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齢16となったリチャードはそわそわと心躍る毎日を送っていた。


相変わらずのリチャードには厳しい王太子教育の日々が続き、更にはより一層美しく育ったエルドラと揃って公務などもこなさねばならなくなり、胃が痛むばかりの毎日であったが、それももう少しで終わりを迎える。


あのピンク髪の男爵令嬢との出会いが近づいているのだ。


正直、あの可愛らしい娘がどんな顔で、どんな性格の人間だったか、リチャードははっきりとは覚えていなかった。


ともかく笑顔が可愛らしい娘、くらいの印象しか残っていないのだ。

あとは少々舌っ足らずな喋り方であったところだとか、リチャードが何をしても感心しきりで大喜びしてくれたところだとか、何やらそんな漠然とした思い出がチラチラと脳を掠める程度のものだ。


一度目の生ではとにかくエルドラの事が嫌で、けれどもどうしていいか分からず、そんな時に出会ったまるで雰囲気の違うあの娘のけなげな様子にすっかり絆されてしまい、身を焦がすような恋に落ちて男女の仲となり、結婚まで夢見た。


それは本当にあっという間の出来事で、いつの間にやらリチャードは咎められ開拓村へと流刑にあったので、肝心の男爵令嬢がどういった人物かをはっきりと思い出せずにいたのだった。


けれども今世のリチャードにとってはそんなことはどうでもいいのだ。

ともかくなんとしてでもあの男爵令嬢と恋仲になってしまえば、あとはエルドラに婚約破棄などを申し付けて、そこから開拓村まで一直線の薔薇色の未来が待ち受けているのだ。


正直あの少々おつむの足りなさそうな男爵令嬢について、1度目の生で酸いも甘いもそれなりに人生を経験した若年寄りのリチャードが今さら愛せるのかという不安がないでもない。

しかして顧みるに閉塞感に押しつぶされそうな現状を鑑みれば、今のリチャードは相手がどんな醜女であっても心の底から愛を語れる自信がある。


出会いはそう、4月生まれのリチャードが17の歳になってすぐの温かい春の庭園での事であったはずである。

もうあとほんの少しだ。

もう少しであの女と会える。


長い冬が明けて辺りが温かくなってくるころ、リチャードの期待は最高潮であった。

あの吐き気しかないエルドラとの公務もにこやかにこなし、厳しい勉強事も喜んで受けて見せ、まるで人が変わったようだと周囲を驚かせるくらいであった。



4月になった。

リチャードは17歳になった。

男爵令嬢は現れなかった。

はて? 出会いは4月であったように記憶していたが、なにぶんずいぶん昔のことだ。リチャードの思い過ごしであったかもしれぬ。来月の間違いであったろうか?


5月になった。

男爵令嬢は現れなかった。

はて? そんなはずはないのだが。さすがに6月ではなかったはずだ。


6月になり、慌てたリチャードが押っ取り刀で城のものどもに聞き込みをすると、とんでもない状況が見えてきた。


「ピンクブロンドの男爵令嬢ですか? 春から見習いで城勤めをしているはず? それについてはわたくしの口からはなんとも……。」


「ええ。この春から勤める事になったものはこちらで全てです。なんです? 一人足りない? そのようなことはございません。」


「男爵令嬢のマリア? いけません。その話はいけません! 私はお答えできません!」


「存じませぬな。そのような話は聞いておりませんな。」


「どうかそのものの話をなさいませんよう……。氷精の姫君の耳に入っては大変なことに……。ひっ!」

最後のものはしまったといった顔になり、慌てて口を押えて見せた。

「今の一言は聞かなかったことに……! 聞かなかったことに……!」


ちなみに氷精の姫君とは城内に務めるもの達がエルドラを指す隠語で、あまりに美しい氷の彫刻のようなその容姿と、ひとたび牙を剥けば凍てつく氷のような鋭さでもって相手を断罪する恐ろしさから名付けられたあだ名であるらしい。


ここにきて察しの悪いリチャードにも状況が呑み込めてきた。

どうやらあのエルドラが何かをし、男爵令嬢は存在そのものがなかったことにされたらしい。


いったい何事なのだ!


