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  Ch.1.10:美少女と、汚濁

「旦那、どうします? 奴を追いますか?」

「後でいい。領主案件だ。それよりこっちが先だ。流しの上物なら高値が付く」


 値踏みするような宿屋の主人の視線がユメカの足元から頭の先まで舐めるように上下する。

 ただ見られているだけなのに精神が汚染されるような汚らわしさにユメカは後退る。

 それが逆に屈服させて支配したい情欲の亡者を勢いづけてしまったようである。

 ぐへへへへっと、気色悪い笑い声が耳へと無断侵入してくる。

 早くこの場から退散すべきだった。

 耳を塞げないので、ユメカは歯を食いしばって心を防御する。

 それでも、脳が汚染されそうになる嫌悪感に耐えながら、言葉による対抗を決意する。


「大金積んでも、美少女は落札できないわよ」

「そう言って旬を逃しちゃあ、もったいない」


 宿屋の主人はそれでもヘラヘラと笑っている。

 用心棒二人も慢心した表情で一歩、踏み出してくる。

 それぞれベルトに、鞭と短剣を吊り下げている。

 もう一歩踏み出そうとして、ようやく用心棒は床板と壁の損傷に気付いたようで、二人はギョッとしたように足を止めた。通常では壊れない床と壁の状態に困惑した表情を見せたが、すぐに、都合のいい解釈をしたらしく歩を進めてくる。

 宿屋の主人だけが気付く様子もなく、ただ、気色悪い視線を向けてくる。怖気が走るほどに見つめられているのではなく、宿屋の主人の脳内妄想で視姦されているのだと思うと、気が狂いそうになるほど汚らわしい。

