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  Ch.2.4:調教と、美少女

 ユメカは慌てた。

 ジョンの命はともかく、クリスティーネに人殺しはさせたくないからである。


「ちょ、ちょっと待って。ジョンは犬だから、人の言葉は分からないから。ね、ジョン」

「ワン」

「ほら」


 クリスティーネはジョンの小屋になった【闇苦の獄舎(ゲヘナプリズン)】に近付いて魔杖を突きつける。


「本当ですか」

「クウン」

「オネーサマの犬になったのでしたら、これまでの悪行、赦してあげるわ。でも、オネーサマに悪さしたら、調教してやる」

「くうん、くうん」

 ジョンは腹を見せて転がり、服従のポーズを見せた。

「かっこわる」

 クリスティーネは呆れた侮蔑の視線を送って、ユメカの側に戻った。


「それとオネーサマ」

「なに?」

「脳筋連中は、難しい詠唱があるから、魔法を学ぼうとしないのです。必要ないと知られたら、インテリジェンスのかけらもなく、暴力を撒き散らす害悪になります」

「うん。わかる。そのシステムいいね。あたしも、秘密と機密は守るよ」

「はい。ありがとうございます、オネーサマ」

「じゃあ、疲れたしお腹空いたから、食べて寝ようか。ジョンが食料にテントとか持ってきてくれたなら、活用しないとね」

「はい、オネーサマ」


「ハァハァハァハァ」

 ジョンが手を上げて尻尾の代わりに尻を振っている。

「なにその格好」

「ご飯が食べたいワン」

 ユメカは檻の外からジョンに詰め寄る。

「昼は人、夜は狼、これ何か分かる?」

「獣人だワン?」

「狼男っていうのは、鉄板ネタね。男だと言えばオールドテンプレかな」

「どういう意味か分からないワン」

「要するにあんた、転生人てんせいびとでしょ?」

「そういうマイハニーも、同じなのだワン」


 ユメカはジョンを睨んだ。

 正体不明で怪しさ満点なのは明らかだった。


「まあ、どうでもいいわ。あんたはあたしの犬。従順なる下僕なんだからね」

「おおありがたや。犬以下からレベルアップしたぜ」

「順応が早いのね」

「オレは万能だからな。バターが無くても大丈夫だ――」

 ユメカは剣をベルトの留め具から外すと、鞘で鋭くジョンを突いた。


 うげ。


 ジョンは仰向けに倒れた。

 そして、動かなくなった。

 しばらくジョンが動かないのが、クリスティーネは気になるようだった。


「死んだのですか?」

「死なないわよ。あいつはどうやらギャグから生まれたギャグ星人だから、殺しても死なないキャラなのよ、きっと」

「化け物ですね」

「そうでしょうね。だからこき使っても死なないから安心よね」

「安心セキュリティーのジョンと呼んでくれ」

 唐突に起き上がってジョンは正座した。


「ほらね」

 クリスティーネは納得したように頷き、呆れて蔑む視線で、人間を捨てたジョンを見た。

「それと、やっぱり食事の前に、ちょっと汗を流しましょう。今日はほとんど走りっぱなしだったし」

「はい。オネーサマ」

「テコ入れ回なら、お供するワン」

「ジョン、ステイ。そんなのないから!」

「クウン」


 項垂れたフリをするジョンを無視して、ユメカはクリスティーネの手を引き、小川に向かう。

 クリスティーネが魔法で堰を作り水を溜め、お湯にしてお風呂ができあがる。

 大量の湯気で周囲を覆うと、二人は体を洗い、湯に浸かる。

 ついでに服も洗うと、クリスティーネが魔法で乾かしてくれた。魔法とは便利である。本来魔法とは、戦争ではなく生活レベルの向上のために使うべきなのだ。


「そういえば黒クリちゃんは精霊魔法を使ったよね。あたし、精霊がいるなんて知らなかった」

「オネーサマだから教えますけど、大勢の人がいる前で魔法を使うための、まやかしです」

「ああ、なるほど。力を求める人から自分と秘密を守るためか」

「すごいです、オネーサマ?」

「そう? 普通に思いつくと思うけど」


 他にどういう理由が想像できるだろうかとユメカは考えるが、思いつかなかった。

 魔法のような強大な力は、大自然の力を象徴する精霊の力を借りて発現させていると思わせれば、力を求める人は精霊を探して契約しようとする。結果として表層の因果関係で納得し、精霊の力の本質が何かを考えようとする人は減る。

 必然的に、魔法の本質を追究する人は極めて稀となり、秘密は守られるのだ。


「いいえ、そんなことありません。わたくしはやはり、オネーサマを尊敬します」

「まあ、憧れって、時には大切だよね」


 幼少期に見た憧れは肥大化するが、成長に伴って手の届く現実の地平に降りてくる。

 手に入れようと高みを目指し続ければ、いずれ憧れていた理想の地平に近づける。その時、かつての憧れが想像していた地平にあるのか、下に見えるのか、あるいはまだ高みにあり続けるのかは、分からない。クリスティーネが成長したあとで、どう思われるのだろうかとユメカは想像する。

 できれば憧れて良かったと思ってもらえるように在りたかった。


「オネーサマは、これからどこに行くのです?」

「黒クリちゃんの師匠捜しだけど、手掛かり知ってる?」

「知りません。ですから、オネーサマの目的を優先してください」

「あたしの目的かあ。急ぎの用はないんだけど、大金貨集めとか、最近湧いて出た魔王っていうのが何者かも確かめたいかな。でもゴルデネちゃんを自由に走り回れる場所に連れて行きたいよね」


