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  Ch.4.42:翻弄の道

 イーブには分かる。

 誰もが疲れているのだ。

 夜通し歩き続けてきた山道の変わらぬ景色。

 終わりの分からぬ道筋に苛立てば、余計に体力を失う。

 ただ一人、イーブが背負うサヒダだけが、安らかな顔をしている。

 神の加護があるというエナでさえ、気力で体を動かしているように見える。

 魔人を圧倒した聖騎士とはいえ、エナはまだ十六歳の少女なのだ。

 最後尾のオーズィキャは、背後を警戒しながら、黙々と脚を動かしている。

 周囲に注意を払い続けているアダセンは、体力よりも精神的に消耗しているようだった。


「イーブ殿、道は正しいのでしょうか」

「俺は知らん」

「ですが――」


 イーブは振り返ってアダセンに視線を送る。

 山岳地帯の奥にあるという魔王城に至る道を、誰が知っているというのか。

 道を進めば辿り着けるという、単純な話ではない。

 エナがこっちだという道を信じて、案内を委ねたのだ。

 山の中に踏み入り、藪をかき分け踏み進み、今は樹林の中を尾根伝いに歩いている。

 ただそれだけのことでしかない。


 視線を前に戻せば、エナが立ち止まり、手を組んで空を見上げている。

 しばらくして、再び歩き出す。

 同じことはこれまで何度もあった。

 アダセンはそれを目にする度に、表情の険しさが増している。

 内で大きくなる懸念を押し殺そうとしているように見える。

 オーズィキャは泰然として見えるが、余計なことは考えず、魔獣の出現に備えているだけなのだ。

 だが、アダセンの表情には疑いと警戒の色がある。

 聖騎士を卑怯な手を使って討った心の負い目によって、エナが復讐を目論んでいるという疑心を抱いているのだと分かる。

 エナの行動に注意を払っている様子が、あからさまなのだ。


「殿下を見習ってはどうだ。悠然と眠っておられる」


 イーブは背負っているサヒダに視線を向ける。

 アダセンは気色ばんだが、言葉を口にはしないかった。

 疲れて寝てしまっただけだと、本音では毒づきたいのだろう。

 おそらくアダセンは、次善の策を備えておきたい性格なのだ。

 隊長として人の上に立つからこそ、他の者とは違う視点と考え方が身についているのだ。

 様々な可能性を考え、手立てを講じようとする。

 気苦労と言えばそれまでだが、臨機応変、状況が変われば柔軟に手を変えられるように備えておくことが習慣になっているのだろう。

 なにしろ、この一行には明確に上に立つ者が定まっていない。

 なんとなく、サヒダ王子を守っているイーブがまとめ役になっているような雰囲気があるだけである。

 別働隊の隊長でありながら、指揮権があいまいな立場にあり、アダセンは自分の立ち位置を模索しているようでもあった。

 無駄な苦労だと、イーブは気の毒に思った。


 そもそもイーブは、騎士としてはあぶれ者だった。


 規律を重んじる団体行動には、馴染まない性格なのだ。

 それが目立ったので国王の目にとまり、白の騎士という名誉職を授かっただけである。

 白の騎士に王権の代理執行権限があるというのも、一時的な代理人として地方に赴く時に限った話である。当然ながら国王の裁量と同じではない。

 そうした事実によって、常に全権を代理していると誤解されているだけである。

 たまにその誤解を都合よく利用したのも、相手が勝手に忖度してくれた結果なのだ。

 その誤解さえ、国王が死んでは幻と消える。


 サヒダ王子を擁立して正統性を主張し、権威を示そうという考えもない。

 すでに国王を頂点とした階級は失われている。

 それにしがみついたところで実体はない。

 だからこそ、各々が自分の能力に応じて最善を尽くせばいいと思っている。

 目的を定めたなら「あとは皆で頑張ろうぜ」という指示だけでいいはずだった。

