Ch.2.10:履行と、美少女
魔術証文は、古来より使われており、最も公正な契約履行の判定方法だと言われている。
どういう仕組みか、ユメカには分からない。
推測するなら、契約違反を自覚する精神に影響を及ぼして死に至らしめるのだろう。死を逃れるために魔術証文を破り捨てようとしても、死がもたらされる。
ユメカはまだ、魔術や魔法というこの世界にあるシステムの仕組みを解き明かしていない。それでも、魔術証文で契約を交わせば、契約を破った者が魔術証文の魔石に触れると命を失うのだ。こうした契約は多くの場合、公正さを保つため第三者の立ち会いの下で行われるが、契約違反であるかは、魔石に触れて無事だったかどうかで判断される。
なのに、こいつ――。
ユメカは偉そうに腕組みをしているジョンを横目で見る。
呆れるばかりだが、ジョンには契約違反をしたという自覚がないのだろう。無自覚な相手に対しては魔術証文を破ったところで、契約の消滅にしかならないのかもしれない。罪の意識を芽生えさせなければ効果がないなら、無自覚で無頓着なバカには無意味な証文となる。
いずれにせよ、最終的にはどうにかできるという自信が、ユメカにはあった。
「ま、いいわ。細々とした面倒なことは、どーでもいいのよ」
「開き直りか?」
「別にぃ。ただ、その証文に、なんて書いてあるか知らないだけだから」
「文字も読めぬとは、主従揃って愚昧だなあ。まあ、女など可愛ければ構わんぞ、儂は」
「遠くて見えないだけだ」という言葉を飲み込んで、ユメカはただ微笑みで宣戦布告した。
「ならば、読んで聞かせるからありがたく思え」
領主は証文を目の前に広げた。
『領主イロム・イムジム伯爵閣下に対しここに誓約する。
依頼者は領主とし、契約者は便利屋エブリシン・オルオケとする。
一つ、契約者は聖獣オケニークを捕獲し領主の元へ届ける。
二つ、依頼者は支度金として金貨二〇枚を与える。
三つ、依頼者は成功報酬として大金貨三〇枚を与える。
四つ、契約者が依頼を達成できない場合は違約金として金貨一〇〇枚を依頼者に支払う。
五つ、約定を違えた場合は、相手に対しすべてを差し出す。
以上
契約者 便利屋エブリシン・オルオケ
依頼者 イロム・イムジム伯爵』
「どうだ、理解したか愚民よ」
読み終えた領主が証文を脇に差し出すと、執事が受け取って丸めた。そのまま領主は、勝ち誇ったように椅子に戻って腰掛け、ふんぞり返った。
ザルすぎる契約条項だとユメカは笑う。
期限がなければ未来永劫契約履行中でまかり通る。小学生でも分かる大きな抜け穴なのだ。
ジョンが不敵な笑みを浮かべているのは当然だった。
――でも、横暴な権力者に常識は通じないのよね。
オワコンの時代劇に出てくるような悪代官の悪あがきというテンプレ展開が読めるが、それこそ好都合だった。相手の土俵で相撲を取るのはふんどし姿がイヤなのでお断りだが、用意された舞台にアドリブで登場するのはどんとオッケーだった。ユメカは、自分が主役の美少女だと自覚しているからである。
「いいわ。あたしがこの駄犬の飼い主として、その契約を果たしてあげる」
「いいだろう。出来ぬなら儂の物になるのだぞ。口は悪いがそれ以外は上級品だ」
領主が舌なめずりする。
よだれをすする汚らしい音が耳障りである。
それでもユメカは、嫌悪感を切り離して脇に置いた。
「なら、聖獣オケニークをここに連れてくればいいのね?」
「そうだ。だが、明日までだ」
「断るわ」
「は? 断れる立場か、少女よ?」
「美少女よ!」
ユメカの訂正に、領主はまた首を傾げる。
体型と同じように思考回路も鈍重なようだった。
「ていうか、証文に期日は書かれていないじゃない。条件後付けにするなら、その契約は破棄されたものとなるけど、いいかしら?」
「その便利屋が言ったのだ。十四日以内に達成すると」
「証文に書かれてなければ無効よ」
