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夜の王  作者: 狐面
3/113

界転~3~

 座敷を男が走っている。


 なに? これ。


 延々と続く座敷、それを走り抜けていく男を、僕は天井から見下ろしている。身体の感覚は無い。視界は薄い(まく)のようなものが張っていて、ぼやけた視界から見せつけられている。音も聞こえないし、どうやら声も出ない。

 八畳ほどの座敷には、所狭(ところせま)しと糸で()じられた本が積み重なっている。時代劇で見るような、所謂(いわゆる)和装本だ。男はどれほど走ってきたのか、本に(つまづ)き、転がし、なんとも頼りない走りだった。


 その時。


 え?


 積み重ねられて崩れた本、縦になってぺらりとめくれたページから。


 指が出た。


 え? え?


 その指を追って、ずるりと身体が出てくる。髪が長く、顔は(うかが)い知れない。ただ、左手は無く、下半身も無い。それがバッタンバッタンと、身体を()()げながら彼を追い始めたのだ。


 なんだ、あれ?


 一冊だけではない。崩れた他の本からも、身体は次々と()い出てくる。短髪であったり、白髪であったり、足が無かったり、右腕が無かったり、どこかしら欠損(けっそん)していた。

 それが、初めに出てきたものに、(から)みついていく。トーテムポールのように連なりながら身体は密集し、みるみる肉の塊でムカデが出来て、不規則に突き出た腕や足を動かしながら走る男を追う。


 気持ちわるっ!


 僕は天井に()るからか、どこか映画を見ているような印象だった。感覚も無いから、どこぞのヒーローのように彼を助けようにも、化け物をどうにかしようにも、まったく動けない。


 なんだ、どうなってる。


 その時、男が転んだ。


 ああ!


 僕は出ない声で叫ぶ。


 逃げろ!


 顔が無数に浮き出たムカデが、(またた)く間に追いつく。


 や、止めろ!


 男を押さえつける。


「ヒキトリニキマシタ」


 初めて声が聞こえた。

 低音で、高音で、幼く、老いた声が重なっている。


「ヒキトリニキマシタ」


 男を口で、腕で、足で、身体で押さえつける。

 ぶぢい、という音が聞こえる。

 この音は聞きたくなかった。化け物は、男の右腕を根本から引き千切(ちぎ)ったのだ。


 おい。


 ぶちっと、今度は左腕を引き千切る。


 なにしてる。


 左足。

 出血はすさまじく、みるみる血が流れだしていく。

 男は何か叫んでいた。僕には聞こえない。


 と、そこで。


 彼と目が合った。


 え?


 男は何かを決心したように、口を引き締め、僕を見つめる。


 なんだ?


 気が付くと、男の腕は真っ黒だった。腕だけではない。左足の露出した肌も黒い。

 日焼けじゃないな、黒すぎる。

 右足も引き千切られる。やはり黒い。だが、彼の顔は黒くない。首元も。四肢(しし)だけが黒いのだ。

 僕は未だに、どこか現実でないような、頭の(すみ)が冷えているのを感じていた。

 ムカデの一つが男の顔を(つか)む。


 おい、まさか。


 指の隙間(すきま)から、まだ瞳はこちらを見つめている。


 それは無いだろ。


 化け物は、男の顔を()いだ。


「やめろぉ!」


 声が出た。

 その途端、視界がぐるりと反転した。


「うわっ!」


 天井には座敷が広がっている。その中心に、四肢と顔を失った男の死体が転がっていた。

 ふと、自分が見上げているのが判った。

 辺りを見回すと、天井と同じように、襖と畳と本が繋がっている。まるで鏡合わせのように、天井と自分が寝転がっている空間が同じなのだ。違うのは、今まで見下ろしていた男が天井で死んでいるか、天井に居た僕が地に落ちているかだけ。


