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その後のリチャードは拙いながらもなんとか王太子教育を最後までやり遂げ、リチャードとエルドラの婚姻は数年後にしめやかに執り行われた。
これに満足した先王は少し早めの退任を決意し、間を置かずリチャードの戴冠式が行われた。
齢21になったばかりの若い王が生まれ、王国全土が熱狂に包まれたが、これはすぐに冷や水を浴びせられることとなった。
王位に就いたばかりのリチャードは政策や祭事、軍務などを全て弟や妻や周りのものに押し付けるようにして、早々に田舎に籠ってみせたからだ。
ただしこの時点ではまださほど大きな混乱にはならなかった。
新王妃エルドラと新宰相ヘンリーが矢継ぎ早に新しい政策を打ち出し、世は目に見えてどんどん良くなっていったからだ。
王宮内では色々とごたごたし、貴族たちは揃ってあれこれ噂をしたが、国民にとってはどうでもよい事であった。
それから1年が過ぎ、王妃エルドラが産み落とした子供の髪の色が黒であったことから、一挙に不満が噴出した。
リチャードの髪は金、エルドラの髪は白金、黒い髪といえば王の異母弟、ヘンリーのものであったからだ。
おまけにその子供を見たヘンリーは嬉しそうににんまりと笑ったというのだから、これはもう宮中の間に良からぬ噂が広がるのは一瞬の事であった。
王妃エルドラは懸命に噂を否定したが、誰も信じるものはいなかった。
だが、田舎の開拓村から遅れて登城したリチャードの一言が状況を一転させた。
生まれてきた子供を一目見るなりリチャードはこう叫んだのである。
「でかしたぞエルドラ! 大儀であった!」
それから嬉しそうに子を掲げると、「このお子は真に私とエルドラの間の息子である!」こう高らかに宣言したのだ。
これに対し並び立つエルドラが本当に嬉しそうに笑い、おまけにはらりと一粒の涙などを流したものだから、居並ぶ周囲のものはすっかり混乱した。
髪の色はどう見ても王弟ヘンリーのものであるのに、王や王妃の喜びようはまるで実子に対するそれであった。
すっかり混乱した宮廷はうやむやのうちにこの事について大っぴらに話すものはなくなってしまったが、それでも疑念が尽きたわけではない。
むしろあまりに異様な状況から、柱の陰や閉じた部屋の片隅などで王侯貴族のみならず出入りの商人や市井のもの達など、あらゆる人々の間で様々な憶測が飛び交う事態となった。
そんな中、リチャードとエルドラが先王カール、先王妃メアリーの二人に名指しで呼びつけられる事態となった。
人払いを済ませ、王宮内の特別な居室に4人だけとなったところで父カールが大声を張り上げた。
「貴様はどういうつもりか!」
激昂する父の顔の真っ赤な色になんとも不思議な感慨を覚えるリチャード。
この父は何に腹を立てているのだ?
隣にいる母も険しい顔で自分を睨んでくる。
この母は何をそう鬼のような形相をしているのだ?
