崩植~1~
結論から言うと、マスターを見つけることは出来なかった。
正確には、らしき人をだ。
顔も判らなくなったのだ。どう探せと言うのか。
呑み友達と二人、近隣の店に尋ねもしたが、来ていないと答えられた。周辺を夜通し探してから、僕らは店に戻る。
「どうする? 捜索願でも出すべきかな?」
そう語る僕に、友人は煙を吐きながら返す。
「名前も知らねえのにどうやって、だ? 家族・雇用主・同居人でもない。捜索願ってのはな、赤の他人にゃ出せねえんだよ」
「じゃあ、どうしろってんだよ。マスター居なくなっちまったんだぞ?」
友人は自分でカミカゼを作って飲み干す。
「お前、それよりもな。あの女がまた来る可能性を考えろよ」
「でもな。マスターが……」
新しい煙草に火を点け、友達は苦笑した。
「仕方ねえなあ」
「え?」
「あの女については、少しだけ後回しだ。マスターについて、考えてやる」
「考える?」
「マスターは居なくても、店はある。まずは、この店の名義を調べてみよう」
「調べるって、どうやるんだ」
「なに、今の時代、どうとでも調べれるのさ。ぶっちゃけ言えば、そんなことで飯を食ってるからな」
「え? マジ?」
探偵、さん?
「今更だけどよ、連絡先教えな。後で連絡する」
「ありがとう」
素直に感謝を述べると、友人は僕の心を見透かしたように言った。
「オレ、探偵じゃねえよ?」
「は?」
じゃあ、何者? 記者?
いやいや、せっかく探してくれるんだ。詮索はナシだ。
「これ、僕の連絡先な」
「サンキュ、分かり次第連絡するわ。それから」
「なに?」
「また女が出て来たら、そっちも直ぐに連絡寄こせよ?」
「ああ」
そうだった。まだ女についてはハッキリとしていないけど、僕らの問題は一つじゃない。
「ありがとな」
あらためて感謝すると、目の前の呑兵衛は顔を反らした。
「まだ見つかってねえのに止めろよ」
この、ツンデレめ。
僕は週末に休みだったから、出来るだけバーの周りを捜索した。
月曜も有休を取り捜索していると、昼ぐらいに連絡がきた。
「解ったぞ」
さらに結論から言えば、何も解らなかった。
テナントの名義は老人だった。
話を聞いてみると、バーのマスターなんぞしちゃいない。知り合いに場所を貸していただけだと言われたのだ。その人物について聞いてみると、漠然とした答えしか返ってこなかった。ただ以前、命を救われた気がすると言われただけだ。
「気がする、ってなんなんだろうな?」
僕らは車に乗っている。
友人は免許を持っていなかったので、運転は僕だ。
「忘れてんじゃねえの? オレらみたいに」
窓から煙を吐き出す。
横目で眺めていると、助手席で頭をボリボリと掻いていた。
「あー! クソったれ!」
「その、な。手間を取らせてゴメン」
申し訳なく思っていると、こっちを向いて煙と共に言葉を出した。
「それより、よくいきなり有休取れたな?」
ん?
向こうは向こうで、気を遣ってくれているようだ。
「いや、世話になった人の一大事なんだ。取らない方がおかしいだろ。それに、僕は信頼高い社畜だからね。こんなのヨユーっすわ」
出来るだけ明るい雰囲気になるよう、声色を上げる。
「へえ、そうなんだ」
後ろの席から声がした。
咄嗟に僕はミラーを、友人は後ろを振り返る。
「てめえ!」
そのまま、友人は煙草を持った手を伸ばす。
またしても、火が灯ったままの煙草を突き出したようだ。
なにそれ、いつもの先制攻撃みたいに。
たぶん躱されたのだろう。舌打ちをしながら身を下げる。
「ご挨拶どうも」
僕は、ミラー越しに女を見る。
前回は気付かなかったが、首周りに黒い線が何本か、刺青のように見えた。
しかし、綺麗な女ではある。
女神を自称しなければ、あるいは、仕出かすことを除けば、それなりに魅力的だろう。
「マスターどこへやった!」
友人が吠える。
「知らないわよ。貴方達の方が知ってるんじゃない?」
くそ。
やっぱり、前回のはマスターだったと言うことか?
助けられなかったのが悔やまれる。
「それよりも」
女の声が、直ぐ後ろで聞こえた。
冷や汗が出る。
ヘッドレストの前まで、顔を近づけているようだ。
そして、視界の端に。
赤いものがチラチラと出てきた。
視線を下げると、女の指先が。
蛇になっていた。
「踏ん張れ!」
僕は叫びながらブレーキを踏んだ。
途端に、後頭部を衝撃が走る。
近付いていた女の顔がぶつかったようだ。
「なあんちゃって」
二人ともシートベルトを外し、女へと振り向く。
その背後には。
森が広がっていた。
「バカバカしい。車ん中だぞ?」
忌々しそうに、友人が呟く。
「今日を生きられますように」
ふざけんな。
また還ってやる。