「な、なに?」


 いや、もう一つ。


「クッツケニキマシタ」


 ()()が地面に居る。

 天井の世界から逆さまになった、こちらの世界に這っている。


「クッツケニキマシタ」


 身体は動かない。恐怖じゃない。感覚が無いのだ。


「クッツケニ……」

「冗談じゃない!」


 必死に声を出した。それは男の四肢を持っている。

 身体が。



 あっという間だった。

 僕の四肢は引き千切られ、男の腕が、足が、ぐちゃりと据え付けられる。

 叫んだ。力の限り。

 でも無駄だった。

 当然ながら血は流れ出て、激痛を通り越した熱さが身体を支配した。


「クッツケニキマシタ」


 顔に手が迫る。


「い、いやだ……」


 もう声は枯れた。

 涙も出ているようだ。

 我ながら情けない。

 こんな化け物に、こんなよくわからないところで。


「クッツケニキマシタ」


 くそ。


「おい」


 不意に、横から声が聞こえた。


「人のツレに何してんだ、バケモンが」


 畳が破裂したような音が聞こえた。

 同時に、視界を(おお)っていた肉が消える。


「な、なに?」

「よう」


 僕を見下ろす、不敵な顔。


「おまえ……」


 煙草を(くわ)えたヤツは、両手をポケットに突っ込んで、悠々(ゆうゆう)と立っていた。


「無事、じゃねえみてえだな」

「あ、ああ。いづっ!」


 身体を起こす。起こせた。感覚があるのだ。見ると、黒い四肢が僕にくっついている。化け物が、ただ断面に合わせただけなのに、結合しているのだ。感覚があるのも、この四肢のせいだろうか。


「お、おお?」


 ふと見ると、ヤツの足元に穴が開いていた。

 この酒呑み友達は、歩いた状態から(ひざ)を化け物に当て、震脚(しんきゃく)で吹き飛ばしたのだ。


「お前すげえな」


 あなた達人?

 ただの酒精じゃないと思っていたが、いやもはや酒だと思っていたが、それでもなかったのかしら?


「何言ってんだ。それより、あれ見ろよ」


 煙草を手にもって指す方向を見ると、化け物がわらわらと集まっている。

 どうやら、衝撃で塊だったものが霧散(むさん)し、また絡まろうとしているようだ。


「キモイな。何あれ?」


 僕に聞くなよ。


「よく(わか)らんが、呪いのヴァージンロードを歩んで、誓いのキスを迫られていたところだ」


 一人じゃないのは助かる。まだ激痛に包まれているが、どこか心がほぐれた。


「え? マジ? ジャマした?」

「むしろ遅い」

「えぇー! 助けたのにぃー」


 特に軽口を叩き合う相手が居るのは良い。冷静になれ。そうすれば。


「なあ? ウワサが本当なら、一度は戻れるんだろ?」


 ヤツは吸っていた煙草をプッと吐いた。


「お前は楽観的だな」

「なんで?」

「一度は戻れるなんて、眉唾(まゆつば)だからな?」

「ん?」


 胸元から新しい煙草を取り出し、火を点ける。


「たまたま運良く戻れた奴が居て、話を広めた。それだけのことかもしれない。戻れなかったやつなんて、話は広まらないだけだろ? 全員が戻れる確証なんて、まだ無い」

「それは……」


 そうだが。もう少し希望を持たせろ。そして僕の周りを見ろ。僕の血肉で作った血溜まりを。そして(あわれ)れめ。

 しかし、なんだこの世界は?

 あの女はそもそも何なんだ?

 そして、この現実感の無さ。

 まあ、だからこそ冷静でいられるのだが。


「ふむ」


 化け物は距離を取り、こちらの様子を(うかが)っている。

 僕はガクガクと震える膝で立ち上がった。血を失っているのに、頭は()えている。四肢をもがれて出血したのだ。ショック死してもおかしくない量が流れただろう。となれば、これも新しい手足が作用しているのか。しかし、その脚はまだ馴染(なじ)んでいない。いや、自分の身体じゃないものがくっついたのだ。拒絶反応が出ているのかもしれない。


「一応聞くが、走れるか?」

「ゼッタイ無理」

「だろうな」


 身体がダメなら、頭を回転させろ。

 戻れるのなら、何かきっかけがあったはずだ。

 考えろ。

 考えるんだ。


「おい、来るぞ」


 一瞬で、化け物が宙を舞った。

 飛び上がってきたのだ。


「うおっ!」

「大丈夫っと」


 間に相棒が割り込む。両腕をクロスして、巨体を防いだ。


「コイツは良い男なんだ。どこの馬の骨とも解らんやつには……」


 今度は頭突きで吹き飛ばす。


「やれねえなあ」


 天を仰ぎ、紫煙(しえん)を吐き出した。 


「ん?」


 その視線の先を見る。


「あれ? 誰?」

 天井の死体を指した。

「ああ、あれ? あれは……」


 頭の中で、何かが弾けた。


「そうだ」

「え? 誰よ?」


 目の前の化け物は、何から出てきた?

