Ch.1.13:美少女と、再会
十メートルを超える巨人。
クリスティーネ・シュバルツがマザーゴーレムと呼ぶ巨人である。
ミューニム大森林の守護者にして、尖兵となる子ゴーレムを生み出せる巨人だった。
マザーゴーレムの背丈は、建物の二階よりも高い。
その頭の上に、クリスティーネは乗っていた。
ここからだと、夜闇の中でもイムジム・タウンの明かりがはっきりと見える。
「さあ、覚悟して待っていなさい。ヤスラギ・ユメカ。そして、トキメキ・ストールン。絶対に逃がさないんだから。復讐よ、復讐よ! この屈辱、一〇〇倍返しにしてやる!」
クリスティーネは、手にする魔杖を前に突き出す。
魔杖は彼女の背丈よりも長く、瘤のように膨らむ先端に袋が被せてある。
その魔杖による命令を受けるとマザーゴーレムは「ゴォォォ」と低い音を発し、イムジム・タウンへと歩み始める。
マザーゴーレムが一歩踏み出す毎に、地面が揺れる。
警告であり威嚇でもある。
逃げ去るか降伏するか、その二つしか選択肢はないのだとクリスティーネは思っていた。
町まで一〇〇メートルほどに近付くと、町の西門の前に、複数の篝火が焚かれていた。
板塀で囲まれた町の東西を真っ直ぐに貫く通りがあり、その両側に等間隔にはランプの火が灯っている。
表通りを東へと逃げ出していく小さな点のように見える人影が見えた。
「ふふ。驚いてる驚いてる。もっと慌てふためくといいわ。でも、わたくしの要求に従えば何もしないから」
門の五〇メートル手前でクリスティーネは魔杖で軽く頭を叩き、マザーゴーレムの歩みを止める。
松明を持った者達がわらわらと、板塀で囲まれた町の領域から出てくる姿がある。ギイギイと何か重苦しげな音が聞こえる。門の側、篝火が照らさない陰の中で何やら黒い影が動いているようだった。
足元近くで回転する火が見えた。クリスティーネはマザーゴーレムの頭の上から下を覗き込むと、先程出てきた者達がマザーゴーレムの足元に向けて松明を投げつけている。
「そんな火、マザーには効かないのに」
クリスティーネは町人の愚かな考えを嗤った。
だが立ち上ってくる煙にむせて、咳き込んだ。
「もう、なんなのよ」
クリスティーネが魔杖を振る。
ふっと風が吹いて煙が吹き払われる。
早く用事を済ませて帰ろうと、クリスティーネは大きく息を吸った。
「イムジム・タウンのみんなに告げるわ。この町にいる極悪の――」
ビュ、ボゥン。
妙な音が聞こえた。
暗闇の中、何かが飛んでくるように見える。
ドスッ。
鈍い音と足元が揺れる衝撃を感じると同時に、マザーゴーレムの体が傾いだ。
「きゃっ!」
頭の上から滑り落ちそうになったクリスティーネは、慌てて魔杖を足元に突いて耐える。
「どうしたのマザー?」
体勢を立て直したマザーゴーレムの左肩を見ると、何かが刺さっていた。
丸太のようだった。
ビュ!