思わずエルドラの方へ顔をむける。
エルドラはやれやれといった呈で小さくため息をつくと、怒鳴り散らす父に構わずリチャードの側に顔を寄せ、ひそひそ声で言葉を口にする。
「リチャード様は何か疑念を感じておられるご様子です。どういったことが不思議に思うのです? わたくしはリチャード様の全てを見透かせるわけでもございませんので、何が不思議か想像が出来ぬのです。」
「ふうむ。」リチャードは伸ばし始めた顎髭を撫でるようにする。リチャードは去勢してしまったため髭なども生えづらくなってしまい、僅かに伸びてきたそれを今大切に育てているところなのだ。
リチャードもまた声をひそめて小さくエルドラに話しかける。
「いやなに、父母のお怒りようにまるで心当たりがなくてな。いったい何をこのように腹を立てておられるのか、エルドラは説明できるか?」
「もちろんにございます。」エルドラが小さく頷く。「先王カール様と先王妃メアリー様は、それぞれ別種の事に腹を立てておられるのです。」
「ほう?」リチャードは興味深げに頷いてみせる。
「カール様のお怒りはなんといっても、わたくしのお子がリチャード様との間に出来たものではないという一点でしょう。この血統は金ないし白金の髪を持つものしか生まれぬと定められておりますから、かの子が卑しい血をひくものであることがカール様には分かるのです。
これに大変ご立腹であらせられます。」
「なるほど、さようであったか。して母の方は何に腹を立てているのだ?」
「メアリー様はリチャード様が国政を放り投げ、田舎村でワイン造りなどに精を出していることが許せぬのです。
王としての務めを果たさぬリチャード様の事がどうしても許せず、腹を立てているのです。」
「それは確かに腹立たしい事であろうな。あい分かった。」
リチャードは納得した。
「ふむ。」リチャードは思案する。思案するが何も思いつくわけではない。しばし考えを巡らせてからふと視線が気になり顔を上げると、顔を真っ赤にしたまま口をぱくぱくとさせた父と、ギラギラとした目でねめつけてくる母の顔が目に入った。
さてとどうしたものか。
といってもリチャードに出来ることなど一つしかない。
こんな時こそエルドラにすべてを任せるのだ。
リチャードは父母にも聞こえるような声でエルドラに話しかける。
「正直どうにも私にはどうすればよいか分からないのだが、エルドラに何か良い知恵はあるか?」
エルドラはにっこりと微笑んでみせる。
「この際ですから全てをお話しになってはいかがでしょう? ここまでの経緯を全てお打ち明けになると良いでしょう。」
「なるほど。それは名案であるな。」リチャードはうんうんと頷く。そして父母の方へと向き直り、「では父と母よ。私の話を聞いてもらえないだろうか?」と朗らかな笑顔を作って声を掛ける。
先王カールはそのふてぶてしい様子に毒気を抜かれたか、赤らめた顔もそのままに「ああ。」とただ頷くばかりであった。
それから先の暴露話について父カールも母メアリーもただただ唖然となって話を聞くばかりとなった。
エルドラの子が確かにヘンリーとの間のものであるという話の時点ではまだカールは怒る気力があったようだが、その先の『ときさかの魔法』の話が出た時点で完全に沈黙した。
二人がすでに50年以上の生を終え、精神的には自分達よりも年上であると知った父カールは言葉を失い、一度目の生でリチャードがやらかし王位継承権を剥奪された話には母メアリーは唖然となり、その結果訪れたヘンリーとエルドラの善政や生まれた子供が極めて優秀であったこと、二度目の生ではリチャードを王に据えつつも可能な限り一度目の生の再現を目指していることや、当のリチャードは心残りであったワイン造りに精を出すつもりである話などを伝えると、二人はただただ口をぱくぱくとさせるだけのおもちゃの人形のような動きを繰り返すばかりであった。
極めつけはリチャードの去勢の話で、
「私は望んでももう子を作れない体になったのです。なに、一度目の生で受けた仕打ちでありますから、別にそれでよいと納得しているのです。」
などとリチャードがにこやかに打ち明ければ、父カールは真っ青な顔になり片手を瞼の上に乗せて、ただ天をじっと仰ぐようにして動かなくなってしまった。
母メアリーもただただ目を真ん丸にしてパチパチと瞬きを繰り返すばかりである。
だいたいすべてを話し終え、すっかり喉が渇いたなと水差しなどに手をかけようとするリチャードに対し、ややあってようよう父カールが言葉を口にする。
「そなたは、自分が何をしたかわかっているのか?」
キョトンとした顔になり父を見やるリチャード。
「さっぱりわかりませぬな、父上。何かまずい事でもございましたか?」
リチャードとしてはそう答えるしかない。
「貴様は……。貴様は……!」みるみるうちに顔がまた赤くなるカールに対し、声を上げたのはエルドラだった。
「恐れながら先王様! 不肖このエルドラに発言する機会をお許しくださいませ!」
