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リチャードがエルドラを妃とし王を継いでから10年が過ぎていた。


エルドラはどうにか頑張って子供を3人もうけ、今や三児の母となっていた。エルドラは約束を果たしたのだ。

なお奇跡的な事に、一度目の生と同じく長男、次男、そして最後に長女が一人と同じ性別、同じ生まれ順であった。

リチャードは疲れ果てた顔のエルドラをとにかく褒めそやし、一度目と同じ名を三人に付けさせた。


長男であり王太子のフィリップ、次男ウィリアム、長女のシャーロット、いずれ劣らぬ美しい容姿で、みな実父のヘンリーの血を引き見事な黒髪であった。


そんな三人が揃って開拓村へとやってくる一件があった。

この一件は極めて珍しい事に、リチャードが王都へ向かうのではなくエルドラが開拓村へとわざわざ訪れに来る運びとなったのだ。

それも3人の子供を引き連れてのことである。


久々に顔を合わせたエルドラを見て、リチャードは少なからず衝撃を覚えた。


目の前にいる女はまだ30になる少し手前くらいであるはずであったが、その髪には白いものが多く交じり、目じりには皺もあり、まるでくたびれた中年女のようであった。


一度目の生でのエルドラの事をリチャードは伝え聞く程度にしか知らないが、いつまでも若々しく、まるで乙女のような美しさをたたえる女性であったと耳にしている。

目の前の中年女はそのようなかつての噂とあまりにかけ離れた様相であったから、一瞬これがエルドラであるかリチャードには分からなくなってしまった。


「お久しぶりです、我が王。此度は故あって三人のお子を携えリチャード様の村へとお邪魔に上がりました。

どうぞなにとぞわたくしどもの逗留をお認めくださいませ。」

口を開いたその声色がエルドラであったから、リチャードはこの女が王妃であることにようやっと納得がいった。

リチャードはわずかな動揺を隠しつつ、大仰に頷いてみせる。


「うむ。滞在を認めよう。何もない辺鄙な村ではあるが、良ければ好きなだけくつろいでゆくがよい。」


それからエルドラの背後に立つ3人の子供達に目を向ける。


長男のフィリップは齢9つとなり、神経質そうな線の細い顔立ちをして、どこかおどおどとした様子であった。

次男ウィリアムは6つの歳となり、何やら生意気そうな顔でそっぽを向き地面をしきりに蹴るなどして落ち着かない様子である。

長女シャーロットは4つになったばかりだそうで、どこを見ているだか分からないぼんやりとした顔で笑うばかりであった。


いずれもヘンリーの血を引いて見事な黒髪であった。


「さあお前達、お父様にご挨拶なさい。」エルドラが三人の背中を押し促すようにする。


一歩前に出た今代の王太子フィリップが神経質そうな顔で下から睨めつけるようにしてこう挨拶をして見せる。


「お久しぶりです、リチャード伯父様。ご機嫌麗しゅう。」


「なっ!」声を上げるエルドラ。「伯父様ですって!?」そのまま手を振りかざし、「お父様に向かってなんて口を利くのです!」などと叫びながらフィリップへとこれを叩きつけようとする。


「待て!」リチャードは機先を制しこれをとどめる。そしてその場に膝をつき、フィリップと同じ目線になるように顔を落としてから、真っすぐにフィリップの顔を見つめる。


フィリップの顔は真っ青になり怯えながらも、それでも何かを訴えかけん様子であった。


この子供は齢9つにして賢くまた、今何かを決意しリチャードの前に立っている。

この幼子は今、フィリップに何かを訴えかけようとしている。これを蔑ろにしては決していけない。

リチャードは自らが愚かであることは分かっているが、なればこそこの賢い幼子が自らより人間としては立派なものであると素直にそう思えるのだ。

だからリチャードは遜ってでもこのものの話に耳を傾けようと、そう素直に考えたのである。


「まあ待てエルドラよ。このもののいう事には理由があるように思える。フィリップよ、対外的にはそなたは私の子供であると言い含められていることをそなた自身も知っておろう? それが何故にそなたはこの私を伯父などと呼ぶ? どうしてそう答えようと思った?」


フィリップは震えながらも口を開く。


「恐れながらも国王陛下。王城の皆が知っていることにございます。わたしは王たるリチャード様の実子ではないと。何よりほかならぬヘンリーがわたしにこう言うのです。お前は自分の息子だと。

母一人が違うといいますが、誰もそれを肯定いたしません。王宮での母はまるで滑稽な道化師のようです。

ですから国王陛下、わたしはあなたの事を伯父上と呼ぶのです。それが一番良いように思えるからです。」


言い終え、その場に深々と頭を下げるフィリップ。


なるほどとリチャードは感心する。


この子供はこの歳にしてすでに色々な事を分かっているのだ。

その上でこうして勇気を振り絞り、この場に疑義を投げかけているのだ。


「なるほど。そなたのいう事についてはあい分かった。ほかの二人はどうなのだ? ウィリアム? そなたはこの私の事をなんと考えているのだ?」


次男のウィリアムは「ふんっ!」と鼻を鳴らし、そっぽを向いてみせた。そしてそれ以上は何も語ろうともしない。エルドラの顔が引きつる。


だがリチャードにはそれだけで十分だった。ウィリアムもまたリチャードの事を父とは認めていないのである。


「シャーロット? そなたはどうだ? 私の事をどう思う?」


シャーロットはさらに辛辣だった。


「知らないおじさんっ! 初めましてっ!」ぴょこんと飛び跳ね、それから可愛らしくもスカートの端をつまんでお辞儀をして見せる。


これを聞いたエルドラは泣き崩れそうな様子であった。


だがリチャードにはこれらの全てがなんだか面白おかしく感じられてしまい、思わず大声で笑ってしまった。

「ははははは!」


それから、何やらびっくりとなった子供達に対し順に声を掛けてやる。


まずはおちびのシャーロット。

「初めまして! 可愛らしいシャーロットよ! 私はそなたの伯父のリチャードだ!」


続けて生意気なウィリアムへ。

「ウィリアムは挨拶の仕方くらい覚えておいた方が後で余計に叱られなくて済むぞ。なに、さんざん叱られた私が言うのだ。間違いないぞ?」


最後に王太子たるフィリップが跪いている肩に手を掛けてやり。

「次代の王たるフィリップよ、私はそなたの言う通りの伯父のリチャードである。ただし決して忘れるな? そなたの父親が誰であろうと、そなたがこの国の王太子であることに変わりはない。私がそなたをそのように取り立てたのだ。