「だからこその、魔術証文なのだよ。この魔石は聞いているのだ」
「口約束を証拠にするなんて、ボイスレコーダーがついてるのかしら?」
「主従揃って妙な事を口走るが、その便利屋に聞いて見ろ。期日は昨日だったのだ」
「そうなの?」
「いやあ、オレ、スマホ持ってないから日付わかんないんだよね」
「持っていても使えないだろうが!」
ユメカはツッコミでジョンの頭を叩こうとしたが、サッとジョンは犬座りをして躱してしまう。空振りしたユメカは手応えのない手を握りしめ、ジョンをにらむ。すぐにひょっこりと立ち上がり、のほほんととぼけるように、頭の後ろに手を組んで、下手な口笛を吹く。
――あとで調教してやる。
得体の知れないジョンの件は後回しにして、ユメカは領主に視線を戻した。
「つまりあんたは、猶予を二日も延ばしたから、良心的だと言うの?」
「儂は公正な領主だからな」
「でも、今日はもう夕方だわ。行って帰ってくるだけでも時間が掛かるから、せめてあと七日は欲しいわね」
「明日までだ」
「なら、六日」
「ダメだ」
「だったら、大幅に譲歩して三日」
「いいだろう。元の期日から三日目だ」
「おい! それって同じじゃない!」
「なんだ、愚民のくせに計算はできるのか」
「あたしが天才美少女だからよ!」
「天才か?」
「そうよ!」
「天才ならば、明日までに聖獣を連れくる妙案も浮かぶのではないかな」
「それは――」
「できぬか?」
「やってみなけりゃ、分からないわよ」
「やれるという自信がないなら、単なる詐欺となる」
「詐欺に騙される方が悪い」
「まさか、騙す方が悪いのだ」
「やっぱりそう思う? よかったぁ」
安心の微笑みをユメカは浮かべる。
「どういうことだ?」
「別にぃ。でも、領主のあんたが約束破ったら、どうするつもり?」
「あり得んな」
「それなら、明日までに連れてくれば、大金貨三〇枚でオッケー?」
「そうだろうな」
「大金貨一枚は、金貨十枚の価値で合ってる?」
「当然だ」
「さすが領主。歯切れがいい。男前だねえ」
「ぐえっへっへ。その通りだ」
「でも今すぐ連れてきても、報酬は倍になるなんてことはないよね」
「いいぞ。十倍にしてやってもいい」
「またまた、ご冗談を」
「本当だ。もし偽りだったなら、領主の座も爵位もくれてやろう」
「あたし、ウソは嫌いなんだけどなあ」
「ウソでは無いぞ」
「なら、契約でオッケー?」
「いいだろう」
「だったら、あたしの勝利だ! わーはっはっはっは――」
ユメカは腰に手を当て、大声で笑った。
「気でも違えたか?」
耳ざとく領主の声を聞いたユメカは、笑うのを止めた。
言葉で分かり合えない相手には、何を言っても無駄なのだ。
力尽くで屈服させて言葉の上だけの理解を得ても意味がない。現実を見せ、真実を示すしかない。それでも分からず屋は拒絶し否定する。その先、現実を受け入れ真実を知ろうとするか、現実を否定する理由を見付けようとするか、頭ごなしに拒絶するかは、その人次第になる。
そこまでユメカは面倒を見るつもりはない。
「じゃ、黒クリちゃん、出して」
「え、オネーサマ、まさか」
「大丈夫。あたしに任せておけば、どんとオッケーなのよ」
ユメカはクリスティーネに向けて微笑み、ウィンクをする。
クリスティーネも分かってくれたらしく、笑顔で大きく頷いた。
「はい、オネーサマ」
「はあ?」
間抜けの欠伸のような声を領主は発した。
「出てきなさい、ゴルデネツァイト」
クリスティーネが杖をかざすと魔石が光を放ち、魔石の核から聖獣オケニークが姿を見せた。
黄金の毛並みが風に揺れる。巨大な猫というよりは、ライオンのようで、たてがみのような盛った毛並みが全身を覆っている。手足は太く、口を開けると鋭い牙が見える。
「これが聖獣オケニークだ。どーだ、領主!」
これで契約履行なので魔術証文の効力は消えると、ユメカは勝利の笑みを向けた。