リチャードは憤慨したが、だがこれをエルドラに直接聞く勇気が持てなかった。

勇気が持てないでいたところ、エルドラ自らリチャードに手紙を書いてよこしてきた。


大切な話があるので二人で会う時間がほしい、と。


リチャードとしては否やと断る理由もなかった。



「男爵令嬢であるマリアの事を聞いて回っているようですね。」


人払いを済ませ、二人きりとなった居室の中で、エルドラがじとりとリチャードの方を見つめてくる。


相変わらずその顔に吐き気を覚えるリチャードであったが、今はそんな事を気にしている場合ではない。


「そ、そうだ。それがどうしたのだ。そなたには関係のない事だ。」


エルドラはリチャードの問いには答えず、「ふふふ。」と楽しそうにひとしきり笑ってみせた。


「おかしいですね。リチャード様。そもそもリチャード様はマリア嬢の名を知る機会すらなかったはず。そうなる前にわたくしが秘密裡に処理をしたはずなのです。

いったいどこでその名を知ったのです? なぜあなた様があの女の事を調べようとするのです。

いったいなぜです?」


リチャードはぞくりとなった。秘密裡に処理をした、だと? つまりこの女はあの男爵令嬢に何かをしたのだ。

何をしたのだ!?


「どういうことだエルドラ! そなた、あの男爵令嬢に何をしたのだ!?」


「ふふふ。」エルドラは再び笑ってみせた。「お答えしてもいいですが、取引にいたしましょう。どこであなた様はあのものを知ったのです? なぜ王城に来ることもなくなったはずのマリアの事を知っているのです? なぜです?」


エルドラはそう言いつつ、ゆっくりとリチャードのそばに近寄ってきた。


「ヒッ!」リチャードは恐ろしくなり後ずさる。

だがエルドラはこの時は引くこともせず、ずいっとさらにこちらに向かってくる。


そのまま数歩ほどお互いの距離を保ったまま部屋の端まで移動し、ついには壁が背中を塞ぎ、リチャードはこれ以上の行き場を失ってしまった。


リチャードが息も絶え絶えとなりただエルドラの顔にくぎ付けとなっていると、にこにこ笑ったままのエルドラが再び口を開く。


「リチャード様。マリア嬢の件についてはわたくしも引けぬ事情があるのです。どこでその名を知ったのです? お答えくださいませ。」


「そ、そなたこそなぜマリアの事を知っているのだ。なぜそなたがあのものをどうこうしようなどと考えたのだ。」


エルドラは目を細めてことさら口の端をゆがめて見せる。


「リチャード様? わたくしはリチャード様の妻になる務めを持つものとして、少しでもあなた様の害になるものは排除せねばならぬ役割があるのですよ? あのものがよくない存在であることはとうの昔に知れていたのです。

当然わたくしが手を下さねばなりませんでしょう?


