2 スケルトン、初めての戦い
上階へと昇れる階段。
――これは行ってみるしかない。
俺は意を決して階段を上っていく。
階段の先は、前と同じ骨の迷路であったが、僅かに変わっていた所があった。
なぜだか分からないが、地面にサラサラとした黄土色の砂が敷き詰められている。
そして、下の階ではきちんと全て積まれていた人骨が、所々に散乱していた。
「骸骨……いや、これは、スケルトンか? なぜ……敵、がいる?」
俺は警戒を最大限に引き上げる。
そして今までよりもさらに注意深く一歩一歩踏みしめるようにして探索を始めた。
またこれも危険な行為だったが、俺は引き返そうとは考えなかった。
ゆっくりと進んでいきしばらくたったころ。
周囲を歩くスケルトンも、前に比べてずいぶんと少なくなっていた。
わずかに風がなびくのを感じる。
外に通じる穴か何かがあるのかもしれない。
そして、一つ角を曲がったところに、そいつはいた。
通路の向こう。
黒い骨格を持つ膝丈程の魔物。
八本ある節足は横から生え、前の方には二つの巨大なハサミがあった。
後ろからはU字に曲がった尾が生え、その先端は鋭い針が生えていた。
黒い魔物は敷き詰められた砂を踏みしめ、ハサミを打ち鳴らして威嚇した。
――なんだ、あの魔物は。
茫然として考えた。
俺は知識だけは自信がある。
足りない実力を何とかして埋めようと、本を読んだり人に聞いたりして様々なことを知っていた。
しかし、この魔物のことはまったく知らなかった。
今の俺には愛用の剣すらない。
魔物最弱であるゴブリンにすら傷を作っていた俺が、あんな硬そうな甲殻を持った奴になんか敵うわけがないのだ。
――あの魔物との距離はまだ遠い。背を向けても背中を攻撃される恐れはないはずだ。
瞬時にそう判断した俺は、魔物を刺激しないように、ゆっくりと足を後ろに戻した。
そうして、音を立てないようにそっと後ろ向きに下がる。
曲がり角まで下がって魔物の姿が見えなくなった瞬間。
俺は一目散に逃げだした。
そして走りながら後ろを見ると、あの黒い魔物が猛スピードで追いかけてきていた。
「ひぃー! 無理無理無理! 無理だって! どうすりゃいんだよ、チクショー!!」
全身の関節をカシャカシャ鳴らしながら、俺は全速力で逃げる。
なんだか生前よりも速い速度で走れている気がする。
体中骨しかないから、軽くなって早くなっているのだろうか。
ともかく、速く走れるならそれだけで御の字だと、逃げ続けた。
しかし、それにも終わりが来る。
行き止まりだった。
正面と左右に骨の壁。
逃げ場はない。
ガチンガチンとハサミを打ち鳴らす音が聞こえて、勢いよく振り向いた。
そこにいたのは先ほどとまったく同じ、ハサミを持つ黒い魔物だった。
「いや、まて……は、話し合おう。俺たちは、分かり合えるはずだ、そうだろ?」
俺は持ったスケルトンの片腕を捨て、両手を前に突き出しながら、下あごを動かす。
それに対して、黒い魔物はハサミを打ち鳴らして威嚇を返した。
そしてそのハサミを突き出す。
「うおッ!」
俺は反射的に手を伸ばした。
運良く相手のハサミをつかみ取る。
黒い魔物は掴まれたハサミが振りほどけないのを見ると、片方のハサミを振るってきた。
「ぬあッ!」
俺はもう片方のハサミも何とかつかみ取る。
「はあ、はあ……――フッフッフ……」
両腕は封じた。
さあ、どうしてくれようか。
俺は白骨の顎を傾けて笑う。
調子のいいものだが、そのくらいでないと冒険者は務まらないと、俺は思う。
ただの持論だが。
――よくも怖がらせてくれたな。
俺は足を振り上げる。
そして、殺意をこめて振り下ろ――
「うわっぷ!」
なんだ。
液体?
これは……
「ぐおおおぉぉッ!!?」
あ、熱い!?
顔が熱い!?
俺は驚きのあまり、思わず両手を放してしまう。
数歩後ずさりし、手で顔を覆う。
すると、シュウウゥッと音がして手が僅かに溶けてしまったのが見えた。
これは、酸か!
ハッと目の前を見ると、黒い魔物、そのU字に曲がった尾の先端にある針から紫色の液体が滴っていた。
「クソッ!」
俺は少し溶けた両こぶしを構える。
溶けた顔と手から痛みはない。
ただ、痛みの代わりに、何かが抜けていくような気がする。
何か命を繋ぐ何かが抜けていくような、魂が削れていくような、怖気が走る感覚を感じていた。
これ以上傷を受けてはいけない、そんな強迫観念に囚われる程の寒気。
目の前には依然として威嚇を行う黒い魔物。
どうすればいい。
どうすればいい?
逃げる? 戦う?
