Ch.4.48:訣別と、美少女
ユメカはクリスティーネと共に瓦礫を登り、反対側を覗く。
クリスティーネが息をのんだのが分かる。
痩せこけた老人が仰向けに倒れている。
黒かったローブは色あせて灰色になり、黒々としていた髪も白くなっている。
変わり果てた姿だった。
瓦礫を落とさないように慎重に下りて近づく。
ディリアの目は、焦点が定まらずに虚空をさ迷っていた。
繋いでいた手を、クリスティーネが強く握り締めてくる。
その横顔は強ばっている。
ディリアは、ひとことで言えば哀れで死にそうな老人にしか見えない。
さっきまで受けてきた仕打ちを怒りで返すのは、あまりにも愚かだと思えるだろう。
複雑な感情と戦うクリスティーネを勇気づけるために、ユメカは強く握り返す。
クリスティーネは小さくうなずき、心を定めるように目を閉じ深く息を吐き出す。
深部の溶岩のようにどろりとたぎる怒りの熱量が急激に冷え固まり、不純物となって心の外に追いやっていくようだった。
「お師匠様?」
澄んだ声が玉座の間に響く。
ディリアはようやく自我を取り戻したように、目の焦点が合った。
「クリスティーネか? まだ師匠と呼んでくれるのかね?」
「わたくしに魔術と魔法のすべてを教えてくださったのは、お師匠様ですから」
「ふふ、哀れだなあ、私は」
しゃがれた声が惨めさを纏う。
さっきまでのような朗々とした韻は失われている。
だが、それを嘆くのは違うとユメカは思う。
「魔人になっても人に戻れて、まだ生きているんだから十分に幸せじゃない」
「くっくっく。面白い少女だ」
「美少女よ!」
ディリアは乾いた笑いを浮かべた。
自嘲しているようだった。
「美少女剣士ヤスラギ・ユメカとは、何者なのかね」
「言葉の通り、美少女剣士ヤスラギ・ユメカよ」
「燃える炎の髪を持つという魔女の伝説があったな――」
「あたしの髪、燃えてるように見える?」
「いや、見えぬな――」
「それより、あんたが魔王になった経緯とか、あたしを悪魔扱いした理由とか、洗いざらい話しなさいよ」
「長くなる」
ユメカは黙ってうなずいた。
優先事項はそこではない。
ディリアがクリスティーネに謝るのが、先なのだ。
プライドが高い人だから、すぐに過ちを認めて謝罪することはないだろう。
経緯を聞いたのも、客観的に振り返れば過ちに気付くと期待したからである。
遠回しに拒絶するなら、まだその時ではないのだろう。
「――なら後でゆっくり聞くことにするわ」
「殺さないのか、私を」
「あたしに殺す気があるなら、とっくに殺してるわよ」
「その余裕、あとで後悔するぞ」
「しないわよ。あんたはもう魔導師じゃないから」
「なに?」
「あんたの適性を奪ったわ。外世界の魔力と感応する要素を絶ち斬ったの」
ディリアは驚いたように目を見開き、手を顔の前に上げた。
細くやつれた自分の手を眺めている。
フッと引きつった笑みを見せた。
「なんと、無様な」
「そう? でも幸福と思うこともできるわ」
「このまま無力な人間として生きろと?」
「普通の人間として生涯を終えなさい。最後は平凡な人生の終着を向かえるの」
「それが温情か? 自ら手を下さず、放置して殺す訳か」
「それが自然な人生よ」
「魔力を奪われ、若さと永命の法を失い、人々の憎しみを受けながら、生き恥をさらして苦悶の末に朽ち果てろと?」
随分と悲観的な人生観を持っているようである。
ユメカは腰に手を当て、諭すようにディリアを見る。
「そう思うかも知れないけど、あなたがきちんと生きようとすれば、小さな幸せを感じながら寿命まで生き続けられる余地はあるのよ。生きるか死ぬかは、あなた次第よ」
「残酷な少女だ」
「違うわ。あたしは、正義の美少女剣士ヤスラギ・ユメカよ」
行こうとクリスティーネの手を引いた。
長い人生を回顧するには、一度ひとりで過ごす時間が必要なのかもしれない。
「ではお師匠様、ご指導ありがとうございました」
クリスティーネがディリアに背を向けた。
ユメカはクリスティーネの手をしっかりと握り締め、歩調を合わせる。
ゆっくりと、玉座の間の外へと向かって歩く。
