非肆~1~
僕は友人と山道を歩いていた。
「ねえ、本当にこんな所に在るの?」
身体に疲労感が染みていく。
「ちゃんとある」
黙々と歩く友人が、振り向かずに答えた。
ちょっとは笑顔を向けて欲しい。
まあ、敵が居るんだろうから、そんな余裕無いんだろうけど。
「ほれ、着いたぞ」
足元から視線を上げると、緑に包まれた家が見えた。
「あれ?」
この光景、見たことあるぞ。
既視感――ミザルか?
「どうした?」
「いや、この植物って何?」
指ほど太く、爪楊枝ほど細い、様々な太さの蔓が絡まっている。
なんとなく判った。
最初に見たな。
これは烏羽玉だ。
でも、どうして?
「前は無かったんだけどな」
友人は緑の束に手を突っ込み、無理矢理引き千切った。
「開けるぞ」
奥を覗くと、無限に続く座敷が広がっていた。
ああ、やっぱりマスターはこの場所で……
友人が足を踏み入れると、奥から座敷が迫ってきた。
「うわっ!」
「まあ見てな」
壁が現れるのが見えて、気付くと土間になっていた。
「あ、あれ?」
「此処はこういう場所なんだ。三猿が居ると普通の家になる」
「あ、ああ。でも前は違ったよな?」
「よく解んねえが、あの時は記憶も無かったし、キカザルじゃなかったんだろ」
「ふむ」
僕は土間で靴を脱ぎ、板張りの床に足を置く。
まるで家が生きているかのように、床はほんのりと温かかった。
「此処は勝手口か?」
「そうらしいな。外がアレだし、久しぶりだから区別が付かなかったぜ」
「でも、結果的には悪くない」
玄関から入るよりは、敵に対応しやすいだろう。
まあ、相手が裏口から入ることを読んでいたら別だが。
ゆっくり踏みしめると、ぎしり、と音が鳴った。
まずいな。早く畳に入らなければ、侵入を悟られる。
僕は出来るだけ大きく歩を進めた。
ぎしり。
鳴るな。
ぎしり。
鳴るな!
背中を冷めたい汗が流れていく。
友人を見ると、音も立てずに戸へ移動している。
え? なにその歩法? すげくね?
事前に教えとけよ。
歯を食いしばりながら戸に貼り付く。
ゆっくりと息を吐いた。
友人は隣に居る。
僕は頷いた。
友人がすーっと戸を引いていく。
頭を上下に並べて、隙間へと目を向けた。
続く部屋は座敷だった。
植物に囲まれているせいか薄暗い。
片面は障子、植物の影が見える。残りの面は襖だった。
取り敢えず、誰も居ないな。
僕と友人は動かない。暗さに目を慣れさせるためだ。
縮んだところで、どれくらいの大きさかは判らない。いきなり進んでいくのは危険に思えた。
時間にして2分くらい。
充分に目が暗がりへ冴えるようになってから、友人が足を伸ばした。
僕も続いて畳を踏む。
続く襖を開けると、そこにも何も無かった。
ただ、何処からか声が聞こえた。
声は小さく、距離は離れているように思える。
今度は中心に向かって襖を開けた。
光が差し込む。
僕も友人も固まった。
ほんの少し開いた部屋を覗き込む。
なんのことはない、部屋に置いてある行燈が点いていただけだった。
でも、これで確定した。
僕ら以外に、誰か居る。
隣の部屋に入ると、声が少し大きくなった。
何を言っているかは判らない。
続く部屋を開ける。
その次も開ける。
どんどん声は大きくなっていく。
でも、相変わらず何を言っているかは判らない。
声は複数だった。
色々な声が重なっていて、一人一人が何を言っているのか判別出来ない。
僕と友人は、声に向かうことに決めた。
声が何を言っているのか解れば、何かヒントになるかもしれないと思ったからだ。
襖を開ける。
さらに開ける。
そして、とうとうもう二つほど隣だろう、というくらい声に迫った。
襖に耳を当てる。
友人も向かい合って、それに倣った。
二人とも目を見開いた。
悲鳴だったからだ。
男。女。
老いた声。
子供の声。
様々な悲鳴と助けを求める声が、何十にも重なり、座敷に渦巻いている。
阿鼻叫喚の地獄絵図が、この先で起こっているとしか思えなかった。
どうする?
