Ch.1.-2:ヤスラギ・ユメカ誕生!~中編~
美少女は地べたに座り込む痣の少女を見つめる。
体を覆う布で痣を隠すのを忘れるほど、必死に逃げてきたのだろう。
それでいて、どことなく生きるための必死さが欠如している。
「報酬は?」
「え?」
美少女の問いに痣の少女は、驚いたように顔を上げて目を見開いた。
「まさか、タダで助けて欲しいというの?」
「い、いえ。何でも、何でもしますから」
「女の子が、軽々しく何でもするなんて言うんじゃないの!」
美少女はフードからはみ出した赤毛を指に巻き付けるようにいじる。
痣の少女の表情に変化はなかった。
「でも、お父さんが死んじゃう。魔物が」
「まあ、いいわ。一応契約成立ね。具体的な報酬は後で交渉しましょう」
美少女は被っていたフードを取り去る。
まばゆい夏の陽射しに紅炎がほとばしるような髪が現れる。
紛れもない美少女である。
マントの留め具に手を掛け、バッと翻してマントを外す。
ひらりと舞ったマントが、痣の少女を頭から包むように降りた。
「あげるわ、それ」
「え?」
「女の子が人前で、肌を晒すんじゃないの!」
長い紅炎を思わす髪が舞うように広がる。
陽光に照らされて紅玉の粒が散るように見えた。
美少女は両手でたおやかに首筋を撫でるように項へと伸ばす。
右手首に付けていたリボンの付いたヘアゴムをずらし、後ろ髪を束ねてポニーテールにする。
美少女の顔立ちが明らかになる。
翠玉のように輝く目に、白磁のような肌。
頤の滑らかな曲線が頬へと伸びる。
眉はなだらかにして穏やかな表情を生み出す。
「あ、あなたは――」
「正義の美少女剣士、かな?」
自称美少女剣士は左手を剣の鞘に添えると、脇道の奥へと走った。
茂みに閉ざされた道を曲がると、水場がある。
三匹の大きなザリガニのような魔物と、男が戦っている。
魔物は男の背丈の二倍はあり、両手のハサミは大人の頭よりも大きい。
水辺に立つ男が、拾った木の枝で魔物を叩き振り回して牽制し、上陸を阻んでいる。
だが、鎧のように頑丈な殻で覆われている魔物には、まったく通用していない。
そこに美少女剣士が近付く。
「さがっていなさい。邪魔だから」
「え?」
男が気を逸らせた瞬間、魔物は大きなハサミで男が持つ木の枝を挟んだ。
木の枝を放さずに取り戻そうとする男の体が左右に振り回されている。
「そんな棒、捨てなさいよ」
美少女剣士は剣を抜き、走る。
木の枝を両断する。
男はよろけて尻餅をついた。
気にせず美少女剣士は三匹の魔物へと飛びかかる。
大きなハサミに飛び乗って剣を振るい、跳び移って二匹目、さらに跳んで三匹目を斬る。
倒れ行く魔物の体を蹴って大きく跳んで、美少女は優雅な身のこなしで岸に降り立つ。
両断された魔物の体は光の粒子となり、泡のように膨らんで弾けて消えてゆく。
魔物の存在が幻であったかのように、死骸は残らなかった。
何事もなかったように、水が湧き出る清涼な泉の景色に戻った。
泉の畔に割れた瓶が落ちていることだけが、景観を損ねている。
美少女剣士は振り返った。
「ケガはない?」
助けた男は、あんぐりと口を開けたまま茫然としたまま地べたに座り込んでいた。
「あ?」
「あ、じゃないでしょう。あなたのことなんだから」
「あ、ああ。あり、ありが――」
「別に感謝の言葉はいらないけど――」
「お、お父さん」
マントを体に巻いた痣の少女が駆けよって、男の側に跪いた。
「お、おお、無事だったか」
「うん。お父さんは?」
「だ、大丈夫だ。こ、この人が」
人を指差すなと言いかけた美少女は、口を閉ざして剣を鞘に収める。
「ところでさあ、さっきの魔物、この辺りによく出るの?」
「いいえ。違います」
痣の少女は俯いた。
「ああ。普段見るのはこの位だ」
男が親指と人差し指を開いて示した大きさは、一〇センチくらいだった。