 天井と同じ風景。


 ヒキトリニキマシタ。


 クッツケニキマシタ。


「反転?」

「え?」

「反転だ!」


 僕は近くの本に()んだ。その中でも、縦向きに崩れた本を手に取る。


「こうか!」


 上下を逆さまにする。


「何してんの?」


 呆気(あっけ)にとられる友人をよそに、化け物から一つの肉体が(ほぐ)れた。

 そして、天井に戻った。


「あっち!」


 僕は指差す。


「あっちの方に向かって、立っている本を上下逆さまにするんだ!」


 天井の男が走って来た方向は覚えている。その中で、縦に崩れた本を反転させるのだ。


「事情はよく解らんが、解った」


 相棒が返す。そして走り出す。

 僕は走れない。

 化け物の相手は務まらないだろうが、なにがなんでも足止めしなくてはならない。

 この四肢を持ってしまった僕は、もしかしたら帰れないかもしれない。

 それでも、今まで付き合ってくれた友人一人くらいは帰って欲しい。

 なに、この化け物も、ちゃんと付き合えば悪くないやつかもしれない。

 和室は嫌いじゃないしな。


「頼む!」


 僕は拳を握り、ぶるぶる震える太ももを叩く。


「動け! 動け!」


 足に力を込める。また千切れてでも動いてもらうぞ。でなきゃアイツが戻れない。


「うおぉぉぉ!」


 走る。

 すぐさまムカデ野郎に組み付き、力の限り押し返そうとする。


「おいっ! 大丈夫か!」


 大丈夫じゃない。

 僕の身体はみるみる肉に囲まれた。

 全身を色んな腕に掴まれる。

 すごい力だ。

 おそらく、蛇のように僕を包んでいるのだろう。


「いいから! 早くしろ!」


 少しだけ、圧力が弱まった気がした。


「やってる!」


 目の前に、腕の一本が近付いてくる。


「クッツケニキマシタ」

「なんだ、そりゃ」


 また圧が弱まる。


「クッツケニキマシタ」


 目の前に、面が現れた。

 え? お面?

 男の顔を剥がしたはずだが。


「そういうのホント要らないから、止めてくんないかな」

 

 その途端(とたん)、面を持っていた腕が消える。


 それに代わり、別の腕が面を拾い上げる。

「クッツケニキマシタ」


 声色も少なくなってきた。


「ヤローで酒池肉林なんざ、趣味じゃねえよ」


 アイツがやってくれてる。

 それだけで、僕は勇気が湧いてくる。


「があああああああああ!」


 僕は、全身に力を込めた。



 気付くと、僕はカウンターに座っていた。


「おっ、まだ()みかけあった」


 一瞬、今までのは僕の幻覚かと思った。

 けど、今の言葉じゃ、やっぱりコイツも一緒に居たんだな。


「セーフ」


 ぐいっとグラスをあおって、満面の笑みを浮かべている。


「まったく、お前ってやつは」


 僕は苦笑いを浮かべた。

 良かった。

 本当に良かった。


「ん?」


「え?」


 僕らは、周囲を見回した。


「あの女はともかく、マスターは?」

「あれ?」


 マスターの姿が無い。

 僕は、嫌な予感がした。

 咄嗟(とっさ)に手を見る。

 黒く染まってはいない。

 だが、頭をよぎるものがある。


「あの天井で死んでいた男……」

「ああ」

()()()()()()()姿()()()()()()()()?」


 どうしてさっき気付かなかったのか、それには訳がある。


「なあ」

「ああ」

「マスターの顔、覚えてるか?」

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