逃げるのは無理だ。
ここは行き止まり。
唯一の逃げ道には魔物が陣取っている。
スケルトンはそもそも数いる魔物の中でも最も弱い一体だ。
ゴブリンやスライムなどと同じ。
目の前の魔物は少なくとも、スケルトンやゴブリンよりも弱いなんてことは無いだろう。
人間の意識のある俺が、普通のスケルトンに負けるとは思えないが、それでもこの魔物に対しては誤差にしかならない予感がする。
自分より強い相手に対して最もやってはいけないことの一つは、迂闊に背を向けることだ。
勝てないからといって、簡単に逃げようとしてはいけない。
背を向けるのであれば、一度敵の視線を切らなければな。
俺は昔から、危機に陥った冒険者が、逃げようとして背中を斬り裂かれてきた場面を何度も見ている。
自分が同じような目に合うわけにはいかない。
奴の武器は、両手のハサミに上の尻尾。
他は確認できていないが、体の形状からいってそれ以外は考えにくい。
くそ、武器が三つもあるなんて卑怯だ。
俺にも腕が三つあればこんな奴ぶっ飛ばしてやるのに。
――腕が三つ……?
俺はハッとなって、少し前に放り投げていたスケルトンの腕を見た。
あれがあれば、俺も腕が三つになれるのでは……?
馬鹿な考えだった。
俺だって普通なら、そんなことを言うやつがいたら、一頻りそいつの頭を心配した後、三日は安静に寝るように言うだろう。
しかし、今の俺は普通ではなかった。
自分がスケルトンになるなどという、普通ではない体験をした。
人間でなくなったことで、見えない束縛から解放されたようなハイな気分になっていた。
追い詰められたことで、焦り、見境が無くなっていた。
俺は壁際に転がるスケルトンの腕を見る。
あれをどうにかして取りたいが……
黒い魔物が尻尾から毒液を噴射した。
「うわッ!」
突然のことに、反射で腕をかざして守る。
自分の腕が溶ける嫌な音がする。
魂が削れる異音が脳裏に過った。
「ぐうぅッ!」
思わず声が漏れる。
本当は避ける方がいいのだろう。
ただ、これで避けれるようなら俺は万年ザコ冒険者なんてやってない。
魔物がハサミを突き出してきたのが、かざした腕の間から見える。
俺はそれを転がって避けた。
がしゃんと音が鳴って、壁に激突した。
地下墓地の中は狭い。
激しく立ち回るのには向いていなかった。
「くそッ!」
急いで目を巡らすと、すぐそばまで黒い魔物が迫っていた。
すぐ後ろは壁。
まずい。
追い詰められた。
魔物はハサミを上げて打ち鳴らす。
俺は少しでも遠ざかろうとして、這って壁にすり寄っていく。
「来るな……来るな!」
カタリ、と地面に突いた手の方で音がした。
そちらを見ると、少し前に放り捨てたスケルトンの腕。
俺は反射的にそれを取ると、その付け根を己の肩に押し当てる。
「……俺の腕は三本、俺の腕は三本、俺の腕は三本ッ!」
俺は縋るように、念じていた。
それ以外に何もできなかった。
この絶望的な状況を乗り越えるのが、すぐさっき考えていたこのバカげた方法しか思いつかなかった。
しかして、それは。
――何かがつながるような感覚がした。
驚いてそちらへ目を向けると、上側にくっつけていたスケルトンの腕が、その手が独りでにカシャリ、と動いた。
それに目を見張っていると、ガシャンと音が聞こえる。
振り返ったら、そこには両のハサミを振り上げてそれを突き出す魔物が見えた。
「ぐッ!」
俺は元からあった両腕を前に出す。
それは二つとも、相手のハサミを掴むのに成功した。
勝ちを確信した魔物が、獲物をいたぶるようにゆっくりとハサミを振り下ろしたからだ。
魔物は猛るように捕まったままのハサミを揺さぶると、その尾を振り上げる。
毒液が来る!
俺はそれを確信した。
そして、新しい腕を振るった。
それは慣れていないせいか少しぎこちなかったが、それでもしっかりと相手の尾を掴む。
そこから射出された毒液は、放物線を描いて俺の頭上を飛ぶことになった。
俺は急いで立ち上がり、三つの腕を握りしめたまま魔物に向かって足を振り下ろした。
硬質な音が鳴る。
恐ろしい硬さだ。
鉄の剣でも割ることは出来ないかもしれない。
もちろん骨でなど無理だ。
でも、俺は踏みつけるのを止めなかった。
これで倒せるなどという予感があったわけではない。
しかし、この機会を逃したらもう勝つことはできないという予感はあった。
踏みつける。
踏みつける。
踏みつける。
何度だって踏んでいく。
意味は無いのかもしれない。
でも俺はこうすることしかできない。
こうしていたら何かが変わって倒せるかもしれない。
俺はそれを信じていた。
あるかも分からないわずかな可能性にすがって、足を振り続けた。
そうして、いったいどれくらいの時間が経っただろう。
疲れを知らないスケルトンだ。
日が上って沈むまで?
丸一日?
もしかしたら一か月以上そうしていたのかもしれないし、思いのほかすぐ終わってしまったのかもしれない。
俺は、足を振り続けていた下を見る。
そこには変わらずに黒い魔物がいた。
しかし、そいつはもう動かない。
踏み続けていた俺の足は、割れて、折れて。
そして、割れたせいで細くとがった骨の足が、奴の甲殻の隙間に幾度となく突き立って、その首が千切れかかっていた。
俺は死体に突き立った足を抜くと、そのまま壁に倒れこんだ。
肺も喉もないはずなのに、息が上がっている気がする。
……倒せた。
……倒せたぞ。
俺は思わず両こぶしを上に突きあげた。
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