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2.

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二人きりになる前の段階で大変な悶着があった。


リチャードのお目付け役であるナザリー夫人がついてきたのを、エルドラは席を外すように言い、これに従わない夫人に対し彼女が強い言葉で非難したのだ。


「お前は公爵家の娘でありかつ未来の王太子妃であるこのわたくしの言う事が聞けないというのですね?」

「なんとおっしゃられようとも聞き入れられません。何より年頃の若い男女が二人きりなどと、なんとはしたない事をなさいますか。」ナザリー夫人も強い言葉で言い返す。


「それはお前の心配することではありません。そもそもわたくしとリチャード様がそう遠くない未来に夫婦となるのに、何故そのような心配するのか、お前の言っていることはおおよそ筋が通りません。」

「しかし……」なお口を挟もうとするナザリー夫人に対し、

「おだまりなさい!」鋭い言葉で制するエルドラ。

「わたくしの言葉は終わっていません。お前は公爵家令嬢であるわたくしの話が終わる前に言葉を挟むのですか? 不敬に当たることを分かっての発言ですか? 覚悟はできているのですか?」

エルドラのこの一言にナザリー夫人は口を閉ざす。


「そもそもお前は王妃様の密命を受けリチャード様を監視するようなまねごとをしているようですが、表向きのお前はただの宮廷教師であり、何の権限も持ちえません。公爵家が公式にお前を非難すれば王妃様はお前をかばいませんよ。


お前は私的に王妃様に肩入れしいろいろと動いているようですが、お前の夫と伯爵家は承知していない事でしょう? 公爵家がお前の家に圧力を加えればお前などいかようにも出来るのですよ? その上でお前はこのわたくしとリチャード様の間に割って入ろうとそう言うのですね? 覚悟は出来ていますね?」


ナザリー夫人の顔が見る見る間に真っ赤になってゆく。


「覚悟が出来ているならとどまりなさい。お前の宮廷での人生は今日で終わりです。覚悟がないなら立ち去りなさい。さあ、早くお決め。わたくしはお前のような小人にあまり長くかかずらっている時間はありません。ほら、早く!」


エルドラがぱんっと手を叩くと、ナザリー夫人は弾かれたように振り返り、そのまま立ち去ろうとする。


「お待ちなさい!」再び鋭い声を上げるエルドラ。


「お前はこのわたくしやリチャード様に挨拶もせずに立ち去るのですか? お前は実家の子爵家でそのような無礼を教わったのですか? その上でお前はリチャード様の宮廷教師などを務めようとしているのですか? お前は今、このわたくしのみならず、リチャード様をも侮辱しているのですよ? 分かっているのですか?」


ナザリー夫人は固まったように動かなくなり、それから油を点していないブリキのおもちゃのように固い動きで振り返ると、「失礼いたします。」と酷くぎこちないカーテシーをしてから再び振り返る。


「お待ちなさい。」三度声を掛けるエルドラ。

「お前のその挨拶には品がありません。お前のその態度は未来の王太子妃として看過できません。お前はリチャード様の教師として不適格です。今日中に荷物をまとめて宮廷から出てゆくように。良いですね。」


ナザリー夫人は今度は振り向きもせず、そのまますたすたと出て行った。彼女の背中に向かって吐き捨てるようにエルドラが言う。「田舎臭い子爵家の貧乏娘が嘆かわしい。二度と社交など出来ぬようにいたします。」