そなたは誰が親であろうといずれ私の後を継ぎ王となる事には変わりはないのだ。その事だけはゆめゆめ忘れてはならん。よいな?」


三者はそれぞれの方法で返事らしきものを各々が返してくる。


「陛下!」声を上げたのがエルドラであった。


そもそも今回の来訪は、近頃は三人の子供たちが王宮のものにいいようにされ、自分達が誰の子供であるかをよくわからなくなっている様子であることを心配したエルドラが、何とか時間を作って父に会わせに来たといった事情について、先触れの手紙にて話は聞いている。


だがリチャードはそのような配慮自体が無駄な事ではないかと最初から感じていた。

なにせリチャード自身がこの子供たちの事を自分の子であるとは到底思えないのである。

その上で彼らも自分の事を父親と思えないようであるから、最初から遠くに住んでる親戚程度の付き合いで収まるようにするのが互いのためであるように思える。


それがエルドラだけが何やら必死におかしな関係に固執している様子は、正直あまり面白いものとも思えなかった。


「良いではないか、エルドラ。そもそも私はこのもの達が次代のかなめたるひとかどの者に育ってくれればそれでよいのだ。

誰が親であろうと関係はなかろう。このもの達はいずれも劣らぬ王の子である。それでよいではないか。」


「陛下!」エルドラは叫び声をあげ、その場に崩れ落ちる。慌てた様子の侍女どもが駆け寄ってそんな彼女を支える。


リチャードは見てしまった。このような母親に対する三人の子供らの反応の異様さを。


長子フィリップはまるで自ら自身が傷ついているかのように辛い顔でじっと母の様子を見ている。

次男ウィリアムは嫌悪感をあらわにこの母を冷ややかな顔で見下している。

一番下のシャーロットはまるでどこにも視点があっていないような様子でにこにこと笑顔を振りまいている。


三者とも常軌を逸しているようにリチャードには見えた。

エルドラ自身の様子とあわせ、異常でねじくれた関係が醸成されてしまっている様子がありありと見て取れた。


これは大変なことになっている。

10年の間ただワイン造りにうつつを抜かして全てをエルドラに任せていたリチャードは、知らぬ間に家族の間にとんでもない問題が起こっていたことに、今初めて気付かされたのだ。


自分のような粗忽ものに、このもの達の問題を少しでも良くする手助けは出来るのだろうか?


リチャードにはまるで分からない。だが、このままこのものどもを放置してもよいとは到底思えなかった。


此度の滞在は、日頃の労をねぎらう休暇を兼ねて一月ほどもの期間を予定している。

その間にリチャードに出来ることがあれば、ここは少しでもなにかせねばならぬ。


リチャードは今までにした事もない努力をせねばらなぬと覚悟を決めた。



一番に問題を起こしたのは次男ウィリアムであった。


開拓村に滞在するようになって数日程立ったある日、ウィリアムは屋敷を飛び出してどこかへ消えてしまった。

腕白坊主がじっとしていられずに飛び出したのだろうと、リチャードはさして気にも留めなかったのだが、昼飯時になっても帰ってこない事に慌てたお付きのものどもがあたりを探すも見当たらない中で、村人の一人が血相を変えてリチャードの元へと駆け込んできた。


なんでも身なりの正しきどこぞの貴族のご令息がブドウ畑に押し入って、結実したばかりのブドウの房を棒でつつきまわったりあちこち引きちぎるなどしているらしい。


これが村のガキどもであればすぐにでも怒鳴り散らして折檻するところだが、なにぶんやんごとなき身分のものであると伺い知れたのでうかつに手も出せず、とにかく村の領主である(と村のみなには信じられている)お屋形様のところへと転がり込んできたのだ。


このような酷いことをする餓鬼など一人しか考えられなかった。

リチャードは放たれた矢のごとく一直線に駆けだすと、畑の中にあって我が物顔であちこちを引きちぎるウィリアムを思いっきりぶん殴った。


突然ぶっ飛ばされたウィリアムが訳も分からぬ様子で大声で叫ぶ。

「何をするか! きさまぁっ! このオレが王の子であると知ってのことかぁっ!」


リチャードも負けじと大声で怒鳴りつけてやる。

「王たる私の畑で何をしているか!」


地面に倒れたウィリアムは顔を上げ、数秒ほどじっくりとリチャードの顔を見てから、ようやっと目の前の人物が誰であるか気付いたようだ。

だが、気付いてなお、態度を改めるようなことはなかった。


「なんだきさま! きさまはにせものの王ではないか! にせの王がこのウィリアム様に何をしたか分かっているのか! きさまなど死罪だぞ! きさまあっ!」


リチャードはそんなウィリアムの胸倉をつかみ上げると、暴れるウィリアムに構うことなくそのまま持ち上げた。喉元がシャツに締め付けられるようになり、息が苦しくなったかよりいっそう暴れ出すウィリアム。