 なによりイーブは、指揮権を持って人に指示するのが、苦手なのだ。


「ですが、下手をすれば殿下を危険にさらすことになりませんか?」

「北に向かっているのは確かだ。それにな――」


 イーブは前を向いた。

 エナは確信に満ちた足取りで歩いている。

 正直なところエナの言動は変だが、神を信じるという点においては、真っ直ぐなのだ。

 よこしまな考えは持っていない。

 もし、よこしまな言動と思えるものがあったなら、それは教義の問題である。

 教義を正しいと信じるエナにとっては、正しい言動でしかない。

 根っこにある人間性の問題とは、切り離して考えるべきなのだ。


「エナの案内を信じると判断し、任せたんだ」

「一度信じたからとか、一度決定したからとか、そうしたことに固執しては道を誤ります。進めば新たな地平や道筋がみえてくるものです」

「疑問があるなら、聞いてみればいい」


 イーブは振り向いてアダセンを見て、エナの方に視線を向けた。

 一歩身を引いて立ててくれようとしているのは分かるが、そういう型枠に嵌まっているだけでは物事は上手くいかないのだ。

 諦めたようにアダセンは、小さく溜め息をついた。

 どうやら、隊長役は不適格と判断されたようである。

 頼りないから自分が能動的に動くべきだと、ようやく悟った表情となった。

 アダセンは深呼吸し、エナに顔を向けた。


「エナ殿、一つよろしいか」

「なんでしょう」

「この道は、合っているのでしょうか」

「どういう意味ですか?」

「先程木々の隙間から山頂が見えましたが、魔王城らしき建物は見えませんでした。このまま尾根筋を登っていっても、何もないのではないかと思えるのです」


 エナは怒らずに微笑みを浮かべた。

 諭すような表情さえ見せている。

 聖騎士としての品格は、こうした時に雰囲気としてにじみ出てくるのだ。


「迷える者よ、神様のお導きを信じなさい」

「いえ、そういう曖昧な話ではなく、客観的事実を申し上げているのです」

「目に見える物にばかり惑わされてはいけません」

「事実を事実として何が悪いのです。それともやはりエナ殿は、我々の行いを悪と断じ、罰を与えているのでしょうか。ですがそれならば殿下を巻き込まないで頂きたい」


「アダセン・アジミュ殿。神様は偉大なのです」


「偉大偉大と、ただ言葉だけで語るのが聖言教ですか。それならここが楽園だと神が言えば、楽園になるのですか」

「ああ、神様。この者の不信心と無理解をお許しください。ですがただ、この者は知らないだけなのです。どうか、神様の元へとお導きください」

「もう結構。イーブ殿、彼女の言う神の元とはあの世のことです。引き返しましょう」

「アダセン殿、短慮は良くない」

「イーブ様は、どうなのです?」


 エナから真っ直ぐに目を見つめられた。

 その目に淀みはない。


「俺は、エナを信じたからな。騙されたと明らかになるまでは信じる」

「やはりイーブ様は適格者です。是非聖言教に入信を! 人生の同伴者となり、神様の正しい御言葉を世界に広めましょう」

「その前に、目先の問題を片付ければな。エナも真実を確かめたいだろう?」

「はい。その通りです。ではアダセン殿、神様のお導きによる真実を御覧なさい」


 エナは聖剣を抜いた。

 イーブには、光の残像しか見えなかった。

 一瞬のきらめきで、斜面に生える巨樹を薙ぎ払ったのだ。

 幹を切られて巨樹が倒れ、斜面に生える木々を押し倒しながら滑り落ちていく。

 生木の内側から立ち上る爽やかな匂いと、擦れ合う葉から散る青い匂いに包まれる。

 そして、視界は開けた。

 眼下に黒く輝く異様な城の姿が見えた。


「ほう。あれが魔王城か」

「はい。あれが魔王城だと、わたしの頭の中でゴッドが囁いています」


 アダセンは絶句しているようだった。

 魔王城が山の上にそびえ立っているという思い込みが疑惑を招き、騙されたと断定して罪を糾弾したのだ。

