Ch.2.7:招待と、美少女
「ここから仕切り直しよ。でも美少女力士じゃないからネ!」byユメカ
前後を騎士に守られた荷馬車があった。
その荷台でユメカは、クリスティーネと並んで座っている。
剣とクリスティーネの魔杖は取り上げられていない。
半強制的とはいえ、招待されて同行するのだから、武装解除と身柄拘束などありえないのだ。
一つ気になるのは、元凶であるジョンが、嬉しそうに御者台に座っていることだった。
その姿を見ていると、少し憎たらしく思えてくる。
ジョンが得意げな様子で時折鼻歌が聞こえてくるのも良くない。美少女二人を連れだして車に乗せ、揚々とドライブ気分を味わっているようだった。まるでナンパされて軽々しく車に乗ってしまった気分にさせられるから、ユメカは癪に障るのだ。
ただ、誉めるべき点もある。
直接告げるとつけあがるから言わないが、ジョンは少しだけ気が利く。
荷台にクッションを敷いてくれたお陰で、お尻が痛くならずに済んでいるのだ。下心の有無にかかわらず、そういう気遣いはまあ、嬉しいものである。とはいえ、ジョンに対する警戒心が薄らぐことはない。
「オネーサマ――」
声に視線を向けると、クリスティーネは不安そうだった。
ローブのフードで顔を隠しているが、先程からずっとそうなのは気付いている。何か言いたかったようだが、すぐに言葉にできない事情があるのだろう。勝手に心を察して言葉を引き出そうとするよりは、言いたい気持ちが満ちるまで待つ方をユメカは選んでいたのだ。
出会ったばかりなので心の距離は少なからずある。
踏み込もうとすれば逃げられるかもしれないので、オープンマインドで近付いてくれるのを待つべきだと考えたのだ。
「なに?」
ユメカは体を寄せると、クリスティーネにもたれるように頭を近づける。
心の距離は肉体の距離でも変わる。お互いに心の繋がりを感じられるようになるまでは、物理的距離に大きく左右される。小難しいことは脇に置くとして、適度な触れあいは必要なのだ。
「今朝の濃霧も、魔術のようでした」
「そうみたいね」
見上げてくるクリスティーネの表情は、深刻そうに見えた。
騎士の他に、姿を見せていない魔術師がどこかにいることになる。戦闘になったらどうしようかと考えているようだった。生き残るためならとにかく全力魔法を放てばどうにかできるだろうが、相手を殺さないようにという制約があればそうはいかないのだ。
「わたくし、オネーサマの足手まといになってしまいました」
「そんなこと、ないよ」
今朝のことを言っているのだ。
巨漢の騎士を相手にユメカが優勢を示したが、クリスティーネとジョンは何もできずに騎士に自由を奪われてしまったのを気にしているらしい。
ユメカはクリスティーネの肩に手を乗せて引き寄せると、隊列を見渡した。
前後を騎士に挟まれている。騎士を護衛に付けた貴族のような気分になれるが、みすぼらしい荷馬車に乗っている現実は、端からは連行されているようにしか見えないだろう。御者台で馬を操るジョンが、脳天気に楽しんでいる様子だけが場違いで勘違いなのだ。
「オネーサマ、戻ってきました」
馬蹄の音が段々大きくなるのに気付いて、ユメカは振り返る。
道を、一騎が駆けてくる姿が見える。野営地を出発する時に隊長の命令でどこかに行った騎士である。ユメカの乗る荷馬車を追い越して先頭の隊長に並び、何やら報告すると隊列に加わった。
「五人の死体があったそうです」
「黒クリちゃん、耳いいんだね」
「これも、魔法です」
「そっかあ。あたしも今度やってみようかな」
「オネーサマならすぐにできます。ですが――」
「強い魔術師がいるってことね」
「はい」
クリスティーネが魔杖を握る手に力を込めたのが分かる。
人を殺さないとの制約が、クリスティーネから選択の自由を奪っているのだ。
殺された五人は恐らく、聖獣オケニークのゴルデネツァイトを攫った男たちだろう。彼等は、クリスティーネが魔法で作り出した【禁断の獄舎】から抜け出せる力を持っていた。そんな彼等が、おそらく一撃の魔術で殺されたのだ。その力を持つ魔術師が、同行する三〇人の騎士の他にいることになる。
