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  Ch.1.6:美少女と、大男

 店内を見渡したマスターの視線が、ユメカに戻された。


「生憎うちにはありませんぜ、お嬢さん」

「マスターはモグリじゃなかったの?」

「うちはいつも正直に真っ当な商売をしてますんでね」

「そう? なら、他を当たるわ」


 ユメカは金貨を袋にしまおうとした。


「ま、まあ、お嬢さん、短気は損をしますよ」

「なら、誠意を持って応じて欲しいわね」

 ユメカは金貨を持った手をカウンターの上に戻す。

「分かりました。ちょっと待ってくださいよ」


 マスターが一度カウンターの裏に消えた。

 少しして、シュワシュワと泡立つ真っ黒な液体を満たしたジョッキを持ってくると、ユメカの前に置いた。

 見た目の毒々しさから勇気を試すと言われる、コーラのようなドリンクである。


「瓶ごと出しなさいよ」


 ブラック炭サーンは、王冠で封をされたガラス瓶に充填されて流通している。

 薄めていない本物だという証明として、目の前で栓を開けるのが本来のスタイルである。

 マスターが顔を近づけて、声を潜めた。


「勘弁してください。領主様は出すなと言うんですから」

「理由は?」

「製造組合が領主への贈り物をけちったからだとか」

「王は認めているんでしょ?」

「組合が大臣に袖の下を渡したって噂だが、ここの領主はもらってないと機嫌を損ねたとか」

「いい迷惑ね」


 それが大人の世界というのは情けないとユメカはジョッキからひと口飲む。

 ひと味足りなかった。


「でもマスター、あれが足りないわよ」

「ま、まさか、あれですか」

「そう。新月の夜に取れる、あれよ」

「あの、禁断のあれですか」

「もちろん。あのグリーンがイエローに変わったら加速して突っ切るような爽快さのあれよ」

「ははあ。参りましたお嬢様。まさかこれさえ所望される勇者とは」

 マスターが黄色い皮の果実を三日月形に切って持ってきた。


「どうぞ、お納めください、陰月リモネンにございます」

「うむ。苦しゅうない」

 ユメカはさっと、ジョッキに絞り入れる。

「これがグルメなのよ」


 一気に半分ほど飲み干す。

 必然と出てくる美少女の吐息にマスターもとろけるような顔を見せる。

 このヘンタイが。

 何をやっても美少女は絵になるのだ。


「でもマスター、王様は解禁したんだから、有害論は否定されたんでしょ?」


 かつて祖母に、飲めば歯が溶けてなくなり虫歯になると、散々脅された悪魔のドリンクにそっくりである。

 でも冷静に考えれば、溶けてなくなる歯は虫歯になりようがない。

 つまりウソを吹き込まれたのだ。


「ここだけの話ですがね、理人ことわりびとの一派はブラック炭サーン禁止を声高に叫んでいましたが、少量ならば胃腸を元気にして疲労回復効果もあると評する一派もありましてね」


