Ch.2.9:証文と、美少女
クリスティーネは転生人ではないのだろうとユメカは思った。
それでいてこの年齢であれだけの魔法を使えるという異常さに、改めてユメカは驚いていた。
大魔導師と自称するだけのことはある。
「魔法陣って、エフェクトじゃなくてなんて言えばいいのかな?」
他に表現する言葉を知らなかいので、ユメカは首を傾げる。
語彙不足とも言えるが、共通認識がなければそもそも言語化は無意味となる。事象と概念を共有して初めて通じ合う。事実を中心に大枠を囲って語り合うことで、認識の違いを少しずつ埋めていくしかないのだ。
「光魔法で空間に文字や図形を描いたものが魔法陣です」
「それを不可視レイヤーかどこかに隠しておくんだよね」
「レイヤー? 時々オネーサマは難しい言葉を使いますね」
「そう? 魔法用語に詳しくないからついね。実際はどうなの?」
「小規模でしたら、頭の中のイメージを瞬時に展開して描けます――」
クリスティーネが目の前の空間に同心円を元にした簡単な図形を描いてくれた。
魔力の波動を干渉させ、相乗効果によって振幅が一定以上に高まると発光するようである。魔力を外世界から描きたい図形に合わせて導くのは、やはりイメージを物質世界に展開する力なのだとユメカはうなずく。
「――ですが、高度な魔法や威力増加効果もある複雑な魔法陣は、あらかじめ描いて魔石に収めておき、それを杖に嵌め込んでおくのです」
「そうなると、ド派手なエフェクトは魔石が必要なのか。う~ん。面倒だから止めようかな」
「その、エフェクトというのは必要なのですか?」
「うん。あたしをよりかっこよく、美しく見せるために必要なのよ」
「でしたら、わたくしがオネーサマのために、光魔法で作りましょうか」
「いいの?」
ユメカは満面の笑みを浮かべる。
クリスティーネが自分のために作ってくれるという想いが嬉しいのだ。
「はい」
「ありがとう。黒クリちゃん、大好き」
ユメカは抱きついた。
「わ、わたくしも大好きですわ、オネーサマ」
ガシッとクリスティーネもしがみついてくれる。触れ合って感じる温もりが、心のどこかで凍り付いていた感情を溶かしてくれるようだった。
「いいねえ、ユリユリしくて」
唐突に横から声が聞こえた。
ユメカが振り向くと、ジョンが腹ばいになって両肘を突いて立てた手の上に顎を乗せて見ていた。
「今、何て言った?」
「微笑ましいって――」
「ウソをつくな、バカ犬!」
ユメカが殴ろうと拳を振り上げると、ジョンは「キャン」と鳴いて縮こまって頭を抱えた。
ははぁん。
ジョンは仲間はずれにされて寂しくなって、かまって欲しいのだ。
ユメカは殴る代わりにクリスティーネと並んでジョンに背を向けた。
「じゃあ、こういうエフェクトがいいなあ」
ユメカはしゃがんでこっそりと魔法で芝生を剥がすと、土の上に絵を描く。
「どういうタイミングでどう発現させればいいのでしょう」
「それはねえ、あたしが剣を――」
夢中になってユメカは、イメージをクリスティーネに伝えた。
かまってちゃんモードのジョンがほふく前進で回り込んでくるが、そのたびにユメカとクリスティーネは体の向きを変え、無視する。何度も繰り返していると、ジョンはいじけ虫になって、拗ねて背を向けてしまう。同情を誘う作戦に変えたのだ。クリスティーネは良心の呵責を感じているようだが、ジョンの魂胆をクリスティーネに囁いて伝えると、納得してくれた。
白熱した議論は続いた。
夢中になって遊ぶ休み時間が短いように、議論に熱中する待ち時間もあっという間だった。
一時間以上待たされていたが、全く苦にはならなかった。けたたましく鐘が鳴らされても、ユメカは関知しなかった。
「さっきから周りがうるさいですが、どうしましょう」
「気にしなくていいよ。ここは学校じゃないし」
「学校だと、こうもうるさいのですか?」
「何かと時間で区切られるの。でも、始業のチャイムじゃあるまいし、気にしなくていいわ」
「おい!」
「うるさいなあ、あっち行っててくんない?」
「だから、もう止めてくれ!」
ザッ!
