Ch.4.43:閃光の途
イーブたちは魔王城へ向かって走っている。
近づくと、正面の入口に巨大な扉があると分かる。
唐突に扉が開き始めた。
扉を引き開ける巨大な手があった。
扉の奥で巨石が動いているように見えた。
だがそれは、人の形をした石の巨人ゴーレムだった。
その巨大さに圧倒されたのか、先頭を走るエナが足を止めた。
扉が大きく開け放たれる。
石のゴーレムが一歩、足を踏み出した。
ズシン、と地面が揺れる。
陽光の下に、巨体が現れる。
奥からもう一体出てくる。
それだけではなかった。
石のゴーレムは、三体、四体と、まだまだ奥から姿を見せる。
巨体に目を奪われていて気づくのが遅れたが、その足元、影を縫うように何かが動いていた。
「悪しき獣が来ます!」
黒き毛並みの大狼フェンリルだった。
何十匹ものフェンリルが高原に広がりながら、取り囲むような動きで近づいてくる。
エナは手を組んで祈りを捧げ始めている。
「こいつは、まずいなあ――」
イーブは肩に乗せているサヒダの体を持って地面に下ろした。
振り落とさずに戦える自信が無かったからである。
「イーブ?」
「この方が安全かと思います」
「イーブ様、ご安心ください。悪しき獣は、神様の聖なる光に平伏すでしょう」
エナが聖剣を抜き、天に掲げる。
太陽の光を浴びて、剣が輝き出す。
神々しい光がエナを包む。
神の降臨かと思えた。
迫り来るフェンリルに向かってエナが進み出る。
半身で立ち、ひときわ輝き出した聖剣を水平に左側に構える。
「薙ぎ払え! 【神聖なる光の旋風】!」
エナが聖剣を横一線に払った。
閃光がほとばしる。
光の残像を残して、フェンリルが斬り裂かれて大量の骸となって転がった。
その威力に、イーブは絶句した。
エナの聖剣に比べ、【白金の閃光剣】はずっと劣るようだった。
それでも傍観者ではいられないと気を引き締め、見回す。
先頭を競うように駆けてきたフェンリルは皆息絶えている。
生き残りは遠ざかり、遠巻きうなり声を上げている。
動けなかったイーブは、ひとまず安堵して視線を下ろす。
サヒダが足にしがみついているのだ。
左右を見れば、アダセンとオーズィキャは言葉を失っているようだった。
改めて前を向く。
エナは殺気を放つことなく、自然と佇む樹のようだった。
聖騎士隊という言わば下位部隊ではなく、七振りの聖剣を与えられる真の聖騎士の実力を改めて目の当たりにすると、格の違いが思い知らされる。
噂に聞く一騎当千という話は、真実だった。
地面を揺るがせていた振動が収まった。
視線を上げれば、石のゴーレムがすべて、城の外に出ていた。
全部で八体。
堅牢に聳える城壁のように見える。
さらにその前には、強固な表皮を持つ巨大リザードが居並んでいる。
仲間がやられて逃げるフェンリルを、リザードが大口を開けてパクリと銜えた。
悲しげな鳴き声と、ぐしゃぐしゃという咀嚼音が不気味に響く。
次々とフェンリルが喰われてゆく。
勇猛な一部のフェンリルは果敢にもリザードの脚に噛みつくが、まるで歯が立たずに振り飛ばされる。それでも無謀にも噛みついては踏み潰される。
残りの臆病なフェンリルたちは散り散りになり、山の裾野の森に逃げ込んで行った。
「飢えた狼の躾が至らず失礼したかな?」
高原に声が響いた。
石のゴーレムの上に立つ人の姿がある。
見慣れぬ鎧姿で、極度に発達した腕と脚を持つ。
明らかに魔人だった。
「味方同士殺し合う弱肉強食など、悪そのものですね」
