閑情~1~
「彼とはどうなの?」
友人が、期待を孕んだ眼を向けてくる。
女子ばかりの学校では、異性に対する関心が強い。思春期なら尚更だ。
「上手くいってる、はず」
私は答える。正直、異性のことはよく解らない。付き合ったのも初めてだから、相手がどう感じているのかなんて汲み取れない。出来る限り、空気を読もうと努めているだけだ。
「みんな、もう7時だよ。もう少ししたら帰りなさいね?」
教師が美術室に顔を出す。彼女は、顧問としての責務を怠っている。今だって、生徒が早く帰らないものかと、見れば判る顔を浮かべていた。
独身、彼氏無し、少し濃いメイクのアラフォー。覇気は皆無だが、生徒の印象は悪くない。でも、部活なんてどうでもいいという感情が滲み出ている。私達は馬鹿じゃない。毎日毎日、周囲と軋轢を生じさせない為に必死だ。顔色を窺うプロなのだ。教師が思っていることなど察しがつく。だから彼女は陰でいじられている。彼女が、どれほど人当たりが良かろうが、所詮『悪くない』程度だ。『普通』留まりなのだ。
私は彼女が嫌いだ。美術と真面目に向き合っている私には、部活ごときと考えているであろう彼女が許せない。確かに、この部活には趣味で参加している者や、大成しない者も大勢居るだろう。それでも、例え10代でも、子供でも、一人の人間なのだ。年上だからって、生活の一部であろうが、軽く見ていい理由にはならない。だから相手にも舐められるのだ。
「もう7時なんだ。早いね」
「貴女はもっと集中するべき」
隣のカンバスから、友人が顔を出した。同じクラスで、長い髪を束ねた子だ。落ち着きは無いが、可愛らしい容姿から、皆のマスコットという立ち位置に収まっている。
「早く帰りなさいよ?」
「はーい」
教師が出て行った途端、口々に悪意の芽が吐き出される。いつものことだ。彼女だって、自分がどう扱われているか知っているだろう。形だけでも顔を出すのだ。この声を聞いてしまうことだってある筈だ。彼女は優しさなのか、私達との関係を悪化させたくないのか、あるいは両方なのか、気付かない振りをしている。所詮、教師と生徒が接する期間は、1年から3年しかない。乗り切れば終わる、それだけの関係だ。心中で苦悩していようが、自室で泣こうが、職員室で自堕落に仕事を続けようが、何も変わらない。
カンバスを台に干し、イーゼルを片付けていると、部長に声を掛けられた。
「先生に鍵を預けに行くの。一緒に来てくれない?」
「どうして私が?」
いつも副部長と一緒に行っている。
私は副部長を見た。少し離れてはいるが、声が聞こえない距離じゃない。
「彼女、都合が悪いみたいなの」
他の部員と楽しそうに話している。鍵を届けに行くだけなら、それほど時間は掛からない。急ぎなら直ぐ帰るだろうし、パッと見て用事があるようには思えない。
どうしたんだろう。
部長の声は良く通る。舞台に立てるんじゃないかと思えるくらいだ。それなのに、副部長は見向きもしない。もしかして、部長が私を誘うのを事前に了承済みなのだろうか。または部長と喧嘩したか。先生と関係が拗れた可能性も考えられる。しかし、それを面と向かって問うのは憚られた。
「良いですよ。彼女と一緒なら」
私は、帰り支度を続けている友人を指差した。
「え? 私も?」
「いつも一緒に帰るので……そのまま帰るなら、同行して貰っても良いですか?」
これは保険だ。
ムードメーカーの彼女が一緒なら、どんな理由があったとしても、空気が悪くなるなんて有り得ないだろう。
「構わないわよ。彼女も誘おうと思ってたの」
「え? 私も誘って下さるつもりだったんですか? 光栄です」
彼女は、可愛らしく二コリと笑った。