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新三国志 退廃帝曹叡と賢英帝劉禅  作者: 水源
建興10年(232年)
29/41

曹叡は許昌の宮殿を修築する

 蜀では昨年の出兵での祁山攻撃が失敗したこともあって今年は兵糧の蓄積と兵の訓練を優先して行っていた。


「孔明殿、焦りは禁物ですぞ」


「ええ、仲達殿の言うとおりですな」


 史実においてはなにもかも全てを自分一人でやらなくてはならず、心身を消耗し時間不足に焦っていた諸葛亮だが、現状では後方の俸給や内政は劉禅や馬謖らに任せ、別働隊の将軍としては司馬懿、直属の将軍としては魏延などがいることもあり、休息も十分に取れていることで、まだ彼には余裕があるのであった。


 むしろ孫権や諸葛亮、遼東でいまいちはっきりしない動きをする公孫淵などの動きに加え、異民族などの動きにも目を向けていなければならない曹叡の方こそが心身の消耗は大きいと言えた。


 聡明すぎるのもこういったときには考えものである。


 曹叡は土木建築を好み、かつて曹操が本拠地としていた許昌宮の修築を行わせていた。


「祖父が本拠としていた許昌宮があまり荒れ果てていても我らの権威を損ねるというものであろう」


 しかしこれを陳羣が諌めた。


「古の昔の、禹は堯・舜の治世をを継承しましたが、粗末な衣服を身につけ贅を尽くすようなことは行いませんでした。

 ましてや今は後漢の騒乱の後で、人民は離散して少なく、漢の文帝や景帝の時と比べたら、大郡にもおとります。

 昔、劉備が成都から白水に至るまでの労役を盛んにして人力を費やした時には、太祖(曹操)は劉備が民を疲弊させてお離職に兵を降る向ける必要ないと判断されました。

 しかし今は中原の民が疲労することは、なによりも呉・蜀が願っていることです。

 陛下が考慮することを臣は願います」


 それを聞いて曹叡は答えた。


「いまだ天下が統一されていないからこそ宮殿の修築を行う必要があろう。

 蕭何の行いにより漢は長く続いたのであるから」


 しかし陳羣は答えた。


「その昔、漢祖はただ項羽と一人と天下を争っただけであり、項羽が滅んでから、蕭何が武庫・太倉を建てました。

 これらは必要なことでしたが、高祖はそれでもその壮麗さを非難しましたぞ。

 ましてや今は蜀・呉がまだ平定されておらず、遼東もまた不穏な動きをしているのでありますから古と同じとするべきではありません」


「ふむ、そなたの言い分はわかった、以降の計画は破棄するが、許昌宮についてだけは完成させよ」


「かしこまりました」


 曹叡は陳羣の諫言を受け入れて許昌宮以外の宮殿の建設計画を破棄した。


 今のところは曹叡にも諫言を受け入れるだけの余裕はまだあったのだ。

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