「ゴミ虫が偉そうな口をきく」
「違います。わたしは聖騎士シーラ・デ・エナ。神様の裁きを伝える者です。あなたこそゴミ虫となりはてたのです、魔王!」
「愚昧だな。我が名はダショウ・ティンこの城の守備を任されている者に過ぎぬ。ゴミ虫ごときに、魔王陛下が相手をなさることはないのだ」
「失礼しました。では押し通ります」
「させぬよ。リザード部隊よ、蹂躙せよ」
フェンリルを喰い漁っていた巨大リザードが一斉にこちらを向き、ノシノシと歩き出す。
ゴツゴツとした巨大な岩のような背中。
脚の爪は、剣ほどの長さがある。
七匹が横一列に並び、のそのそと迫ってくる。
それが、四列も続いている。
「エナ、勝てそうか?」
「一つ問題があります」
「なんだ?」
「神様の加護は異教徒には及びません」
「聖言教に入信し、神の助けを求めろと?」
「はい」
イーブはちらと二人の騎士を見る。
改宗してでもサヒダを守るべきだと目が訴えている。
それが正しい選択なのかと、イーブは二人の目の奥を覗き込む。
目が合うと、軽薄さを自省するように目をそらす。
ただ目の前の窮地を逃れるためでしかないとの自覚はあるらしい。
対してサヒダは、真っ直ぐにエナに視線を向けている。
分かりやすい。
ユメカを悪魔呼ばわりした聖言教には、入信する気は毛頭ないという強い意志に溢れている。
そういうものだ、とイーブはエナを見た。
「命欲しさに入信するような心の浅ましさを喜ぶ神を、エナが信じているとは思えんがな」
「ハッ! さすがはイーブ様。神様の試練をクリアしました。神様の御心に適っております。是非とも入信を」
「いやいや。正しい道を歩み続ける者ならば、いずれ真の神と相まみえるだろう」
「何という崇高な志」
「それに――我が王国にも天に祈る儀式があるのだ」
イーブは留め具を外すと、鞘に収めたままの剣を両手で持ち、天に掲げた。
かつて一度だけ見た、王が天に祈りを捧げている姿を真似たのだ。
剣に神を降ろす儀式だと王は言った。
神秘的な光景は、今も鮮やかに覚えている。
天に輝く太陽が地に降臨するように、光が剣に宿ったのだ。
その奇跡が再び起これば、魔獣に打ち勝てると思えた。
だが、何も起きなかった。
期待しただけに失望した。
国王だけが知る儀式の手順が必要なのだろうか。
それでもイーブは、焦る心を切り離して研ぎ澄ませる。
目を閉じ、ただ、剣に天から神の力が降りてくるよう祈る。
天と剣が繋がるよう願いながら、掲げ続ける。
少し熱を感じた。
太陽に熱せられただけではない。
剣自体が微かに振動している。
だんだんと振動は大きくなる。
抑えきれなくなり、驚いて目を開ける。
だが、剣は振動してなかった。
それでも手には何かの振動が感じられる。
唐突に剣から光があふれた。
まばゆい輝きが放たれる。
畏れる心に意識が乱れる。
と同時に光の放射は、剣の内側に吸い込まれるように消え去った。
剣が太陽を飲み込んだかに思えたが、幻覚を見せられていたと錯覚するほどに痕跡がない。
もう一度天の力を授かろうと思ったが、再び同じ現象は起きなかった。
「イーブ様、今のは?」
「見えたのか?」
「はい。とてつもない、聖なる力を感じます」
「そうか?」
「神様が特別に、イーブ様に加護をくださったのだと思います」
「そうであればいいがな」
エナの都合のいい解釈に肩をすくめながら、イーブは剣をベルトに吊した。
心なしか重さが増したような気がするが、ただそれだけだった。