再び空気が震える鈍い音が聞こえ、ボゥンと唸る音が近付いてくる。
クリスティーネの視界が閉ざされた。
マザーゴーレムの右腕だった。
ドガッ。
マザーゴーレムの右腕が下ろされ視界が開ける。
丸太の矢がマザーゴーレムの右腕に突き刺さっていた。
クリスティーネを守ってくれたのだ。
「え? なんなの?」
クリスティーネは混乱しながら、前方を注視する。
ゴロゴロギシギシと重そうな音が聞こえてくる。
車輪付きの台の上に据えられた幅二メートルほどの大きな弓のような道具が、篝火の明かりが届く範囲に引き出されてきたのだ。
巨大な弓のようだった。
「ちょっと、いきなり攻撃なんて、ヒドいじゃない?」
マザーゴーレムの足元へ向かって叫ぶ。
松明を投げていた人々の姿は、すでにない。
闇に紛れるマザーゴーレムを火で照らし丸太の矢で狙いやすくしたのだと、クリスティーネは気付いた。
「なんなのよ!」
ムカついたクリスティーネは足を上げると、苛立ちを込めて踏みつける。
マザーゴーレムは意図を理解し、代わりに吠えて町へと歩み出す。
重心を落としたどっしりとした歩みによって、頭頂の上下動はほとんどない。
「魔物を町に近づけるな、撃て!」
誰かの号令が聞こえた。
ギリギリと弦を引く音が闇夜に響く。
その時間を稼ぐように兵士達が弓矢を持って射かけてくる。
「ちょっと、わたくしの話を聞きなさい!」
クリスティーネは叫ぶが、攻撃は止まない。
パラパラ矢が降ってくるの。
マザーが手をかざして防いでくれた。
「もう、面倒くさい。マザー、子ゴーレムちゃんを生みだして、あいつら蹴散らしてやって」
ウガアアア!
マザーゴーレムが咆哮すると胴体から石礫のように核が飛び散り、地面に落ちる。
その地面が盛り上がり、十七体の子ゴーレムが生まれた。
子ゴーレムの群れは、ノシノシと町へと進み、弓を射る兵士達へと襲いかかる。
兵士達が放った矢が刺さっても子ゴーレムたちは動きを止めない。
第二射を射るには距離が足らず、兵士たちは散り散りに逃げ出した。
「そのまま。そいつら追い払いなさい」
一歩ずつ踏みしめるように子ゴーレムたちは横一列に並んで町へと歩む。
クリスティーネは無様に逃げ出す兵士の惨めさを嗤う。
ゴーレム相手にたかが人間が無謀に攻撃を仕掛けてくるのが悪いのだ。
「きょ、距離を取れ!」
隊長の声に兵士達は踏みとどまり、隊列を組み直し始める。子ゴーレムの歩みが遅いため、恐怖心から立ち直ったらしい。そこへ、町の中からは何人もの傭兵が武器を持って出てくる。
加勢を受けて兵士達は、士気を高めた。
傭兵たちが果敢にも子ゴーレムに向かってきて、剣や斧や槍などの中近距離の武器を手に攻撃してくる。戦い慣れているようで、子ゴーレムたちの歩む速度が鈍ってしまう。
クリスティーネはマザーゴーレムの頭の上で地団駄を踏んだ。
「もう、いい加減にしてよ!」
ドゥオーン。
銅鑼の音が鳴り響いた。
傭兵たちは一転して逃げ出し、代わりに兵士たちが進み出てくる。
兵士たちは、両端に小さな壺を結んだ紐を振り回している。
ビュン、ガシャン。
兵士たちが投げた壺が子ゴーレムたちに当たると、割れて中の液体が飛び散った。
油だった。
そこへ、門前を固める兵士たちが、火矢を射かけてくる。
油に火が付き、一気に燃え上がる。
兵士や傭兵から歓声が上がった。
「ばっかじゃない!」
クリスティーネは呆れた。
完全に逆効果となったのだ。
普通の火程度では、ゴーレムに大したダメージは与えられないのだ。燃える土人形となった子ゴーレムたちがそのまま前進を続ける。接近戦を得意とする傭兵達は、子ゴーレムが獲得した火の鎧のために近づけなくなった。
ドゥン、ドゥン。
二台の弩の発射角度が調整され、丸太の矢が放たれた。