「きさまぁっ! やめっ! 止めろっ! オレ、……オレは王の子だぞっ! きさまっ! このオレにっ! 止めっ! 止めっ!」


だがもちろん、止めるリチャードではない。更にギリギリと締め付けるように胸倉を掴み上げてやる。


「やめっ! やめっ!」ここでウィリアムがあたりの様子に気付いたか、ハッとなった様子でひときわ声を大きくする。

「おまえ達っ! 何を見ているっ! この愚か者を止めろっ! はやくこの俺を助けろっ! 助けっ! たすけっ! たすけっ……!」


リチャードもウィリアムが掛ける声の先へ振り返ると、そこにはぬぼっと無表情のまま突っ立った複数の護衛騎士のものどもがいた。


彼らは先ほどいなくなったウィリアムを探し回っていたお付きのものどもの中にはいなかったから、どうやらこのウィリアムについてずっとこの場にいたようであることが察せられた。

リチャードがぎろりとにらみつけてやると、護衛の騎士どもはたじろいだか一歩後ろに下がった。


それから騎士どもに聞いてやる。

「そなたたち、このウィリアムが悪さをしている間、ずっと様子を見ていたのか? 誰か止めようというものはいなかったのか?」


騎士どもは何の返事をも返さなかった。ただじっと黙っているだけだった。


「王の質問ですよ? 答えなければ不敬として処分いたします。」

ブドウ畑に響く声があった。


騎士どもが慌てて振り返ると、彼らの後ろに凛として立つ王妃エルドラの姿があった。

更にはその後ろには屋敷にいたお付きのものどもが総勢でぞろぞろと後ろを固めており、またその脇には何事かと集まった村のものどもも沢山揃っていた。


ギョッとした様子の3人の騎士たちは、大事になりつつ事態にすっかり顔を青くし押し黙ったままだった。


「不敬ですね。誰かこのものどもをとらえなさい。抵抗するなら命をとってもかまいません。」


慌ててその場に遜る3人の騎士。そのうちの年かさのものが口を開く。

「恐れながら王妃殿下。私共は王に不遜を働く心積もりはございません。」


「なれば答えなさい。お前たちはウィリアムが粗相をしている間黙ってみていたのですか? 止めようとはしなかったのですか?」


腹の底から絞り出すような声で、年かさの騎士が返事をする。

「……黙って見ておりました。」


「何故だ。理由を言え。」リチャードがさらに質問を重ねる。


再び黙りこくる騎士。


「お前たちは王に対して不敬が過ぎます。覚悟は出来ておりますね?」静かながら凍てつくようなエルドラの声。


重苦しい雰囲気の中、年かさの騎士が再び口を開く。

「恐れながらウィリアム殿下は王の子です。私共にお止めする権利はございません。」


「なんだそれは……!」リチャードは思わず絶句した。しばし口を開けたままにして、どうにか次の言葉を思いつく。

「そなたたちはウィリアムが王の子だから何をしても見逃すというのか? 王の子は何をしても許されるというのか?」


騎士は平伏したまま答える。

「私共の勤めは王の子をお守りすることです。ほかに出来ることはございませぬ。

私共の誰にもお止めする事は出来ません。」


「では誰がウィリアムを止めるのだ! 誰がこの子を諫めるのだ!」

「王の子のなさることは、誰にもお止め出来ません。」

「何故だ!」

「王の子とはそういうものだからです。」


リチャードはエルドラの後ろにて固唾をのんで見守るお付きのものどもに向かって声を張り上げる。

「この3人の騎士は王の子がいかなる粗相をしても止めることが出来ぬと言っている。王の子なれば何をしても止めないと言っている。これはお前達全員の考えなのか!? 誰かこの中に異を唱える者はおるか!?」

誰も返事を返さなかった。みな一様に顔を伏せたまま、ただじっと黙りこくっていた。


リチャードは大きくため息をついた。そしてエルドラに声を掛ける。

「この3人の騎士に我が子ウィリアムの監督不届きとして処分を申し付ける。最も重い処分を考えているが、何が妥当であるか?」


間髪入れずエルドラが答える。

「王への不敬と反逆の意志ありとして、拷問にかけさらし首にいたします。家族全員を捕らえて同じ目に合わせます。このもの達の親族などの持つ貴族籍などは全て取り上げます。また、このものの監督であるべき近衛騎士団の上役のものどもを全員降格にいたします。」


「なっ!」若い騎士が驚いた様子で顔を上げた。

「王妃殿下! あんまりにございます!」


そんな騎士に向かってリチャードは意地悪く声を掛けてやる。

「王の子は何をしても止めるものがないと言ったな? ならば王たる私が何をしても止めるものがないということであろう? なれば王たる私がそなたらをいかように扱おうとも別にかまわぬではないか。これはそなたらが言い出したことの続きなのだぞ?」


若い騎士は真っ青な顔になりぶるぶると震え出した。


「恐れながら陛下!」

年かさの騎士が声を張り上げる。

「これは護衛の長たるわたくしの不徳といたすところです! どうか処分はわたくしのみにしていただきたい! このもの達はまだ若いのです! どうかこのわたくしの一族のみの処分に納めていただきたい!」


「馬鹿者!」リチャードは怒鳴り声を上げた。

「そうではないであろう、馬鹿者め! 私はそなたらに我が子を諫めよと言っているのだ! 間違えたら叱ってやれとお願いをしているのだ! 何故私がそなたらを処分などせねばらぬ! 全く逆であろう! 王が過ちを犯せばみなで止めるものであろう! 王の子が間違いをすればみなで叱るものであろう! なぜこんな簡単なことが分からぬ! 何故見ているばかりで止めようとせぬ! そなたらが止めねばウィリアムは悪逆の為政者へと成り下がるではないか!」


