Ch.4.47:泡沫の夢の光
「まったく、なんなのでしょう」
聖騎士シーラ・デ・エナは、魔王城の外に向かう廊下を歩いていた。
歩みは遅い。
人生で初めて迷いに悩まされているからである。
ヤスラギ・ユメカの正体が、分からなくなった。
悪しき力によって変貌を遂げた魔王を、元の人間の姿に戻してしまったからである。
神が起こす奇跡としか思えなかった。
神の御使いなのかもしれないというのは、否定したい結論だった。
「ありえません」
矛盾しているのだ。
目撃した現実と、前に頭の中でゴッドが悪魔と断定した事実は、相反している。
手を組んで神に祈りを捧げても、声は聞こえなかった。
頭の中でゴッドが囁いてくれないから、矛盾する事実に答えを出せずにいる。
「疲れているせいだ」
緊張が解けたせいか疲れが出て、体がすごく重い。
神の試練を乗り越えてイギャカ山の山頂に辿り着いてから、ほとんど休んでいない。
湖上の砦で魔人と戦った。
魔王城まで夜通し走り続けた。
魔王城を守る魔獣や魔人と戦った。
そして、魔王に一撃喰らわせた。
疲れていないはずがなかった。
「身を清めてから、神様に祈ろう」
そうすれば、神様の示唆があるはずなのだ。
何が真実か明らかになるだろう。
「あっ!」
エナは足を速めた。
迷う心を振り払い、エナは聖剣を持つ手に力を入れた。
まだ外には、魔獣の生き残りがいるはずだった。
「イーブ様は?」
無事なのかと疲れた体を押して、エナは走った。
魔王城の外に出る。
太陽は高い位置にある。
眩しさに額の上に手を置いて庇を作る。
高原を見渡して、愕然とした。
「うそ――」
目の前の現実を、エナはすぐには受け入れられなかった。
魔獣は一匹も見当たらなかったのだ。
魔王城に入る前に倒したはずの死骸も消えている。
ただ、崩れ落ちた石が積み重なった山がいくつかあるだけである。
別の場所に出たのかとさえ思った。
だが、間違いなく、さっき魔人を倒した高原である。
同行者の四人がそこにいたからである。
無事な姿にほっとしたが、ありえない現実を受け入れるしかなかった。
直接斬った相手だけでなく、周囲のあらゆる悪しき存在を光に換えて消し去ったのだ。
「呆れた人ですね。ヤスラギ・ユメカ――」
聖剣を鞘に収めるとエナは、ただイーブたちが無事でいる現実を、喜んだ。
**
イーブは左脇に抱えていたサヒダを、そっと地面に降ろした。
魔王城の周囲から、すべての魔獣が消え去ったのだ。
それだけではない。
倒した死骸も消え去った。
こうした現象を見るのは二度目である。
死なずに済んだと実感すると気が抜けてしまい、座り込み剣を地べたに置く。
剣の力も使い切り、体力も使い切っていた。
不安そうにサヒダが顔を覗き込んでくる。
「イーブ?」
「ユメカ殿が勝ちましたよ、殿下」
確信を持ってイーブは、サヒダを見つめる。
幼心に気を遣わせてしまったと反省し、微笑む。
サヒダが輝くような笑顔を見せた。
ああ、良かった。
イーブは心から思った。
アヤガの願いであり、ユメカの頼みであった。
では自分はどうなのかと、こうして至った今この現実を受け止めて振り返る。
間違いなく、自分も望んでいた結果の一つだった。
最善ではないが、最悪でもない。
どちからといえば、いい結果だと言える。
何度も誤った選択を繰り返したと悔いたが、死力を尽くして突き進んだ結果、どうにか望みは繋がった。
一人だけの力ではない。
様々な人知を越えた巡り合わせによって紡がれた今である。
天の采配としか言いようがない。
「イーブ――」
サヒダの小さい手が伸びて、頬に触れてきた。
どうしたのかと思ったが、泣いている自分に気づいた。
自然と涙がこぼれ落ちていたのを、サヒダが心配してくれたのだ。
優しい子である。
アヤガとあの世で再会するという想いは、当分先送りになる。
愛した者の願いが紡がれる先はまだ遠いのだ。
「さて、ユメカ殿に会いに行きましょう」
涙を拭うと、剣を拾って鞘に収め立ち上がる。
見上げてくるサヒダの脇の下に手を入れて持ち上げて肩車をする。
魔王城へ向かって踏み出す。
これまでの道筋を想い、一歩を踏みしめる。
そしてこの先の道筋を想い描く。
真っ白に輝く未知の世界へと続く一筋の道は、どこを目指すのか。
まだ決まっていない。
魔王城から輝く黄金の髪を風にそよがせる少女が姿を見せた。
イーブはエナの無事を喜び、手を振った。
***
サヒダは後悔していた。
ユメカに会いたいというおもいだけだった。
イーブたちが死にそうになるなんて、少しもおもっていなかった。
みんな、戦いづらそうにしている。
ぼくはジャマなんだ。
魔獣に向かって斬り込んでいっても、みんなはすぐに戻ってくる。
ここに自分がいるからいけないんだと、気づいた。
もっと安全な場所に行けばみんなが楽になるんだとおもうと、走り出していた。
魔獣は不規則に動き回っていたが、ある瞬間、魔王城への道が開けたように見えた。
ここを真っ直ぐ走れば、魔王城に行けるはずだった。
魔王城に行けば、ユメカが守ってくれる。
だから、サヒダは走っていた。
みんなの迷惑にならなりたくなかった。
でも、おもったより遠かった。
一生懸命走っても、魔王城に近づかない。
わっ。
急に体が浮くのを感じた。
魔獣につかまったと思って手足を振り回して暴れる。
なにかを見落としたのかもしれない。
アヤガに叱られるとおもった。
慌てたり驚いたりすると周りが見えなくなるとよく言われた。
だから、いちど深呼吸して落ち着いてから、周囲の状況を見るようにと言われていた。
またそれができなかったのだ。
魔獣に食べられる、とサヒダはおもった。
だが、違った。
がっしりとした太い腕に、抱きかかえられていた。
イーブだった。
怒鳴られると予想して、首を縮める。
「殿下、共に参りましょう」
あれ?