僕が目で問う。
友人はゆっくり頷いた。
確かに、隣の空間では無さそうだ。
様子を見て、別のルートを進めばいい。
襖に指を掛ける。
手に力を込め、ほんの少し、ほんの少しだけ襖を開けた。
その瞬間、声が止んだ。
僕も友人も、目を左右に泳がせた。
『何が起きた!』
『解らん!』
再び目で会話する。
意を決して、顔の横まで一気に襖を開いた。
何も無かった。
二人で息を吐く。
トン。
目の前の襖が開いて、光が差し込んだ。
「「みーつけたぁ」」
思わず翳した手の隙間から、二つのシルエットが見える。
「「長いながぁーいかくれんぼだったわね。今度は逃がさないわよ」」
手を下げると、美しい双子が立っていた。
年は10代後半。鏡写しのように向かい合って立ち、それぞれの片手に鉈を持っている。
「「今度こそ、全部食べてやるんだからぁ!」」
瞬間、友人が飛び出した。
僕も走る。
友人は一人の顔の前に手を出す。
視界を遮り、腹に拳を叩き込んだ。
僕は、もう一人にスライディングして足を引っ掛ける。
倒れた一人に友人は跨り、腹にパンチを乱打する。
凄まじい乱打は、そのまま胸を通り顔に達する。
僕は友人と入れ替わり、腹に打撃を受けた少女の鉈を蹴り、弾き飛ばす。
そのまま回転し、肘を顔にぶつけだ。
「「このっ!」」
武器を無くした少女は、鉈に向かって走る。
ふと友人を見ると、顔がボコボコになっている少女の腕が持ち上がった。
「危ない!」
僕は振り下ろされた腕を両手で押さえた。
「そっち頼む!」
背後に抜けた友人が、もう一人の少女に向かっていく。
後ろはどうなっているか判らない。
目の前には鉈が迫っている。
なんて力だ。
片手なのに、両手で押し止めるのがやっとだ。
少女の上半身が起き上がる。
「ぐっ!」
脇腹に衝撃が走った。
残った手で殴られたのだ。
何度も何度も殴られる。
僕は堪らず離れた。
畳に白刃が突き刺さる。
「ふっ!」
僕は膝を相手の顔にぶつけ、少し下がった。
その背中に、友人の背中がぶつかる。
「強くね?」
「人間じゃねえからな!」
背中越しに話しながら、視線を巡らせる。
入ってきた勝手口とは逆、そしてまだ開いてない襖を見た。
「あっちに行くぞ」
「賛成だ」
目の前の少女が立ち上がる。
そして走り出した。
「今だ!」
僕と友人は、ほぼ同時に畳を蹴った。
襖に体当たりしてぶち破る。
「無い!」
「何が!」
「次!」
また襖に身体をぶつける。
「無い!」
「後ろから来てるぞ!」
「次!」
身体が痛い。
構うものか。
「次!」
襖が倒れる。
その先に。
「あった!」
「だから何が!」
僕は畳に転がっているそれを拾い、走りながら顔に当てた。
それは顔に溶け込み、着けている感触が無くなった。
マスターの顔だ。
僕は、マスターの顔から剥がされた面を着けたのだ。
「ぐおお!」
頭に色んなものが流れ込む。
これは、記憶か?
「がああ!」
「おい! どうした!」
横で友人が叫ぶ。
「「追いついたわぁ」」
僕は友人を引き倒し、位置を入れ替わる。
「……がっ!」
両肩に、鉈が食い込んでいた。
「おい!」
友人が叫ぶ。
僕は震える手で双子の手を掴む。
「に、逃げろ」
友人に言う。
「嫌だ!」
刃は慈悲も無く、肉の筋を断ち切っていく。
「いいから逃げろ!」
両肩がもげそうだ。
『我が身を犠牲にしてでも、他人を護ること』
頭に言葉が浮かぶ。
きたか。
「お、そいんだよ」
友人は動けていない。
「早くしろぉ!」
「「逃がさないわ」」
「うるさい!」
足がガクガクする。
でも、駄目だ。
あいつが逃げるまで、僕は止めていなければ。
「おめでとう」
僕の肩に食い込んだ鉈が、ふっと軽くなった。
誰かが背後から、指一本で鉈を持ち上げたのだ。
「え?」
振り返ると、男が立っていた。
中肉中背、何処にでも居るようで、何処にも居ないような男。
『秘密を持っていること』
やはり、そうだったか。
面を着けなければ、確証は無かったからな。
「君、イワザルになったね」