Ch.1.7:美少女と、証人
大男は、テーブルをいくつか壊して転がった。
激しい物音が店内に鳴り響き、料理が乗っていた木皿が床に落ちる。
店内が、ざわめき、飲み客が血気付く。
壊れたテーブルにいた男達は、酔っ払いの割に素早く自分のジョッキを持って避難していた。
酒だけは死守するのが酒吞みの習性であるのだが、安全を確保するや酒を喉に流し込む様は端から見れば滑稽である。
しかも、享楽に落ちた無責な酔っ払い連中は、座興を喜び囃し立ててくる。
「おいおい、灰かぶりの騎士さんよぉ、なにやってんだ?」
「ちょっと飲み過ぎただけだ。問題ない」
大男はよろよろと立ち上がると、大歓声に後押しされて戻ってくる。
周囲からは「やっちまえ」「押し倒せ」「ひん剝け」などと下卑た声が上がる。
この店に集う飲んだくれの男たちの品性と素姓がよくわかる声援だった。
初めて遭遇した状況ではないのでユメカに耐性はあるが、いい気分はしない。
必然の感情として少しムカつくし、攻撃性が目覚めてしまう。
「外野は黙ってなさい」
「おお、かわいこちゃんがご立腹だぜ」
げーへっへっへ。ひゃーはっは。と耳障りな嘲笑が鬱陶しい。
ユメカは目つきを険しくして、大男を睨み付ける。
「あんたも、あいつらと同類?」
「心外だな。あいつらは、この町のクズだぜ」
「てめーだって、クズ鉄だろうが」
「お前ら、また殴られたいか?」
「おー恐」
「黙ってろ、クズども」
大男が威嚇すると、外野は少し静かになった。
「それで、あんた、あたしに何の用?」
「教えてやろう、お嬢さん。領主様への悪口は、不敬罪になる。その罪人を突き出せば報償が出る、という仕組みがあるのだよ」
ニヤリと大男が意味深な笑みを浮かべた。
「だから?」
ユメカは左手で剣の鞘を持って、前に引き寄せて見せる。
威嚇であり警告のためである。
「ああ? 抜くのか?」
「抜かないわよ」
「なら、代わりにナニしてくれるんだ?」
野卑た笑いが店内に響く。
右手で髪をかきあげ、ユメカは大男に侮蔑の視線を向ける。
「あたしの剣、持って振り回せたら謝ってあげる」
ユメカは左手で鞘に収めた剣を持ち上げ、金具をカチャリと鳴らす。
「お嬢さん、おちょくっちゃあいけない」
「あら、自信満々ね」
鞘のフックを外し、ユメカは鞘を持つ左手を差し出す。
「平和的な解決ってワケだろうが、そっちの奴らの酒と肴を台無しにしちまった分の償いはどうする?」
「あんたが、酔っ払ってよろけてしたことなんて、あたしに関係ないわ」
「そりゃそうだ」
観衆の誰かが叫んだ。
「うるせー!」
外野の茶化しに大男が怒鳴ると静まりかえる。
「野蛮ね」
「剣を向けてくるお嬢さんも、同類だろう」
「あいにくとあたしは美少女だから同類にはなれないわ。でもね、力による解決って、結局そうなるのでしょう? 男の人って」
「分かっていて挑むとは、いい度胸だ」
大男は右手一本でユメカの差し出した剣を鞘ごとむんずと掴む。
腕の筋肉が膨らむのが分かる。
力自慢の大男は、鞘ごとユメカを持ち上げようとしたのだ。
だがユメカはそれを認めない。
「いいわね。放すわよ」
「ああ」
ユメカがゆっくりと力を抜いていくと、男の表情に焦りが浮かぶ。
「お、おい」
「なに?」
ユメカは指を人差し指を外す。大男の額に汗が浮かぶ。
次いで中指を外す。
大男が地面に足を踏ん張り、さらに左手を添えた。
「もう放すけどいい?」
「いや、待ってくれ」
「あら、どうしたの?」
挑発するようにユメカはニヤリと笑みを向ける。
「この辺りで手打ちにしようじゃないか」
「なぜ?」