 その行為の浅はかさは、アダセン自身の不明となって返されたのだ。


「エナ殿、度重なる失礼をお許しください」

「神様は過ちを素直に認める者を、お許しになるでしょう。アダセン殿もこれを機に、神様の御言葉に耳を傾けてみては如何でしょう」

「魔王城は、山の上にあるとばかり思っていました」

「過ちは誰にでもあります。それは人の迷い。神様は常に人々を照らし、正しき道へと導いてくださっているのです。ですがこの悪に満ちた世界では、神様の導きが覆い隠されているのです。ですから、神様を信じなさい。そうすれば、薄汚れた世界に一筋の真実が、輝きを放つ道標として見えてくるでしょう」


 アダセンが恥じ入ってから感歎する表情になるのを見て、イーブは微笑んだ。

 エナの勧誘は、成功しつつあると思えたからである。

 話し声で起こしてしまったのか、背中でサヒダが身じろいだ。


「イーブ、着いたの?」

「もうじきです。さてエナ、どう下りればいいのかな?」

「わたしの導きに付き従ってくださればいいのです。従順こそ美徳です」


 エナが斜面へと跳んだ。

 倒した巨木の幹を走り、駆け下りて行く。


「殿下、しっかりとお掴まりください」


 イーブはサヒダの体を持ち上げ、肩車する。

 サヒダが頭に抱きつく力強さを確かめ、斜面へと向かって跳ぶ。

 頭にしがみつくサヒダの腕にさらに力が入ったのを感じる。

 すぐに裾野に広がる樹林帯に入り、左右の巨木に視界が遮られた。

 エナは聖剣を抜き斜面の樹を斬り倒しながら、一筋の道を斬り拓いてゆく。


 必至にイーブは追いかけた。


 枝が払われた幹を滑るように駆け下り、また別の幹に飛び移る。

 登ってきた苦労がウソのように、あっという間に山を下ってしまった。

 裾野の森を抜けると、目の前に高原が広がる。

 イーブは息が切れていた。

 曲芸のような身のこなしの連続に無我夢中で、エナの後を追いかけるだけで精一杯だった。

 それなのに振り返れば、後ろを付いてきたアダセンとオーズィキャは余裕の表情をしていた。


「すごいのだな、二人は」

「いえ。魔石の腕輪を身につけているので、身体能力が強化されているのです」

「エナもそうなのか?」

「わたしには、神様の加護があるからです」

「そうか――」


 イーブの心に不安が芽生えた。

 自分一人だけ、特別な力を持っていない現実が身に染みる。

 安易に魔王城を目指そうとした無謀な決断が悔やまれる。

 足手まといになると先に詫びようとしてエナを見ると、立つ姿の静謐さに言葉を失った。

 神を信じればここまで心が平穏でいられるのかと、見とれてしまう。

 エナは高原を見渡してから、聖剣を鞘に収めた。

 呪縛から解き放たれたように、イーブは瞬きをする。


「魔物一匹出てきませんね。魔獣の死骸もありませんし」


 言われて初めてイーブは気がついた。

 改めて見渡せば、確かに魔獣も魔物もいない。

 その理由はすぐに思い当たる。

 お陰でどうにか事実を伝えられそうだと、胸をなで下ろした。


「ユメカ殿が先に来たからだろうな」

「ヤスラギ・ユメカが魔獣を使役している証拠ではありませんか?」

「いやいや。ユメカ殿が魔獣を無双すると、光に換えて死骸を消し去ってしまうのだよ」

「イーブ様は冗談が過ぎます。神様の力を授かった聖騎士でもそのような技は使えません」

「本当だエナ。この目で見たのだ」

「私もイムジム伯爵の別邸で見ました」

「隊長の言う通りです」

「信じられません。ですが――」


 エナが視線を転じた。

 左前方に、魔王城が聳え立つ。

 下から見ると、圧倒されるほどに巨大だった。


「行きましょう。倒すべき悪はあそこだと、ゴッドが囁いています」


 エナがまっすぐに、魔王城を指さす。

 そこで真実が明らかになると期待して、イーブはうなずいた。

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