 警告の意を込めて、ユメカは左手を剣の鞘に添えた。


「お嬢さん、ケガはしたくないよね」

「それ、強迫?」

「人聞きの悪いことは言うでない。これは交渉だ。まずはワシと話をしよう」

「それなら、この二人に離れるように言いなさい」

「おおそうだったな。お前ら、少し下がれ」

「旦那、しかし――」

「分かってる。だが下手をして傷物にされたら困るだろう?」

「ですが旦那――」


 もう一人の用心棒が、割れて凹んだ壁に視線を向ける。

 ようやく宿屋の主人は部屋の損傷に気づいたようで、何か言いかけた口が開いたままになる。

 驚いたように目を見開いているが、すぐに計算を終えたようだった。勝利の方程式を見出したように宿屋の主人が打算の笑みを浮かべた。


「まずは、事実の確認をしようじゃあないか」

「そうね。誤解があるなら、解くのは必要だとあたしも思うわ。でも――」


 真実を聞き入れる気がありそうには見えず、ユメカは気を引き締める。

 戦って勝てる自信はあるが、人を斬らずに済ませる方法は難しい。

 批難すべきは、こんな面倒な事態を招いたトドロキだった。片が付いたらあとで必ず見つけ出して償わせてやると、ユメカは心の内で誓った。


「さて、この部屋のこの惨状だが、どういうことかな」

「見ての通りよ」

「その床と壁、壊したのはお嬢さんだね」

「違うわ。逃げたトドロキ・ハリケーンって男がやったのよ」

「ほう。トドロキ・ハリケーンというのは、さっき窓から逃げていった男のことでいいのかね」

「そうよ」

「そうか、そうか。だが、宿帳には違う名が書かれている」

「あいつが偽名を使ったのでしょうね」

「なら、お嬢さんの言った名が、本名というわけだ」

「本名かどうかは、知らないわ」

「とはいえ、名を知っている訳だ」

「だから?」


 そういう論法で来るのかと、ユメカは悟った。

 弁償のために体を売れとでも言うのだろうが、美少女は売り買いできないから希少で貴重なのだ。

 だが、宿屋の主人は会話に応じて臨機応変に論法を変えてくる。弁論に自信があるのだろうが、そういう相手は言葉では負けを認めたがらないのだ。

 ユメカは警戒した。


「お嬢さんはあの男を、大金貨一〇〇枚で買ったそうだね」

「はあ。面倒くさいなあ。違うと否定しておくけど、信じてくれる気、あるの?」


 買った男の行為の責任は買い主にあるという論法なのだろう。


「嘘はいかんよ。ワシはこの耳で確かに聞いたのだからな」

「盗み聞きなんて、いい趣味しているね」

「窓から入り込んで男を買いに来て、絡まり合って暴れられたんじゃ、他のお客から文句が来る。何事かと様子を見に来ただけだよ」

「そもそも、美少女は男あさりなんてしないの!」

「ふっふっふ。顔に似合わず嘘がうまいな。恥ずかしがらなくていいんだよ」

「ずいぶんと単細胞な推理ね」

「お嬢さんは、大胆そうでいてウブなのかな。ぐへへへへ」


 呆れるくらいに面白味のない会話にユメカは飽きてきた。


「事実を教えてあげるからしっかり聞きなさい。あたしはね、あいつがゴーレムに襲われているのを助けてやったから、その謝礼を受け取りに来たのよ」

「お嬢さんがゴーレムからあの男を助けた?」

 宿屋の主人は大げさな身振りで驚くと、二人の用心棒を交互に見た。

「ありえねえ」

「そんな細腕で振るうその細い剣でゴーレムを倒せる訳がねえ」

「笑い話にもならんね」


 言葉とは裏腹に、三人の男は声を上げて嗤った。

 嘲笑である。

 ただ、ユメカに怒りの感情は芽生えなかった。

 無理解は無知と無教養と無作法に類するからである。

 相手を見下すつもりでいて、この男たちは、自らの価値を貶めているのだ。


「別に、信じるか信じないかはあんたたち次第だけど、事実だから」

「ちなみに聞くが、そうだとすれば、その床はどうして壊れたんだね」

「あたしが渡した剣を、あいつが落としたのよ」

「つまり、あんたの剣が壊した訳だ」

「落としたのはあの男だから、あの男の責任だけどね」

「なら、壁は?」

「あの男がぶつかって壊したのよ」

「そいつが、勝手に壁に突っ込んで穴を開けたのか?」

「ゲスい顔がキモいから蹴ったら、あいつが自分で跳んでぶちあたったのよ」

「つまり、あんたが蹴って空けたんだな」


 宿屋の主人にとって、真偽はどうでもいいらしい。

 部屋を壊した罪悪感によって心を縛ろうというのだ。

 とは言え、会話の代わりに暴力に訴えられるよりはマシと思うしかない。

 ユメカは酒場での出来事を思い出してしていた。


「あんた大人のクズね。省略しすぎよ」

「まあ、ともかく原因と結果がはっきりしたところで、きっちりと払ってもらおう。金貨一〇枚は修理代にかかるって計算だ」

「やっぱりあたしには男運がないのね。また絡まれてしまったわ」

