Ch.2.5:包囲と、美少女
「わ、【煌めく火箭】じゃなくて【憤怒の吐息】なんて、すごすぎだあ、撤退!」
ジョンはクリスティーネから逃げて川に飛び込んだ。
「あ、あの駄犬、わたくしのを見てしまいましたわ」
クリスティーネが追いかけ、川を沸騰させてしまいそうな剣幕でジョンを睨む。
「安心しなさいお嬢さん。安心セキュリティーのジョンは幼女も守ります」
「やっぱり殺す!」
ユメカは近付いて、涙目でジョンを睨むクリスティーネを後ろから抱きしめた。
「黒クリちゃん、深呼吸して落ち着こう」
「ですが――」
「黒クリちゃん、詠唱すっ飛ばしてたよ」
「はっ! わたくしとしたことが――」
「そう。怒りはたくさんの間違いを生み出すのよ」
「でも――」
「煮ても焼いても食えないヤツは、殺しても無駄だから、放置がいいのよ」
「けど――」
「構うからじゃれてくるの」
「ですが、この屈辱はどうすればいいのでしょう」
「あたしは、黒クリちゃんには絶対に人殺しはして欲しくないの」
「――はい。オネーサマがそういうのでしたら」
「代わりにあたしの鉄壁防御の魔法を教えてあげるから」
「本当ですか」
クリスティーネが顔を輝かせる。
「美少女の固有魔法」
「な、なんですの、それ」
「絶対領域は絶対防御、鉄壁ガードの秘技よ」
「ど、どうすればいいのです?」
ユメカはクリスティーネの耳元で囁いた。
「本当ですか?」
「うん。黒クリちゃんには、あたしに次ぐ、美少女ナンバー2のポジションをあげよう」
「ありがとうございます」
クリスティーネは満面の笑顔になった。
だがすぐに、表情が沈む。
「ですが、あいつを赦して無罪放免というのは、納得できません」
「それはそうね。一方的に赦すと許容という許しと勘違いされるから、罰を与えないとダメね」
「罰と復讐は違うのですか?」
「罰というのは、反省させて、何が悪かったのかを理解させることよ」
「性根が腐ったヤツに、何を言っても無駄だと思います」
「でもね、痛めつけたり苦しめたりするのは、緊急非常時の一時しのぎでしかないの。教え諭し理解させなければ、罪を繰り返すだけになる」
「オネーサマがあいつを殴ったり蹴ったりしていたのは?」
「じゃれて纏わり付いてくるから、少し相手をしてあげただけよ」
「それはいいのですか?」
「象みたいに皮膚の硬い動物は、少し叩いてあげるくらいじゃないと触れても気づいてもらえないから、コミュニケーションがとれないの。そんな感じで、ジョンはすこし強めに撫でてあげるのがいいのよ」
「そんなの、面倒ですわ。やはり殺した方が後腐れないのでは?」
「懲らしめる罰は、強迫よ。強制強要の修正であって、自発的な改善じゃないから繰り返される。何度も懲罰を繰り返すことが面倒になれば、その先は殺せとなる」
「当然ですわ」
「だけどね、罪を犯した人が赦されないと分かってしまったら、自分の命を守るには暴力で対抗するしかなくなる。暴力が暴力を生み、争い憎しみ合って、血で血を洗う争いになる。安らぎは失われ、殺伐とした世界になる。そんな単純な悪循環が分からないなら、人間辞めた方がいいわ」
「そうだとしても、どうやって極悪人に道徳を説くのです?」
「そんなの、あたしにも分からないわ」
「そんなあ――」
「でも大丈夫。あたしは天才美少女ヤスラギ・ユメカだから」
「天才なのに、分からないのですか?」
「当然よ。天才は全知全能じゃないから。天才とは、問題の本質と原因を見付けて解決できる知恵と思考のある人のことを言うのよ」
「つまり、これから見付けるというの?」
「そう。それを見付けたら、あたしの旅も終わるかな」
「いつになるのでしょう」
「その内どうにかなるわよ。あたしに任せておけば、どーんとオッケーなのよ」
ユメカは胸を張って豪快に笑った。
「それより、黒クリちゃん、あいつは放置して、一緒にごはん作ろう」
「はい、オネーサマ」
「罰としてジョンにはエサを与えないようにしよう」
「では、飢え死にさせてやります」
「ほどほどにね」
ザパーッと音を立て、唐突に川面が盛り上がった。
川の中でジョンが立ち上がったのだ。
「代わりに元気ハツラツ、純白の野に咲く愛らしい桃色の花を見せ――」
「【懲罰の石塊】!」
間髪入れずにユメカが反射的に魔法を使うと、ジョンの頭上に石が現れて落ちる。
