Ch.2.3:復讐と、美少女
ユメカは改めてクリスティーネを見つめる。
怒りの色はなく、どちらかと言えば機械的な反応のようだった。
「赦してくれたんじゃないの?」
「赦すと復讐してはいけないのですか?」
「復讐したいの?」
「お、おね――。あなたには、したくないです」
「どうして?」
「ゴルデネツァイトを助けてくれたし、マザーも壊しちゃったけど、止めてくれたから」
クリスティーネは少し歪んだ価値観に汚染されているらしい。
弟子を放置するような師匠の指導が悪かったのだ。それでも善悪を自分で考える知性を持ち合わせているのが、銀色に輝く澄んだ目を見れば分かる。
「赦したら、復讐はしないのよ」
「そ、そうですか。では殺さなくていいのですね」
「あたし、黒クリちゃんに殺されるところだったの?」
「はい。そう教わりましたから」
「それは、間違いだよ」
「本当ですか?」
「本当だよ」
「よかったです」
「あたしもよかったし、ほっとしたよ。何かお礼したい気分だわ」
「では、お願いをしていいですか?」
「何?」
「わたくしを、連れて行ってください」
「ええとそれは、未成年者略取にならないかな?」
「どういう意味です?」
「簡単に言えば、誘拐」
「違いますわ。わたくしが付いていきたいのですから」
「だったらあたしには、黒クリちゃんを親御さんの元に連れて行く義務ができたわね」
「わたくしに両親はいません」
「ええと、それじゃあ――」
亡くなったのだろうかとユメカは思った。
「お師匠様は五年も戻ってきてくださいませんし、館を守っていたマザーゴーレムは居なくなりました。それに、遊び相手のゴーレムちゃん達も、消滅しました」
クリスティーネの沈んだ顔を見て、ユメカは胸を押さえた。
「む、胸が痛い」
「だ、大丈夫ですか。今すぐ治癒魔法を――」
「いや、平気。心の問題だから」
「どういうことです?」
「自己嫌悪と反省なのよ」
「どうしてです?」
「黒クリちゃんの大切な友達だと知らなくて、ゴーレムなら無双してもいいって、そう思ってたから」
「ムソウとは、なんです?」
「あたしが敵を斬って斬って斬りまくることよ」
「それ、楽しいのですか?」
「当然。時々暴れないと、あたしは生きていけないのよ」
「でしたら、さっきの男たちにそのムソウをすれば良かったのでは? 極悪人ですし」
「人はダメなの」
「血が出るからですか?」
「そう」
「でしたら、魔獣や魔物はいいのですか?」
「うん。そっちは倒せば光になって消滅するからキレイなの」
「そうなのですか?」
「そうだよ」
「ですが、ゴーレムちゃんは魔物なのに光にならなかったですよ」
「ゴーレムは土人形だから、砂になるのよ」
「そ、そうなのですか――」
クリスティーネが考え込んでいる。
美少女の常識は理解するのが難しいのだろう。
「まあ、いいわ。黒クリちゃんが家に帰っても誰も居ないんじゃ淋しいでしょうから、あなたの師匠のところに連れて行ってあげる。一緒に探そう」
「では、連れて行ってくれるのですね」
「うん」
「ありがとうございます。オネーサマ」
「お、お姉様?」
「はい」
「ま、まあいいけど――」
妹が欲しかったからとユメカは受け入れた。
「ですが、その前にやらなければならないことがあります」
「何?」
「あの男を見付けて捕まえるのです」
「ゴルデネちゃんを攫ったあいつだね」
「はい。この恨み晴らすさずには済ませません。復讐です。一〇〇倍返しです」
ユメカは少し困りながら、クリスティーネを見る。
「どうして一〇〇倍なの?」
「お師匠様が、受けた恩と仇は倍返しなさいと。そうしないと無限の応酬になるので、倍々返しで滅ぼしなさいと、教えてくださったのです」
「倍の倍の倍の倍ってやっていいたら、一〇〇倍じゃなくて、六四倍の次は一二八倍だよ」
「オネーサマは、天才ですの? どうしてそう瞬時に計算できるのです?」
「あたしが天才美少女なのは正しいけど、これは計算じゃなくて暗記なの」
「暗記?」
「二の何乗かって話だから。二の四の八の十六ってなって、まあ、三二ビットの次は六四ビットで、次が一二八ってことよ」
「な、なんという高度な計算」
「いや、小学生でも計算はできるわよ。ちなみに次は、二五六よ」
ガーン。
クリスティーネが項垂れた。
「わたくしの負けですわ」
「まあ、よく分からないけど、あたしの勝利は揺るがない。だってあたしは、天才無敵美少女だからね」
おっほん。
両腰に手を当てて上体を反らす。
「さすがは、わたくしのオネーサマです」
「やっぱり、ユメカでいいよ」
「いいえ。わたくしの尊敬の念を込めてオネーサマと呼ばせてください」