芝生を剥がして作った土のキャンバスに、剣が突き立てられた。
ユメカは見あげ、危ないじゃないかとにらむ。
地面に剣を突き立てたのは騎士だったが、その顔には汗がにじみ、憔悴と困惑の表情をしていた。そんな騎士たちの都合は、ユメカには無関係なのだ。
「邪魔よ、その剣」
「邪魔して悪いが、領主様がいらっしゃっている。かなりご立腹のご様子なんだ。どうか、バルコニーの前に行って、領主様と話をしてくれ」
「後にしてくれない?」
「いや、そこをなんとか」
服を引っ張られるのを感じて振り向くと、クリスティーネが何か言いたそうにしていた。
「どうしたの?」
「この騎士は、先程からオネーサマに声を掛けていたのです。とても紳士的でした」
「そうなの?」
ユメカは改めて騎士を見上げる。
「その剣を自在に操られる貴方に、私は敵わないでしょう。ですが、このままでは我々が、領主様に殺されるかもしれません」
「どうして?」
「役立たずの無能と見なされるからです」
「ふうん」
ユメカはちらと振り返る。
肩越しにバルコニーの上を見ると、派手な服を着た男が大きな椅子に座っている。
全く気付かなかったが、あれが領主なのだろう。
横柄にして横暴な態度には関わらずに捨て置くのが理想だが、そうすれば無力と化した権威の有効性を配下の騎士に対して示そうとするだろう。最終的に責任転嫁された騎士が八つ当たりによって罰を受けるのは気の毒だった。
しかたない。
ユメカは第一回エフェクト実装会議をお開きにすることにした。
「分かったわ。方向性は見えたから、一度頭を冷やして頭の中を整理すれば、もっといい方法が見つかるかもだしね」
「はい。わたくしも、どうすれば実現可能か、考えてみます」
「うん。でも急ぎじゃないから、無理しなくていいからね」
「はい」
ユメカは立ち上がると、「うーん」と背を伸ばす。
後ろを向き、権力を笠に着る領主を見すえる。
瞬間、ユメカは顔を曇らせた。
やはり嫌な物を見てしまったと、ユメカはげんなりした。人は見た目が十割である。肥え太っただらしない体型が内面の状態を映し出し、欲望に濁った眼差しが薄気味悪かった。
苛立ちを露わに、椅子の肘掛けに乗せた手で頭を預け、逆の手の指は小刻みに膝を叩いている。頭に血が昇っているのが一目瞭然なほど、顔を真っ赤にしている。下賤の者を見くだす態度がありありで、逆に軽んじられることに対しての許容値はゼロでしかないのだ。
お高く出るつもりで待ちくたびれさせようとしたのが失敗し、逆に待たされる格好となったのが、不本意極まりなく怒り心頭のようである。
とはいえ、騎士たちの安全のためにも、嫌々ながら近付いた。
「礼儀作法も知らぬ山猿とは、お前か」
領主の声はドロリとした腐りかけた油のようで、ユメカの嫌悪を増大させる。
「あなたは、山猿に言葉が通じると思ってるのね」
「ぬあ?」
領主は頭を傾げたまま、理解できずに思考停止に陥っている。
頭が悪いようだ。
ユメカは髪をリボン付きのヘアゴムで束ねてポニーテールにする。
「あたしの貴重な休み時間を邪魔されたのは、あの悪辣な担任以来かしら」
「はあ?」
傾いでいた領主の体が更に傾く。
「でも、まずは交渉タイムよ。そのあとは、どうなるかしら。お仕置きタイム? それともお祭りタイム? どちらでも指導してあげるけど、それを決めるのはあんた次第。ただし、あたしの授業料は高いわよ」
「この言葉の分からぬおなごは、何なのだ?」
領主は隣に立つ騎士隊長に顔を向けた。
「あの男の仲間、例の美少女剣士にございます」
「なるほど、ならばまあ、あとで楽しませてもらおう。頭は悪そうだが、顔は良い。あちらの小さい方はより興味深い」