「それにゴルデネツァイトが――」
聖獣を狙う勢力が複数存在し相互に争う構図が見えてくる。
一番関わりたくなかった、人間同士の争いに巻き込まれてしまったのだ。それでもクリスティーネが一人で対処しなければならない状況になるよりは、ずっとずっと好転している。
「大丈夫よ、あたしは絶対無敵の美少女だから」
「はい。オネーサマ」
頭を預けてきたので、クリスティーネの肩に回していた手で抱き寄せた。
頼るべき師匠は遠方にいて、寂しかったのだろう。人の温もりが恋しいのだ。これまで頼るべき大人が近くにいなかった反動によって、依存心が芽生えたようでもあった。それでも、クリスティーネが頼ってくれるのは嬉しかった。今はこれでいいと思う。
ただいずれ、クリスティーネは自立しなくてはならない。
人に依存しすぎてもたれかかって送るような人生にならないよう、気を付ける必要がある。ある日を境に急に自立を求めるのは、酷な仕打ちだからである。
半日ほど馬車で移動して、ようやく領主の館に着いた。
いわゆる、豪邸である。
壁で囲われ領民と差別された世界に住む存在。広大な敷地に無駄と思える広い庭園は華美に装われ、館は存在を誇示するためだけに広く大きく豪華に作られたようだった。
隊列は、車寄せに向かう途中で止まった。
騎士隊長が近付いてくる。
「いかがでしょうかな、伯爵閣下の庭園は」
「キレイに整備されてるわね」
「折角ですので、前庭を案内しましょう」
「あとでいいわ」
「まあ、そうおっしゃらずに。気に入って頂けますよ」
「そういうこと――」
初めから館の中に入れるつもりはなく、客人として招いていないという宣言である。議論しても無意味だと、ユメカは馬車の荷台から飛び降りる。クリスティーネも慣れた様子で軽々と飛び降りて隣に並んできたのでその手を取ると、騎士隊長の後に続いて庭へと踏み入れた。
「じゃあ、ごゆっくり。オレはここで待たせてもらう」
ユメカは足を止めて振り返ると、ジョンが御者台で大あくびをしていた。そもそもジョンが引き起こした問題だというのに、呆れた態度である。一人で逃げるつもりなのだろう。それが真意の表明であるなら後腐れもないとユメカは思った。
「それなら、ジョン改めハチと呼んであげるわ」
「無限地獄は嫌だワン。一緒に行きたいワン」
「好きにしなさい」
慌てて御者台から降りてくるジョンを尻目に、ユメカは視線を戻した。
亡き主人を渋谷駅で待ち続けたという逸話の残るハチ公の話はある意味で感動的だが、一歩引いてみれば愚かさを表してもいる。犬というのはそういう生き物だと決めつければ疑問は抱かないだろうが、待ち続けてしまったという事実は思考の停止を意味している。
来ないなら探しに行けばいい。あるいは、待っても無駄だと悟って別の道を歩むべきなのだ。それができなかったので、ハチ公という名のままで終わったのだ。ハチは数字の8に通じるから、無限に至ってしまったのだろう。
「オネーサマ、どういう意味です?」
「ハチというのは、もう二度と現れない飼い主を愚直にも生涯待ち続けた犬の名前よ」
「分かりました。捨てるという意味ですね」
「ちょっと違うけど、ジョンに対してはそうだね」
「――わたくしのことかもしれません」
「違うよ」
「ですが、わたくしはお師匠様が帰ってくるのを待ってばかりいました」
「黒クリちゃんはあたしと出会ったから、もう違う。新しい人生を切り開くのよ」
「はい、オネーサマ」
強く握り締めてくるクリスティーネの手を、ユメカは握り返した。
館の角を曲がった先で、騎士隊長は立ち止まる。
二階からバルコニーが突き出た場所を見て、ユメカには領主の意図が分かった。立場の違いを物理的位置関係で示そうというのだ。面白味のない趣向である。くだらない価値観だとユメカは思う。他人を見下したい心理の表れだろうが、その価値観に賛同して見下ろされて屈辱と感じてあげる必要はない。なぜなら、高みを目指し続ける者の目は、常に上を見ているからである。