こうしてエルドラとリチャードは二人きりになった。


リチャードは恐ろしい。この女は自分より二つ年下の齢10歳にして、すでにこのように王妃としての貫禄を持ち合わせているのだ。


このような女が自分の許嫁としてそばにおり、何もなければあと10年もしないうちに婚姻を結ばねばならないのだ。


一度目の人生では漠然とした嫌悪感しかなかった。今ならばはっきりと分かる。この女は異常だ。凡庸なリチャードにしてみれば化け物のような女だ。

物心ついた時から王太子妃としての教育を受け、これを完璧にこなし、当然のようにリチャードの周りのことについても差配をするのだ。


リチャードは小うるさいナザリー夫人を煩わしくは思っていたが、それほどまでに嫌っているわけではなかった。

どうせ自分は不出来なのだから、ガミガミ叱られている方がまだ気は楽だったのだ。

だから特に思うところはなかった。


それが、一度目の人生の時もある日突然ナザリー夫人はいなくなった。

今回のように直接のやり取りを目にしたわけではないが、恐らくエルドラが何かして、同じようにいつの間にか排除されたのだろう。

エルドラにはなにかナザリー夫人を追い出さなければならない事情があるのだろうが、リチャードにはさっぱりわからない。


分からないことがとにかく怖い。


ナザリー夫人の後ろ姿を眉根をひそめつつ見送ったエルドラが、一転して大輪のバラのような笑顔を作り、リチャードの方へと顔の向きを変える。


「失礼いたしました、リチャード様。ようやっとお二人でお話が出来ます。よろしいでしょうか?」


一歩前に出てくるエルドラに、リチャードは背筋も凍る思いとなり「ひっ!」小さな悲鳴とともに後ろへ一歩、後じさった。


途端に悲し気な表情となり、こちらを心配そうに伺ってくるエルドラ。

なんと気持ちの悪い顔なのだ。いったいこの女は私の何を心配しているというのだ。あるいはどうして、心配そうな演技をしてみせるのだ。

どうしてそんなに気持ち悪い顔が作れるのだ。


恐怖に声も出ないリチャードに代わり、エルドラが続けて口を開く。


「リチャード様はお体の具合はいかがですか。先日は大変に体調が優れないご様子でした。今も何やら様子がおかしいように感じます。リチャード様はどこか無理をなさっておりませんか?」


「い、いや。大丈夫だ。」上ずった声を懸命に抑えながら、何とか返事を返すリチャード。

「してそなたは今日はどういった用事なのだ。わざわざ人払いをしてまで、この私に何の用なのだ。」どうにかそれだけの言葉を口にする。


考え込むそぶりを見せるエルドラ。ややあってから口を開く。


「実はリチャード様にお二人きりとなってお尋ねしたいことが出来たのです。リチャード様?」

エルドラは言葉を切り、その美しいかんばせを真っすぐにリチャードへと向けてくる。


リチャードは吐き気をぐっと我慢する。「よい。なんでも申せ。」


「リチャード様は一月ほど前から何やらお変わりになったように感じるのです。以前とはどこか違うというか、人として成熟されたというか。リチャード様には何かあったのではございませんか? このエルドラは、リチャード様のそのお変わりようについてお尋ねしたいのです。」


リチャードの心臓がドキリと跳ねた。

リチャードが死の淵から舞い戻り、人生が巻き戻ったその初めがちょうど1か月ほど前だったのだ。

賢しいこの女はその変化に気付き、こうして訊ねてきているのだ。


まったくもって恐ろしい。この女の前では嘘一つ許されないのだ。


だがそれでもリチャードは、嘘をつかねばならない。自らがかつて断罪され開拓村に押し込められて、細々と下手なブドウ農家などを続け安いワインなどを作っていた未来の記憶がある事を。


「べ、別に。なにも変わっていないつもり、だが。そなたの思い違い、思い違いではないのか?」震える声で何とかそう言い切ってみせる。


じっとこちらを見つめるエルドラ。


「分かりました。そういうことにいたしましょう。」


なんだか知らないが許されたようだ。ホッとしか気分になるリチャード。しかしエルドラの追及はこれで終わらなかった。


「リチャード様は特に最近、このわたくしを避けていらっしゃるように感じます。なにかわたくしに至らないところがあるのでしたら改めます。

なんでもおっしゃっていただけないでしょうか。」


「い、いや。特に何もない。何もないぞ。」

うわごとのようにそう呟くしかないリチャードに対し、エルドラがそのほっそりとした白い手を伸ばしてくる。


「ヒッ!」悲鳴とともに下がろうとして、背中に何かがあたりこれ以上下がれぬリチャード。気が付けばリチャードは壁際にまで追い込まれており、これに背中を預けるようにしてどうにか突っ立っている状態であった。


