崩植~2~
周りを見ると、見たこともない植物に囲まれていた。
隙間から見える空は薄暗く、どんよりとした雲が流れている。景色は緑に包まれているが、厳密な緑一色では無かった。遥か遠くに灰色の建造物が見える。さながら『自然に侵食された都会』のようだった。
ふと手を見る。
両手は真っ黒だった。
前回のまま、か。
「無事かよ」
声に振り向くと、繁った枝から煙草の火が出てきた。軽く身体を払い、紫煙を吐いている。
「お前は?」
「オレは見ての通りだよ」
「なんだこりゃ」
「さあな……くそ、あのアマ」
言いながら、傍らの木に腰を下ろす。
「一応、周囲を少し確認してみた。ざっと見渡す限り、森が広がっている」
いつの間に。
「直ぐそこに死体があって、あっちの方向にゃあ、大きなビルが倒れてる」
言いながら、煙草を横に向けた。
「死体?」
「ああ、そこの木の陰だ」
僕は、言われた方向に顔を覗かせる。口を開けた男の遺体が横たわっていた。
「ふむ」
近づいてみる。
背後から、友人が付いて来た。
開いたままの口と、全身を軽く見る。
「これは、自殺じゃないな」
「判るのか?」
「たぶん、だけどね。医者じゃないし。首に何かが巻き付いた跡、それに全身の骨が何本か折れている」
首回りに索状痕はあるが、恐らく頸骨骨折が死亡原因だろう。
何か大きな力が巻き付いて死んだ、という感じだ。
「舌が無えぞ?」
「首が折れているんだ。舌を切る意味は無いなあ。死後に切った可能性が高い」
「切った?」
「よく見てみろ、繊維が出てない。例えば……ステーキとか肉を噛み千切ると、繊維がほつれるだろ? 舌を噛み切ると、あんな状態になる。あれが無い」
「よく知ってんな」
「本職じゃないから、あくまで推測だけどね」
僕は、遺体の傍らで手を合わせた。対して友人は、頭の脇に煙草を捨てる。
「おい、失礼だろ」
「なに、線香代わりよ」
まあ、悼む気持ちがあるならいいかな。
……いいのか?
「でも、置き方が雑」
スモーキングマナーよ。
「ここでそんなこと気にすんな」
言いながら、近くの木の根元に腰を下ろし、新しい煙草を灯す。
「それで? とりあえずビル? そっちに行ってみる?」
「そうだな。ここでダラダラしてても意味ねえし、行ってみるか」
僕の言葉に、相棒は腰を上げた。煙草を近くの木に押し付ける。
「おい、マ……」
「ヒャアアアアアア!」
その途端、その木が悲鳴を上げた。まるで人間のように。
「……え?」
とっさにヤツが木を蹴り飛ばす。
「おい!」
反動で離れた友人は、そのまま身構えた。
「この……木ぃ! なんか脈打ってると思ったら」
「脈打ってたの?!」
木の枝が不自然に動き出した。その木だけじゃない。周りの木々の全てが、まるで僕らを包み込もうと動き始めた。
もしてして。
この『森』が、あの男を絞め殺したのか?
「あっちって言ってたな!」
僕は足に力を込めた。
「ああ!」
僕は走り出す。
「うあああ!」
身をかがめて走る。
「走れ走れ! 囲まれるぞ!」
声に背中を押される。
「走れ!」
なんとか木は避けれる。
「走れえ!」
目の前にコンクリートが立ちはだかった。
「入れ!」
ガラスの割れた窓が目に入る。半ば崩れたビルは横倒しになっていて、地面と窓は接地していた。
「ここだ!」
スライディングして滑り込んだ。そのまま後ろを見ると、相棒が木の枝を蹴り飛ばして飛び込んでくる。
「なにコレぇ!」
「オレに聞くな!」
直ぐ立ち上がり、転がっていたスチール製の机を立てた。一瞬だけ見えた室内の様相から察するに、何かの会社だったらしい。
「入って来るぞ! 支えろ!」
腕に力を込めたが、机に衝撃は無かった。
「あれ?」
「なんだか知らんが、入ってこないようだな」
相棒は肩を上下させ、地面にへたり込む。
「煙草止めようかな……」
「そんなつもり無いクセに」
「お前、すごいな」
確かに、僕の息は乱れていなかった。あんなに走ったのに。
「社会人は強いのよ」
言ってはみるが、僕には意味が解らなかった。枝を躱すのに変な体勢で、結構な距離を走ったはずだ。
この手足の力か?