「しばしこちらでご観覧ください」
「外で待てと言うのね?」
「天気がいいですし、中では息も詰まりましょう」
「その意見には賛成しておくわ」
「では、ごゆるりと庭園をご堪能ください」
騎士隊長は、見張として数名を残して立ち去った。
「オネーサマ、これって失礼な扱いをされているのでは?」
「客人として扱わないってことよ」
「大魔導師としてのわたくしの紋章を見せれば、このような扱いはされませんわ」
「おバカさんの権力に権威で対抗して屈服させても、つまらないわ」
「そうそう。果報は寝て待てだ」
ジョンはごろりと芝生の上に寝転がる。
「その言葉は、人事を尽くしてから言いなさい。それよりあんたは犬なんだから、喜んで庭を駆け回りなさいよ」
「雪が降ったらな」
呆れた、とユメカは息を吐いた。ジョンは人事を尽くすつもりはないようである。その場合もたらされるのは悪果の報いであり、善果の報いはないだろう。
「どうして雪が降ると庭を走り回るのです?」
「そりゃあ、凍死しないようにだ」
「ああ、そうですね」
素直なクリスティーネを騙すなと、ユメカはジョンを睨んだ。
「黒クリちゃん、納得しちゃダメよ。文脈が合ってないからジョンのウソよ」
「え? そうなのですか。また騙しましたね!」
クリスティーネが杖を構えて魔法を唱えようとする。
ユメカは慌てて止めに入った。
「ダメよ、騙されて怒るのは。感情を爆発させて一時しのぎするだけの、無駄でおバカなことだから、しちゃダメなの」
「ですがオネーサマ――」
「ジョンの言葉のどこが間違いか、気づくのが先だから」
クリスティーネは考え込んだ。
「雪が降るような寒い日に寝転がっていたら、凍死するのはあたりまえだと思うのですが」
「その前よ。あたしは何て言ったか覚えてる?」
「ええと、喜んで庭を駆け回りなさい、でしたね」
「そう。わかったでしょう」
「あ、そうですね。喜んで凍死しないように駆け回るなんて、変ですね」
「そうよ。だから、ジョンはウソつきなの」
「オレは軽いジョークで場を和ませようとしたんだ」
「はいはい。果報を寝て待つ人は黙って寝なさい」
「言われるまでもない」
ジョンが目を閉じたので、ユメカはクリスティーネの耳元に口を寄せた。
「じゃあ黒クリちゃん、ジョンが熟睡したら、雪に埋めちゃおうか」
「殺す気かよ!」
ジョンが起き上がって睨んでくる。
「ほんの冗談で、気晴らししただけよ、ね」
ユメカの言葉にクリスティーネが「はい」と頷く。
「ジョンのためにわたくしが無駄な魔力なんて使いません。もったいないですから」
「ああ、切ない。オレの価値ってどの程度なんだ」
「犬以下ですわ」
「そうそう」
「そうか、そうですか。と、オレはふて寝することにした」
「結局寝るのは変わらないのですね」
「だから、放っておけばいいのよ」
狸寝入りをするジョンを放置して、ユメカは改めてクリスティーネに向き合った。
「それより黒クリちゃん、あたしに魔法陣の描き方を教えてよ」
「オネーサマはできないのですか?」
「うん。だから、お願い」
ユメカはウソを言ってない。
エフェクトと言える魔法陣は不要だから、描けるようになろうと思わなかったのだ。とはいえ、あればいいなと思っていたのも事実なので、ここはクリスティーネに不得手という弱みを見せて、お互いの心の距離を縮めようと考えたのだ。頼って必要としていると感じてもらえれば、クリスティーネも自分の価値を確かめられるはずなのだ。自分の価値を知るのが、自立の第一歩になる。
「いいですが、オネーサマも人前で魔法を使うことにしたのですか?」
「ちがくて、あたしが必殺技を出した時に、バーッとかっこよくて派手なエフェクトが出せないかと思って」
「エフェクトとはなんですか?」
クリスティーネがきょとんとしている。
言葉が通じなのかと、ユメカは驚いて見返した――。