年かさの騎士は平伏したまま動かなくなり、若い騎士は顔を青くしたまま動かなくなり、隣にいる三人目の騎士もやはり同じく動かなくなった。


「なんだこれは……。いったい何なのだ、これは。」

リチャードはそんな3人をただ見下ろすしかすることがなかった。傍らで首根っこを掴まれたままのウィリアムも、事態が呑み込めずぽかんとした顔であたりを見回すばかりであった。


エルドラが冷ややかな声を上げる。

「お前達? 王が頼みごとをしているのです。返答なさい。ウィリアムが粗相をしたら止めると誓いなさい。」

「止めろエルドラ!」リチャードはエルドラを叱責する。「そなたが口を開くとこじれるばかりだ! 口を慎めエルドラ!」

エルドラはびっくりとした顔になり、それからその場に跪き、こうべを垂れた。「申し訳ございません、我が王よ。」

この王妃の様子に周囲の者も慌てて全員がその場に跪いた。

村人たちもびっくりとなって全員がひれ伏す。

リチャードの小脇にて押さえつけられているウィリアムはその様子に驚いて目を見開いた。


リチャードはそんな周囲には目もくれず、3人の騎士に声を掛けてやる。

「そなたたち、黙っているがなにか理由があるのか? ウィリアムに手を出せぬ事情でもあるのか?」

だがそれでも3人の騎士達はずっと黙りこくったままだった。若い騎士などはすっかり死を覚悟したような顔をしていたが、それでもとにかく黙ったままであった。


「恐れながらも申し上げます! 国王陛下!」

しばしの沈黙を破って声を上げたのは、年若い子供の声であった。

ひれ伏す人々の間を縫うようにして前に出てきたのは誰あろう、長男フィリップである。


「陛下! 恐れながらも陛下! 臣に代わりまして王の長子たるわたしがお答え申し上げます!」

リチャードとしては驚くばかりの事態である。よもや10にもならぬ幼子が出てきてこのようにはっきりとした物言いをしてくるとは。


「良いだろう。申せ。」


すっかり唇を紫にして震え声のフィリップは、それでも小さな拳を強く握りしめこう返答を述べる。


「どうかこのもの達を責めぬでやってください。このもの達は命じられているだけなのです。

わたし達3人の子供のすることに一切否やを唱えてはならぬと。王の子たるわたし達に全てを従うようにせよと。

ですからどうかこのもの達を責めぬでやってください。

このもの達が一番つらいのです。」


「誰だ! 誰が命じたのだ!」


フィリップはとても悲しい顔をした。出来れば聞いてほしくなかった、という顔だった。そんな事を言われてもリチャードには分からぬのだ。愚かで察しが悪いから、いちいち言葉にして言ってもらわねば分からぬのだ。


フィリップは恐る恐る、といった呈で小さくこう答えた。

「王弟陛下、宰相ヘンリー様にございます。」


「ああ。」リチャードは嘆息した。そういうことかと腑に落ちた。腑には落ちても納得は出来なかった。


3人の騎士どもに声を掛けてやる。

「あのヘンリーめが命じたので、そなたたちはウィリアムに何も言えぬのだな? そうなのだな?」

3人は何も言わなかった。言わない事で全身で答えていた。


リチャードはエルドラの方をチラリと見た。

かんばせを上げたエルドラはその顔を真っ青にしていた。それはまるで何も知らなかったという表情であった。


ああ。リチャードは嘆息した。


最初の日にフィリップが言っていた言葉が思い起こされた。


――母は滑稽な道化師のようです。


リチャードはようやっとフィリップの訴えを理解した。王弟ヘンリーが専横を恣にし、それをエルドラが知らされていないであろう状況を理解した。

理解したが、今のリチャードにどうできるものでもなかった。


そこでとりあえずはリチャードはウィリアムを脇に抱えたまま、ウィリアムが暴れた区画の畑の持ち主であるピーターとその妻のそばにより頭を下げ、それから村人たちを解散させ、ともかくみんなで屋敷に戻り、ウィリアムは「一晩反省せよ」などと言って納屋に押し込めた。


ウィリアムは最初は暴れてみせたり悪態をついたり大声で叫んだりしていたが、そのうちわんわんと泣き出して、助けを求める声などが聞こえるようになり、それもしばらくしたらすすり泣くような声しかなくなり、最後は疲れたか眠ってしまった様子だった。


リチャードはそんなウィリアムの様子をこまめに見に行くようにし、寝静まった頃合いを見計らって中から出し、後はそば仕え共に引き渡して面倒を見るようにさせた。


夜になってリチャードは長子フィリップを一人呼び出した。

お付きのものなども退出させ二人きりの状況にしてからおもむろに話を切り出す。


「どうにも王宮では私の知らぬところでいろいろ面倒が起きているようだな。特にそなたたち子供らの事についてはあのエルドラも良く把握していないように見受けられる。


どうやらそなたが一番事情に明るいようなのでこうして無礼を承知で席を設けさせてもらった。

すまぬが王宮の事情について、そなたたちの周りのわかる範囲の話でよいからこの私に教えてもらえぬか?