元来、退任した先王であるカールに対し現王妃であるエルドラは立場の上でどちらが上という決まりはないのだが、このように遜ってみせたのはエルドラの機転であった。
機先を制され怒鳴るチャンスを失ったカールが「ああ。」と間の抜けた返事をすると、エルドラは畳みかけるように言葉を重ねる。
「そもそもリチャード様は正しい王太子教育を受けておりません。王家において最も血が大切であること、その為のわたくしとの結婚であったことなどを最初から教わっていないのです。」
「なん……だと……!?」父カールの眉がピクリと動く。
「文字通りの意味です、先王様。そこな先王妃たるメアリーが用意した教師共が勝手な方針を立て、肝心の王太子教育をいい加減なものに捻じ曲げてしまっていたのです。
やれ文武両道だとか、やれ王たるものは人の上に立つが一番だとか、おおよそいい加減な目標ばかりを与えリチャード様を追い込むばかりで、肝心の王家の血脈の大事たる事を教えずに来たのです。
おかげでリチャード様は王の一番の大事である血を残すことを知らずにいるのです。」
リチャードはびっくりとなった。何やらリチャードが知らぬ話が飛び出したからだ。
「まてエルドラ。そのような話は私も初耳だ。血を残すことが大事? まるで聞いた事がないぞ。どういうことだ!」思わずリチャードは声を荒げてしまう。
「リチャード様? これはそもそもの王国の成り立ちに関わる大事なのです。そもそも建国王たるアーサーが偉大なる魔導士であったことをリチャード様はご存じでいらっしゃいますね?」
「それはもちろん知っている。」
「では彼の王が『ときさかの魔法』を幾度となく使って、三方より攻め入る大国の隙間を縫うようなかじ取りをして国を興し、繁栄に導いたことは習いましたか?」
「アーサーが英知を用いて難局を切り抜けたことは聞いているが、『ときさかの魔法』だと!」
「そうです、リチャード様。アーサーがいかに賢い人物であってもあの状況でああも見事に国を興すことなど普通に考えて無理な話にございます。アーサーは使ったのです。『ときさかの魔法』を。何度も試し、針の穴をつくような突破口を見いだし、あれほどの立ち回りをして見せたのです。
これが歴史の真実です。」
リチャードとしては初めて聞く話であった。確かに王家固有の魔術として『ときさかの魔法』というものがあるとだけは教わっていたが、まさか建国のかなめとなる重要な魔法であったとは全くの初耳であった。
「本来王になるべきものが一番に習う大切な事柄です。そして、彼のアーサー没後の未来に生きる王家にとっての一番は、来たる難局に再び『ときさかの魔法』をもって乗り切るべく、その血を決して絶やさぬようにすることこそが努めなのです。
『ときさかの魔法』は王家に固有の魔術にございますから、少しでも下賤の血が混じると使えなくなります。また、充分な魔力を持ちえぬものにも使うことは出来ませぬ。
王家とそれに連なるものどもは特に注意し血を残し、その代ごとに最も魔力の強いものが母となり王の子をもうけここまで来たのです。
先代において最も魔力が強かったのが先王妃メアリーであり、今代においては現時点ではわたくしが一番の力をもっております。
それでわたくしが生まれてすぐの時からリチャード様の許嫁として一つになることを定められたのです。」
「全く知らなかった。そのような事情があったとは、ついぞ誰にも教わらなかった。」
リチャードはがっくりとうなだれた。
だいたい『ときさかの魔法』について話をした魔術師共は、その後いつの間にか王宮から姿を消しており、リチャードはその先について教わる機会がなかったのだ。
エルドラはそんなリチャードを横目にしつつ、先王カールへ言葉をかける。
「カール様。いかがですか? リチャード様は本当に何も教わっていなかったのです。
先王妃メアリー様が用意した教師共が、肝心なことをリチャード様に教えなかったのです。
いや、そもそものメアリー様自身が王の守るべき何たるかをよく分かっていなかったのです。
その上、メアリー様の生家である侯爵家がしゃしゃり出てきてもともといた古い教育係などを全部追い出してしまいましたから、王家の真実を伝えるものがどこにもいなくなってしまったのです。
その結果が今のリチャード様なのです。」
先王カールはエルドラを見てはいなかった。隣に座る先王妃メアリーの顔を睨みつけるようにしていた。
「き、貴様……! 貴様は王太子たるリチャードに何たることを……!」
そんなカールの剣幕に真っ青となったメアリーは、あわあわと震えながらも「あたくしは……あたくしは……」ブツブツと何やら呟いていた。
そんな二人に対しエルドラは冷ややかな目線をくれつつ、鋭く言葉を言い放つ。
「今度はお二人の間で仲違いですか? およしなさい。まだわたくしの話は終わっていません。
わたくしはお前達二人に言ってやりたいことがあるのです。
お前達が二人してリチャード様に何をしたのか、よもや知らぬとは言わせませんよ。
先王カール。お前は子育てについてはよく分からぬなどと勝手なことを言って、全ての教育を先王妃メアリーに押し付けましたね?
