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  Ch.1.9:美少女と、交渉


 ユメカはすぐに気を持ち直すと、サッとその手を掴んで捻る。

 トドロキの顔が苦痛に歪む。


 ギャー、イテテテテ。


「どんな怪獣の叫び声なんだ。まったく」


 情けないとユメカは手を放して距離を取った。


「ヒドいじゃないか」

「気安くあたしに触るな」

「触れなければ君を抱けない」

「はあ? なんであたしがあんたに抱かれるのよ」

「嫌だなあ、契約したじゃないか」

「そんな契約はしてないわよ」

「え? だって、やらせてくれるって」

「言ってない!」


 どこをどうすればそのワードが出てくるのかとユメカは呆れる。

 トドロキの妄想の世界で捏造されただけだろう。


「いやあ、すまない。勘違いだ。君がしてくれるんだったな。おれはマグロでいいのか?」

「どうやらあんたは、命がいらないようね」


 ユメカは剣を抜くと、切っ先をトドロキの首筋に突きつけてにらむ。

 トドロキは鈍感なのか間が抜けているのか、怯えもせずにニヤけた笑みを浮かべている。

 見せかけの脅しだと見抜かれているのかもしれない。

 変なヤツだがやはり只者ではないと、ユメカは悟った。


「どうか穏便に。でも君はするかと聞いただろう? 男女の間でするかしないかは一つしかないのが世界の常識だ」

「あんたの狭い常識を押し付けるんじゃないの!」

「それならオレは、なんの契約を結ばされたんだ?」

「ゴーレムから、あんたを助けてあげる契約よ!」

「いやあ、オレは別に窮地に陥っていた訳じゃあ――」


 ユメカは切っ先でトドロキの喉をチクリと突いた。


「あとからならどうとでも言えるわ」

「それは君にも言えるじゃあないかと、一応異議申し立てをする」

「なら、きちんと話をしましょう」

「交渉は大好物だ。特に性――」


 ユメカは思わず剣を少し突き出していた。

 トドロキが身を反らして倒れそうになる上体を後ろに回した両手で支えた。

 反射神経はいいようである。


「あたしが欲しいのはゴーレムから助けた報酬。対価はあんたの命の値段になるわ。さあ、いくらになる?」

「銅貨一枚くらいかな」

「ずいぶんと安く出るのね」


 予想外の低評価にユメカは気が引けて思わず剣も少し引いていた。

 自暴自棄なのか、自殺願望者なのだろうか。


「君の見積ならいくらだ?」

「そうねえ、最低でも大金貨一〇〇枚くらいかしら」

「よし、売った」

「は?」

「だから、オレは君の物だ」


 唐突に何を言い出すのかとユメカはトドロキに軽蔑のまなざしを向ける。

 すぐに意図を悟る。

 美少女だから側にいたいアピールなのだ。


「いらないわよ」

「いいや、売る」

「いらないから、おカネよこしなさいよ」

「ない!」

「冗談は抜きよ」

「マジもマジ、本気も本気。真面目で正直なオレを、もらってくれ」

「いらないわよ」

「そうかあ。君は心が広い」

「そうじゃなくて、さっさとおカネ払いなさいよ」

「今、いらないっていっただろう」


 世の中には真っ当な会話が成立しない相手がいるが、それがトドロキなのだとはっきりした。

 言葉の綾で誤魔化そうとするあくどい人間なのだ。

 加えて、目の前のむさ苦しい男は、性格は厚かましくて暑苦しい。


「勝手に脈絡を変えるんじゃない!」

「わかった。だがカネは馬車に隠してある。四〇秒で取ってくるからしばらく待っていてくれ」

「逃げるつもりでしょう?」

「オレ、ウソつかない。美少女には特に」

「なんのマネよ!」


 トドロキは軽薄な男のようだった。

 口先からウソとでまかせで世の中と女性を騙す極悪人の気質があるのだ。

 ユメカにとってこういう手合いは、敵になる。


 ドンドンドン。


 唐突にドアがノックされる音が響いた。

「お客さん、騒がしいがどうしたのかね」

 宿屋の主人のようだった。

 安普請の安宿だから、ドアも薄っぺらで、中の音も筒抜けだったのだ。

 話を聞かれたのなら厄介だと、ユメカは剣を突き付けている元凶の男をにらむ。

 トドロキはにやけた顔のまま肩をすくめた。


「いやあ、何でもないですよ」

「ドンドンバンバン響いてんだよ。改めさせてもらうよ」

「ああ、待ってくれ着替え中なんだ!」


 バーン。


 トドロキの懇願も虚しく、ドア押し破られた。

 屈強な男が二人、先に入ってきた。

 その後ろ、廊下に立っているのが宿屋の主人のようである。


「おや、これはこれは。女を連れ込んじゃいけないって、言いましたよね」


 宿屋の主人は下劣な笑い声をあげた。

 トドロキの首筋に剣を突き付けている状況を見ての言葉にしては奇妙である。

 ユメカは剣を収めて振り向いた。

 美少女として、男に連れ込まれたという誤解は、不名誉極まりないのだ。


「逆よ」

「おや。かわいいね、あんた」


 宿屋の主人は部屋に入ってこようとはしない。

 ドアを破って入ってきた用心棒らしい二人も、警戒しているようだった。


「美少女よ」

 いつものようにユメカは相手の認識を訂正する。

 かわいいだけじゃダメなのだ。


「で、あんた誰の所の娘だい?」

「あたしはあたし。誰のモノでもないわ」

「困ったねえ。流しはこの町じゃあ許されないんだよ」

「何の話かしら?」


 相手がどう誤解したか気付いていても、ユメカは知らぬフリをする。

 ユメカの基準では、春を売るのは美少女ではない。


「まあ、それは後だ、それより、おい――」

 主人の目配せで、二人の用心棒がトドロキの方に体を向ける。

「これだから余所者は困るんだよ」

「宿屋が余所者を嫌がったら商売にならないだろう」


 トドロキは鈍感力を極めているらしく、平然としている。

 屈強な用心棒二人を前にしての態度は、場数を踏んだ猛者のようでもあった。


「馴染みってえのがあるのさ。ちゃんとルールを守ってくれないと困るんだよ。いいところを紹介するって言いましたよねえ」

「断ったぜ、オレは」

「断っといて連れ込んじゃあ、いけないねえ、お客さん。ルール違反だ」


 ダン!


 ユメカは床を踏みならした。

 全員の注目がユメカに向いた。

「だ・か・ら、逆だって。あたしから来たのよ」


 宿屋の主人が嫌らしい笑みを浮かべた。


「そっちの方が大問題だ。あんた、どこから来た?」

「どこから来ようが、あたしの勝手よ」

「そうはいかないんだよ」


 宿屋の主人と用心棒二人の視線を受けながらユメカは、トドロキがヒョイと音もなく立ち上がるのを見た。


「長話はどうぞごゆっくり。それじゃあ、オレはこれで――」

「あっ」と声を上げるより早く、バンっと床を蹴ってトドロキが窓から飛び降りた。

「待ちなさい!」


 ユメカは追い掛けようと一歩踏み出すが、用心棒二人の素早い動きで行く手を塞がれた。

 用心棒二人は、なかなか手練れのようだった。

 二人は絶妙な間合いを保って立っている。


「邪魔よ、どきなさい」


 野蛮で屈強な用心棒二人と気色悪い笑みを浮かべる宿屋の主人。

 彼等に言葉は通じないようだった。

 厄介なことになったと、ユメカは思った。

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