「じゃあ、そのうち友達になったら、名前で呼んでよね」
「オネーサマとお友達だなんて、畏れ多いですわ」
「ま、まあ、少しずつ慣れていこうか」
「はい。オネーサマ。ですからまず、あいつに復讐ですわ」
「復讐なんてくだらないわ」
がさっと茂みが動いた。
ユメカは身構え、クリスティーネは杖を構える。
「よう、お嬢さん方、待ちわびたぜ」
茂みからむさ苦しい男が出てきた。
「あー、トドロキ・ハリケーン!」
「あっ、トキメキ・ストールン!」
二人は同時に男の名を叫んでいた。
無精ヒゲの優男はへらへらと笑っている。
諸悪の元凶を、ユメカは睨んだ。
「復讐よ、復讐!」
クリスティーネは杖を振り回してトドロキを睨みつける。
「まあまあ落ち着きたまえ。オレは旅道具を揃えて君たちを待っていたのさ。この先に清流もあって、キャンプに最適だ。オレの野営地に招待しよう」
男が指さした先に荷馬車があり、テントが張られていた。
言われるまで気付かなかったが、焚き火まで用意されている。
胡散臭いとユメカは腕を組んで男を睨む。
他人事のような態度のまま、一言謝ろうという気配すらない。
「どういうこと?」
「その前に、わたくしをだましたあなたは、死ななければならないのです」
男に怒りを向けたクリスティーネが、詠唱を始める。
クリスティーネの周囲に魔法陣の模様が光を放って現れる。
「世界を包みし大いなる根源たる力、我は今それを欲する。
無辺の彼方より我が元に集りて我が力となれ。
我は命じる。
地の底に沈みし監獄よ、今こそ出でてその者を捕らえよ。
【禁断の獄舎】!」
男の周りに地中から鉄格子が突き出し、鳥籠のように天井で弧を描き閉じた。
「では復讐、一〇〇倍、いえ、一二八倍返しです」
「ストップ、黒クリちゃん」
クリスティーネが本気で攻撃魔法の詠唱を始めようとしたので、ユメカは慌てて杖を持つ腕を抑えた。
「止めても無駄です、オネーサマ」
「いやいやいや、黒クリちゃんみたいなかわいい子が、復讐なんてしちゃいけないの」
「本当ですか」
「そうだよ。復讐なんてすれば、心が歪んで醜くなるんだから」
「いいえ。その前です。わたくしをかわいいとおっしゃいました?」
「言ったよ。だって、かわいいじゃん」
「オネーサマのおっしゃることでしたら、わたくし服従しますわ」
クリスティーネが目を輝かせた。
「う~ん。やっぱり、オネーサマって呼ぶのやめようよ」
「ですが、わたくしのオネーサマですから」
「黒クリちゃんは、年いくつだっけ?」
「千十三歳です」
「あたしは永遠の十五歳だから、あなたの方が年上になるんだよ」
「ハッ! なんということでしょう。わたくしとしたことが。計算が難しいからとサバを読んでしまうなんて」
「そうなの?」
「はい。わたくしは、久遠の十三歳プラス千年ですから、オネーサマより年下です!」
「ああ、そうなるんだ」
脱力したユメカは、もうどうでもいいと思えてきた。
「ですがオネーサマ。わたくしのこの煮えたぎる復讐心と屈辱は、どうすればいいのでしょう。せめて手足と首をちょん切るくらいで赦せばいいのでしょうか」
「復讐なんてくだらないわ。あたしの訴えを聞けぇ、っていうことよ」
「――それは、オネーサマの命令ですか?」
「命令じゃなくて、お願いというかアドバイスというか」
「オネーサマがおっしゃる通りにします」
「いや、黒クリちゃんが自分で考えて決めるべきことだけど、そうね、未成年だから今は保護者代わりなのはあたしだね」
「はい」
「というわけで、復讐じゃなくて、復習にしましょう。言葉を転じて福と成す。一二八回の反復練習いってみよう!」
「そ、それはスパルタですの? オネーサマ、何をしろとおっしゃるのです?」
「だから、魔法の反復練習。黒クリちゃんの魔法は、詠唱から発現までが、遅すぎるから」
「お、遅いのですか。お師匠様には素晴らしく優秀だと誉められたのですが」
「それに未完成だからまだ弱くて脆い。さっきの怪力男が鉄格子曲げちゃったし」
ユメカは剣を抜くと、【禁断の獄舎】の鉄格子を両断した。
斬り裂かれた鉄格子は光の粒子となって消えてゆく。
「おお、出してくれるのか? ありがたい」
ニヤついたヒゲ面で、男が近付いてくる。
「そこで正座! じっとしていなさい!」
「は、はい!」
ユメカの人睨みで、男は正座した。
「さあ、復習よ!」
「はい、オネーサマ」
クリスティーネが魔杖を構えて精神統一を始める。
「では前段省略して、地の底に沈みし監獄よ、今こそ出でてその者を捕らえよ。【禁断の獄舎】!」
地中から監獄の鉄格子が伸び出て男を包む。
「遅い!」
即座にユメカが檻を斬り裂くと光になって消え去る。
「はい! 【禁断の獄舎】!」