それで第二王妃アメリアのところなどに入り浸っていましたね。お前は何をしているのです。
そもそもメアリーは魔力こそ高いものの、侯爵家の出自として宮廷内では立場が低いものでしたから、きちんとした王妃教育を受けていなかったのですよ?
結果としてよく分からぬまま王太子教育を始めることになり、ずいぶんと苦労したのですよ?
おかげで頓珍漢な教師共ばかりが集まり、どこかで見聞きしたような不要な帝王教育ばかりが施されたのです。
あまりにひどいナザリー夫人などはこちらで折を見て排除いたしましたが、そもそも王太子教育には権力に欲が出た侯爵家のものどもが口を出すようになり好き放題勝手にやるようになっておりましたから、わたくしなどがどう足掻こうとも手出しの出来ぬものでした。
結果としてリチャード様はすっかりご自身の王としての資質に自信を無くされ、却って第二王子ヘンリーなどに家督を譲る決心などをする始末。
これらはすべてカール、メアリー、お前達二人が為した事の結果なのですよ?
リチャード様は去勢までされてしまいましたから、この期に及んで元に戻そうなどとは叶わぬ事です。
ですがなればこそ、お二方がリチャード様をお責めになるのであれば、わたくしがお前達を糾弾いたします。
お前達はなんてことをしてくれたのです。
いったいどう責任を取るおつもりなのです。
よもや言い逃れは許しませんよ?」
それからエルドラは立ち上がり、手にした扇子を先王カールに向けて突き出した。
本来このようなふるまいは王の臣たる彼女に許されるべきことではないが、今この瞬間において誰よりも支配者然とするエルドラにとてもふさわしいものであるようにリチャードには思えた。
「そもそもカール、これはお前が犯した過ちに端を発する問題なのですよ?
いいですか? カール。
お前は下賤の血の混じったアメリアを第二王妃に添え、あまつさえ避妊もせずに第二王子などを作り不要にこれをリチャード様と競わせたのです。
いったい何様のつもりなのです?
先王カール、お前はどの口で王家の務めを語るのです? あのような下賤の女との間に、王たるカールが子を為していいと誰がお前に許したのです?
あのような女、愛人として囲う程度にして遊びですませるべきところを、あまつさえ第二王妃の肩書を与えるとは!
その結果、先王妃メアリーに与えた心労もさることながら、本来作ってはならぬ子供までもうけたのですよ!
更に酷いことはこれだけではありません。こうして生まれた子供など庶子として適当に扱えばよいものを、よもや第二王子に取り立てるなど言語道断です。
ずいぶん勝手なことをしてくれましたね。400年続く王家の血筋に大きな汚点を残したのは外ならぬお前なのですよ?
お前がヘンリーのようなものを作らなければ起きなかった面倒がたくさんあるのですよ?
お前はなんと先祖に申し開きをするのです?
分かっているのですか?
どうしてお前がリチャードに偉そうに王家の務めを語るのです? お前は何様なのです?」
先王カールは何も言わなかった。何も言わぬまま、ただ堂々たる振る舞いをするエルドラを見上げるばかりだった。
その顔には何の感情もなく、のっぺりとした表情でただただエルドラを見上げるばかりであった。
エルドラは扇子の矛先を変え、先王妃メアリーへと顔をむける。
「メアリー? お前の犯した過ちも重大です。
いいですか? メアリー。
本来であれば僅かばかりでも相手とならぬ第二王子ヘンリーを不要に恐れ、あるべき王太子教育を捻じ曲げて無駄な帝王教育ばかりを施し却ってリチャード様のお心を損ねる結果となった先王妃メアリー。お前はなんてことをしてくれたのです?