「ダブルスタンダードで、マッチポンプなのね」

「お嬢さん、賢いですね」

「当然よ。あたしは天才美少女だから」


 世の中を支配するのは、カネなのだ。

 国王も領主も、いかにカネを集めるかばかりを考えている。

 商人や生産者が過剰に利益を上げれば、害をでっちあげ、規制という名目で利益を奪い取ろうと嫌がらせをする。

 時には輸送馬車を襲撃して商品を簒奪するか破壊する。

 人を使うと足が付くからと、魔物を使うのは常套手段である。

 そうやって連れ込んだ魔物が野放しにするから、郊外にも出没するようになるのだろう。


「背後には魔王がいたりして?」

「そりゃないでしょう。魔王がブラック炭サーンを作ってると?」

「そう。魔王が作ったドリンクだったら、毒が入ってるかもね」

「やめてくださいよ。うちで扱ってるのは、正真正銘の本物ですから」


 魔王との繋がりの仮説を酒場のマスターに披露しても無意味だとユメカは分かっている。

 ユメカは本題に入ることにした。

 蛇の道は蛇、裏情報は裏メニューからなのだ。


「ねえ、マスター、ひとついい?」


 ユメカはもう一枚金貨を取り出すと、カウンターの上で回した。

 物欲しそうなマスターの視線が、回る金貨に釘付けになっている。

 質問に答えた報酬だと勘違いしてくれたなら成功である。

 ユメカは挑発するように回していた金貨を掴み取り、手でいじりながら、袋に戻すか戻さないか迷う素振りを見せる。


「なんですか、お嬢さん」

「少し前、野暮ったい男が馬車に乗って来たはずだけど、どこにいるか知らない?」

「まさかお嬢さん、あっちの商売ですか?」

「そっちの商売よ」


 どうして男はこうも勝手に勘違いするのかとユメカは呆れたが、表情には出さない。

 貧弱な想像力は、狭い価値観しか持ち合わせていない証明なのだ。


「へえ、人は見かけによりませんねえ」

「まあ、契約したからね。もらえる物もらえるなら、見た目にはこだわらないの」

「ほほう。それは是非とも次にはお願いしたいですね」

「高いわよ」

「いかほどで?」


 ユメカは挑発するように笑みを向ける。


「あんたの命――」

「え?」

「――くらいの値段よ」

「そいつは、お高いですね。お高く止まっていらっしゃるだけに」

「そんな訳で、その男が泊まっている場所を知りたいのよ」

「ヒッヒッヒ。それじゃあ、情報料も少しもらわないと、割合わないですよ」

「あたしと契約できる権利じゃ、不満?」

「本気で?」


 マスターが相好を崩した。

 ユメカが意図しているのは、多数の魔物に襲われたら無双して助けてあげる契約である。

 だが、マスターが勝手にどう勘違いしているかは、ユメカは気にしなかった。


「値引きはしないけど、追加サービスくらいはするわよ」

「なら約束ですぜ。その男は、ニオコユティという名の宿に泊まっているよ。北の外れにある」

「さすが、情報通」


 ユメカは二枚の金貨を袋に戻すと、口を縛って席を立った。


「お、お嬢さん、お代を?」

「あたしみたいな美少女からお金をとるっていうの?」

「人類皆平等にございます」


 なかなかしたたかなオヤジだ。

 ユメカは平等主義には賛同しないが、下心に負けない商売人精神は好きだった。

 ぶら下げたエサを見て皮算用しない商売人は、マジメなはずだった。


「いいわ。あたし乞食じゃありませんから」


 先程巻き上げた、もとい、受け取った報酬が入った袋から、一枚の金貨を取り出して放り投げる。

 カウターの上に落ち、くるくると回る。

 金貨の音は人の興味を引きつける。


「おお」

 他の客から声が漏れた。


 金貨一枚は、こうした酒場に集う者達のおよそ一ヶ月の稼ぎに相当する。

 それだけに、庶民なら生涯において、実際に金貨を目する機会は少ない。

 そして金貨一枚あれば毎日晩餐ができると彼等は考えるだろう。

 ちなみに最小通貨のワンコイン、つまり銅貨一枚は、五〇〇円相当の価値になる。

 食事に酒二杯が付いて銅貨一枚が相場である。

 補助通貨のないこの世界で、釣り銭の代わりは物で支払われるのだ。


「さすがは美少女のお嬢さん。気前がいいですねえ」

 ユメカは首を傾げる。

「マスター、お釣りは?」

「分かっております。いらないのですね」

「違うって。早くよこしなさいよ」


 ユメカは催促するように手を差し出した。


「え? 美少女のお嬢さんは、太っ腹じゃないのですね」

「当たり前よ。あたしは出るところは出てもお腹は出てないんだからね!」

「ですが席料という税金がかかるんですよ」

「いや、初耳だし、聞いてないし」

「今の領主様になられてから、旅人から徴収することになりましてね」

「どうやらこの領主は、カネの亡者ね」


 唐突にバンと大きな音がして、喧騒に満ちていた店内が静まりかえった。


「聞き捨てならねえな」


 声にユメカは振り返る。椅子が倒れている。近くのテーブル席にいた、灰色の服を着た大男が立ち上がったのだ。

 他の飲み客から歓声が上がり、指笛が鳴らされる。


「灰かぶりの騎士がお怒りだぜ」


 大男は人気者なのだろう。

 大道芸を見て囃し立てるように客席は盛り上がっている。

 ドスドスと靴音を立てながら大男が、近づいて来た。

 カウンターを背にして立つユメカより、頭二つ以上背が高い。


「ザコは引っ込んでなさい」


 両腰に手を当ててユメカは大男を見上げる。

 鍛え上げられた体格は腕が太く、胸板が厚い。

 腰にはユメカの剣より長く太い剣を下げている。

 見かけ倒しだと言えるほど弱くはないようだった。


「お嬢さん、今謝るなら赦してやってもいいが、どうする?」


 肩に汚らしい手が乗せられ、酒臭い息が漂ってくる。

 ユメカは何気ない動作でサッと払う。

 大男がすっ飛んでいくと、酒場は騒然となった。

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