Ch.1.8:美少女と、虚言
宿屋ニオコユティ。
酒場のマスターが教えてくれたその宿は、町の北側の外れにあった。
町の中心から離れているが、隣に厩舎を備えた宿は他にはなかった。
ユメカはそっと厩舎を覗き込んだ。
二頭の馬が草を食んでいる。
厩舎の隅には、大きな木箱を乗せたままの荷馬車もある。
「情報は正しいようね」
宿の入口に行きかけて、ユメカは足を止めた。
夜に宿泊客の男を訪ねるような行為は、美少女の流儀に反するのだ。
相手の勝手な憶測と誤解は放置するが、裏付けとなるような事実は残したくなかった。
それにトドロキ・ハリケーンというのはその場限りの偽名だろうから、宿帳にも別名を使う可能性が高い。その名の宿泊者を訪ねても、泊まっていないと言われるだけだろう。
そもそも、いそいそと会いに行く相手ではない。
「今のあたしは、取立て美少女なのだ!」
ユメカは向かいの建物の壁を確かめる。
足がかりを見定めるや、壁を足がかりに軽々と屋根に跳び乗った。
仮に人通りがあったとしても、そのあまりにも軽やかで素早い動き気付いた者はいなかっただろう。
「さあ、あいつはいるかな?」
宿屋は二階建て。
通りに面した二階の客室はガラス窓で、五部屋中三部屋から明かりが漏れている。
ランプのオレンジがかった光が揺れている。
「これはこれで、のぞき魔みたいだけど――」
ユメカは向かって右側の部屋から順番に確認する。
一人酒を飲む者、連れと何やらしている者、暗がりで蠢いている者など。
窓から明かりが見える最後の部屋、一番左側の角に、あの男の姿があった。
「よし、発見!」
トドロキに間違いない。
窓は開けられているので、蹴破る必要もなかった。
ユメカは髪をまとめてポニーテールにすると、跳んだ。
軽々と七メートルほどの道路を飛び越え、開いた窓から部屋に飛び込んだ。
「わあ!」
大声を上げてトドロキがベッドの上に倒れ込む。
安物のベッドが大きく軋む音を立てた。
長い前髪が脇に流れて覗いたひげ面は、思いの外童顔だった。
「待ったかしら?」
腰に手を当て、ユメカはベッドの上でだらしなく寝転ぶトドロキを見おろす。
「窓からお越しとは、驚いたね」
「用意はできてる?」
「いやあ、悪いねえ。美しい女性を招く段取りは、まだなんだ」
「美少女よ」
「失礼、美少女剣士ヤスラギ・ユメカ、だったっけ?」
ヒゲ面のくせにニヤニヤとイヤらしい笑みを浮かべている。
名前に文句があるならはっきりと言ったらどうだとユメカはにらむ。
「それにしても、秘密裏に押しかけてくるなんて、男冥利に尽きるぜ」
フン!
ユメカは鼻で嗤って腰に当てていた右手で、トドロキの顔を指さす。
「正面から堂々と訪ねなかった理由、分からない?」
「ここが連れ込み宿じゃないからだろう」
「違うわよ、トドロキ・ハリケーンって、偽名でしょう」
「いやあ、偽名というか仮というか、本当というか、ソウルネームというか」
「そう? まあどーでもいいわ。それより、早く終わらせましょう」
「せっかちだなあ。金を払うのはオレだぜ」
「思い出したけど、馬車から落ちた袋の中身、ガラクタだったわよ」
「へえ、そうなんだ」
「あなた、金貨だって言ったわよね。五〇〇枚入ってるって」
「ちょっとした勘違いだって言ったら、信じるか?」
「そうね。勘違いくらい、誰だってすることあるわね」
このウソつきめとユメカはにらむ。
「そういうこと。素直に信じてくれるなんて、嬉しいねえ」
「それで、今は持ってるの? 見せなさい」
「もちろんさ。だけど、馬車の荷台に置いてきたんだ」
「へえーっ」
鍵も掛けられない荷馬車の荷台に、貴重品を放置する訳はないのだ。
またウソをついたのだろう。
何かと理由を付け、踏み倒して小狡く卑怯にも逃亡しようという魂胆が見え透いている。
「取ってくるから、その前に君は、シャワーを浴びててくれ。汚れただろう」
「あら、親切ね」
「紳士なのさ」
「そうは見えないわよ」
身だしなみという点では、浮浪者に近い。
「男は中身で勝負だ。そんな訳で、その腰の物、預かっておくよ」
トドロキが指さしてきたのは、ユメカの剣だった。
言葉巧みに剣を外させ、有利な立場に立とうというのだ。
「気が利くのね」
「マメでマジメでおませさんだったのさ、生まれつき」
「なら、大切に持ってなさい」
ユメカは剣をベルトの留め具から外し、片手で持って差し出す。
「君を抱くように大切に預かるよ」
トドロキはベッドから降りると床に膝を突き、うやうやしく両手を差し出してくる。
ユメカはその手の上に剣を落とした。
「うげ!」
ドスン、という音と共に剣が床に落ちる。
剣は床板を割ってめり込んでいた。
「ひどいわね。あたしの大切な剣を落とすなんて」
剣の重さをアンカーにして、トドロキの手を床に挟んで捕らえようと思ったのだが、情けなくもトドロキは、一瞬も持たずに手を引っ込めてしまったのである。
初めから持つ気はなかったらしい。
大切に扱うという上辺の言葉も偽りだった。
ユメカはウソつきが嫌いである。
懲らしめるためにも、偽りだらけの男を捕らえる別の方法を考えなければならなかった。
