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更に10年ちょっとの月日が過ぎ、46歳となったリチャードが倒れたのは手慰みにと城の庭の一角で作っていた家庭菜園での朝の手入れの最中であった。
倒れた瞬間に思い出した。
これは1度目の生の最後、恐らく命を失ったあの時の感覚と全く同じであると。
リチャードは一度目の死が56歳の時であったから時間にまだまだ余裕があると勝手に安心していたのだが、どうやら王としての激務が思いのほか寿命を縮める結果となっていたらしい。
リチャードは自らの身体が言うことを聞かなくなり、地面に崩れ落ちそうになる様子を他人事のようにぼんやりと眺めながら、そんな事を考えつつ、そのまま意識を失った。
一度目の生より寿命が短くなったのは悪い話であったかもしれないが、良い事もあった。
王となった二度目の生ではリチャードのそばには警護のものが常に控えていたから、倒れたリチャードはその場ですぐに手当がされまた、優秀な御典医が適切な処置を施したのであろう、リチャードは奇跡的に意識を回復させた。
ゆっくりと瞼を空けると、真っ先に飛び込んできたのは美しく成長したシャーロットが泣きわめきながらしがみついてくるその姿であった。
この見事に成長した19歳の黒髪の美姫は未だに独り身であることがリチャードには心配であったが、ことここに及んではリチャードはどうすることも出来ぬ。
リチャードはおのれの意識が戻ったのは偶然であり、このまま死を迎える直前であることが痛いほどよく分かっていた。
シャーロットの後ろには、無事に初恋の女性と契りを結び今や三児の父となった次男ウィリアムと、彼の日を境にすっかり丸くなり、今ではすこしふっくらとした姿となったエルドラがともに悲痛な面持ちをして並んでおり、更にその後ろには大勢のお付きのものどもが固唾をのんで見守っている姿が目に入ってきた。
王太子たるフィリップが見当たらぬな?
ぼんやりとした頭で少し考え、フィリップは先だって結婚したばかりの隣国の姫とともに諸外国へ外交を兼ねた漫遊旅行へと出掛けている最中であることを思い出す。
死を前にあのものと顔合わせできぬのは少々寂しいが、少なくともリチャード自身は優秀なフィリップに後を任せることに何一つ不安はないから、心配事はなにもなかった。
意識がはっきりとしてくる。
すっかり重くなり、いう事を聞かなくなった身体をむち打ち、どうにか身じろぎを一つして、まずはシャーロットに声を掛ける。
「シャーロットよ。すまぬが少し離れてくれ。」
リチャードの意識が戻ったことに気付いたシャーロットがハッとなり、「お父様!」とことさら強くしがみついて来ようとするが、侍女に窘められしぶしぶ身体を離すようにする。
それからリチャードは書記官を呼びつける。
死の前に大切な一仕事が残っているのである。
「今より王を長子フィリップへ譲位する。とはいえ彼のものはしばらく戻ってこぬから、戴冠までの間は王妃エルドラが一時的にその位を預かりとせよ。」
「かしこまりました、我が君よ。」エルドラがその場にて恭しく一礼をする。
書記官がこれを公式なものとして記録に残す。
これでリチャードの最後の仕事は無事に終えることが叶った。
続けて家族の皆に一言づつ言葉を残してゆく。
「まずはこの場にいないフィリップに申し伝える事がある。誰かあのものに伝言を頼む。」
「オレが承ろう。」
ずいっと前に出たのは次子ウィリアムであった。
「うむ。」ウィリアムなら言付けにまさにうってけつけであった。
「あのものには正直何の心配のないので、元来伝えることなど一つもないのだが、唯一の気がかりは無理をすることだ。あのものは昔からあれこれ色々頑張りすぎるのだ。だから父として、無理だけはしてくれるなと伝えてくれ。」
「それはあまりよろしくない遺言だな、おやじ殿。」ウィリアムは少しばかり呆れた様子でそう異を唱えた。
「なんだと?」思わぬウィリアムの一言に、ぎろりとこれを睨みつけるリチャード。
そんなリチャードに対してどこ吹く風のウィリアムは、
「兄貴は無理をするなと言われると却って無理をする性格じゃないか。おかしな遺言を残されては兄貴はおかしなことになっちまう。もう少し言い回しを考えた方がよいと思うぞ。」そう言って肩をすくめてみせる。
「ふむ。」言われて見れば確かにその通りであった。
「しかしウィリアムよ。そうなるとどう言葉にすればよいのか、私には分からぬぞ? 何か良い知恵はないのか?」
「ならば『ほどほどに頑張れ』などで良いのではないか? それならば兄貴も酷い無理はするまいよ。」
「なるほどそれでいこう。ではそのように申し伝えてくれ。」
「あい分かった。」ウィリアムが二つ返事で引き受ける。
「ウィリアム!」声を上げたのはエルドラであった。
「父の遺言をあなたが勝手に変えるなどとは何様のつもりですか!」
