Ch.4.49:屈服の、魔導師
ジョンが瓦礫の上から見下ろしていた。
下で横たわるディリアは、痩せ細った腕で体を起こそうとしている。
腕を震わせながらようやく体を起こし、ローブの中に手を入れまさぐった。
「く、このままでは終われん」
ディリアは悪あがきをするつもりのようだった。
ローブの内側から魔石を取り出し、台座を回した。
だが、何も起きない。
真顔で焦って驚く間抜けなディリアの顔を、ジョンが見つめている。
「な、なぜだ。【常闇の根底】が発動しないとは、なぜだ――」
「残念だったな」
「お、お前は駄犬のジョン?」
ザザザザーッ。
瓦礫を滑り降りるとジョンは、ペシッとディリアの頭をはたいた。
「言っただろう。オレを駄犬と呼んでいいのは、ユメカだけだって」
「ふん。忘れたな。それより、何をした?」
「あんたが丹精込めて作っただろう自暴自棄魔術の仕掛けを、壊した」
ディリアは大きく目を見開いた。
驚愕の事実だと言わんばかりである。
それだけ発見されない、発見されても壊されない、自信のある仕掛けだったのだろう。
「貴様、何者だ」
「便利屋エブリシン・オルオケじゃあ、不満か?」
「何年も前から聞く名だ。屋号か? それとも何代も続いているのかな」
「あるいはずっと同一人物、という選択肢はないのか?」
「まさか――」
冗談だと言うように、ジョンが笑い捨てた。
「そんなことより、ボーロンという名を知ってるか?」
「禁句の名か? 伝説でしか知らぬが、数千年前に現れたという、異界の魔王だな」
「ちげーよ、全次元の魔王だ」
「――まさかお前が?」
「そうだと言えば、納得してくれるのか?」
不意にディリアの視線が背後に向かって逸れた。
釣られてジョンが振り返る。
瓦礫の上に白のローブを纏った老人が立っていた。
マーリャ・バイパである。
「なんだ、大師匠でしたか――」
ディリアが呟いた声は、すべてを納得したような諦めの雰囲気に包まれていた。
ジョンは不満げな顔を見せた。
「オレは犬であって狐じゃないんだが――」
「久しぶりじゃというのに、今度は犬になるとは。滑稽じゃのう」
「仕方ないだろう。そうなっちまったんだから」
二人の口ぶりは、旧来からの知己を得ているようだった。
笑みを浮かべ合う二人に、ディリアは恨めしそうな目を向けている。
その視線に気づいたのか、マーリャがディリアを見た。
「残念だよディリア、このような事態を招くとは」
「大師匠よ。私はここで、魔導の研究開発をしていただけでしかない。なのに人間どもが勝手に私を魔王呼ばわりして一方的に攻撃してきたのだ。何度も何度も何度も、繰り返してきおった。だから私は、それをことごとく殲滅したに過ぎん。悪いのはクズ人間どもだよ」
ディリアは吐き捨てるように言葉を投げ捨てると、牙を剥き出すように歯を食いしばる。
「それがどうして、アマタイカ王国の王宮魔導師になるんだ?」
ディリアは鋭い怒気を含んだ目で、ジョンを睨んだ。
「なぜそれをお前に教えてやらねばならぬのだ」
「ディリアよ、手の込んだ自作自演をした理由を、儂も知りたい」
マーリャの言葉に口を噤むと、諦めたようにディリアは再び語り出す。
「愚かな人間がやらかしたことが原因だ。私はただ、魔導でより高みに至るために研鑽を続けたかっただけなのだ。だから、恭順を示した者を選別し優秀な者に力を与えた。私が復活させた、失われた秘術によってな」
「それが魔人化か。よくやるぜ」
「そうだ。人を越えた力を与えた魔人にアミュング国を治めさせると、研究の邪魔をする者は現れなくなった。それは良かった。だが奴らは勝手に版図を広げていった。南方平原まで攻め込み、恭順させてしまったのだ。私はそれ以上の侵攻を禁じたのだが、ワクービという男が勝手にアマタイカ王国に攻め込んでしまった」