隣の先王カールをごらんなさい。さして王としての振る舞いをせずとも、臣下に任せて国はちゃんと治まっていたではないですか。
それを何故リチャードにだけあのように過酷な教育を施そうなどと考えたのです?
それは本当に王に必要なものなのか、何故考えなかったのです?
そもそもお前は自らの出自が周りに劣る侯爵家であることを恥じておりますね? その劣等感が息子たるリチャードの教育へと影響を及ぼし、やれ強い王だとか賢い王だとかおおよそ間違った目標に追い立てられたリチャード様が自信を損なわれ、ついには自ら己が去勢を望まれるまでに至ったのですよ?
いいですか? 先王妃メアリー。
そもそものお前の務めはリチャード様を育てる事ではなかったのです。そんなことは侯爵家が追い出したもともとの宮廷教師共に任せておけばよかったのです。
いいですか? メアリー。
お前のすべきは次代の王たるリチャード様にもしもがあった時のため、努力してカールと身体を重ね、二人、三人と子をもうけることだったのです。
カールの愛が少しばかり第二王妃に目移りしたくらいでいじけて自らの務めを忘れたのはお前ですよ?
それをどうしてこの期に及んで、リチャード様やわたくしを非難する口を持つのです?
お前は何様のつもりなのです? 自分がどれほど大きな過ちを犯したか、分かっているのですか?」
「あたくしは……、あたくしは……。」うわごとのようにつぶやきながら、真っ青な顔でうなだれるかりの先王妃メアリー。
すっかり様子のおかしくなってしまった父母に、リチャードとしては同情を禁じえなかった。
恐ろしいエルドラの矛先が初めて二人に牙をむいたのだ。
この二人は思いもしなかった事だろう。エルドラという女が、ただ見た目ばかりが美しいだけに見えるこの女が、実はこうも恐ろしい化け物であったという事に。
「それくらいにしておくのだ、エルドラよ。もう父も母も言葉もないご様子だ。これ以上責めても詮無い事だ。
矛を収めよエルドラ。いかなる理由があれども、すでに事は起こってしまったのだ。私は去勢したし、そなたにヘンリーとの子をもうけるように命じた。そしてお前はそのようにしたのだ。
今さら時を戻すわけにもいかぬだろう。これから先の事を考えるべきではないか?」
エルドラはまだ何やら言い足りぬ様子ではあったが、小さくため息をつくと腰を下ろし、リチャードへと向き直った。
「おっしゃる通りにございます、我が王よ。
とはいえすでに為すべきことは進めております故、王たるリチャード様は特にこれ以上なにかなさることもないかと存じます。」
にっこりと微笑みそう語ってみせるエルドラのその様子に、先ほどまでカールやメアリーを追い詰めていた苛烈さは微塵も見受けられない。
だがもちろんリチャードは騙されぬ。これがこの女の恐ろしいところだと充分に承知しているからだ。
「そうなのか? どうも私はいろいろ間違えてしまったように思えるのだが、果たして本当にこのままでよいのか?」重ねてそう問いかけてみる。
「大丈夫です。リチャード様。」力強く頷いてみせるエルドラ。
「そもそも王の役割とは血を残すことでした。
それ以外に王の仕事など他に何もありませぬから、リチャード様が片田舎でワイン造りに精を出していても、本来ならば王としての務めは果たせているものと言えたのです。
残念なことにリチャード様は去勢をなさってしまいましたからこれは王の務めを果たしておりませんが、それ以外で咎められることは何もございませんから、どうぞ今まで通りの生活をお続けくださって結構です。」
「ふうむ。」リチャードはどうしてもその考えに馴染めず、ついつい反論をしたくなってしまう。「どうにも納得がいかぬな。王というものは国を治めるかなめであるからして、本来はあれこれすべきことがあるのではないのか?」
「他国の王であればそうかもしれませぬが、本来の我が国は成り立ちからして少々特殊です。
『ときさかの魔法』を頼みにした国の造りをしておりますゆえ、その他の事はすべて些事です。
王が遊んでいても国が回るようにもともと色々工夫があるのです。
リチャード様がお気になさる必要は全くございません。」
リチャードとしてはため息しか出ない。
「しかしエルドラよ。正直私は王家の一番が血脈であったなどとは未だに信じられぬのだ。確かに私はそのような教育を受けてこなかった事もあるが、それ以上に血さえ残せば後はよいなどという考えはどうにも馴染まぬのだ。
何より王というものは優れたもの、徳の高いもの、公正であるもの、果断であるものが務めるべきであろうとそう考えてしまうのだ。
だからこそ私はヘンリーのようなものが王であった方がよいであろうと考えてしまうし、今さら血を残せば遊んでいてもよいなどと言われても困ってしまうぞ。」
「お気持ちは分かります。
けれどもリチャード様、なればむしろわたくしがリチャード様にお尋ねいたします。
ヘンリー様に『ときさかの魔法』は使えません。ヘンリー様との間に生まれるお子にも『ときさかの魔法』は使えません。これは一度目の生でわたくしがもうけた3人ともそうでしたし、先日わたくしが産んだ子供にもその力がない事はすでに確認しております。
このままいくと王家の魔法は確実に損なわれます。リチャード様はそれで良いとお考えになりますか?