頼む。」

リチャードは年端もいかぬ子供に向かって深々と頭を下げた。


びっくりした様子のフィリップが慌てた声を上げる。「お顔を上げてくださいませ国王陛下。わたしの知っていることはなんでもお話ししますから、どうか王たるリチャード様がそのようにむやみと人に頭を下げぬでくださいませ!」


顔を上げたリチャードはニヤリと笑ってみせる。

「別に王であろうが愚かな私が人に教えを乞うのに頭を下げるのは当たり前のことであると思うのだが。

もしやそなた、王は頭を下げてはならぬなどとあのヘンリーめに教わったのではあるまいな?」


フィリップは一瞬びっくりとした顔になり、それから程なく顔を赤くして、「……いえ。……はい。確かにそのように習っておりました。申し訳ありません。」と、リチャードと同じくらい深々と頭を下げて見せた。


「ふむ。」リチャードはそんなフィリップが顔を上げるのを待ってから、「では改めてそなたが知り得る限りの宮中の事情を聞かせてくれ。」と、話の先を向けてやる。


おずおず、といった様子ではあるものの、状況をあれこれと話し始めるフィリップ。

リチャードはそのいびつな状況に眉をしかめつつも、とにかく話を聞く以外になかった。


まず、王妃エルドラと宰相ヘンリーの関係がとにかくいびつであった。

一番の大きな差がその才覚の違いであった。

ともかくエルドラの才覚が優れすぎているのだ。それは異様と言ってもいいほどで、例えば誰も知らぬような異国の政変を先に読み切り外交の対策を事前に済ませたり、魔術師でもとても読みきれぬような大嵐や火山の噴火などを事前に見越して内政を進めたり、新しい技術や政策を次々に生み出したり施行したりと、とにかく一人で八面六臂の活躍をして、政の要とまでなっていた。


『ときさかの魔法』のおかげだと、リチャードにはすぐに察しがついた。物覚えの良いエルドラは一度目の生のあれこれを覚えており、この時の知識と経験をもとに縦横に活躍している様子がありありと思い浮かばれた。


結果として、宰相として取り立てられたはずのヘンリーはあまり用がなく、宮廷の政治や貴族共の陳情対策など、細かな仕事ばかりを任されるようになっていったようであった。

宮中の祭事などは全てヘンリーが取り仕切るようになり、貴族からの覚えはヘンリーのほうが良いようであった。

このあたりにねじれの大元があるようであった。

国を動かす実務に携わるものは大貴族から末端の官僚までエルドラを支持しヘンリーを邪魔に感じているようだったが、領地をそれなりに治めていれば後は遊んでいてもよい中間貴族層がヘンリーを支持し、両者の間には溝が広がっているそうであった。


子育てなどもヘンリーが取り仕切った。

エルドラはあまりに多忙で子供の世話までとても目が掛けられぬようで、これくらいはやってくれと半ば押し付けられてヘンリーがあれこれ差配した結果が、先のウィリアムを取り巻く護衛騎士のような関係であるようだった。


どうもヘンリーは色々と拗らせてしまっているようである。

国政の大事な部分は全てエルドラに取り上げられ、面倒な貴族どものごたごたにばかりつき合わされ、本来は実の子であるはずの3人の子供達を王の子として育てるように押し付けられたヘンリーは、何を思ったか王の絶対性を縦に無茶な養育環境を作り上げ、子供らにこれを押し付け始めたのだった。


あるいはそれは、ヘンリーが本来望む扱いを子であるフィリップ達に与えることで代償行為としているようにも見える、とは子として相対する当のフィリップの見解であった。


リチャードはこの幼子のおおよそ子供離れした鋭い視点と辛辣な意見に逃げ出したくなる恐れすら覚えたが、何よりこのものはあのエルドラの子供であるのだから、これくらいは当然なのだろうと思い直した。


フィリップは言葉を続ける。

「正直、なぜヘンリーのような小人を王であるリチャード様が引き立て、母エルドラが宮廷での専横を許しているのか、わたしには理解が難しいのです。

どう見ても母エルドラとヘンリーは不釣り合いです。母の才も力も突出しており、二人を並べるとヘンリーは役立たずの邪魔者にしか思えません。

けれどもなぜか母はあのヘンリーめに余計な仕事を与えるのです。それもいやいやながら仕方なくといった様子でです。


わたしには全く訳が分かりませんでした。

そもそもわたし達3人の子供の父がヘンリーである理由が分かりませんし、なぜ母エルドラはああもヘンリーを嫌っているにも関わらず3人もの子をもうけようとしたかも分かりませんですし、今でも嫌々ながら母がヘンリーに使い道を与えている様子が全く分かりません。


それが最近になってようやっと、何やらそこに国王陛下であらせられますリチャード様のご意向がある事が、非才なるわたしにも分かってきたのです。」


ここでフィリップが居住まいを正す。それから改めて深々と頭を下げる。

「リチャード様。どうかお願いです。なぜあのようにヘンリーを重用するのか、なぜわたし達はヘンリーの子供であるのか、この愚かなわたしに教えてくださいませんでしょうか。」


いつまでも頭を下げて震えるばかりのフィリップの小さな肩をじっと眺めながら、リチャードはただただおのれの愚かさに恥じ入るばかりであった。


自らが思いつきでエルドラに命じたあれこれが、一周回ってこの幼子の今を苦しめているのだ。

安易にリチャードがエルドラとヘンリーの間に子をもうけるようにさせたため、子供達はおかしな状況でおかしな育てられ方をし、今色々とおかしなことになっている。


だが、卑小なリチャードにはどうすればよいかまるで思いつかなかった。

どう正せばこのもの達が正しい養育を受け良い未来を得ることが出来るのか、まるで想像が出来なかった。

それでも今、時分に出来ることが一つだけある。

リチャードは決心した。


「よいだろう。フィリップを、顔を上げなさい。そなたに全てを明かそう。何故このようになったか、全てをそなたに話そう。

そなたにはこれを知る権利がある。」


こうしてリチャードはすべてを話した。一度目の生のこと、『ときさかの魔法』のこと、二度目の生のこと、エルドラとの間に交わした約束のこと。


全てを話し終えた後、フィリップは泣きながら笑っていた。嬉しそうに笑いながら、ボロボロと涙を流していた。


「全ての事に得心がいきました。全ての謎が解けました。全ての事情が繋がりました。ああ! リチャード様! 酷い話です! これは本当に酷い話ですね!」そう言って泣きながらケタケタと笑い出した。