「なら、観念しな。お嬢さんはあの男に捨てられたんだ。代わりにお嬢さんが働いて稼ぐことだ。いい店を紹介するよ」

「はっはっはーっ。あたしを雇える店なんて、この世界のどこにもないのだ!」

「どういう自信だ、それは」

「なぜなら、あたしが絶対美少女ヤスラギ・ユメカだからよ!」


 揺るがない事実に圧倒されたように場が静まりかえる。

 強面の屈強な男二人でさえ、ぽかんと口を開けて動揺している。

 どうだ、と言うようにユメカは腕組みして見すえる。


「いやはや、驚いた。だがあんた、あの男の価値が、大金貨一〇〇枚って言っただろう」

「そもそも人に値段なんて付けられないから、大金貨一〇〇枚でも安いくらいよ」

「だったら、金貨一〇枚くらい、タダみたいなもんだろう」

「ぼろ宿のぼろ部屋の修理代としては、ぼったくりね」

「それなら、あんな冴えない男で大金貨一〇〇枚なら、ワシならいったいいくらで買ってもらえるんだろうなあ」

「処分料で大金貨一〇〇枚もらっても割に合わないわ」

「なんだと! どうしてそうなる」

「あたしは、あんたらをクズだと言ったよね」

「お嬢さん、どうも分かってないようだね。お前ら、少し指導をしてやりな」

「へっへっへ。手加減してやるから安心しな」


 屈強な男が指を鳴らしながら近付いてくる。


「脅し?」

「いやいや、調教だよ」

「なんだ。して欲しいなら言ってくれればいいのに」

「あ?」

「やはりな」


 宿主が下卑た笑みを浮かべた。


「色々してくれるってわけか」

「あたしがするのは、ただ一つ。教育的指導よ!」

「やはりお嬢さんには、どうやら調教が必要なようだ。おいお前等、そいつをとっつかまえてひん剝いて大人しくさせな。言葉で分からないヤツは、体に教え込んでやる」

「旦那、やっぱりそうなりやしたか」

「初めっからそう言ってくださいよ」

「いいねえ、そういうセリフを聞くと、あたしの正義が成敗しろと真っ赤に燃えて叫ぶわ!」


 ユメカは剣を抜く構えを見せる。

 体術に自信があるのか見くびられているのか、腰に下げた武器を持とうとしない用心棒の顔は、勝つ気満々だった。

 だが、ナメてくる相手は隙が大きいので制するのは楽になる。


「やれ」


 宿屋の主人の声を合図に、二人の用心棒が左右に分かれて襲ってくる。

 ユメカは低く構えて右から来る用心棒の懐に踏み込み、鳩尾を柄頭で突いた。

 もう一人が、背後から両腕を広げて掴みかかってくる。

 ユメカは体を回しながら、背後の用心棒の顎に跳び蹴りを入れた。

 一人が呻きながら床に崩れ落ち、もう一人はよろけて床に跪く。

 ドサッという音にカチャリという音が重なった。

 回し蹴りの反動で、ユメカのベルトに括り付けていた革袋が緩んで飛んでしまったのだ。

 運が悪く、宿屋の主人の近くに落ちてしまった。


「おや、落とし物だねえ」


 宿屋の主人が革袋を拾い上げると、金貨が触れ合う音が鳴る。

 袋の紐を解き中を見て粘つくような歪んだ笑みを満面に浮かべた。

 主人は革袋に手を突っ込み、取り出して数える。


「なんだ、持ってるじゃないか」

「人の物を勝手に拾わないでくれる?」

「――だが、金貨九枚か。一枚足りないな」

「多すぎるくらいよ」

「よく鳴く小娘だ。が、今なら金貨九枚にまけてやってもいい」

「それで大盤振る舞いのつもり?」

「破格だろう。この部屋の修理代にケガさせたそいつらの治療費が増えたのに、一枚減ったんだからな」

「はじめからふっかけておいて値引きしたと見せかける詐欺商法でしょうに」

「もうひとつ、おまけがつく」


 用心棒が簡単に床に倒されたことで、方針を変えたようである。

 高嶺の花たる美少女より、手元にある金貨に価値を見出したのだ。

 計算高いようだが、商売人としては利口なのだろう。


「へえ。一応聞いてあげるわ、言いたそうだから」

「賢い選択だ。この町から無事に出て行けるようになる」

「意味不明ね。あたしはあたしの意志で好きな時に出ていくだけよ。何の妨げも受けないわ」

「いいのかい。後悔するぞ」

「ゲスだなあ。今なら素直に返せば、赦してあげるわ」

「これはもう、こっちのもんだ」


 主人は金貨を一枚取り出すと、レロレロと舐めだした。


「うわあ、汚い!」

「ほれ、どうだ。これはもうワシのだ。ぜーんぶ、ワシのだ」


 他の金貨も出して、レロレロなめる。

 さらに、最後の一枚を出して、かじった。


「うわあ、最悪。ばっちい。汚染された」


 ユメカは愕然とした。

 薄汚い精神の薄汚れたオヤジの唾液と歯形が付いた金貨は、大幅に価値が下がったのだ。

 金貨を取り戻す意欲が急激に失せ、ユメカは肩を落とした。

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