やっぱり、前と違う。
剣術を教わるためとアヤガが連れてきた時から、イーブが嫌いだった。
すぐに大声で怒鳴るからだった。
だが、イーブに助けられて二人きりで過ごす日々の間に、怒られていないのだと気づいた。
イーブはただ、声が大きいだけだった。
それだけが嫌いな理由ではなかった。
アヤガがイーブに向ける視線が、他の人と違うから嫌いだった。
イーブがアヤガを見ている目も、どこか違っていた。
アヤガを取られるのが恐くて、イーブを遠ざけるために、嫌った。
イーブからも、嫌われているとおもった。
アヤガに、もうイーブに会うなと泣きわめいてこばんだからである。
けど、イーブに助けられた時、なんとなくイーブの心の痛みを感じた。
イーブは泣いていた。
イーブもアヤガが好きだったのだと分かった。
そして、アヤガが死んだのだとおもった。
悲しんでいるのを隠して、無理して笑っているイーブを見ていると、心が痛んだ。
たくさんの辛い想いを隠しているようだった。
でも、アヤガに頼まれたから、助けてくれたのだとおもっていた。
本当は嫌われているのだとおもっていた。
けど、違った。
命をかけて、助けてくれた。
襲ってくる大トカゲの尻尾に弾き飛ばされても、イーブは胸に抱えて守ってくれた。
剣が光を失っても、戦ってくれた。
抱えられているから、イーブは片手で戦っている。
戦いづらそうだから降ろしてと言っても、断られた。
ついにイーブは、剣を杖のように地面に突いた。
剣を持ち上げるのも辛そうだった。
そんな時、突然、魔王城から光が飛んできた。
たくさんの光の粒だった。
光の粒が丸い泡のようになって大きく広がった。
その粒に触れると、生きている魔獣も死んだ魔獣も消えてしまう。
石のゴーレムだけは崩れて瓦礫の山となる。
聞いていた通りだと、サヒダの心は弾んだ。
ユメカが魔王を倒したのだとおもった。
突然、イーブの腕から力抜けた。
落ちると焦ったが、優しく地面に降ろしてくれた。
けど、イーブは力が抜けたように座り込んでしまった。
「イーブ?」
ケガでもしたのかとサヒダは慌てた。
でも力強い目を向けられ、違うと分かってほっとする。
「ユメカ殿が勝ちましたよ、殿下」
気休めとは違う力強い眼差しに、サヒダは嬉しくなった。
イーブはまだ、元気だった。
なのに、どうしてなのか、イーブの目から涙がこぼれ落ちている。
「イーブ――」
なんとなく、アヤガへの想いを感じる。
みんなが生きていると喜んでいるような気もする。
「さて、ユメカ殿に会いに行きましょう」
イーブの言葉に嬉しくなり、サヒダはうなずく。
立ち上がったイーブに持ち上げられ、肩に乗せられた。
魔王城へとイーブが歩き出すと、少ししてエナが出てきた。
笑みを浮かべているイーブが、どことなく悲しそうに見えた。
アヤガがいなくなったのが、辛いのだとおもった。
だからサヒダは、いまの話をすることにした。
イーブには、これからを生きて欲しい。
「イーブ!」
「なんです、殿下?」
「さっきさあ、光がばーって広がっていったね。泡みたいに」
「そうですな、殿下」
「それでユメカが魔王を倒したって分かったんだね」
「そうです。巨大ムカデの時もそうでしたから」
「わあ。やっぱりユメカは、世界の闇を払う、光みたいだね」
「それを言うなら、光の美少女剣士と呼ばないと怒られますぞ」
「うん」
サヒダは肩に乗せられ、イーブは魔王城への緩やかな斜面を登っていく。
ユメカが魔王城から出てくるのが見えると、喜びがあふれた。
「ユメカー!」
サヒダは大きく手を振った。
すぐには気づいてくれなかった。
すこし悲しかったけど手を振り続けると気づいてくれた。
そしてユメカが見せてくれた笑顔は、太陽のように輝いている。
すごくすてきだと、サヒダはおもった。




