前障
私は、自分の部屋の前に立っていました。
いつもと変わらない部屋のドア、そこから。
「おゆかりさま、早う入りなんせ」
聞いたこともない声が掛けられました。
「え?」
ドアもさることながら、室内も変わりません。
ただ、そこには。
「は?」
切れ長の目に、白い肌、紅を引いた唇、とても美しい女性が座っていました。丁寧に刺繍を施された繕いの着物を身に纏っています。が、その胸元は緩く開き、大きな丘陵が存在感を示していました。
「あれ? え?」
混乱しながら、私はまじまじと女性を見つめます。
髪の毛が長い。
彼女を中心として、真っ直ぐで、うっすら緑がかった髪が、座る背丈と同じくらいの長さで、床に円を描いています。
「おんやまぁ、えらいこそばゆい」
彼女は片手を口に添え、くすりと笑いました。
なんと言うか、可愛らしくも美しい。そしてナイスバディ。同性の私から見ても、とっても魅力的なじょせ……
いや!
いやいやいや!
そんなこと考えてる場合じゃないでしょ!
「あ、あの、どど、どちら様ですか?」
あー、ダメ。
テンパってどもった。
当たり前だ。
不法侵入者が、綺麗な和服美人だもん。
「こんなこんな」
言いながら、彼女は手を仰いで私を呼ぶ。
仕方なく、私はその前に座りました。正座で。
「おゆかりさま、雲に汁とは今宵でありんす」
「く、え?」
雲に汁って何ですか?
そんなことを聞こうとした私ですが、彼女は手で遮り、そのまま長い髪をめくり上げました。
「そのうちカラリと夜が明けんす」
袖に手を入れる。
っていうか、私の名前『ゆかり』じゃないんですけど。
あー、あれかな。
部屋間違えてるんじゃないかな。
でも、中に居るってことは、そもそも家の鍵を開けたってことだよね。
え、こわ。
どうしよう。
「これを見つけておくんなんし」
そう言いながら、紙の束を取り出しました。
手の平ぐらいの大きさで、薄い紙が重なっているようです。
「これ、ですか?」
「あい、そう申しんした」
耳心地が良いって言うか、声まで綺麗だ。
いやいや、違う違う。
でも、変に抵抗して怒り出したら怖いなあ。
ここは話を合わせておこう。
「これ、このように」
持っていた私に手を重ねて、一番上の一枚をペリっと破る。
うわー、何この肌、吸い付くみたい。
「おゆかりさま?」
「ああ、はいはい」
私は、手に残った紙束を見ました。
『2/2』
どういう意味だろう。
「あの、あなたは? それに、これは何ですか?」
「いやと言いなんすと、詰めりんすぞえ?」
質問を返すと、女性の目に光が灯った。
「ああ、いえ、嫌とかじゃなくてですね」
まずい。
さっきから、微妙に話が噛み合わない。
「ほんにかえ? 拝みんすよ?」
ゆるりと顔を崩す彼女を見て、私は緊張しながら言葉を続ける。
怒ったりして、どんなことされるか。
「ホントです。ホント。それで、これは何ですか?」
彼女は私の手から紙束をすくい取り、少しだけ首を傾げる。
「これは、言わざるが」
なんだろう。
言いにくいことなのかな。
そもそも、あの紙束を捲って何の意味があるんだろう。
悪意があるにしろ無いにしろ、紙束には何か仕込まれているような重量感は無かった。
本当にただの紙だ。
私だって、何の取り柄もない人間だ。
彼氏だっていません。
恨まれるようなことも、していないはずです。
普通の人間として、恥の多い人生は生きてきたような気もしますが。
「わっちゃあいや、気が揉めてなりんせん。兎角、そろそろ時でありんす」
女性は無理やり話を切ろうとする。
ふと、視界が白んできました。
「え、でも」
まあ、話を合わせただけだから、別にこれで彼女が出て行ってくれるなら、別にいいんだけど。
「どうか、よしなに」
彼女は、流れるような所作で頭を下げる。
「あれ?」
これって、もしかして。
「ねえ!」
そこで、目を覚ましました。