一般的なザリガニ程度ということだろう。
「天罰です。魔物が襲ってきたのは――」
「い、いや。だが――」
「だから私は、この身を捧げて神様に懺悔します」
痣の少女の視線はしかし、縋るように美少女剣士に注がれている。
美少女剣士は空を見上げて小さく息を吐き出すと、痣の少女に視線を戻す。
「いかにも話を聞いてくれ展開だから、一応聞いてあげるわ。何があったの?」
「これです」
少女はマントをずらし、右肩の痣を見せた。
「手短に話してくれると嬉しいわ」
「二年前、村に聖言教の宣教師様が現れたのです。真実の神を信じれば、病はたちどころに癒されると言うので、私は信じると宣言したのです。すると宣教師様は、神の祝福が注がれたとおっしゃり、聖水で痣を癒してくださったのです」
話が長くなりそうだと、美少女剣士は腕組みをした。
要するに、聖水で一時的に痣は癒えたが、その後ぶり返してしまったというのだ。宣教師からもらった聖水を使い切っても治らないなら悪魔の呪いであり、ウォイク聖国の聖堂に行って悪魔祓いを受けなければならないという流れである。
ただし、悪魔祓いは無償だが、儀式には必要な物があった。それは、生まれてから一度も大地に足を付かず穢れていない子羊と、樹齢千年の沈香の枝、太陽の力を宿す火炎の玉である。用意できない場合は、聖堂に献金すれば代わりに用意してくれるそうである。
その費用が、金貨三〇枚。
痣の少女の父親は、先祖伝来の農地の権利書を担保に、イムジム領主との繋がりが深い商人からカネを借りた。その際、重くてかさばる金貨三〇枚ではなく、一枚で金貨一〇枚分の価値がある大金貨三枚を受け取ったという。ところが、聖堂にその大金貨を納めたところ偽造貨幣だと判明し、悪魔祓いが受けられず、神への冒涜だから天罰が下ると宣言されたというのだ。
「その罰がさっきの魔物ってこと?」
「きっとそうです。知らなかったとは言え、神様に偽のおカネを捧げたのですから」
「そもそも故意じゃないのに、神は赦してくれないんだ」
「罪は罪です。ただ、神様は手を差し伸べてくださいました」
「そうなの?」
仰ぐように見上げてくる痣の少女が頷いても、美少女剣士は懐疑的だった。
「聖堂を出てすぐに痣が痛み出したのですが、神様のお導きで聖導師様が現れ、治癒の聖水をタダでくださいました」
「良かったじゃない。そういうのを、捨てる神あれば拾う神ありって言うのよ」
「いいえ。神様は天にお一人だけです」
「一神教なんだ。ふうん」
もし一神教なら、捨てる神も拾う神も同一ということになる。
それだと、自作自演なのだ。
「ただ、治癒の聖水は、法律によって国外には持ち出せなかったのです。聖導師様は、このまま聖堂に身を預け修道女になってはどうかと勧めてくださったのですが――」
「娘は大事な跡取りだ。善良な婿を招いて、家を継がなくてはならない。だがそのためにはこの痣を消さなきゃならないというのに――」
父親は苛立ちと無慈悲な結末への憎悪を抱いているようだった。
「――ですが事情を話すと聖導師様は、特別な聖水瓶に入れて封印すれば持ち出せると教えてくださいました。とはいうものの金貨五枚も持ってないと伝えると、聖導師様自らお店と交渉してくださって、敬虔な信徒だからと、偽大金貨一枚と交換してくださったのです」
「その聖水って、あれ?」
美少女剣士は、泉の縁に落ちている割れたガラス瓶を指さす。
痣の少女の表情は一段と曇り、声も沈んだ。
「はい。聖水はなくなってしまいました。私はもう、おしまいです。悪魔に呪い殺されるでしょう。ですから悪魔に命を奪われる前に、神様にこの身を捧げます」
「それだと、どっちにしても死んじゃうよね」
その顔は、死にそうなくらい青ざめていた。
美少女剣士は、困ったと言うように、表情を曇らせた。