「ウガァ、やられたあ」
ジョンが川底に沈んで行く。
「はいはい、ゲス夫君は死んでいるのよ」
ユメカはクリスティーネの手を引いてキャンプに戻った。
ジョンの積み荷は、その人間性とは比べものにならないほど、すばらしかった。
食料と水が十分に積んである。テントも毛布もあり、ノマド生活が送れそうだった。
集めてあった薪をくべると、熾火が燃え上がる。
ユメカはクリスティーネと二人で簡単な煮込み料理を作り、食べた。残ったら明日の朝も食べればいいと多めに作ったが、クリスティーネの食欲は旺盛だった。小柄な割に、ユメカの倍以上は食べる子だった。魔法を使うとお腹が空くそうである。
いつの間にか川底から這い出てきたジョンが、シッポの代わりにお尻を振ってエサをおねだりしている。
その動きはやはり気色悪い。
だから、お預けの罰を与えてもあまり心は痛まない。
ユメカは鍋の底に残る具材の欠片が入ったスープをお椀によそうと、ジョンに持っていく。
「ジョン、ダウン」
ジョンは伏せる。
「ジョン、ステイ」
ユメカはジョンの前にお椀を置くが、従順な下僕は指示に従って食いつこうとはしない。
片付けをして寝る準備をしてもまだ、ジョンは待っている。
「オネーサマ、すごいですね。何ですの?」
「魔法の言葉よ」
「猛獣使いみたいですわ」
「ゲス魔獣よ、あれは」
「あのような魔獣、初めて見ました」
「なんとか夜叉の亜種ね」
「ならマイハニーは夜叉姫か」
「面白くないからご飯抜き」
「そんなあ、殺生○」
「せめていうなら、夜叉美少女でしょう。あたしの下僕ならそれくらいのお約束は守りなさい」
「そうするワン」
「でも語呂が悪いから美少女夜叉ね。だけど、美少女は夜叉じゃないから、やっぱり落第よ」
「クゥン」
ジョンは項垂れた。
「さあ、寝ましょう」
ジョンにお預けを命じたまま、ユメカはクリスティーネと一緒にテントに入り、毛布にくるまって寝た。
翌朝。
ジョンが吠える声で、ユメカは目覚めた。
外は明るくなっていた。
テントの隙間から顔を出すと、外は白濁した霧に包まれている。
言いつけを守らずにテントの入り口にジョンが座っていた。
「うるさい黙れ。美少女の朝は遅いのだ」
「誰か来る!」
「え?」
ユメカは耳を澄ませて周囲を探る。
濃霧で視界はほとんどないが、明るいのに鳥の声さえしないほどに、殺伐とした気配が漂っている。
「黒クリちゃん、起きて」
ユメカはブーツを履いてテントから出ようとすると、クリスティーネが眠そうに体を起こした。
「オネーサマ?」
「多分、敵よ」
体半分だけテントから出て周囲を探っていると、急激に霧が晴れて行く。
至近の距離で包囲する何者かの影が見える。
次第に全員馬に乗り、鎧を身につけているのが分かる。
騎士だった。
三〇人はいる。
ここまで接近されても気付けなかったのは、知覚を狂わせる魔術の霧だったからだろう。
一騎、包囲の輪から進み出てきた。
「武器を捨て大人しくしろ」
その声は霧のように冷たくじっとりと纏わり付くような煩わしさがある。
ユメカは動かずに、クリスティーネが準備を整えるのを待つ。
ふと、いい時間稼ぎを思いついた。
「ジョン、アタック!」
ユメカが騎士を指さすが、ジョンは動かない。
「いや、さすがに無理でしょ」
「駄犬ね!」
仕方なくユメカはテントの中の剣を左手で探る。
指先が剣に触れた。
剣を手にすれば無敵になれるとユメカは確信している。
隙を突いて剣を抜けば、形勢は逆転するはずだった。だが、左手で鞘を持って引き寄せ、瞬時に右手で抜き放とうとしたが、手が滑った。
寝起きは意識が鈍るのだ。
ズサッと音を立て、テントの入り口で片膝を立てて座るユメカの左側に剣が落ちた。
拾おうと手を伸ばす。
ビュン。
弓鳴りと共に、ユメカが手を伸ばそうとした先の地面に矢が突き刺さる。
十騎が、馬上でクロスボウに屋を装填して狙いを付けて構えているのが見える。
すでに矢を放った騎士は、次の矢を装填している。
「油断ならないお嬢さんだ。が、こっちは完全に包囲している。無駄な抵抗はやめなさい」
「無駄と思ってなかったからなんだけどね」
「次は、容赦なく矢を射かける。そのテントごと貫くだろう」
「分かったわ」
クリスティーネを守るために、ユメカは抵抗を諦めた。