二人の騎士からは落胆の雰囲気が伝わってくる。
【白金の閃光剣】の奇跡を期待していたのだろう。
「ここは我らが盾になります」
アダセンが炎ノ剣を抜き放つ。
オーズィキャが風ノ剣を構える。
「イーブ殿は最後の砦。殿下のお側に」
「いいや。二人で殿下を守れ。俺如きの技が通じるか分からぬが、俺が戦う」
「いいえ、イーブ様。悪を裁くのは聖騎士の務め。わたしがやります」
「――わかった。任せる」
情けないと想いつつも、イーブは引き下がった。
この中で最大の戦力となるエナの邪魔だけはすべきでないのだ。
エナはすまし顔でうなずき、進み出て剣を構える。
「【神聖なる光の旋風】!」
閃光がほとばしる。
巨大リザードは身を伏せ、背を向けて防行の態勢を取る。
フェンリルを薙ぎ払った攻撃は、リザードの岩のような背中には黒い筋を刻むだけだった。
「なんて固いんだ」
イーブだけでなく、サヒダと二人の騎士も驚いている。
エナの攻撃が通じないなら勝ち目はないと、誰もが思ったことだろう。
生き残るためと、イーブは剣の柄に手を掛ける。
「俺も微力ながら戦おう」
「不要です。強固な悪には、直接裁きの御印を刻まなければならないだけのことです」
「できるのか?」
「お示ししましょう。神よ、我が身を通し、お力をお示しください」
エナがリザードに向かって飛ぶように駆けた。
【神聖なる光の剣舞】
聖剣が真白き光に包まれる。
エナを飲み込もうと、リザードが大きな口を開ける。
その瞬間、エナの姿が消えた。
正しくは、大きく前方に跳躍したのだ。
巨大リザードの口から胴までを軽々と斬り裂いていた。
エナは止まらずに、隣のリザードに斬り込む。
だが今度は剣が弾かれた。
その反動さえ利用して剣を返して振り下ろした第二撃では、あっさりと胴体を真っ二つにしてしまう。
圧倒的な勝利なのだが、エナが首を傾げている。
「どうしたエナ? 平気か?」
「はい。問題ありませんイーブ様。ただ、少し癪に障っただけです」
「どういう意味だ?」
問いに答えが得られぬまま、エナは次のリザードへと斬り込んでいく。
だが、敵も愚かではない。
魔人が左右のリザードに突進を命じた。
その巨体に似合わず、速い。
ただ待ち構えていては、その突進する勢いに突き飛ばされて終わるだろう。
イーブがサヒダを抱えて逃げようと決断する直前、二人の騎士が左右に走った。
アダセンが迎え撃つように駆け、剣をリザードの目に突き刺した。
「炎ノ剣!」
剣から炎があふれ出し、リザードの目の内側を焼く。
リザードが苦しみのたうち暴れるとアダセンは人間離れした距離を跳び退き、すぐにまた駆けて飛びかかり、逆の目を突き刺して炎を放つ。
頭蓋の中が沸騰したようである。
オーズィキャはリザードの大口に飛び込んでいく。
「風ノ剣!」
口の中から喉の奥へと猛烈な風が吹き込み、内臓をかき乱す。
腹が膨れ上がって裏返り悶えるリザードに、さらに上顎へと剣を突き刺した。
旋風が脳をかき乱す。
二人がそれぞれリザードを討つのを見て、イーブは苦笑するしかなかった。
これが経験の違いなのだ。
アダセンの判断は、正しかった。
ならば自分は剣の特性からしても、後方支援に徹するべきだと悟る。
役割を弁えれば、迷いは消える。
イーブはゆっくりと剣を抜いた。
かつてないまばゆい光があふれ出した。
剣に力が漲っているのが、初めての体験だがはっきりと分かる。
ドッゴーンッッッッ!