地面から生える鉄格子の監獄を、再びユメカは剣で斬り裂いて消滅させる。
同じ事が何度も続けられた。
そのたびに、男の目の前をユメカの剣が行き交う。
ほんの少しでも動けば、斬り刻まれる近さであり、男の顔は見る見る青ざめてゆく。
一二八回の繰り返しを終えると、クリスティーネは極度の疲労で膝を突いた。
男は、精根尽きて倒れ込んだ。
「だらしないなあ、二人とも」
ユメカは剣を鞘に収める。
「さあて、次はあたしの番だ、トドロキ・ハリケーン」
途端に元気になったのか、男は起き上がって正座した。
「なんでしょう、オネーサマ!」
ユメカは反射的にグーで頭を殴った。
「あんたまでそう呼ぶな」
殴られたのを苦にも感じていないのか男は顔を上げて笑顔をユメカに向ける。
「失礼、ハニー」
「だれがハチミツだ!」
「ああ、オレの身も心も買い取った君が、つれないじゃないか」
「そうなのですか、オネーサマ」
「違うって」
「いやだなあ、ハニー。オレはこの身も心もハニーに大金貨一〇〇枚で売ったんだ」
「だから、買ってない!」
「なら、ちゃらということでいいか?」
唐突に開き直ったように、男は偉そうに胡座をかいた。
それが狙いだったのかとユメカは拳を固める。
ちゃらい男の悪しき行いをちゃらにするなど、絶対正義の道に反するのだ。そういう不真面目な態度をとり続けるなら、音を上げるまで奴隷のように使い潰してやろうという悪戯心が芽生えてくる。
「分かったわ。仕方ないから、あたしの下僕にしてあげる。こき使ってあげるわ」
「おお、マイハニー、一蓮托生の人生を共に」
「却下!」
ユメカが顔面目がけてストレートを放つと、男は地面に倒れて仰向けに寝転がった。
動物ならば降参と服従のポーズである。
「ところであんた、いくつ?」
「オレは無限の十七歳だ」
「うそ。どうみても三〇過ぎでしょう」
「傷つくなあ。少し身ぎれいにすれば若くなるんだ」
「絶対にウソですわ、オネーサマ」
「まあ、いいわ。どっちでも」
「寛大だなあ」
ひょこっと男は体を起こし、胡座をかいた。
「それより、あんたの本名は、何?」
「言わなかったか?」
「偽名でしょう? トドロキ・ハリケーンというのは。黒クリちゃんにはトキメキ・ストールンなんて名乗ったくらいだから」
「いやあ、すごいねえ。マイハニー。惚れ直したよ」
「変な呼び方するんじゃないの!」
「それより、オレを買ったご主人様に名前を付けて欲しいワン」
犬のように座って吠える真似をする。
仕方ないとユメカは左手を腰に当て、右の人差し指を男に突き出した。
「だったらお前の名前は、ジョンだ」
「へ?」
「分かったら返事をするんだ、ジョン」
「ワン」
「よし、ジョン、ハウス!」
「ちょい待ち、オレ犬扱い?」
「犬以下よ」
「そんなあ。小屋もなしか?」
「なら、【闇苦の獄舎】に入れてやる」
「またまたご冗談を」
「【闇苦の獄舎】!」
ザザッと土が盛り上がり男を包み込む。
一箇所だけ鉄格子が嵌められた。
「すごいわ、オネーサマ」
「黒クリちゃんにもできるよ」
「ですが、詠唱なしなんて」
「だって、魔法の詠唱なんて、単なるかっこつけのお題目でしょ?」
「な、なぜその秘密を。ですが精神統一してイメージを展開するのに、詠唱した方がいいのですよ」
「でも魔法陣だって、魔法を起動する仕掛けがバレないための、視線誘導だよね」
「お、オネーサマ。そのような重大機密までご存じとは――」
「機密だったの?」
「はい。魔導師や魔法使いは、詠唱しなければ魔法が使えないとそう思わせなくてはならないと、決まっているのです」
「どうして? 世の中すべて、カイゼンよ。効率化と合理化を目指すべきなのよ」
「でもでもでも、詠唱しても魔法陣が発現しなければ魔法が発動しないと思わせておけば、相手に隙ができるのです。発動のタイミングをずらせば命中率が上がるのです」
「ほほう」
ユメカは頷いた。
フェイクやフェイントなのだ。
「それに、魔導師や魔法使いは肉弾戦では騎士や剣士に劣るので、即時発動できると知られてしまえば、警戒されて身に危険が及びます。ですから、非常時以外は、詠唱し魔法陣を発現させるのです」
「わかった。なら、黒クリちゃんはそのままでいい。あたしも、魔法は使わないようにするから」
「はい、オネーサマ。さすがです」
「まあね、おーほっほっほっほ」
「ですが、あの男に聞かれてしまいました。やはり、殺しましょう」
クリスティーネは瞬時に表情を険しくすると、ジョンを睨み付けた。
魔杖を握り締め、精神を集中し始める。
空間のエーテルがクリスティーネの精神に共鳴する。
魔法詠唱をしなくても、すぐに発動する状態だった。