「どうしたのだ、フィリップよ。そなたの様子はただ事ではないぞ。正気ではないように見えるぞ。少しは落ち着かぬか。長話に疲れたのであれば休むのがよいのではないか。」

すっかり心配になったリチャードは、慌てながらもとにかく適当な言葉をかけてみる。


「大丈夫ですリチャード様。ただいっぺんに色んな事がはっきりしたので、混乱して感情がおかしくなっているのです。

生まれて初めての衝撃があり、ともかく落ち着くのに時間がかかりそうなのです。

どうか少しだけお時間をください。

どうか、どうか。」


フィリップがそういうも、リチャードはとても気が気ではない。オロオロしながらフィリップの周りをうろうろしていると、次第に落ち着いてきたフィリップが涙をぬぐいつつ、リチャードに声を掛けてきた。

「もう大丈夫です。ご心配をおかけしました。」

「本当か? 本当に大丈夫なのか?」心配が止まらぬリチャードに対し、

「大丈夫です。リチャード様。」と言って大きく頷くフィリップ。

そのままフィリップは「どうか椅子にお掛けください。」とリチャードに座るよう促し、言われたとおりにリチャードが腰を落とすと、自らは席を立ち、リチャードの前に跪くようにして臣下の礼を取った。


驚いたリチャードが腰を浮かす前に、フィリップは顔を上げこう口を開く。

「恐れながら国王陛下。王の臣たる第一王子フィリップより進言がございます。」


その真剣な表情にリチャードは思わず息を飲み、それから改めて深く腰を下ろし居住まいを正した。


「いいだろう。申せ。」


「はっ。」フィリップは再び顔を下に向けてから、「王弟殿下ヘンリーをお止めください。」そう進言を述べた。


「何故だ?」リチャードが理由を尋ねる。


「あれのおかげでみなが混乱しております。宮中がかき回され、貴族共の争いの種をあちこちに撒いております。このままでは国にとっての害悪としかならぬと直訴いたします。どうかあのものをお止めください。」


「……そうか。」リチャードは天井を見上げた。

「あのものは害悪であるか。そなたの目にはそのように映るか。」


「はい。」短く返事をするフィリップ。


リチャードは罪悪にも似た気持ちがこみ上げてきて、思わず心情を吐露する。

「一度目の生でのあのものは素晴らしい王であった。エルドラと二人で太平の世をもたらしてみせた。

二度目の生でも同じように出来ぬかと勝手な期待をしたが、思い通りにはいかぬものか。」


フィリップがリチャードの独白に返答をする。

「恐れながら陛下。一度目とは恐らくいろいろなことが違い過ぎております。」


「そうなのか? どこが違っているのだ?」

リチャードは気になりこの賢い幼子に事情を説明させる。


「まず一つは母エルドラが優れすぎていることです。元の母とヘンリーはそれほど差がなかったのかもしれませんが、二度目では未来の知識がある母が圧倒的に優れており、ヘンリーではつり合いが取れません。

更には二度目の今回はリチャード様がおわします。

ヘンリーにとってリチャード様は特別に大変な存在であるように見受けられます。

それも悪い意味で、心のしこりのようなものであると考えられます。

リチャード様がいらっしゃるだけで、あのものは冷静な考えを失い、愚かな小人へと成り下がるのです。

リチャード様がいるこの生では、恐らくあのものは使い物になりません。」


リチャードは思いついた事を口にしてみる。

「私が罪などを犯して適当に失脚し、あのものに王位を譲ってしまってはどうだろうか?」


「何をおっしゃいますか!」フィリップは声を上げる。

それからふるふると首を横に振ってみせて、

「もうそのような小手先の技でどうにかなる状況とも思えません。

何より二度目の生では母がヘンリーの事を嫌っています。

一度目の生は二人は愛し合っていたとのお話でしたが、今のわたしにはとても信じられぬ事です。

あのように嫌っている相手と母がうまくやれる様子が想像つきません。


あるいはリチャード様に合わせて母が政から退きなどすればもっと大変です。

事ここに至ってはヘンリー一人で国が回るとは到底思えません。

排除するならばヘンリーめの方を除くことの方が断然良いのです。」


「そうか……。」リチャードはしばしの間言葉がなかった。


しばし感慨にふけり、それから決意して顔をフィリップに向ける。

「すぐに答えは出ぬが、必ずや早急に王としての断を下そう。

だがその前に一つだけそなたの考えを聞かせよ。

いざヘンリーをどうにかするとして、具体的にはいかがする? そなたには考えがあるか?」


顔を上げたフィリップはなんとも情けない顔をしていた。

「申し訳ありませぬ陛下。実はその点については何も思いつきませぬ。

せいぜい母エルドラに任せてしまえば何とかしてくれるだろうといった事が思いつくばかりです。」


「なんだそれは!」リチャードは思わず笑ってしまった。「つまりそなたは何か? いけ好かない実父ヘンリーを追い出すのに、義理の父である私を使って母エルドラをそそのかしてくれとこうお願いしているのだな? 私の頼み事ならあのエルドラも話を聞きそうだからとそういった魂胆なのだな?」