「力を得た奴の暴走だな」
「その通りだ便利屋。だから私はアマタイカ王国へ行き、魔人率いる部隊を撃退した。そして王宮魔導師の地位を手に入れた私は、戦力の均衡を保つ方法を考えたのだ」
「嫌いなクズ人間に肩入れして守ってやったのか?」
「違うぞ便利屋。クリスティーネがいるアマタイカ王国を戦場にされては困るからだよ」
「なるほどねえ。それで南方平原を緩衝地帯にしようとしたのか」
「そうだ。イムスタ王子と利害が一致した。だが、王子は勝手に大公暗殺を企て、勝手に身を滅ぼしてしまった」
「そいつは自業自得だ」
「その通りだが、計画が狂った。やはり人間など、信じてはいけないのだと悟ったよ」
「それで、ユメカを魔王に仕立てようとしたのはなんでだ?」
「愚問だな便利屋。クリスティーネを守るためだ」
「どこが守るためだ。さんざん苦しめたくせに」
「敵でも人を殺すなと言う教えは身を滅ぼすことに繋がる。だからヤスラギ・ユメカは排除しなければならなかったのだ。分かるかね?」
「だからって聖騎士を皆殺しにするなよ。しかもユメカに罪を着せるのは酷すぎる」
「アダセンが話したのか? 口の軽い奴め。だが聖騎士によるヤスラギ・ユメカ暗殺計画があったのを、利用しただけだ。想定外だったのは聖騎士が弱すぎたことだな。いずれにせよ、他国で勝手に振る舞う聖騎士は、排除されて当然なのだよ。私は有効に活用しただけだ」
「クリスティーネを刺したのもあんただろう」
「クリスティーネの呪縛を解くためだ。ヤスラギ・ユメカが聖騎士を惨殺し、クリスティーネを刺したと知れば、目が覚めるはずだったのだ」
「それはクリスティーネに対しての、決定的な裏切り行為だ」
「違うな。クリスティーネを救うためだ」
「クリスティーネの心を殺してもか?」
「クリスティーネの誤った心を消し去るだけだ」
「戦場に連れだして人を殺さざるを得ない状況に追い込むというのも、そうだと言うのか? 人として、師匠として、それが正しい行いなのか?」
「当然だ。躊躇なく敵を討てなければ、いずれクリスティーネが死ぬことになる」
「歪んだ愛情だな」
「お前にはこの正しさが分からないのだよ」
「だが、あんたは失敗した」
「お前が余計なことをしたからでもある」
「買いかぶりだ」
「いいや。お前を警戒したのは正しかった。あの結界を破って出てきた現実が物語っている。大師匠とも知り合いのようだし。ますますお前の正体が知りたくなる」
「オレじゃねえよ。エナが結界を破ってくれたんだ」
「あのシーラ・デ・エナか? 聖騎士ごときの剣で破れる結界ではないはずだ。よもや聖言教の神が本当にいるとでも言うのかな?」
「どうだろうな。だが、あんたがクリスティーネを連れて行った後、魔人に命じて湖上の砦に残る兵士を全滅させようとしたのは事実だろう?」
「結果として判断は正しかった。人間はクズだ。使えぬ人間など邪魔だけでしかない。誰もが私に力を求めるが、力を得ては裏切る。理不尽な話だ。アダセンらにも、伯爵の騎士を廃業したのを拾ってやっただけでなく、力を与えたのだぞ私は。なのに裏切った。そうなる前に殺してしまおうという私の判断は、正しかったのだ」
「逆だぜ。森で皆殺しにしたはずの聖騎士の生き残りに救われたんだ。恩を感じてアダセンが事実を語るというのは、ある意味人間として正しい行動だろう? それに、初めから捨て駒にする気満々だったろう。要するにあんたには、人に秘密を守らせるだけの人望がなかったのさ」
「人望などと言うきれいごとを持ち出して私を貶めるな。これは信義の問題だ」
