プロローグ
【side-BLACK】
―――春先、ある嵐の夜。
幾度と無く、立て続けに響く雷鳴。それに負けじと、凄まじい音を立てながら振り続ける雨。
辺りが川、或いは海になってしまうのではないかと言う程の激しい豪雨。
その雷雨がもたらす轟音に掻き消され、ある屋敷で起きている喧騒は誰にも聞かれず、何が起きているかを知るのは当事者達のみである。
「逃がすな!捕まえろ!!」
「クソっ!何処行きやがった!?」
「はぁ・・・もう、少し・・・」
屋敷中を慌ただしく探し回る、黒いスーツに身を包んだ屈強な男達。
彼らから身を隠しながら逃げ回る、黒髪の少女。健康的な白い肌は泥や埃で薄汚れてしまっている。彼女の華奢な体を包むのは、服と呼べるか怪しいボロボロの布一枚。更にその細い首には、赤い石が嵌め込まれた銀色の首輪が付けられている。
それは奴隷の証。「隷属の銀輪」と呼ばれる魔道具である。
「もう少しで・・・逃げられる・・・!」
彼女は柱の影から顔を少しだけ出し、辺りを見回した。
「よぉし・・・今だ!」
自分を探す男達の姿が無い事を確認すると、数メートル先の大きな木の扉に向かって勢い良く駆け出した。
「見つけたぞ!止まりやがれ!!」
「ウソ!?でも、止まる訳には・・・!!」
背後から響いた男の声に驚きながらも、少女は扉まで走る。
「よし!この扉さえ開ければ・・・!」
「逃がすかよ!このガキぃ!!」
「ッ!いや!放して!!」
扉のハンドルに手を掛けた所で、少女は男に追い付かれ、腕を掴まれてしまった。
なんとか振り払おうともがくが敵わず、少女は抱き抱えられる様にして取り押さえられてしまう。
「大人しくしろ!」
「嫌よ!あんな奴の奴隷なんて・・・お断りよ!!」
「ぅぐっ!!?」
少女は叫ぶと、自分を押さえ込む背後の男の“急所”を全力で蹴り上げた。
「ぐ、うぉぉオオオアアア・・・!!!」
自身の尊厳に走る凄まじい激痛に苦しみ悶える男。痛め付けられたそこを押える為に放された両腕から抜け出し、少女は再び扉に手を掛ける。
そして、思い切り開け放つと・・・外は豪雨。轟く雷鳴。嵐が待っていた。
「うっ・・・で、でも・・・っ!!!」
しかし少女は、意を決して外へ飛び出した。嵐の中へと。
その身を包む布切れは一瞬でずぶ濡れになり、長い黒髪が体に張り付く。冷たい暴風も合わさり、彼女の体温は瞬く間に下がり始める。
「ううう・・・早く・・・逃げなきゃ。遠くに・・・」
暴風・豪雨・雷鳴。凄まじい嵐の中を少女は必死に走る。少しでも遠くへ逃げる為に。
それから暫くして、嵐が止み始めた頃。近くの街までなんとか辿り着いた少女は、既に限界だった。
「さ・・・さむい・・・だれ、か・・・たす・・・け、て・・・」
雨風に体温を奪われながら走り続けた少女は力尽き、倒れてしまった。
彼女の小さな叫びは誰に聞かれる事も無く、吹き抜ける嵐の余波に流され消えて行った。
そして夜が明けると、少女のそばに立つ人影があった―――
【side-WHITE】
―――炎。
真っ暗な世界の中で轟々と燃える、赤い炎。
熱。煙。両親。血。悲しみ。絶望。
炎の中で見た光景が、抱いた感情が、何度も浮かんでは消える。
そしてそれらは、突然消えて無くなる。
直後、新たに浮かぶのは深い喪失感。そして、激しい怒り。心を埋め尽くす激情に、体が灼ける様な感覚を覚える。
まるであの日の炎の様に。
心の中で燃え盛り、その熱が体を灼き、突き動かす。
どうすればこの炎は消えるのか。
どうすればこの怒りは鎮まるのか。
分からない。ならば、この炎に・・・怒りに、この身を任せよう。
そう思った瞬間、世界は瞬く間に炎に包まれて激しく燃えていく。
心地の悪い熱が全身に満ちる。
死を、予感した。
「・・・また、夢か」
ベッドの上で目を覚ました青年は、一言呟いて起き上がった。
悪夢と違い、周囲には冷たい空気が流れており、窓の外は雷鳴と豪雨の音に満たされている。
「嵐か・・・」
雷光に照らされた青年の顔は悲しげな表情を浮かべ、長い白髪の奥に潜む真紅の瞳はどこか遠くを見つめていた。
「ノーラ・・・」
世界でただ1人の、彼の大切な人の名前。呟かれたその名前は虚空に溶けて消える。
傍らに立て掛けた剣を取り、鞘から抜き放つと、彼はその刃を見つめる。
「俺は必ず・・・やり遂げる・・・」
雷光を受けて白銀の妖しく輝く剣。その刃は鋭く研ぎ澄まされ、振るわずとも空気を切り裂く様な威容を放っている。
「この魔剣と共に・・・俺は、復讐する」
刹那。青年が居る部屋を目も眩む様な光が包み込み、すぐ様凄まじい轟音が響き渡る。
一層激しくなる嵐を背に、青年はその真紅の瞳を輝かせる。
幼い頃のあの日・・・全てを焼き尽くした炎の様に。
彼の瞳は復讐の業火を宿し、激しく燃えていた。
そして夜が明け、嵐が過ぎ去った朝。
青年の運命が動き出す―――