だがウィリアムはそんなエルドラの事など気にもせず、何やらそっぽを向いてしまう。
近頃のエルドラとウィリアムの関係はだいたいこんな様子で、リチャードには馴染んだいつもの光景であった。
「良いのだエルドラよ。私はいつもこんなふうにあれこれを相談して決めてきたのだから、最後もいつもの通りが良いのだ。」
リチャードは頷き、ウィリアムも同じくこくりとと頷いた。
「しかし……」何やらぶつぶつ文句を言いだすエルドラに見えない向きで、んべっと舌を出すウィリアムであった。
リチャードは苦笑したくなるのをどうにか堪え、真面目な顔を作ってそのままウィリアムに声を掛ける。
「ウィリアムよ。そなたにも一言お願いがある。」
「いいだろう、おやじ殿。話だけは聞こう。」不遜な態度を取りつつも、リチャードに向き合うウィリアム。
「そなたはフィリップを助け、臣として良くあのものを支えてやってほしい。頼めるか?」
「なんだつまらない願いだな。まあおやじ殿の最後に言う事などそんなところだろうと思ったが、予想通りでつまらんな。」
「言ってくれるな、ウィリアムよ。で、どうなのだ? 頼めるか?」
「仕方ない。承ろう。女房、子供を食わすのに必要な程には働いてみせよう。」
「うむ。」リチャードは大きく頷く。とはいえ確かに最後がこれではつまらない願いとリチャードにも思えた。
そこでせっかくであるからと、最後に密かな本音を暴露してしまうことにする。
「ところでウィリアムよ。この際だから言ってしまうが、正直なところ王位はそなたに継いでもらって、フィリップにはその補佐をしてもらった方が国がまとまると常々考えていたのだが、そなたが王になる心積もりはないか?」
「なっ!」さしものウィリアムもこれには驚いた様子であった。
ざまあ見ろと内心ほくそ笑みつつも、リチャードは更に言葉を続ける。
「そもフィリップはしょいこみすぎて重みに潰れかねぬところがあるからな。
胆力があり要所で手も抜けるウィリアムにお山の大将をさせておいて、肝心の実務のみをフィリップにさせてやった方がお互いに気が楽なのではないかと思ってな。
存外良い考えではないかと思うのだが、どうだろう。
どうなのだ? ウィリアム。今ならまだ我が王の権限にてそなたに譲位してやることも出来るのだぞ?」
「勘弁してくれ!」ウィリアムが声を上げる。
「オレはもともと器じゃないし、何よりその……。」珍しく慌てた様子のウィリアム。「オレの女房は低い生まれだ。アレに王妃などやらせるわけにはいかぬ。オレは他に女を娶るつもりもないから、そういうのは勘弁してほしいんだ。頼む!」
「そうか。残念であるな。」さして残念でもないリチャードであったが、ことさら残念そうな顔を作ってわざとしょんぼりとして見せる。
「人が悪いぞ、おやじ殿。」少しむすっとなったウィリアムが声を上げる。「兄貴のことはちゃんと補佐するから、意地の悪い事は言わぬでくれ。頼む。」
そう言って殊勝にも頭を下げるウィリアムに、リチャードの留飲も下がる。
「まあ、仕方がない。では変わらずフィリップに譲位するという事でそなたはあのものを良く助けてやってくれ。頼むぞ。」
「頼まれた。」ウィリアムはそう言い、後ろに一歩下がった。
続けてリチャードは可愛いシャーロットの方へと身体をむける。
「シャーロットよ。」
「はい、お父様。」脇に控えて様子を見守っていたシャーロットが顔を上げ、無理に笑って返事をくれる。
「私は美しいそなたがもうけるであろう子供がどれほど可愛らしいかをこの目で見れぬのが残念であるが、どうか良い人と結ばれて良い家族を作ってくれ。私は向こうの世界で楽しみにしているぞ。」
「嫌です。」シャーロットは即答した。
「なっ!」声を上げたのはエルドラであった。
「わたしは結婚などいたしません。この先ずっと一人で生きてまいります。いくらお父様でも私の人生を勝手に決めさせたりなどしません。」
「シャーロット!」エルドラが金切り声を上げる。
まるで聞く耳持たず、つんっとすまし顔になるシャーロット。
今ではシャーロットもすっかりエルドラを蔑ろにするようになり、一人歯噛みするエルドラには申し訳ないとは思うのだが、そんなシャーロットの様子があまりにも可愛らしいものだからリチャードは思わずくつくつと笑ってしまった。
「良い、エルドラ。そうだなシャーロット。そなたはそういう女であった。良い。好きに生きなさい。」
「ありがとう、お父様。」その場で見事な淑女の礼をして見せるシャーロット。
それからシャーロットはリチャードのそばへと顔を近づけてきて、小声で小さくこう囁いてみせた。
「我が最愛の父のために最高の白ワインを造り出してみせますわ。その為には結婚などにかかずらっている暇はないのです。」
リチャードは驚いた。
確かにこのところのシャーロットは城を留守にすることが多く、一人でこそこそと何かをしているようであったことは伺い知れていたが、まさかそんなことをしていたとは!