慕ってきた師匠との関係を心の中で区切りを付ける時間も必要になる。
半ばまで進むと、うずくまっていたゴルデネツァイトが立ち上がった。
寝ていたとは、物怖じしない子のようである。
ふと、ジョンの姿がないのにユメカは気づいた。
見回すと、床や壁を叩いたり押したりしている姿を見つけた。
まるで隠し財宝を漁っているようだった。
誰かに似ていると思った瞬間、マーリャがどこかに行ったのを思い出した。
マーリャのことだから、地下の隠しダンジョンでも見つけてさ迷っているのだろう。
当面放置と決定し、ゴルデネツァイトの側まで近づく。
前よりも一回り大きくなったようだった。
甘えるように顔を近づけてくる。
クリスティーネが鼻筋を撫でると、嬉しそうに目を細めている。
しばらく撫でてもらって満足したのか、ゴルデネツァイトが背中を向けてきた。
クリスティーネに手を引かれて、その意味が分かった。
「あたしも乗っていいの?」
「ゴルデネツァイトはいいと言っています」
「わあ、ありがとうゴルデネちゃん。あたし乗ってみたかったんだ」
ユメカがゴルデネツァイトに跨がると、クリスティーネが後ろに乗った。
「黒クリちゃん、後ろだと前が見えないよ」
「はい。わたくしは今、こうしていたいのです」
クリスティーネは腰に手を回してくると、ぎゅーっと強く抱きつかれた。
心の傷の痛みが伝わってくるようだった。
信じていた師匠に騙されていたと知った悲しみと、裏切られたと思い込まされて逆に裏切った悔恨の苦しみが混在しているのだ。
それでも、クリスティーネの温もりを感じると信頼を受け取ったようで、ユメカの心は熱くなる。
「そっか。じゃあ、行くよ」
ユメカがゴルデネツァイトの首筋を撫でると走り出した。
ふと、飾り羽根が一本、首筋から生えて駆ける度に揺れるのに気づいた。
ユメカはちょんと指先で触れた。
「おしゃれじゃない、ゴルデネちゃん」
嬉しそうな声を発して、ゴルデネツァイトが玉座の間から玄関へと向かう。
魔王城の外に出る。
世界は輝いて見える。
高原を見渡して立ち尽くしているエナの姿を見付け、その脇に並んだ。
「わ! 魔獣?」
エナが大きく飛び退いて、聖剣を抜こうとする。
「違うわよ。聖獣のゴルデネちゃんだよ」
「あ、そうですか。それならいいのですが――」
エナは咳払いして身を正した。
「それよりあなたの力はなんなのです?」
「どういう意味?」
「わたしの聖剣ですが、あなたが研いだ側が、ものすごく斬れるようになったのですよ!」
「そりゃあ、研いだからでしょう」
研ぐ前と研いだ後では、後の方が斬れ味がいいのは当たり前である。
不思議なことを言うのが、エナらしい。
「まあいいわ、その件は。ですが、魔王城に入る前はうじゃうじゃいた魔獣が、すべてキレイに消え去っているのです。死骸も消えてしまったのですよ」
「当然よ」
「あなた、何をしたの?」
「魔王城のボスを倒したから、ボスの影響を受けていた魔獣も魔物も、光になって消え去るのよ。それが普通なんだから」
「あなたの常識は、世の中の非常識のようですね」
「どっちがいいの?」
「どっちとは?」
「魔王を倒した後に、魔獣がわさわさ残っているのと、キレイさっぱり消えているのと」
「それは、いない方がいいですけど」
「だったら、いいじゃない」
「そういう理由なのですか?」
「理由なんてどーでもいいのよ。それより、魔王は魔王じゃなかったと分かったから、これで平和になればいいんだけどね」
「はあ。色々とよく分からないままですが、わたし、あなたには負けました」
エナが肩を落とす。
「そんなのどーだっていいよ」
「ですがオネーサマは最強です」
ユメカは頷いて、高原を見渡す。
遠く歩いてくるイーブの姿が見えた。
肩車されているのは、サヒダ王子だった。
手を振っているのに気づいて、手を振り返す。
その後ろには元伯爵騎士の姿もある。
事情は分からないが、見知った人が無事なのは、ユメカにとって嬉しいことである。
「とにかく、あたしの勝利だ。わーはっはっは――っ」
高原にユメカの笑い声が響いた。