「オネーサマは、おカネが好きなのですか?」

「ていうか、退治よ退治。おカネ退治」

「どうしてです?」

「あたしが正義の美少女だからよ」

「ですが、退治って、どうするのです」

「集めて叩いて溶かすのよ」

「それで、どうなるのです?」


「まやかしの錬金術でインフレの魔物が召喚されるのを阻止するの」

「さすがオネーサマ。それは恐ろしい魔物なのでしょうね」

「そうね。お金は便利ツールだけど世界を支配するツールでもあって、でもそれは本質的には支配者によって生み出された幻想なのよ」

「よく分からないですわ」

「大丈夫。あたしもよく分からないから」

「わ、分からないのに戦うのですか?」

「ていうか、正体を暴くのよ」


 不意にガサっと茂みが揺れた。

 緊迫が走る。

 クリスティーネは立ち上がって岸に置いていた杖を手に取る。

 ユメカは湯気をまとって身構えた。

 辺りが静まりかえる。

 せせらぎの音が響く。

 ユメカは風呂にした川底の石を拾って茂みに向けて投げた。


 きゃん。


 ジョンが転がり出てきた。


「きゃあ」

 クリスティーネがお湯の中に身を隠す。

 ユメカは湯煙で体を隠している。

「のぞきとは、卑怯な、この駄犬が!」

「見張りだワン」

「どこを見ていた!」

「湯煙が憎たらしいワン」

「あっちいけシッシ!」

「マイハニー、どこまでもお伴するワン」

「あたしは桃太郎じゃないのよ」

「団子をくれなくても、オレの身も心も君のモノだぜマイハニー」

「うるさい、黙れ」


 ユメカが岸に上がると風が吹き、湯煙が払われる。

 ユメカの肌が露わになる、と思ったが、服を着ていた。


「い、いつの間に」

「〇・〇一秒で着装できるのよ」

「どういう魔法だよ」

「イリュージョン!」

「お呼びで?」

 ジョンが駆け寄ってくる。

「呼んでない!」


 言葉の意味を理解できずに音に反応するだけの駄犬なのだとユメカは呆れる。

 急停止できずにヘッドスライディングしてくるジョンを、ユメカは蹴飛ばす。

 だがジョンはその場でくるりと回転して地に落ちた。


「仕方ない。折角だからむさ苦しいやつ、成敗だ」


 ユメカは岸に置いていた剣を取り、抜く。

 即座にジョンに斬り付ける。

 ジョンはヒョイヒョイ避ける。

 伸びた髪が斬れ飛び、ヒゲが剃り散る。


「今日はそのくらいにしてあげるわ」

「ありがたいワン」

 ジョンの髪は短く切りそろえられ、ヒゲはキレイに剃られていた。

 顎をさすりながらジョンは恍惚の笑みを浮かべる。


「うーん。まんだらけ」

「マイナス一万点」

「ひどいよマイハニー。けど、美少女理容師の称号を進呈するワン」

「マイナス五点」

「おお、成績アップ」