「持てて当たり前の勝ちが見えた勝負だ。なのにお嬢さんのような美少女に挑んだとあっては、名が廃るってものだ」
「廃れるほど名を上げているの?」
「ほどほどにな。それに、酒のせいでお嬢さんがなんと言ったか忘れちまった」
「本当に、お酒って便利ね」
「ああ、そうなんだ」
「まあ、いいわ」
ユメカは鞘を握り締めると、大男が手を放したので、腰のフックに戻した。
大男は息を吐き出し、額の汗を腕で拭う。
「なら、カネの亡者の税金というのは?」
「酒の席だ。何を聞いたか忘れちまったからな。そうだろう、みんな」
困惑のざわめきが店内に漂う。
「お前等も、何も聞かなかったよなあ?」
「あ、ああ」
大男が凄むと、視線を逸らして他の客はテーブルの仲間に視線を戻した。
酒場の中では威張れるくらいに、横暴な暴力を奮って勝ち取った権力を維持できているようだった。
「さてマスター、お釣のことだけど――」
「ですがお嬢さん、金貨に釣りを出しちゃあ、今日は店じまいになる」
釣り銭切れになるということだろう。
「だったら、あんたが代わりに払いなさいよ。あたしに時間を浪費させたんだから」
「ダメだね、そいつにはツケが溜まっている」
「悪いな、お嬢さん」
大男は悪びれずに豪快に笑った。
「それで誰かを領主に突き出して、報奨金をもらおうとしてたの?」
「その通りだ。がーはっはっは」
「最低ね、あんた」
「そういう役回りでね」
「まあ、いいわ。それなら先払いにするわ。次に来た分の」
「このマスターにそんな約束通じないぜ」
大男がヒッヒッヒとイヤらしい笑い声をあげる。
「あら、アドバイスしてくれるなんて、親切ね」
「美少女を騙したと噂が立てば、格好が付かねえ」
「じゃあ、あんたが証人になりなさい」
「本気か?」
「あたしが本気かどうかなんてどーだっていいのよ。あなたが証人になるかならなないかだけの話だから」
「分かった。なるよ」
「じゃ、あたしは用事があるから、帰るわ」
「お、おう。だが本当に俺でいいのか?」
「いいか悪いかは、あんた次第よ」
美少女に嘘をついたという噂が立つのを嫌うか、あるいは、証人になるという自分の言葉を忘れてウソつきとなるか、という話である。
ユメカは大男の目を見る。
性根が悪に染まっているようには見えなかった。
「分かった、俺が証人だ」
「そう。じゃ、そういうことで」
ユメカは店を出た。
酒臭さにもう耐えきれなくなっていたという理由もある。
「さて、ニオコユティだっけ?」
酒場のマスターが教えてくれた宿屋へとユメカは向かった。
*
酒場に残された大男は、大きなため息を吐き、カウンターの席に座った。
「あのお嬢さんと同じ物を」
「酒ではなく?」
「ああ」
出されたブラック炭サーン陰月リモネン入りのジョッキを手にする。
その手は震えていた。
「おや、ビビってしまったので?」
「まるで一生分の力を使ったようだったぜ」
「へえ――?」
マスターが疑惑の目を向ける。
「あのお嬢さんは、化け物だ」
「それ、次にお嬢さんが来たら伝えておきます」
「おい、止めてくれ。俺の身が危ない」
「なら、私がちょろまかしても秘密ということで、いいですか」
「俺にも少し分けろよ」
「でしたら、それは驕りに致しましょう」
「ふ。セコいな。だが、仕方ない」
くっくっく。
悪巧みを共有する笑いが密かにカウンターを向き合えって交わされた。
呼応するように、ガタガタとカウンターの上のグラスが揺れる。
「旦那、まだ奮えてるんで?」
「いや、違うぞ」
地面から何やら振動が伝わってきているようだった。
「地震ですかね?」
「そうらしい」
腑抜けていた大男の表情が、引き締まっていた。




