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  Ch.4.41:抵抗の、美少女

 幻覚でも錯覚でもない。

 ディリアが魔人を呼んで命令した。

 魔人は魔獣の群れを率いて外に出ていく。

 紛うことなき現実の出来事だった。


「お師匠様、なにをなさったのです?」

「ああ――」


 現実に意識が戻るように、ディリアの虚空を見つめていた視線が、クリスティーネに向いた。


「【虚無の狭間(バキュームメンブレン)】で隔離したのだ。外から止めは刺せぬが、逆に、中からも出られん。空間の断絶の中に閉じ込めた悪魔は窒息して死ぬ。確実にな」


――違う。


 クリスティーネは首を振る。

 ユメカに放った魔法のことではない。

 いま現れた魔人は何者なのかという疑問なのだ。

 凶悪な気を吐き出す魔物を見ているように思えてくる。


「お師匠様?」

「どうした、クリスティーネ、さあ、早く私の隣に来なさい」

「ですが――」

「可愛いクリスティーネ、いい子だから、来るんだ」

「どうしてでしょう」


 なぜそうも自分が求められているのか、分からなかった。


「クリスティーネは私を越える魔導師になれる素質がある」

「何度も聞きました」

「大事なことなのだ。何度でも言うよ。クリスティーネはあと千年を生きれば、世界を変える力を持つ大魔導師になれる。私が保証する」


「なればどうなのでしょう」


「クリスティーネの血を引く子ならば、さらに優れた力を持つことだろう」

「わたくしの子ですか?」

「そうだ。そのためには、優秀な魔導師が父親でなければならない」

「優秀な父親?」


 何を言っているのだろう。

 心に困惑が広がる。


「さあ、来なさい、クリスティーネ」

「――待ってください」

「ここに来るんだ、クリスティーネ!」


 荒げた声に後退る。

 得体の知れない気味悪さを心が拒絶する。


「なぜ下がる。逆だ。クリスティーネ、こっちに来い、今すぐだ!」

「行けば、どうなるのです?」

「美しい世界が見渡せる。愚鈍な人間が消え去った、美しい世界だよ」

「どうして消え去るのですか?」

「駆除だよ。そのような連中は、人間ですらない。クズ虫なのだからね」

「ですが、人間なのですよね」

「クズ虫を人間と思ってはいけない。他人に寄生するだけの役立たずだ。私やクリスティーネのような優秀な人間が、正しい人間を選び導くことで、世界は平和になるのだよ」


「お師匠様は、優秀な人間なのですか?」


「当然だ。優秀にして、最強」

「最強魔導師なのですか?」

「見ただろう、それを」


 ディリアが【虚無の狭間(バキュームメンブレン)】によって繭のような断絶された空間を指した。

 クリスティーネにとっては、ただの魔法のひとつでしかない。


「ですが――」

「あの悪魔は絶対無敵などと言ったが、それが嘘だった証だ。そして、その凶悪な悪魔を倒した私こそ、最強の魔導師なのだ」

「本当にお師匠様は、最強なのですか?」

「その通りだ。その悪魔を倒したのだからね」

「そうですか。安心しました」


 クリスティーネは吹っ切れたように微笑んだ。

 ディリアはやはり、何か違うのだ。

 偉大で尊敬し、頼るべき師匠だった。

 だが、他に比べる人を知らなかったからそう思って疑わなかっただけでしかない。

 改めて事実を確かめ合い、真実を導き出さなければならない。


 それに――、

 最強なら何も恐れる必要はないはずなのだ。

 例え、絶対無敵美少女が解放されても――。


「【消滅の狭間(デリートメンブレン)】」


 クリスティーネは無詠唱で唱えると、【虚無の狭間(バキュームメンブレン)】が消え去る。

 中に捕らわれていたユメカが、空間に投げ出されて床に落ちて倒れた。

 手足に絡みついていた鎖がジャランと音を立てた。


 ゲホッゲホッ。


 ユメカは倒れたままだった。

 新鮮な空気を求めて喘いでいるが、死んではない。

 生きている。


「なにをするんだね、クリスティーネ」

「まだ、この人と話したいことがあります」

「クリスティーネ、そのような我が儘など認めん。破門にするぞ。そうすればお前は孤独の日々を過ごすことになるのだぞ!」


 拒絶される言葉にクリスティーネの心は貫かれ、思わず涙が浮かんでいた。

 もう孤独は嫌だった。

 ただ、それ以上に、ディリアに冷酷な言動を見せられるのが辛かった。


「お師匠様、わたくしそれは、嫌です」

「そうであろう。ならば今すぐこの悪魔を殺せ。そうすれば、今の行いは不問にするよ」


――やっぱりそうだ。