「は。心得ております。ですので、殺さずに連れて参りました」
「くっくっく。そなたは優秀だな。あとで褒美を与える」
「ありがたき幸せ」
「では、本題に移ろうか」
領主は物憂さそうに傾いだ体を起こし、のっそりと立ち上がる。
バルコニーの欄干の前に立ち、ジョンを見おろしてくる。
ぶよぶよとたるんだ頬を歪ませ、黄ばんだ笑みを浮かべた。
「オルオケよ、よくもまあその顔を再び見せる気になったな?」
「オルオケ? 何よそれ!」
ユメカは領主への敵対心満載で、見上げた。
「その男の名も知らないのか、あばずれめ」
「失礼ね! 純血美少女のあたしに、そう言うか!」
「ほう、いい声で鳴く。言葉使いはよく分からぬが、意図は分かった。しかし、立場を認識しておらんようだな」
ギヒヒヒと、唾液混じりに笑い声を上げる領主を、ユメカは汚物として見た。
領主から汚らわしい視線を向けられたユメカは、舐め回されて全身が汚染されていくようなおぞましさを感じた。絶対領域はガードしてあるから問題ないが、警戒領域に侵入する視線が身震いするほど気色悪い。
ユメカは胸元と顔を隠すように右手を掲げ、指の隙間から領主をにらむ。
「だったら何?」
「客人としての逗留を許そう」
「嫌よ!」
間髪入れないユメカの拒否に、領主は更に顔を歪めた。
いびつな悦楽妄想に浸っているようにユメカには見える。世襲による環境で歪んだ人格が醸成されるのを当然とするなら、光の下に真実をさらけ出して浄化されるべきなのだ。
「嫌か? その詐欺師オルオケがお前の好みか?」
「こいつはジョンよ! あたしのペット、いえ、下僕よ!」
「ぐえ、へっへっへ。ならば下僕の罪は主人にあるのだよ」
勝ち誇るような捻れた笑い声は聞いているだけで虫唾が走る。
ユメカは右手を突き出して領主を指さした。
「名前が違うから、別人だわ」
「証文がある。この魔術証文に付けられた魔石が、契約した本人を特定する」
領主が後ろに手を差し出すと、執事らしき男が進み出て、巻物を手渡した。
「これだ」
巻物を縛る紐を解き、広げる。
文字が書かれた紙で、上段の中央に、青く半透明な宝石が貼り付けられている。
「魔石よ、この契約を交わした相手を指し示せ」
領主の言葉に呼応して魔術証文に貼り付けられた魔石から光の線が延び、ジョンの額と結ばれる。霧が立ちこめている訳でもないのに光の軌跡が周囲に見える、魔法の光である。
「どういうこと、ジョン」
ユメカは横に立つジョンを見た。
「ふはははは。悪いな、マイハニー。オレの正体を明かそう。何を隠そうオレは、便利屋エブリシン・オルオケだったのだ。はっはっはっはっ」
虚勢を張るように笑うジョンに、ユメカは呆れて侮蔑の視線を向ける。
便利屋でなんでも屋という意味で、エブリシング・オール・オッケーというのをもじった痛々しい名前だとすぐにわかった。当然偽名だろう。転生人のユメカには名前だけで見抜けるが、この世界の人にとっては単なる珍妙な名前でしかないのだ。
「どうだ、お前の下僕は認めたぞ。証文にはこうある。『約定を違えた場合はすべてを差し出す』と。つまり、お前は儂の物となる。逆らえば証文の魔石の力によって、お前達は死ぬのだぞ。ぶわぁはっはっは――」
たるんだ腹を揺らして笑う領主は、汚らしかった。
その精神性が特に。
気に入らないからといって、魔術証文を奪って破り捨てても問題は解決しない。
契約違反即ち死というのが、これが魔術証文の効力と言われているからだ。
――厄介ね。
ユメカはどうすればいいのか考える。
すぐに答えが見いだせない難問を前に、拳を握り締めた。