漆黒の手足。
中二病にしては、イマイチな設定だ。
「あ、あんたたち!」
不意に、物陰から男が出てきた。
「大丈夫か!」
年は五十過ぎくらい。少し痩せ気味で、頭が白くなったサラリーマンだった。
「ああ、はい」
男が近寄って来る。
「良かった。悪いが、水は無いか?」
この状況を生き延びてきたのだろう。少し汚れていて、その顔は青ざめていた。
「すいません」
僕も相棒もポケットを叩いた。何も持っていないアピールだ。
「煙草ならあるがな」
ヤツが箱を取り出すと、男性は顔をしかめた。そりゃそうだろう。何の役にも立たない。
「へっ……」
苦笑いしながら煙草をくわえる。
「それで? よく理解出来ていないんだが、この世界はどうなっちまってるんだ?」
「あ? 知らんのか?」
男性は、いぶかしげに肩をすくめる。
「ああ、ちょっと離れた場所に居まして、今戻って来たところなんです」
取って付けたような言い訳だが、なんとか話を聞けないものか。
「そうか、なら話してやろう」
彼は腰を下ろした。窓はいくつかあるが、室内も薄暗い。なんだか彼の顔が、奇妙な色に染まって見えてしまう。
「ある日、突然だ。突然、奇妙な植物が繁殖した」
「植物って、周りに生えてるアレですか?」
僕も地面に座った。なんだろう……座ってもフワフワする。まるで座った気がしない。このビルを例の木々が支えている想像をして、僕は少し寒気を覚えた。
「あの植物は特殊でな。異常な繁殖力を持っている」
目の前を煙が通った。邪魔すんなよ。
「どんどん繁殖したんだ」
また煙が視界に入る。
「なんだよ?」
「別に」
ヒマそうな顔をして、ヤツは座っていた。
いや、違う。
付き合いが長いから解る。いや、そんなに長くは無いんだけど、酒の席という本音だけで付き合ってきたから、そんじょそこらとは濃密な時間だったと思う。そんな僕が感じる。
コイツ、気を張ってる。
なんか警戒してる。
「だが、その内やつらに弱点があることが判明した」
「弱点?」
「そうだ。やつらは、コンクリートに接触出来ないんだ」
僕は横目で相棒を見る。
顔こそ呆けているフリはしているが、目が笑ってない。
「人々はコンクリートに立て籠もった」
その時、煙草をふかしながら相棒が立ち上がった。
「おい、さっきからどうした?」
僕の言葉が聞こえているのかいないのか、男の前に立つ。
「なんだ?」
くわえていた煙草を、そのまま目の前の男にプッと吹いた。
「ぎゃあ!」
「いきなり何してるんだ!」
僕も立ち上がる。
「熱いいいいいい!」
男は顔を押さえて転げ回っている。無理もない。見た限り、煙草は男の眼に入った。
「大丈夫ですか!」
僕が近寄ろうとすると、相棒は男を蹴り飛ばした。
「おい!」
男は顔を覆いながら叫んだ。
「貴様、何度も!」
「どうした? 目でも沸騰したか? 貴重な水分だもんなあ?」
コイツ、何言ってんだ!
「その様子なら、ここいらの苗床は一つかもな」
続けて蹴る。
「コンクリートに植物が接触出来ないなら、誰がこのビルを倒したんだ?」
「どういうことだ?」
「この周りにある植物、どうやって繁殖すると思う?」
「貴様ぁ!」
男が立ち上がる。服は破れ、皮膚が露出して……皮膚?
緑だ。
皮膚じゃない。
葉が詰まっている。
裂けた皮膚からツタが虫のように這い出して、その全身にうねり、包み始めた。
「寄生してんだよ。体内の水分を吸収するんだ。コンクリにも接触しなくて済むしな」
「どうして解ったんだ?」
「最初から怪しかったけどよ。こんだけ話してて、他の生存者が見えないのはおかしい。出て来ないのはこいつが殺したのか、単純に隠れているのか。いずれにしろ信用ならん。何も持ってない、少なくとも大した荷物を持っていないように見えるオレ達に、この荒廃した状況で話し続ける物好きはいねえよ。コンクリ―トが弱点? それなら山ほど作ったはずだ。コンクリってのはな、凝固させるのに水が必要なんだ。みんな死にたくねえから、水が少なくなってでも作り続けたろう。そんな水が限りなく少ない環境だ。かなり切羽詰まってる。オレだったら、話して水分や体力を消費する意味が無い。それより、いかに早く対処して消耗を抑えるか、殺して資源を得るかだろ。こんだけ話して何もしてこねえのは、オレ達をどうにか出来る環境にあるからだ」
「だからって……」
「例の植物とやら、水がほとんど無いのに、こんなに繁殖してる。普通じゃねえよ。水分はどっから補給したんだ? それで、人は本当に居ねえんじゃねえかと思った」
「ぐ……う……」