「なら、忠義の問題だ。白の騎士が第二王子を連れてきた。アダセンがあんたと王子のどちらを選ぶかなんて、簡単だろう」
「御託はいらぬ。約束を違えたのは事実だ」
「なるほどねえ。裏切りは良くないと言うんだな」
「当然だ」
「だが、あんたがクリスティーネを騙したのも、裏切りだぜ」
「私の教えを破り私を裏切ったのは、クリスティーネが先だ」
「まだ幼い弟子に対して言う言葉か?」
「当然だ。弟子ならば、師匠である私に対して従順であれば良かったのだ」
「それは奴隷だ」
「違う。悪しき思想から守るためだ。だが、結局このざまだ。悪によって理想世界の構築は阻まれた。嗤うがいい、悪しき者共よ」
「笑えねえ冗談だ」
ジョンがため息を吐き、背後を見上げる。
マーリャはゆっくりと瓦礫の山を降りてくる。
「あと百年ばかし耐えれば、お前の大願は、叶えられたじゃろうに」
「聖獣オケニークがいれば、道を間違えてもやり直せるはずだった」
「そんな都合のいいことある訳なかろう」
「ある。真理を悟ったのだ」
「その結果がこれか」
「クリスティーネと子をなせば、新たな世界が開かれるのだ。そのために私は最強の魔導師にならなくてはならなかったのだよ」
「それが真理だと?」
「私は人としての幸せを捨て、魔導師になった。だが、本来あるべき人の幸せの道を辿らなければ、理想世界へは至れないという真理なのだ」
「誰から聞いた?」
「真理を解く者だよ。事実、その者の教えの通り魔法を使うと、私の魔法は格段に強くなった」
「理人の悪魔め」
「悪魔? 私がか?」
「いや、何でもない。気にするな。それより、老い先短いあんただがどう生きるかが問題だ」
「殺さないのか?」
「死にたきゃ、自分で自分を殺せよ。オレは止めないぜ」
「このように、自分で立てぬ体のまま、見せしめか?」
「知らねーよ。だが、それが真実の姿だ。魔力で延命してきた誤魔化しが消えただけだ」
「このような姿、偽りだ。私は永遠を手に入れたのだ」
「永遠なんて、幻だぜ。それより、ゴーレムの残骸があったから、そいつに介助してもらえば動けるさ、がんばりな」
ジョンは立ち上がると、ディリアに背を向けて歩き出した。
ディリアは縋るようにマーリャを見ている。
「さらばだ、我が弟子ディリアシャス・イディルザリィ」
マーリャも背を向けて去って行く。
見捨てられた子犬のような目で、ディリアはその後ろ姿を茫然と見送っていた。
マーリャは大股で歩いてジョンに並んだ。
「ところでお前さんは、その嗅覚で、夢の香りを嗅ぎつけたのかな?」
立ち止まってジョンは振り向く。
「ちげーよ。これぞ運命の出会い、おおマイハニーって感じだ」
「何度そんなセリフを聞いたことか」
ジョンは頭を掻いて笑みを浮かべ、歩き出す。
マーリャがその隣を歩く。
「それより、あんたは何しに来たんだ?」
「ちょいとほつれた糸を繕いにな」
「まったく、惚けたジジイだ」
「お前さんに言われたくないわい」
「嬉しいくせに。照れるなよ」
「照れとらんわ。それより、お前さんの目的はなんじゃ」
「ユメカの力の秘密を暴こうと思ってな」
「暴いてどうするんだ?」
「オレのモノにする」
「強欲だな、だがそれでこそボー」
「おおっと、マーリャ。耳のいい子が外にいるって知ってるだろう?」
「知っておるよ、生まれた時からのぉ」
唐突にジョンは立ち止まってマーリャを睨んだ。
が、すぐに耳に手を当て出口の方に顔を向ける。
「やや、マイハニーが呼んでるぜ」
ジョンは外へと駆け出していく。
「はあ、情けない男に成り下がったのお。じゃが、いいことだ」
マーリャがため息交じりに呟く声が静けさに消え入った。