 思い返してみればディリアには、不安を煽られ、何かを強要されてきた。

 いつしか、ディリアの指示には従わなければいけないと思うようになっていた。

 優しい言葉は大抵、叱られた後に発せられた。

 そして対価となる何かをしなければ、ディリアは誉めてくれない。

 認めて受け入れてもらうためには、従うしかなかった。


 でも、ユメカは違った。

 明らかな違いだった。

 ユメカは優しく、温かかった。


――そんなオネーサマを、


 傷つけてしまったと思うと、クリスティーネの目から涙が流れ落ちる。

 涙を振り払い、クリスティーネは完全なる拒絶の意志をディリアに向ける。


「嫌です」

「もう一度言う。殺せ」


 低く威圧するような命令口調だった。

 ディリアから感じられる雰囲気には、自分を想ってくれる温かさがなかった。


「嫌です!」


 ふう。


 ディリアのため息は、重苦しく雰囲気を沈ませるようだった。

 これまでなら、拒絶され見捨てられる恐怖を感じる態度だった。

 今はもう滑稽な猿芝居にしか見えなかった。


「これで最後だ、クリスティーネ。その悪魔を殺しなさい」

「絶対に、嫌です!」

「師匠である私の命令に逆らうならば、破門するしかないが?」

「構いません」

「許さぬぞ、決して許さぬ。クリスティーネよ、お前は私に従わなければならないのだ」

「断ります!」

「ならばやはり、その悪魔の息の根は、私が止めよう」


 ディリアが魔杖を手に、玉座から立ち上がる。

 急に恐ろしくなり、クリスティーネは足が震えた。


「だ、ダメです!」

「どういう意味かね、クリスティーネ」

「その人は、殺させません」

「私に刃向かうというのかね?」


 クリスティーネは目眩を堪えて目を見開く。

 なのに、絶望の淵に突き落とされたように未来が見えなくなった。

 それでも、立ってディリアを見つめる。


「……いえ――」

「その悪魔は、殺さなければならない。分かるね、クリスティーネ」

「――いいえ!」

「私の弟子であるならば、命令に従わなければならないのだよ」

「嫌です!」

「強情な……」


 ディリアから大きな溜め息が漏れた。


「では破門だ、クリスティーネ」


 覚悟していたが、現実に告げられると心が貫かれたように痛い。

 師弟の繋がりを断ちきられた喪失感にクラクラする。

 落胆の海に突き落とされ、失意に溺れて息苦しくなる。

 信じていたものが失われ、生きる道筋が暗闇に消える。

 目を閉じ、呼吸を落ち着かせようと努める。

 震えは全身に広がる。

 鼓動は高鳴り、息が整わない。

 恐る恐る目を開ける。

 倒れそうになるのを、魔杖を床について踏ん張る。

 立っているのがやっとだった。

 心が苦しい。

 ユメカが正しいという確信はまだない。

 だから治癒魔法をかけるのを迷っている。

 見捨てたのと同じだった。

 そして今度は、ディリアを裏切ってしまった。

 真実を確かめるために、両天秤に掛けている浅ましさを自覚している。

 どちらが正しかったとしても、どちらも失うのだと覚悟をしても、震えが止まらない。

 すべてを失う恐怖に耐えながら、クリスティーネは真実の欠片を朧気に見ていた。


「やれやれ、また失敗したか」

「また?」

「その中でもお前は、最も優秀だった。だが優秀すぎたのだろうな」

「どういう意味ですか?」

「従順こそ美徳。賢すぎると間違った価値観から誤った判断をして、狂った結論を導き出す」

「お師匠様のように、でしょうか」


 ディリアが目を見開いた。

 驚いているようだが、すぐに、冷酷な眼差しに変わった。

 自嘲するように口元が歪む。


「そうか、残念だよクリスティーネ。お前ならば、私と共に歩めると思ったのだがね」

「歩む?」

「我と共にとこしえを歩む伴侶となるはずだったのだ」


 おぞましい告白に、クリスティーネは身が総毛立つ。


「お、お断りです!」

「では、消えなさい。クリスティーネ。悪魔諸共に――」


 ディリアが魔杖を向けてきた。


「【消滅の魔光(ディザスターカノン)】!」


 ディリアの魔杖から強烈な光が放たれた。


 詠唱なし?

 魔術だ!

 【虚無の狭間(バキュームメンブレン)】は間に合わない。

 逃げて!


「【干渉の障壁ディメンションシールド】!」


 瞬時に発現させた空間の障壁ごと、ディリアが放った魔術に包まれる。

 猛烈な光が石の床を削り去る。


 そして――、

 クリスティーネの姿は消えた――。


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