バレンタインなんてなかった
朝、いつもより遅れて家を出る。
もちろんわざとだ。
そうしないと、俺の上履きが靴に変わっていることにがっかりした女の子が、諦めるかもしれないじゃないか。
そんな思いに頭の中を支配されながら、これまたゆっくりした足取りで遅刻ギリギリに学校につき、下駄箱を覗き込む。
うん、変化なし。
授業と授業の合間。
いつもは適当にクラスメイトと駄弁っているだけだが、この日だけは毎回教室を去り、次の授業までその辺をブラブラする。
そうしないと、俺の机の引き出しを狙う子の期待値が減ってしまうじゃないか。
そして帰還後、毎回手さぐりで引き出しの中をあさるが、質量の変動は見られなかった。
その内の一回は、移動授業だったことを忘れていて、誰もいなくなった教室に戻ってきてしまった。
理科の山内にしこたま怒られた。
昼休み。
俺は無意味に教室の中を一周してから、外に出た。
いや、何人かに怪訝な顔をされたが、無意味ではない。少なくとも俺には。
そうして無言のアピールを見せた後、人通りが滅多にない階段を選んで持ってきた弁当を開けた。
今日のボッチ飯の卵焼きは美味だった。
放課後。
幽霊部員だった放送部に久々に顔を出し、全員から奇異の眼で見られる。
もちろん、俺だって場違いな場所にいることは分かってるが、背に腹は代えられない。
コミュ障な子が、今も俺の下駄箱の前で逡巡している可能性を思えば、このくらいの居心地の悪さくらい耐え忍ばずしてなにが男か。
久しぶりで勝手が分からなかったので、力仕事をいくつか手伝って放送部を後にした。
下駄箱からは、甘い香りの気配すらしなかった。
帰路。
特に努力もしてこなかった人間が御褒美をもらえるはずもないと、強引に自分を納得させながら、家のドアを開ける。
仕方ない、明日からは、少しは女子にも話しかけるように努力するか。
そう思いながら、母さんが勉強机に置いてくれたと思われる板チョコに手を伸ばし、銀紙を乱暴に破って齧りついた。