唐突に轟音が鳴り響いた。
魔王城の扉を吹き飛ばし、強烈な閃光が走った。
大気を震わす風が吹き抜ける。
驚いたことに、半数のゴーレムの上半身が消えていた。
魔人の姿も消えている。
一瞬の静寂が訪れた。
静寂を破ったのは、ゴーレムの下半身が崩れ落ちる音だった。
異変に驚いて動きを止めていたリザードをさらに二匹、エナは仕留めていた。
だがそこから先へは攻め込まず、一旦戻ってくる。
未知の攻撃から守ってくれようというのだ。
「イーブ様、今のは何かご存じですか?」
「いいや――」
「砦を攻めてきた魔人が使った魔術武具と似ていますが、それより遙かに威力があります」
アダセンの言葉を聞き、瞬間的にイーブは猛烈な危機感に襲われた。
少なくともあのような攻撃は、美少女剣士の技ではない。
直感的に予想したように魔王の正体がディリアなら、今のはユメカが受けた攻撃となる。
絶対無敵と言うユメカなら無事だと信じたいが、クリスティーネとも戦わなければならない状況にあるならば、窮地に追い込まれている可能性が高い。
早くしなければとイーブは焦る。
「エナ、まずい。クリスティーネ殿に真実を伝えに行ってくれ」
「分かりました。イーブ様の願いなら、そうしましょう。ですがついでに、真の魔王を退治してきますね!」
「おう」
崩れ落ちたゴーレムの岩が動いた。
ゴロゴロと音を立ててゴーレムの残骸である岩が転がり落ち、下から魔人が飛びだしてくる。
魔人は驚くべき跳躍力で、残ったゴーレムの頭の上に立つ。
エナは動かしかけた足を止めた。
明らかに魔人を警戒しているのが分かる。
「どうやら我が主、魔王陛下は駆除が遅いとお怒りのご様子。よって全力で滅ぼす」
魔人の目が怪しく光る。
「山に潜みし魔獣どもよ、愚かな人間を襲うのだ!」
ドドドドドッ。
森が揺れた。
大地から無数の振動が伝わってくる。
無数の魔獣が、高原に集まってくる。
フェンリルやクレイオスやエイプであった。
さらに魔人は剣を抜き、大きく振り上げて、前に突き出した。
「押しつぶせ!」
ゴーレムが動き出す。
ゆっくりと一歩を踏み出したと思えば、次の一歩はから段々と速くなり、走り出した。
残っていた巨大リザードがゴーレムに追い立てられて、こちらに向かってくる。
大地が大きく揺れ、ただ立っていても倒れそうになる。
「イーブ様、このままでは!」
「魔人を倒せば、魔獣は統率を失う」
「分かりました」
「俺が途を拓く。殿下はしっかりと地面にしがみついていてください」
サヒダが足にしがみついていた手を放してくれるのを待って、イーブは剣を構える。
柄の紋様に触れ、突き出した。
「【閃光必滅の槍】!」
閃光が走る。
剣から放たれた強烈な光が魔獣を貫き、一筋の途が拓けた。
魔神が乗っていたゴーレムの胴体すら、貫いている。
かつてない威力に、イーブ自身が驚いた。
聖剣にも匹敵する威力であり、エナが驚いた顔を向けてくる。
「イーブ様、神ってます」
「? ともかくエナ、急げ!」
「はい!」
エナが真っ直ぐに走っていく。
その正面に魔人が降り立ち、剣を構えた。
「こしゃくな。光の剣が二振りも揃うなど――」
「そこの魔人、聖騎士シーラ・デ・エナが今、神の裁きを下します」
「無駄だ! 我は魔王陛下第一の将、ダショウ・ティンだぞ――」
「【聖なる稲妻の斬撃】!」
エナが剣を虚空に振り下ろすと、突然天から導かれたように雷光が走る。
雷撃が魔人を直撃して焼く。
遅れて雷鳴が轟く。
だが魔人はまだ生きている。
表皮が黒焦げになりながら、反撃しようと剣を振り上げようとしている。
「神様の聖なる道を遮る悪よ、散りなさい。【正しき神の裁き】!」
駆け迫ったエナが聖剣を振るう。
速すぎる斬撃だった。
光ほとばしる一振りで、魔人は真っ二つになる。
死する魔人を越えて、エナは魔王城の中へと走って行く。
魔獣は統率を失った。
呪縛から解き放たれたように、本能のままの行動を始める。
荒ぶる感情のまま、見境なく争いを始めている。
巻き添えになる状況にイーブは歯を食いしばる。
「残りの魔獣を追い払おう」
二人の騎士の応えを聞いて、イーブは剣を握り締める。
手に伝わってくる。
剣にはまだ力が残っている。
柄に刻まれた紋様に触れた。
剣から閃光が放たれる。
目を眩ませた魔獣へと斬り込んだ。