それとも問題があるとお考えですか?」
これはリチャードにとって難しい質問であった。というのも、リチャードの考えはすでに固まっていたが、それをこの場で口にしてよいものかどうかが図りかねたのである。
リチャードが不安になりエルドラを見ると、エルドラはゆっくりと首を縦に振ってみせた。
これは嘘偽りなく本心を述べよと言っているのだと、リチャードにはすぐに察せられる。
リチャードは覚悟を決め口を開く。
「正直私には、『ときさかの魔法』に頼るばかりの国造りが正しいものとはとても思えんのだ。
なによりそんなものに頼らずともきちんと国を治めている他国の王に申し訳も立たん。
こんな魔法はなくしてしまった方がよいのではないかとそう思えるのだが、これは不遜な事であろうか?」
エルドラはゆっくりと首を横に振る。
「いいえ、リチャード様。いいえ。
わたくしもこれを不遜だなどとは思いません。むしろ全く同じ考えです。
わたくしは故あって自らは『ときさかの魔法』を使いこのように過去へと戻ってまいりましたが、術を為した自らであるからこそ、こんな魔法が良いものだとはとても思えません。
むしろなくしてしまった方が世のためであろうとそう考えます。」
「うん。」リチャードはホッとなり、エルドラの言葉に頷く。
続けてエルドラは言葉を紡ぐ。
「一度目の生の時、状況からヘンリー様を次代の王へと担ぎ上げねばならぬ事になりましたが、裏で血を残す努力がありました。
当初の予定ではヘンリー様は仮初の王であり、然るべき時が来たら正しき血統のものに譲り渡す計画があったのです。
そこで一番良いのはわたくしが王家直系のどなた様かから子種をいただくことでしたが、これは最初から無理な話でした。嫉妬深いヘンリー様がこれを許さなかったからです。
前王妃メアリー様はまだ閉経しておりませんでしたから、これが代わりの母体として選ばれました。
メアリー様の妹君やわたくしの叔母など、ほかにも幾人か候補はいたのですが、とかく魔力が少なく、母体としては適さなかったのです
相手としては、やはり前王であるカール様がよろしかったのですが、一度目の生ではこれは叶わぬ事でした。メアリー様は愛息であるリチャード様が開拓村へと流されたことを恨みに思い、カール様との仲違いは決定的なものとなっていたのです。
そこで選ばれた相手がわたくしの兄のディビットでした。ディビットはいろいろと大変だったようですが、ともかくメアリー様との関係を持ち、努力はしたのですが結局子は産まれませんでした。
ヘンリー様はそれで充分とお考えになったようです。
もともと卑しい血の混じったヘンリー様は『ときさかの魔法』は使えませんでしたし、そもそも絵物語のような『ときさかの魔法』の存在に最初から懐疑的だったのがヘンリー様です。
国を治めるのに超常の力に頼る時点で王たる資格なしと一笑に付して、血を残すことをあきらめてしまわれたのです。
当時のわたくしも同じ考えでしたから、王家の血筋は穢れるに任せ、『ときさかの魔法』は失われることになりました。
わたくしが魔法を用いたのは59歳の時でしたが、その時点ではすでに先王様も先王妃様もリチャード様も亡く、ほかに『ときさかの魔法』を使える資格のあるものは一人もおりませんでした。
つまり、わたくしが時を戻さなかった場合の一度目の未来では、どのみち王家の魔法は失われることが決まっていたのです。」