「あんたバカ? せめて美少女トリマーと言いなさいよ。あんた犬なんだから」

「失敗だワン」

 ジョンは犬座りで項垂れた。


「それよりあんた、どうやって出てきたの?」

「ご主人様に、かまって欲しくて出てきたワン」


 野営地に戻ると、【闇苦の獄舎(ゲヘナプリズン)】の脇に穴が開いていた。地面を犬掘りで穴を開けて出てきたようだった。

 どういう手をしているのやら。


「ところでジョン、あんた料理できる?」

「勿の論だよ、マイハニー」

「じゃあ、作りなさい。まずかったから追放。変な物入れても追放」

「おお、犬に料理をしろと命じるのは、料理に犬を食べろというようなもの」

「そう。じゃあ、いいわ。あんたはお払い箱だから」

「愛犬は最後まで面倒見てくれだワン」

「あんたは下僕で駄犬なのよ!」

「そんなあ、お代官様、これでお赦しを」

 ワンワンとジョンが吠えながら穴を掘り、出てきた金貨を差し出した。

「はっはっは。そなたも悪よのう。犬畜生めが」

「お代官様ほどじゃあ、ありません。ひっひっひ」

「って、なるか!」


 ユメカはグーで脳天を殴ると、ジョンの顔が地面にめり込んだ。


「あ、オネーサマ、今度こそそいつ死んでますわ?」

「なら自滅よ」

「治癒魔法なら、間に合うかも知れません」

「野犬には近付かない方がいいわよ」

「ですが――」

「黒クリちゃんは、こいつ殺したいんじゃなかったの?」

「もう赦しましたし、オネーサマがそいつで汚れるのは耐えられません」

「ほほう。黒クリちゃんは賢いなあ。もう分かってくれたのね」

「はい」

 頷いてクリスティーネはジョンに近付いた。


「では、前段省略!

 光の波動よ、傷を癒せ。

 【癒やしの光彩(ヒーリングライト)】!」


 クリスティーネの魔杖の先が光り、周囲の空間に魔法陣が展開し、暖かな光がジョンに向けて注がれる。


「ど、どうかしら?」

 クリスティーネが倒れたままのジョンに触れようとする。唐突に、がばっと、ジョンが顔を上げたが、そこは、クリスティーネのローブの裾の中だった。

「きゃあ」

 クリスティーネが慌ててローブを抑える。


「復活のおっしゃあ!」

 握りこぶしを突き上げてジョンが立ち上がる。

 クリスティーネのローブがめくれ上がった。

「いやあ、変態!」

 クリスティーネは大きく飛び退いてローブの乱れを直すと、ジョンを睨んだ。

「やっぱり殺す! 【憤怒の吐息(フレイムブレス)】!」


 魔力を集めイメージを展開する前段も、魔法の効果をイメージする詠唱も、魔法発現の原理を隠す魔法陣エフェクトも省略していた。

 魔杖から火炎が吹き出し、周囲を焼き払う。

 魔法の炎がジョンへと襲いかかった。

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