「いやすまない。ちょっと手が滑って」
トドロキはしゃがんで両手を剣に添え持ち上げようとする。
が、持ち上げられない。
両足で床に踏ん張って、重量挙げの選手のように力んでも、びくともしない。
「あら、どうしたの?」
「どうやら最近腰を痛めてしまったようで、力が入らないんだ」
「使いすぎ?」
「いやいやそっちは、久しくご無沙汰でして」
持ち上げる代わりにトドロキの頭が土下座するように床に落ちる。
だが、トドロキの目的は違った。
顔を床に押し付けて見上げながら、ユメカの足の方へと近づけてくる。
スカートの中を覗こうというのだ。
ユメカは即座にトドロキのゲス顔を踏みつけた。
「おお、惜しい」
顔が歪むほどに踏みつけられながらも、トドロキはスカートの中を見ようとする根性はすさまじい。
どこにそんな力があるのか分からないが、踏みつけたユメカの足を持ち上げてくる。
情欲が生み出す力にユメカは呆れた。
だが、御神体は常に安全に隠されている。
とはいえ、絶対ガードは完璧でも、その行為を許容するほどユメカは寛容ではない。
さっと足をどけて下がりつつ、勢い余って仰け反るように体を上げたトドロキの横っ面へと、回し蹴りを喰らわせる。
クリティカルヒット。
ゲス男の首を刈るように脚が当たる。
トドロキはハリケーンのようにねじれながら勢いよく壁に飛んでいく。
ドバーン。
背中から壁に当たり壁板を割ってトドロキはめり込んだ。
蹴り終えた残心を保つユメカの太ももが、スリットを割って露わになる。
だがユメカは手応えに首を傾げた。
トドロキはまったくの無傷のようだった。
それどころか、ユメカの太ももにトドロキの視線が絡みつくように向けられてくる。
めり込んだ壁の中心を支点に時計の針のように、頭を下げはじめる。
頭が真下になっても諦めず、首を捻りながら奥へ奥へと視線の侵入を試みてくる。
やはりゲスな男だ。
気色悪いとユメカは足を下ろした。
「み、見え、ない――」
項垂れるように、トドロキは床に崩れ落ちた。
「見せないわよ」
軽々とユメカは剣を拾い上げ、ベルトのフックに戻した。
「それより、交渉よ」
「きゃ、華奢な体をしてるくせに、どんな怪力をしてるんだ」
「か弱い美少女に向かって怪力なんて、失礼ね!」
「どこがか弱いんだ。そのクソ重い剣は何なんだ」
「あたしの剣よ」
「そんなの分かってる」
「知りたい?」
「ああ」
「いくら払う?」
「情報には情報でどうだ?」
「どんな情報?」
「例えば魔王について、とか」
「へえ。何を知っているのかな?」
ユメカの知る魔王は伝説の存在でしかない。
北方の山奥に現れたという魔王が何者なのか、知りたいという好奇心はある。
ユメカが興味を示した途端、床に寝転がっていたトドロキが、起き上がり小法師のように上体を起こして胡座をかいた。
「それは教えられない。情報交換だからな。そっちが先だ」
「あたしと駆け引きするつもりなら、命張りなさい」
「こっちも商売だ。値踏みさせてもらう」
「いい度胸ね。それなら、契約しましょう。ウソついたら針千本飲まなくていいから、串刺しの刑にされるというのはどう?」
ウソつきの性根を突き刺して滅ぼしてやるとユメカはにらむ。
「いいねえ。君がウソをついたら、オレの聖なる槍を差し込めるわけだ」
ゲスな応えにユメカはムッとした。
「そう言うあんたがまたウソをつくなら、薔薇の世界に蹴落としてあげる。棘の串を堪能するといいわ」
「いやあ、それは願い下げなので正直ベースでオレは話そうじゃあないか」
トドロキの言葉の真偽をユメカは気にしない。
ゲスでウソつきなら、そういう人物だと確定するだけなのだ。
「いいわ。ならあたしからね。あたしの剣は、神剣グラビティーソードよ」
「は?」
「だから神剣グラビティーソードだって」
「へ?」
「耳が遠いのか!」
ユメカは床をドンと踏み鳴らした。
「いや、地獄耳っていわれるくらいいが、聞き間違いかと思うようなワードがでてきて驚いたのさ。神剣って、神様からもらった剣ってことでいいのか?」
「あのケチ神はなにもくれないわよ。だから奪ってきた、じゃなくて借りたのよ、未来永劫」
「未来永劫拝借するってのは、強奪じゃないか」
「そんなの、どーだっていいのよ。それより、あんたの番よ」
「まあ、しかたないか。この世界を支配しようという魔王は、泡の向こう側にいるぜ」
「泡? どういうこと、まずは地図を描きなさい」
「行きたいのか?」
「伝説のあの魔王になら、会って話をしたい」
「そいつは、魔王冥利に尽きるねえ。美少女に会いたいと想われてるなんて」
「違うわよ。ただ、本当の目的を知りたいだけだから」
「だったら、オレが案内してやるよ」
「本気?」
どういう魂胆か測りかねてユメカはトドロキの目を見る。
思いの外澄んだ目をしていると思うと、魅惑の魔法が掛けられる危険を感じて目を背けた。
「気が向いたら案内してもらうわ」
「なら、いよいよ本番か?」
唐突にトドロキは立ち上がると、肩に手を回してくる。
ユメカは不意を突かれ、ビクッと硬直した。