能面のような顔をしたエルドラがこてりと倒すよう小首を傾げ、下から見上げるようにしてぱちくりと瞬きを何度かして見せる。

「リチャード様。これは何もないとは言えません。まるでわたくしが近づく事を恐れているご様子。

何があったのかまではお尋ねいたしませんが、これではこの先が思いやられます。

リチャード様? お分かりになっているのですか?」


「な、何の話だ。」どうにか返事をするリチャード。


「わたくし達は夫婦となり、ともに手を携えてこの国を治めていくのですよ? 例え心のうちで思うところがあっても、そこに愛などなくとも、わたくし達は一つになる努力をせねばならぬのですよ?

それがまだ若いうちからこのように避けるような態度を取っていては、この先大変なことになります。


わたくし達は努めて互いを受け入れ合わねばならぬのですよ? リチャード様は大丈夫なのですか?」


言いつつ、エルドラの手がリチャードの顔へと伸びてきた。そのままその白い指先がリチャードの頬をぺたりと触る。


ぞぞぞぞぞ。


リチャードは息をするのも忘れ、ただ全身の毛が逆立つのを感じた。更にはエルドラの指先が触れる部分がカッと熱くなり、次の瞬間に猛烈なかゆみを感じた。


「や、やめろ……。手をどけろ。エルドラ。止めてくれ。頼む。手を、手をどけてくれ……。」

我知らずリチャードは泣き出していた。視界があっという間にぼやけ、頬を熱い雫が垂れていくのを感じた。


エルドラはそんなリチャードの頬を流れる雫のうちの片方を指ですくうようにして拭き取り、そのまま手を離し、自らのドレスのすそに当てるようにしてそれをぬぐってみせた。


それから改めて手を伸ばしてくる。


「触るな! 気色悪い!」リチャードは声を荒げた。それからシャツの布を当てるようにして自らの顔を腕でごしごしとぬぐう。

はしたないなどとナザリー夫人に怒鳴られそうな行為であったが、今さら体面など気にしていられる余裕などなかった。


「失礼いたしました。」その場で頭を下げるエルドラ。

それから再び顔を上げ、口を開く。


「ですがリチャード様。これではっきりしたのではないでしょうか? リチャード様はどういう訳だかわたくしが近づくだけで大変お辛いご様子です。

今さら取り繕っても仕方のない事実にございます。


リチャード様? リチャード様はこのエルドラの事をどう思っておいでなのです? ここで嘘を言っても仕方がありませんよ? 人払いは済ませているのです。誰にも聞かれる心配はありません。