「なるほど。」リチャードは感心して頷く。一度目の生で自らが開拓村でワイン造りに精を出しているあいだ、王宮では色々と苦労があったようだ。
「翻って今この場の二度目の生ですが、ここはリチャード様が好きなようにお考えになればよいかと存じます。今世の王はあなた様なのですから。
リチャード様ご自身が去勢をなさった今でも、やりようならいくらでもあるのです。
例えばリチャード様が命ずるのであれば、わたくしがそこの」ここでエルドラが口を開けるばかりの先王カールに一瞬だけ目をくれてから、「カールなる男との間に子をもうけるのでも良いと存じます。
あるいは前回同様、」今度はチラリと先王妃メアリーを一瞥してから「そこなメアリーに我が兄ディビットを宛がい子作りに励ませるのも良いかもしれません。
メアリーは若いディビットをずいぶんと気に入っていたようですから、今世では閉経までに機会があるかもしれません。
まあもっとも、わたくしが一番良いと考えるのは、カールとメアリーが頑張る事だと存じます。
まだお二人とも男女の盛りでありますし、1度目の生の時よりはまだやり直す機会もありそうですから、二人で話し合ってもう一度愛し合えばよろしい。
それで生まれてきた子供が男であればわたくしが、女であれば兄ディビットが相手を務めればどうにかなるのではないかと愚考します。
この二人がしでかした不始末なのですから、まず一番の責任はこの二人に取らせるのが良いのではないかと考えますが、我が王はいかがお思いになりますか?」
はあ。リチャードはため息を一つついた。
「何やら面倒な事をせねばならぬのは敵わんな。それほどまでにして『ときさかの魔法』を残さねばならぬとは思えぬ。私はエルドラが父と無理に身体を重ねるよう命じる気にもなれぬし、お前の兄に同じことをさせようとも思わぬ。
何より父母に今さらお互い愛し合えなどとは到底お願いできぬよ。
この二人は私が物心ついたころにはすっかり冷え切った仲だったのだ。それが今さらどうして子をもうける努力をせねばならぬのか。
あまりに不憫な話ではないか。お二人はこれまで通り、お互い別々に好きな事をしたらよろしい。
父は好きなだけ妾などのところへ入り浸ればよろしいし、母は今まで通り好きな芝居や歌などを楽しめばよい。
無理にくっつけようなどとは思わぬよ。」
エルドラはにっこりと微笑んだ。「まっこと我が王は寛大でいらっしゃる。ではリチャード様。王家の秘術たる『ときさかの魔法』は、わたくしとリチャード様の代でお終いという事でよろしいですね?」
「うむ。」リチャードはすっかり満足した気持ちになり大きく頷いた。時間を戻すような魔法が良い魔法であるはずがない。こんなものに頼る国が良い国であるはずがない。
この決断は良い決断だ。なぜなら、信頼のおけるヘンリーとエルドラが一度目の生で選んだ選択が全く同じものだと知ったからだ。
二人が同じ考えであったのなら、リチャードは何の不安もなく同じ決断ができる。『ときさかの魔法』はなくしてしまった方がよろしいのだ。
「ま……待て!」震えるような声を上げる父カール。
すがるような目つきでリチャードへと手を伸ばすそぶりを見せる。
「待てリチャード! 『ときさかの魔法』は、王家の血筋は、かように簡単に諦めてよいものではないぞ!