丸太の矢が、子ゴーレムの体を貫いた。
体の中心を射貫かれると、子ゴーレムは土になって崩れる。
兵士たちから歓声が上がる。
だが、次の発射のため弦を引くよりも残りの子ゴーレムの接近が早かった。
子ゴーレムたちが炎の拳で殴り壊すと、廃材となった大きな弓に火が移った。
「こ、後退だ。塀の中から防戦する!」
隊長の号令で、兵士と傭兵達が門へと殺到し、跳ね上げていた丸太の門扉を慌てて降ろす。
入り損ねた兵士と傭兵達が板塀をよじ登ろうとするのに気づいて、中からロープを下ろして引き上げている。あるいは板塀に沿って町の反対側へと逃げて行く。
火だるまの子ゴーレム達が尚も進み、町を囲む板塀に取り付いた。叩いたくらいではすぐに板塀は壊れなかったが、ゴーレムの拳から飛び散った火が燃え移って行く。
このままだと大火事になりそうなので、クリスティーネは慌てた。
「マザー、子ゴーレムちゃんを止めなさい」
ウガガァァー。
マザーゴーレムの一声で、燃えさかる子ゴーレムは動きを止めた。
立ち止まったところで燃える体の火が消える訳では無いので、至る所で板塀に火が燃え移って行く。そもそも火を放ったのは町の連中なので、クリスティーネは魔法を使って消そうという意欲までは湧いてこなかった。
「お陰で明るくなって見やすいわ」
クリスティーネはマザーゴーレムの頭上から、板塀の内側で体勢を立て直す兵士達を見た。
「イムジム・タウンの者に告げる。わたくしは太古の大森林からきた、大魔導師だ。この町に逃げ込んだ極悪非道な二人組を差し出せ。さもなくば、町を破壊する」
「一方的に攻撃してきて何を言うか! やっちまえ」
誰かの威勢のいい声が聞こえた。
「攻撃してきたのはそっちが先だから」
と言おうとするクリスティーネを邪魔するように、雨のように矢が降り注ぐ。
マザーゴーレムが即座に腕をかざし、クリスティーネを矢から守る。
マザーの腕で守られながら、クリスティーネは魔杖を握り締めて構えた。
「こいつら、魔法で吹き飛ばしてやろうかしら」
ゴゴッ、ガラガラガラ。
一部の板塀が焼け崩れて落ちる。
門の内側で待ち構えていた兵士と傭兵達が浮き足立っている。
そこへ、町の奥から軽装の兵士が叫びながら駆けて来た。
「どけどけどけ、騎士隊の到着だ」
重装鎧に身を固めた兵士達が十人ガシャガシャと音を立てながら駆けて来る姿が見える。
「もう、どうして話を聞いてくれないのよ!」
逃げかけた兵士と傭兵が気勢を盛り返して歓声を上げる。
重装騎士が前衛にでて立ち止まると、手に持っていた槍を投げた。
焼け落ちた板塀の外側に立つ子ゴーレムに槍が当たる。
ドバーン!
けたたましい音を立てて槍が爆発した。
魔石の付いた槍、爆裂槍だったのだ。
子ゴーレムは体を吹き飛ばされて土塊となって崩れ去る。
「な、何よあれ、反則よ!」
クリスティーネは魔杖を握り締める。
聞き分けのない人間を黙らせる方法を考えた。
「わたくしの話を聞きなさい! さもないと――」
ドカーン!
足元で何かが炸裂した。
クリスティーネは爆風に吹き飛ばされマザーゴーレムの頭から落ちた。マザーゴーレムの胸の辺り、門の上にある物見櫓に、戦果に笑う騎士の顔を見た。そこから爆裂槍を投げてきたのだと悟る。同時に、このまま地面に激突して死ぬんだと、クリスティーネは思った。
なのに、誰かに優しく受け止められた。
いい匂いがした。
温かく、柔らかい温もりも感じる。
それが、憎むべき恐喝魔だった。
間近で見ると、紛れもなく美少女だった。
思わずぽわーんと見とれてしまう自分に気付いて、クリスティーネは動揺した。
抱きかかえられたままだったなら、そのまま魅了されてしまっただろう。
だが、もう不覚を取らないと、クリスティーネはヤスラギ・ユメカに魔杖を向けた。




