていたのだ。
気持ち悪い精神にユメカは「うぇ」と吐き気を覚えたが、瞬時に気を取り直して屋根の上の魔術師を睨む。
歪んだ趣味を持つ領主にこれ以上の未完の大望を与えては、禁断の情欲を湧き立たせ、報復制裁すら大願成就に変換され、満ち足りた愉悦に至られてしまう。助けるんじゃなかったと後悔する苦行を繰り返したくなかった。
「隙あり!」
一瞬の気の緩みが狙われ、魔術師の魔力弾が襲ってくる。
ユメカは欄干から後方に飛んで宙返りし、再び前庭に立つ。
欄干が弾けて、砕けた残骸が振ってくるのをユメカは剣で払い飛ばした。
「オネーサマ、お怪我は?」
「まあ、大丈夫だけど、ちょっとムカついた。ふたつの意味で」
「ふたつ?」
クリスティーネは首を傾げたが、疑問を脇に置きやったらしく、すぐに魔術師を見すえた。
「やはり同門として、わたくしが相手をすべきなのでしょう」
「子どもが! 我と同門と言うが、お前は紋章なしの見習いだろう」
魔術師の嘲笑う声が響く。
「見えないのですか? 魔術師では仕方ありませんか。では、見えるようにしましょう」
クリスティーネは左手に杖を持ち替え、右手の指先に魔力を集め、左胸の辺りをなぞると紋章の形が発光して浮かび上がる。漢字のような模様のような形だった。ユメカには分からなかったが、魔術師の表情に焦りの色が浮かび始めているのが分かる。
「バカな。ありえん。魔石に魔杖に星印だと」
「名乗りなさい!」
「やむを得ぬ、仕来りに従い名乗ろう。我が名は、タース・リディルプス。魔術師だ」
「わたくしは、大魔導師クリスティーネ・シュバルツ」
「あのロリコンめ。幼女を弟子にしたとは聞いていたが、本当だったとは」
「ちょっといい?」
ユメカが手を上げて発言の許可を求めた。
「なんだ?」
「この子、こう見えても千十三歳なのよ。だから幼女じゃないから」
「は? 世迷い言を!」
「違いますオネーサマ。わたくしは、久遠の十三歳プラス千年です!」
「あ、そうだった、ごめん」
「いいえ。いいのですオネーサマ」
「はあ? 結局幼女でいいのではないか」
「ま、年齢なんてどーでもいいんだけど、それとね――」
「まだあるのか、好奇心旺盛な少女だ」
「美少女よ!」
「あ? まあいい。続けろ」
「あんたの名前、タースなの? ダースじゃなくて?」
「正確には、ッタースだ。頭に促音が入る。半拍おいてタースと言えばまあ、近い」
シスならば二人一組の可能性があると、ユメカは警戒したのだ。
だが、どうやら似て非なる名なのだと納得してうなずく。
「質問は終わりか?」
「残りは放課後にするわ」
「また訳の分からぬことを言う。妙な少女だ」
魔術師の視線がクリスティーネに転じた。
「そこの自称大魔導師よ、お前の紋章は、師匠から与えられたのではなく、盗んだものであろう。そうでなくば、その年で魔導師など、ありえぬからな」
「いいえ。お師匠様から頂いた物です」
「ふ、まあいい。化けの皮はすぐに剥がされる」
「なんか、やられキャラのテンプレ臭がするわ」
「また妙な事を言う少女だ。衒学か? だが、まやかしの言葉を用いて人を堕落に導く悪魔の手先であろうな」
「悪魔に美少女なんて、いるわけないでしょう」
「知らぬとはやはり子どもだ。美しさでかどわかし堕落に誘うのが悪魔なのだ」
「悪魔は美少女にはなれないわ。違いを見抜けないのは、色狂いの大人くらいよ」
「そうかそうか。言い争いは無駄のようだ。ならば、死ね」
魔術師が両手をかざすと、突如空間を貫くように無数の火球が現れ、ユメカとクリスティーネに向かって迫る。
「世界を包みし大いなる根源たる力、我は今それを欲する。
無辺の彼方より我が元に集りて我が力となれ。
我は命じる。
空と空の繋がりを断ち、完全なる防壁となれ。
【干渉の障壁】!」
クリスティーネを中心に魔法陣が現れ、二人の正面の空間が捻れるように歪む盾が現れた。
火球は空間の盾に遮られて消える。
「おお、すごい、すごい、黒クリちゃんすごい!」
ユメカが拍手する。
クリスティーネは頬を赤らめ、嬉しそうだが気恥ずかしそうにしている。
「【干渉の障壁】だとぉ。こしゃくな!」
「降伏しなさい」
「まだだ。まだ負けておらん。魔法使いというのは詠唱に時間が掛かるのが最大の弱点。例え威力で劣ろうとも、具象化の速さこそが勝敗を決する」
「優劣は相対的で、絶対ではありません」
「ほざけ。師と袂を分かち我等が真実の言葉を得て作り出した魔術は、すべてを凌駕するのだ」
「真実の言葉とは何でしょう?」
「身をもって知るがいい」
魔術師がローブの袖に手を入れ、魔石をいくつも取り出した。
「魔力展開!」
魔石に蓄えられた魔力があふれ出し、上に放り投げると魔石は互いに反発するようにばらけて八方に散り、魔術種の周りを衛星のように回り始める。
「風よ舞い、水よ氷結の飛礫となれ。
【極寒の乱舞】!」
魔石が弾け魔力が爆発的にあふれ出すと、大気が渦巻き虚空に氷の飛礫が無数に生まれ、吹き乱れる暴風によって豹変の刃となって渦巻く。
「はっはっは。どうだ。全方位からの攻撃は【干渉の障壁】では防げまい。はっはっはっはっ!」
【極寒の乱舞】は、ユメカとクリスティーネを包むように徐々に範囲を狭めてくる。
【禁断の獄舎】に囚われていた騎士達が、暴風と氷の粒に急激な気温低下という余波を受け、傷つき、力を失って倒れてゆく。助けたかったが、風に乗って弾丸のように飛来する氷塊を払い落とすだけで、ユメカには手一杯だった。
抵抗も虚しく、激しく吹き乱れる氷塊に包み込まれてしまった。