「いえそのような! 決してそのようなつもりでは!」

慌てるフィリップのその顔が面白くて、リチャードは笑った。何せ今のフィリップときたら、年相応の9つの幼年であるとしか見えなかったからだ。


「あい分かった! そなたの義父としてなるべく良いように考えてやるから安心せよ!」

すっかり気分の良くなったリチャードはそう返事をしてやる。


「ただしすぐには答えは出せぬ。他のものの意見も聞かねば判断がつかぬし、何より今日は色々ありすぎてこれ以上頭を使いたくないのだ。

今日の私はくたくただ。今日はもう休ませてくれ。」


それからリチャードは珍妙な顔になって慌てるフィリップを部屋の外に送り出すと、不思議と良い気分になってすぐさまベッドに潜り込み、気持ちよい気分で眠りについた。


年相応の可愛らしいフィリップの慌てた様子に、リチャードはなんだか楽しくなってしまったのであった。



翌日には楽しい気分も消し飛んだ。


昨日の3人の護衛騎士を始めとする大勢のものが夜のうちに屋敷を逃げ出したのだ。

もともとは王妃とその子が滞在するとあって50人余りのものどもが供として開拓村に来たのだが、たった一晩で10人も満たない人数に減ってしまっていた。


「何事です!」声を上げるエルドラに、だが残ったものどもは誰一人として返事をしなかった。

みな一様にうなだれてうつむくばかりであった。


リチャードは状況が呑み込めずぽかんとしてると、フィリップが一人前に出て口を開いた。


「みな、昨日の件で罰を受けると怯えておりました。恐らく罪に問われる前にそれぞれの家族のもとへと向かったのではないかと考えられます。」


「なんだそれは……。」リチャードとしては意味の分からない話にため息しか出ない。

「家族のもとに向かってどうするのだ。」


「家族とともに逃げるためです。母が昨日一族全員を罰するなどと言ったので、みなが真に受けたのでしょう。」

「私はあのもの達を罰するなどとは一言も言っていないが。」

「ですが罪に問わないともおっしゃられませんでした。ですから皆が不安を覚えたのです。」

「だからと言って逃げ出すほどの事でもないだろうに。」

「みな、実際にはよいもの達なのだと思います。ただ、王弟ヘンリーには決して逆らえぬので従っていたのです。

それが昨日、陛下があのように嘆かれたので、みな心に思うことがあったのだと存じます。」

「私は皆に嫌な思いをさせたのだろうか? 私は皆から嫌われたのだろうか?」

「みなリチャード様の事をよく存じ上げなかったのです。ですから、みながヘンリーや母エルドラと同じように考えたのです。

ヘンリーも母も過ちには厳しい人ですから、僅かな間違いでも厳しく罰せられるのです。ヘンリーや母であれば、昨日のような一件があればそれだけでなにがしかの処分があります。

リチャード様の事も同じように考えたのです。」


「そうか……。」リチャードは返す言葉もなかった。


返す言葉はなかったが、それでも言わねばならぬ事が一つだけあった。


リチャードは残った使用人のものどものをぐるりと見渡すとこう言い渡した。

「私はそなた達を罰したりはせぬ。そなた達の家族をどうこうしようとも思わぬ。昨日は売り言葉に買い言葉で騎士のものどもにあのような事を言ったが、別にあのもの達を責めるつもりもない。王として約束する。どうかこの私を信じてくれ。」


みなは不安げな様子でお互いの顔を見合わせたり、チラチラとリチャードの方を盗み見たり始めた。


しばらくしてそのうちの一人が怯えながらも意を決した様子で口を開いた。

「それは出て行ったもの達も同様でしょうか? 彼らも罰せられることはありませんでしょうか?」


「無論だ。彼らも仕方がなくの事である事情は理解している。私は誰をも罰しない。」


これでようやっとホッとした顔を作るお付きのものども。


だがここに異を唱えたのがエルドラであった。

「いけません陛下! 残ったものはまだしも、出て行ったものは相応の処分が必要です! そうせねば王の威厳が損なわれます! それは絶対にいけません!」


何を言っているのだこの馬鹿女は! リチャードは怒りで感情が沸騰する思いであった。


「馬鹿者! 貴様のそのような考えが皆を委縮させていると何故気付かん! 罰が必要なのは貴様の方だ! 賢いばかりで人の心の機微の分からぬ愚か者め! 貴様こそが王の徳に泥を塗る粗忽ものではないか!」


「なっ!」エルドラは小さく悲鳴を上げた。それからわなわなと震え、唇を噛みしめるようにしてからその場で俯いた。


リチャードはそんなエルドラには目もくれず、改めて使用人どもを見回した。

「重ねて誓う。私は残るものも出て行ったものも誰も咎めぬ。このエルドラが何かしようものなら、王の権限の全てを使って止めて見せる。このような仮初の王の言など信じられぬかもしれぬが、どうかここは私に任せてほしい。頼む。」

彼らに向かって深々と頭を下げる。


使用人どもは困り果てた様子だった。

王が目の前で自分たちに頭を下げているのである。尊いものに傅くばかりの彼らにとって、このようなことは今まで一度も経験したことがないのだ。

侍女の一人などは混乱のあまりか、ボロボロと涙を流して泣き出した。


そしてこの異様な状況を更に混乱に導くものがあった。


「ぎゃあああああっ!」


突如として、幼い子供の金切り声が鳴り響いた。

びっくりとなったリチャードが声の方に目を向けると、喚き叫びながらじたばたとする末娘シャーロットの姿があった。


明らかに常軌を逸したその振る舞いに、「何事か!」とリチャードが声を上げる。


だがお付きのものどもは何も返事をしなかった。全員が顔を背け、リチャードに目を合わせようともしなかった。

エルドラも固まったように動かなくなり、この期に及んでは全く役に立ちそうになかった。


なおも「ぎゃあっ!」「ぎゃあああっ!」と喚きながら地べたにうずくまり大声を上げるシャーロット。


ともかく誰も動かないので、リチャードはシャーロットのそばに駆け寄ると、恐る恐るではあるが暴れるシャーロットに手をかざし、ともかくギューッと抱きしめてやった。


シャーロットはリチャードの腕の中でなおも暴れたが、たかが4つの幼子の事なので畑仕事で鍛えたリチャードには堪えるものもなく、ともかくしばらく抱きしめてやっていると、やがて落ち着いたのか、シャーロットは暴れることもなくなり、おとなしくなってリチャードにしがみついてきた。