こういったことはリチャード様の知らぬところで良くある話なのですよ? 今に始まったことでもありません。


それがリチャード様。どうして今回に限りあなた様は知っていたのです? なぜマリア嬢の事を気に掛けるのです? 何故です?」


リチャードは恐ろしさで頭がいっぱいになった。

よくある事だと? 今まで何人も排除してきただと? そんな事全く知りもしなかった。


自分がただ辛い思いに歯を食いしばりながら過ごすばかりの毎日の中で、裏ではもっと恐ろしい事があちこちで行われていたのに違いないのだ。


何よりリチャードは気付いてしまった。

これはきっと、一度目のときからそうだったに違いないのだ。

一度目の生においてもリチャードの周囲では色々なことが裏で処理され、人知れず消えていったものがたくさんいたのに違いないのだ。

このエルドラという女はそれが出来る女なのだ。


だがなればなぜ一度目の生ではリチャードはあの男爵令嬢と知り合う機会があったのだ。

何故あのピンク髪との逢瀬だけは見逃されたのだ。


もしや一度目のエルドラはわざとあのものを自由にさせて、敢えてリチャードを失脚に追い込んだのではないか。

王太子として不適格であるとリチャードを見限ったエルドラが、一計を案じてリチャードを貶めたのではないか。


そして二回目の今生ではなぜ男爵令嬢は処分されたのか。

エルドラはなぜあのものを見逃さなかったのか。


ここでリチャードはハッとなった。思えば一度目の生ではリチャードはずいぶんいい加減な毎日を過ごしていたように思う。

面倒な勉学には不真面目な態度を取り続けたし、エルドラとの毎週のお茶会も理由をつけて中座したり逃げ回っていたものだった。


それが今生ではどうか?

リチャードはずいぶん真面目に頑張りすぎているように思う。

脳味噌がよりポンコツになったぶん、一生懸命教師のいう事を聞くよう努めるようにしたし、毎週の茶の席もエルドラとの公務も我慢してどれも付き合うようにしていた。


それもこれも近い未来に王太子でいられなくなるという未来があってのことだったが、結果として今生のエルドラはリチャードを見限らなかったのではないか?

まだ王太子としての芽があると判断され、もうしばらく婚約者としての地位を続けるように思わせてしまったのではないか?


リチャードはここまで思い至り、愕然とした。

愚かな自分は間違えたのだ!


自分はもっと、エルドラに嫌われる努力をしなければならなかった!

見限られ、男爵令嬢との愚かな関係を見逃され、失脚させられるようにしなければならなかった!


放っておけば自然と断罪されて開拓村に流されるものと勘違いし、波風立たぬようにヘンにいい子を気取りすぎた!


それでエルドラは、リチャードを排除しヘンリーと恋仲になろうといった計画をいったん保留にした!


それでエルドラは男爵令嬢を見逃さなかった!


リチャードは間違えたのだ!


「あああああ!」


リチャードは我知らず声を上げていた。目の前のエルドラが驚いた表情になり、一歩後ずさってみせる。


白々しい!


リチャードにはその態度がよりいっそう腹立たしいものと感じられた。


何を驚くことがあるか! どうせすべて貴様の手のひらの上でのことであろう!


リチャードは恐ろしかった。目の前に立つ妖精のような可憐な娘が恐ろしかった。この女の差配一つで自分の人生はいいように決められ、今また何かの気まぐれで男爵令嬢などを消して見せ、未来が勝手に捻じ曲げられてしまっている。


気が付くとリチャードは駆けだしていた。


無我夢中で走り出し、息が切れるのも忘れ、ただただその場から逃げ出した。



いつの間にかあたりは夜になり、リチャードは王都の外の森の茂みに一人立っていた。


6月の萌ゆるような草いきれがあたりに土の香りをいっそう立ち込め、見上げるリチャードは雲一つない夜空に満天の星を見ていた。


身体中に擦り傷、切り傷、ささくれ、打撲があり、ビロードで出来た衣装はボロボロ、いつの間にか何度も転んだか、身体中に土くれや泥、木切れや葉っぱのようなものもこびり付いていた。


ぼんやりとした意識の中、リチャードは思った。


そうだ。開拓村へ行こう。


我が麗しの開拓村、石くれがゴロゴロ、切り株もゴロゴロ、全部除いてブドウを植えて、少しづつ開墾して、ワイン畑が広がって。


辛くて渋い、白ワイン。


どうにか美味しく出来ないかと、村人総出で知恵を絞りあい。


元王太子もなく、農夫もなく、咎人もなく、血の貴賤もなく、ただただみんなで頑張って。


帰りたい。今は亡き、失われた未来のあの村に帰りたい。


自らが自らでいられた唯一の場所に戻りたい。


今はもう失われたあの素晴らしい未来にもう一度出会いたい。


リチャードは意を決し、星明りのみが僅かに地面を照らす暗い森の中をとぼとぼと歩き出した。



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