そなたは建国400年の国の礎をどぶに投げ捨てようとしているのだぞ! 待て! 早まるな! 思い直せ!」
「黙れ。」氷のような声でぴしゃりと言いつけるのはエルドラであった。「王家の血筋とやらがそれほどまでに大事なものであるならば、今すぐそこな女と子作りでもしてみせよ。それが出来ぬのなら、今すぐ『ときさかの魔法』を用いてお前自身がその人生をやり直せ。
それも出来ぬのなら、貴様はもう二度と口を開くな。我が王リチャードの心を煩わせるな。
身の程を知れ。」
カールは再び黙った。
エルドラはそんなカールに一瞥をくれると、リチャードに向かって楽しそうにこう語り始める。
「先王カールは『ときさかの魔法』が使えぬのですよ。若いころに遊び惚けてばかりだったカールは難しい魔術の勉強をさぼってばかりいて、自分はその魔術を習わなかったのです。
先王妃メアリーは言わずもがなです。魔力だけは充分ですし血も問題ありませんが、侯爵家にはお抱えの魔術師などおりませんから教わる機会もなかったのです。
その上今や侯爵家が宮廷魔術師を追い出してしまい、教わる相手がこの王宮にはおりません。」
ここでエルドラがわざとらしくぽんっと自らの手を叩いてみせた。
「いいえ、リチャード様。肝心なことを忘れておりました。
一人だけその術を教えることが出来るものがおりました。
それはわたくしです。」
エルドラは立ち上がり、カールとメアリーの前へと歩み寄る。
そして嬉しそうにこう語り始める。
「そうですね、お前達二人が自らの罪を認め地べたに這いつくばって懇願するのであれば、わたくしがお前達に『ときさかの魔法』を教えてやってもかまいませんよ?
ふふふ。どうするのです? お前たちのどちらか一方でも今から過去に戻ってやり直すことが出来れば、リチャード様は去勢もなさいませんし、正しい王太子教育を施して次代へ血をつなぐことが出来るかもしれませんよ?
その為に今この場でわたくしに這いつくばって頭を下げる覚悟がお前達にあるのですか?
先王、先王妃としての覚悟を問います。
お前達、二人してこの場に跪きなさい。わたくしに懇願してみせなさい。
『ときさかの魔法』を教えてくれとねだりなさい。さあ! ほら! 早く!」
父カール、母メアリーともにもはや固まったまま動けぬ置物のようであった。
リチャードは顔を手で覆いたい気分であった。
「止めてくれエルドラ。あまり我が父母を苛めぬでやってくれ。二人はその……。」リチャードはいったん考えてから、言葉を紡ぐ。「……そなたの言うところの小人なのだ。あまり厳しくすると二人とも心が折れてしまうように思う。
あまり苛めてはならぬ。こんなもの達でも私の父と母なのだ。頼む。それくらいにしてやってくれ。」
エルドラはリチャードに振り返り、その大きな瞳をぱちくりとさせてから、恭しくその場に跪き、リチャードに深々と頭を下げた。「申し訳ございません、我が王よ。」
後から思うに、このリチャードの一言が父母にとっての決定打であったようだ。二人は揃って呆けた顔になり、後はただ何も言わずにぼうっとするばかりとなった。
エルドラはそんな二人に何度か声を掛け、反応がない様子に何やら頷くと「どうやらお二人とももうお話はないご様子です。そろそろお暇するのがよろしいかと存じます。我が王よ。」とリチャードに話しかけてきた。
「う、うむ。そうだなエルドラ。そうしよう。」リチャードとしては得も言われぬ罪悪感でいっぱいな気持ちであったが、何よりこれ以上エルドラを二人のそばに置いていると父母が二人とも吐き気やら蕁麻疹に襲われて正気を保っていられなくなる恐れもある。
ともかくエルドラを二人のそばから離すことが先決だ。
リチャードは胸に痛む気持ちを懸命に押さえながら、エルドラを伴い逃げるようにして退出した。
その後父母は二度とリチャードと会いたいとは言ってこなくなった。父は本当に隠居し、国政に一切口を挟まなくなった。
それまで抱えていた何人かの妾などとは縁を切り、数名の共と連れ立って狩りなどに精を出す生活をするようになった。
母は王宮の奥に籠るようになり、いっさいそこから出てこなくなった。
母の実家である侯爵家にゆかりあるものたちについては色々と悪い噂がささやかれるようになり、あっという間に王宮内から姿を消した。
リチャードとしてはこれでよかったかさっぱり分からなかったが、後日のエルドラがずいぶんとやりやすくなったと嬉しそうに話していたから、それ以上深く考えることを放棄した。