はっきりとおっしゃっていただけませんか?」


「私は……。」

リチャードは自らの声が上ずるのを感じた。


嘘をついてごまかしてしまえればさぞかし楽な事であろう。しかしリチャードには、この女に嘘をつき通せる自信がまるでなかった。

きっとすでにリチャードの本心などとうに見透かられているのに違いない。

その上で敢えてリチャードの口から語らせたいだけであるに違いない。


なればリチャードに出来ることは一つだけだ。心の奥底からの思いをこの女に明かせばよいのだ。


だがリチャードにはそれすらも恐ろしかった。この女に対して言葉を伝えるだけでも恐ろしかった。

崖の上に自らの身体を乗り出し、その下へと飛び込む思いであった。


リチャードは何度も唾を飲み込み、浅い息を繰り返し、勇気を振り絞って声を上げる。


「私は……。そなたが……。嫌いだ。」


どうにか言葉を紡ぐ。


「私は……。そなたが気持ち悪いのだ。……そなたがそばにいるだけで怖気が走り、耐えきれず吐いてしまうほどに嫌なのだ。」


リチャードはぶちまけた。隠し通せぬ思いを目の前の女にはっきりと伝えた。

リチャードは少しだけスッキリとなり、心が軽くなるのを感じた。

これから先、この女の前で嘘をつく必要はなくなったのだ。

リチャードは大きく息を吐いた。


エルドラはにっこりと微笑んだ。

「存じてはおりましたが、はっきりとお言葉にされると辛いものですね。ですがこのエルドラ、リチャード様のお心について承知いたしました。


わたくし自身はリチャード様の事をどのようにも感じてはいないのですが、愛する努力はしようと考えていたところにはございます。

ですが、そのご様子ですとわたくしが下手にリチャード様をお慕いするようなことがあってはかえってお辛いのでしょうね。


今後わたくしはリチャード様の事はただ王命により定められた立場としての婚約者、ただ命ぜられただけで一つになる夫婦としておそばにありたいと思います。

リチャード様はそれでよいでしょうか?」


「そ、そうか。う、うむ。苦労を掛ける。……そのようにせよ。」リチャードはどうにか首を縦に振る。


「ですがリチャード様。その上で失礼なお願いがございます。

元よりわたくしとリチャード様の婚姻は、王家や公爵家、様々な貴族家の事情を鑑みて結ばれた、いわば国のために決して違えてはならぬ結びつきです。


どう足掻いてもわたくし達は夫婦として結ばれねばなりません。


リチャード様にとってそれは大変にお辛い事ではあるかもしれませんが、とにかく努力せねばなりません。


ですからリチャード様? リチャード様はなるべくわたくしを側においても耐えられるようにならねばいけません。これは大変な事だとは存じますが、とにかく少しづつ慣れていかなければなりません。


わたくしもいろいろ工夫を考えたいと存じます。リチャード様も努力をして戴けないでしょうか。」


「そ、そうか。わ、分かった。」リチャードは頷いた。


エルドラも同じように頷く。

「わたくしの話は以上にございます。わたくしがこれ以上おそばにいてはリチャード様もお辛いでしょうから、今日はこれにて失礼いたします。」


そう言って美しいカーテシー一つこなして見せてから、踵を返し退出するエルドラ。


その後ろ姿が見えなくなるまでリチャードはじっくりと見送ってから、ようやっと人心地つき大きくため息を吐いた。


正直なところ、リチャードはこの女との結婚などは微塵も考えていない。リチャードの望みは1度めの人生同様、どうにかして王位を剥奪され開拓村へ流される未来なのだ。


開拓村はよかった。

初めの数年はあれこれ悪態をついたり落ち込んだりと腐ってばかりであったリチャードだが、次第に気持ちが前向きになり、どうにか生きる努力をしてみたところ、ワイン農家というおおよそそれまで思いもしなかった働き口が自分の天職であるという事に気付かされたのだ。

まさに天啓であった。


そこからの人生は楽しかった。毎日土と格闘し、天気に翻弄され、ブドウを愛で、ワインの出来上がりに一喜一憂する。


一度目の人生はおおよそそのようなものであったが、今思い返してリチャードは大変に満足していた。


自分は王など向いていないのだ。しがないワイン農家であることが何より向いているのだ。


だから今のリチャードは何とかしてこの糞ったれな状況から抜け出し、最愛の地である辺境の開拓村へいかに向かうか、そればかりが唯一の楽しみであった。


エルドラとの約束など適当にしておけばよい。

どうせ自分は大きな過ちを犯し開拓村へと流されるのだ。

そうしてエルドラは異母弟である第二王子ヘンリーと結ばれ、王妃として素晴らしい治世をもたらすのだ。


1度目の人生ではヘンリーとエルドラの事はたまに伝え聞く程度の噂話でしか知らないが、とても仲睦まじく愛し合っていたという。


なんでもヘンリーは幼いころから兄の許嫁であったエルドラの事を憎からず思っており、対するエルドラも心の底では良い感情しかなく、自分が断罪されヘンリーが王太子になった暁にはお互いの感情が燃え上がり、当世としては珍しい恋愛結婚をするのだそうだ。


おしどり夫婦となるヘンリーとエルドラに国民も感化を受け、二人の治世の間は出生率がとても高くなったといった話まであるらしい。


リチャードは当て馬なのだ。二人が結ばれるまでの間、仮初の婚約者を演じていればいいのだ。

自らが断罪され、愛し合う二人が真に一つになるその日まであと10年もない。それまで何とか頑張ろう。


リチャードは決意を新たにした。



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