リチャードは心底驚いた。何故? どうして? いつから? どこで?
だがその理由を知るための時間はもう残されていなかった。
死を前に最大の心残りが出来たことが、リチャードには恨めしかった。
「生きたお父様にお飲みいただけないのは残念だけれど、天国から見守るならこんなシャーロットの方がお父様は嬉しいでしょう?」
そんな一言ともにぱちくりとウィンクをしてみせて、それからすっと身体を離すシャーロット。
リチャードはしばし放心状態となってしまう。
どう言葉にすればよいか分からぬ。
まったくシャーロットという女は最後の最後までリチャードを悩ませる極上の美姫である。
リチャードはそんなシャーロットが生み出すワインが飲めぬことが悔しくてならぬ。
様々に渦巻く感情をどうにか抑えつつ、リチャードは最後にエルドラを呼び寄せる。
「エルドラよ。そなたに内密に申し付けたいことがある。
他のものは席をはずしてくれ。」
「かしこまりました、我が王よ。」
エルドラは些か緊張した面持ちでリチャードの脇へと近寄ってくる。
他のものは事情を察し、リチャードの前から距離を置く。シャーロットだけが少しぐずったが、お付きのものに諭されて最後にようようその場を離れる。
「エルドラよ。」改めてリチャードが声を掛ける。
「はい。」エルドラが返事をする。
「頼む、エルドラよ。私がそなたにする、最後の願いだ。
私はこの2度目の生にそれなりの満足をしている。一度目に比べて色々と足りぬ部分もあり、とくにまつりごとなどはヘンリーが頑張った前の方がよかったようにも思えるが、それでもどうにかうまくやっていたように思えるし、何より次代を担う息子フィリップの事を思えば先の事は何も心配することはないように思う。
ワインについてはそなたとの約束事を守れずに残念ではあったが、これは仕方のない事だと思う。
ただしこれについてはシャーロットが何やら画策しているようだから、悪く思わずどうか温かく見守ってやってほしい。
そもそも私はこの国の王となる定めに生まれてきたものであるから、責務を全うできた二度目の生にこれでも大変満足している。
この生を十分に生きることが出来、大いに満たされた思いである。
エルドラよ。多少の問題がある事は承知しているが、世界はこれで決まりとして良いように思える。
だから頼む。
二度と『ときさかの魔法』を使ってはならぬ。時を戻してはならぬ。
この世界のまま次代へとつなげるのだ。
良いな?」
「かしこまりました。我が王よ。」
恭しくこうべを垂れたエルドラが返事を口にする。
「わたくしの無理に巻き込んで迷惑ばかりをおかけしたリチャード様に、このエルドラがどうして異を唱える事がありましょう。
二度と『ときさかの魔法』は使わぬようにし、世界はこれで確定といたします。
このエルドラ、王命として承りました。」
「うむ。」リチャードは頷いた。
これでよい。これでもう何も心配事は残っていない。
リチャードの生はこれでお終いでよい。
リチャードはゆっくりと目を閉じ、それから3日ほど目覚めることなく、そのまま息を引き取った。