リチャードは心のうちでほっと胸をなでおろした。

リチャードは一度目の生でずっと男やもめではあったが、村の子供たちはみんなで面倒を見る習わしであったから最低限の子供あしらいというのは身に付けていた。


その中で、癇癪が酷い子供におかみさんがこうして抱きしめてやって落ち着かせている時がある事を覚えていたので、駄目もとでシャーロットにも試してみたのだ。

どうにかこれが功を奏した様子に心底ほっとなるリチャード。


そんなリチャードに声を掛けるものがあった。


「大したものじゃないか、お前。」幼いその声に顔を上げると、感心した様子の次男ウィリアムがこちらを見つめていた。

「喚くとうるさいシャーロットが5分で落ち着いたじゃないか。にせの王のくせにやるじゃないか。」


その不遜な物言いに背後のエルドラがギョッとした顔になったが、今さらリチャードはどういった気分にもならなかった。


ため息を一つついてからウィリアムに尋ねる。

「シャーロットはいつもこうなのか?」


「ああそうだ。」頷くウィリアム。「普段はヘラヘラ笑うばかりのくせに、喚き出すと止まらない。1時間でも2時間でもいつまでも癇癪を起こし続ける。

シャーロットはいつもそうだ。」


「そうか。」リチャードとしてはため息しか出ない話であった。それから思い直し、重ねてウィリアムに疑問を投げかける。「皆のものはどうしているのだ? このように暴れては大変だろう? 普段はどのようにして落ち着かせているのだ?」


「別に?」ウィリアムは何を言い出すのだといった顔でこともなげにそう返事をした。

意味の分からぬリチャードに、続けてウィリアムが語る。「別に何もしない。いつもほったらかしだよオレ達は。オレは何をしても咎められぬし、シャーロットはいくら喚いても誰も何もせぬ。オレ達は何をしてもよいが、オレ達が何をしても誰も何も返さぬ。王の子というものはそういうものであろう?」


「そのようなものであるわけがあるか。」リチャードが怒鳴り声を上げると、ウィリアムはびくりと怯えた顔になり、それから黙りこくってうつむいた。


それからリチャードはかしこまるエルドラに顔をむけ、この女に声を掛ける。

「エルドラよ。どうも色々とおかしなことになっているようだな。」


「申し訳ございません、リチャード様。」ひれ伏すように頭を下げるエルドラ。


「よせエルドラ。私はそなたの謝罪の言葉が聞きたいのではない。どうもヘンリーめが色々と宮中をひっかきまわし、特に子供達にとっては大変よくない環境となっているようだ。エルドラよ。これはそなたの知るところであったのか?」


「申し訳ございません、リチャード様。わたくしはまったくもって存じませんでした。」


「そうであろうな。だが私は知らぬであったことでそなたを咎める気はない。なにせ私自身もまるで知らぬ話であったのだからな。

だが今こうしてそなたも私も知ってしまったのだ。これは早急に手を打たねば私とそなた二人の罪となろう。

エルドラよ。王としてそなたに命じる。子供達の周りにあるおかしなところはすべて正せ。逆らうものは王命として排除せよ。ヘンリーめが邪魔立てするようであればこれを排除してもかまわぬ。

出来るな?」

「かしこまりました、我が君よ!」頭を下げたままのエルドラが、声も鋭く返事をする。


「それからエルドラよ。私も王都へ戻るので準備をせよ。」


「は?」エルドラが思わずといったていで顔を上げた。


「何を驚いた顔をしている、エルドラよ。そなたはすでに多忙を極めていると聞くぞ。その上で宮中や子供の事まで面倒を見る余裕などないであろう。

この私がその代わりとなろう。

この私がさしてなんの役に立てるかも分からぬが、子供の世話くらいは何とかなろう。王都に戻るからそのように手配せよ。」


エルドラが声を荒げた。

「ワインの事はいかがなさるのです! リチャード様がすべてをかけてお造りになっている極上の白ワインについてはどうされるのです!」


「そんなもの後回しだ! 家族の大事に何がワインか! 今はそんなものにかかずらっている場合ではなかろう! いいからすぐにでも用意にかかれ! これは王命なるぞ!」


「しかし!」なおも反論を試みようとするエルドラをとどめたのは、再びのシャーロットの喚き声だった。


一度は落ち着いたはずのシャーロットが、ふたたび「ぎゃああああっ!」などと大声を上げて、リチャードの腕の中で暴れ出した。


「すまぬシャーロット。そなたを叱ったわけではないのだ。落ち着いてくれシャーロット。頼む。」

リチャードは慌ててシャーロットを懸命にあやそうとするもいつまでも落ち着く様子がなかった。


抱えた腕の中で暴れまわるシャーロットの扱いに苦慮しながらも、ともかくリチャードはエルドラに申し付ける。


「今やそなたと議論を重ねる段は過ぎておる! すでに私は命じたぞ! 良いから今すぐ手筈を整えよ!」


エルドラはしばしの間、口をぱくぱくとさせたが、その後改めて跪き、「かしこまりました、我が王よ。」と返事をし、それから立ち上がりてきぱきとその場の指示を始めた。


出て行ったものの事は置いておき、早馬を用意させ王都から迎えをよこすように指示を出し、更には今の時点から出来ることとして、何やらいくつもの手紙を書き始める。


リチャードはそんなエルドラの様子を横目に見つつ、ともかく暴れるシャーロットを懸命に相手した。


長子フィリップは何やら申し訳なさそうな顔でおどおどとそんなリチャードを見るばかりで、次男ウィリアムは鼻でふんっと笑いつつ、やはり同じくじっとリチャードを睨みつけていた。



賽は投げられた。


リチャードの心躍る二度目のワイン造りは10年で唐突に終わりを告げ、勝手の分からぬ王宮住まいが再び繰り返されることとなった。


これより一月後には、リチャードは仮初の王として窮屈な玉座の上にあるものとなっていた。



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