男だったものは、もはや隠すつもりは無いらしい。足元以外は緑の塊になりつつある。
「生物に入り込んで、寄生して寄生して殺してったんだ。邪魔なコンクリを、別の生き物に入って破壊しながらな……イライラするぜ」
「人間が何を言う!」
「オレはここのモンじゃねえよ」
「な、何だと?」
「自然は美しいって言うが、オレは他の何かを食い潰しながら生きていこうとした、ここの人間も、お前らも大嫌いだ。こんな世界は無くなっちまえ」
「お前、言い過ぎ」
緑の何かは、ゆらゆらと近寄り始めた。
「おい」
「なんだ?」
僕らは拳を構えながら言葉を交わす。
「世界の規模は知らねえが、少なくてもアイツ殺したらこの森は死ぬぞ」
「え?」
「アレがコアってやつだ。木を隠すには森って言うだろ? どうして一人だけ、どうしてこのビルだけ残してるんだ。弱点の中に入れときゃバレない、って思ってたんだろ」
「そんな、ご都合主義な」
「こないだは戻れた。なんでだ? きっと、何かを終わらせれば戻れるんじゃねえか?」
それは、そうかもしれない。
「望みがあるなら、オレは賭けるぜ」
「そうか」
お前が言うなら、僕は従うよ。
「お前こそ、やっぱり強いと思うけど?」
場違いに僕は笑った。
「お前が居るからさ。強くなったんだ」
ヤツも笑う。
「またウソ言いやがって」
いや、これは冗談かな。
アイツが近付いてくる。
もう一足で蹴りが届くくらいだ。
「やあああ!」
実を言うと、僕は生まれてこの方、喧嘩なんぞしたこと無い。
そんな僕が、走りながら拳を突き出した。
その拳は。
容易く緑に掴まれた。
「や、やっぱダメかも!」
握った拳の爪に向かって、針金のように細いツタが伸びてくる。
あれ?
コレ、身体に侵入されちゃう?
「やば!」
「いや、大丈夫だ」
すぐ隣で声が聞こえる。
横を見ると、ヤツが手刀をまっすぐに、緑の渦に突き当てていた。
そして。
その全身が、ブレて見えた。
「ワ、ワンインチパンチ……」
映画で観たことがある。寸勁というものを修めた人間は、最小限の動きですさまじい破壊力を生む。ごくごく僅かな距離しか動いていないように見えて、その拳は必殺の一撃。そなたはそんな御仁であったか。
「ぎゃあああ!」
「良い声で鳴くじゃねえか」
よろめく緑に、もう一度手刀を突き立てる。
「反吐が出るぜ」
また全身がブレた。
「なんで戻れねえ!」
友人が、大げさに天に両手を突き上げた。
本当だ、戻ってない。
何でだ?
友人を見ると、「あー」とか言いながらまだ手を上げている。
ん?
袖口から出た腕に、黒い線が入っている。
あの女に似ている刺青だ。
あいつ、刺青なんてしてたっけ?
「んー?」
首を傾げながらも、僕は動きを止めた緑の塊に近づいた。
口だった場所が開いている。
そこに。
「あれ?」
「なんだ?」
友人も覗き込む。
舌に花弁が開いていた。
「これ」
僕は、思わずその塊を引き千切る。
「おいおい、大丈夫?」
苦虫を噛み潰したような顔で、友人は顔をのけ反らせた。
大きさは握り拳ぐらい。
「烏羽玉だ」
「ウバタマ?」
「ペヨーテとも言う。シャーマンが、神下ろしとかに使う植物だよ」
この植物の正体が、烏羽玉?
どんな設定だ?
「これまた、よく知ってるな」
「お前だって、コンクリートのこと知ってたじゃないか」
「あんなん雑学だよ」
「僕もだよ。まあ、医療器具の開発なんかしてるサラリーマンだから」
「え? そうなの?」
そういえば、初めて職業を話したかも。
「でも、烏羽玉は仕事には関係ないさ。薬のこと調べてて、リンクとかから偶然知っただけ」
死体についてもそれに近い。
高卒の身で大卒と働く為に、どんなことでも勉強したもんなあ。
あれ?
死体?
「さっきの死体」
「あ?」
「舌が無かったよな?」
「ああ」
「あれさ。誰かが、烏羽玉を取ったんじゃないか?」
「まさか。なんでそんなキモイことすんだよ」
友人が手をヒラヒラ仰ぐ。
「簡単だよ。戻るためさ」
「なんだと?」
「これ噛んだら、戻れるんじゃない?」
烏羽玉は噛んで使う。
別の世界と繋がるために。
「噛んでみよう」
「おい、待て」
友人は僕の手から烏羽玉をひったくると、半分に割って片方を返してきた。
あんまんみたいに扱うな。
「解かった。一緒に噛もう」
少しだけ噛んでみる。
そこで僕は、肝心なことを思い出した。
烏羽玉の味だ。
「にっ! にげえぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!」