醜集~2~
「此処は、何だ?」
隣で中年の男が呟く。
年の所為かね。冷静で何よりだ。
しかし、爺さんと娘まで居る時に引き込まれるとは思わなかったな。
周囲を見回す。
どうやら、洋館のエントランスみたいだ。天井には大きなシャンデリアがあり、1階と2階にいくつかのドアが見える。フロアは、腕のように湾曲した二つの階段で繋がっていた。
腕と言えば。
僕の両手は、黒く染まっていた。
「あら、お客様?」
2階の端から、メイドを連れた女が現れる。
「きれい……」
中年の隣で、娘が声を上げた。
確かに、女は綺麗だった。
少し垂れた目に長い金髪、豊満な肉体、それを包む白いドレス――聖女と呼べそうな印象。
「あらあら、いらっしゃいませ」
明らかな外国人だが、言葉は通じるようだ。
彼女は少し困ったように、指で人数を数えている。
横のメイドに耳打ちした。
「お客様、せっかくいらっしゃったのですから、とりあえずお茶でもいかがでしょう?」
僕は、友達を見た。
いつの間に点けたのか、煙草を咥えて床に息を吐いている。
どうする。
あの女の世界だ。
何が起こるか分かったもんじゃない。
「あの」
「はい?」
僕は、館の女に声を掛けた。
「すみません。道に迷ったのですが、此処は何処でしょう?」
差し障りの無い言葉だ。
空気を察してか、周りの人達は黙ってくれている。
「此処ですか?」
女は、目を細めて僕を見た。
「はい」
言いたくないのか考えているのか、不思議な圧力を感じる。
「まあまあ、お茶を飲みながらお答えしますよ」
微笑みながら、女はゆっくりと降りてくる。
その時、1階の扉も開いた。
「おや?」
中から、これまた白色の服を着た男が出てくる。
「あら……あなた、お客様よ」
女は微笑を張り付けたまま言う。
なんだろう。
不気味だ。
目が笑ってない。
それに、おかしいのだ。
女も、男も。
人形が動いているように、どこかぎこちない。
動きが不自然で、声も口とズレているように見える。
僕は友人に近付く。
「くれるって言うんなら、いただこうかね」
「え?」
僕の言葉に、友人は目で合図した。
「このままじゃ、先が進まんだろうしな」
周りは静観したままだ。
仕方ない、か。
「そうですね」
一室に通される。
長いテーブルに座っていると、メイド達が茶を置いてくれた。ミルクティーのようだ。
「ありがとうございます」
口に少しだけ含める。
量が減らなくては怪しまれるかもしれないし、何か入っていても、少量ならばなんとかなるだろうと思ってだ。
ちなみに友人は、あんなふうに言っておきながら、カップに手を付けない。
おい、飲めよ。
代わりに煙草を吸い始めた。
許可も貰わず吸うな。
怒ったらどうする。
爺さん達を見ると、中年と娘は目を泳がせていた。
ほら見ろ。
「美味しいですね」
甥っ子が、顎を撫でながら言った。
「そうだな」
爺さんが冷静に返す。
「そんで? 此処は?」
友人の言葉に、女はにっこりと笑った。
「人里離れた屋敷ですよ」
ふむ。
周囲に人は住んでいないのか。
助けを求めるのは無理かもな。
「すまない」
爺さんが手を上げた。
「ご不浄は何処かね?」
館の男が頷くと、メイドが傍らに立つ。
「ご案内しましょう。」
ご不浄?
ああ、トイレか。
「すまないね」
立ち上がった爺さんは、チラリと僕を見る。
なに?
「ああ、僕も行きたかったんです」
これは嘘だ。
「え? 連れション? その年で?」
恥ずかしいから言うな!
友人を睨むと、肩を竦めて苦笑いを返された。
解っている、冗談だ。って顔だ。
こんな状況で、一人行動するのは危険だ。まして、爺さんは僕に話がありそうなのだ。
その場を友人に任せ、部屋を出た。
廊下は薄暗い。
この家はおかしい。
窓が無いのだ。
点在する蝋燭だけが頼りだった。
「おい」
爺さんに小声で話しかけられる。
吐息が当たる。
申し訳ないが、ちょっと不快だ。
「なんですか?」
前を歩くメイドは気付いてないのか、足取りは変わらない。
「きみ、リュックを背負っているぞ」
「え?」
例のリュック?
「君だけじゃない。甥や、その娘も背負っている」
マジで?
「あと一つ。甥っ子だがな、嘘を吐いている」
「嘘?」
「茶を飲んだ時、顎を触っていたろう? あれは、嘘を吐くと顎を触る癖があるんだ」
なるほど。
二人の目は泳いでいたな。
「そういえば、薄味でしたね」
「味? したぞ?」
「え?」
「もしかして、味を感じてないのか?」
そんな爺さんの顔を見る。
「ええ?」
僕は驚いた。
爺さんの顔に。
バーコードが浮かんでいたからだ。
「それ……」
「ん? なんだ?」
爺さんは気付いていない。
「そうだ、あんたのリュックだけどな」
「なんですか?」
「甥っ子達と違うんだ。だから、あんたを呼んだ」
なんだって?
「あんたのリュックはな、甥っ子と同じように大きいんだ。大きいんだが、中身が入ってないように萎んでいる。まるで、無理矢理大きいリュックを背負わされているようだ」
それって……。
僕は、片手を爺さんに見せた。
「僕の手、何色に見えます?」
返事が怖くて、友人には聞けなかったことだ。
「言ってる意味が解らんが、別に色なんて無いぞ」
「そう、ですか」
確証は無い。
確証は無いが。
これは、印か?
何か意味があるんだ。
爺さんにはリュックに見えて、僕にはバーコードに見える。
友人の腕や、女の首には見えた。
大きい『バーコード』が。
リュックは少しずつ小さくなり、バーコードは少しずつ大きくなる。
そして、それに伴って、この世界で感覚が冴えていく。
人によって、見え方が違うんだ。
僕は、両手を見た。
これも、バーコードなんじゃないか?
大きくなったバーコードが、いくつもいくつも重なって、真っ黒になったんじゃないか?
「目の前のメイド」
「なんだ?」
「メイドに、リュックは見えますか?」
「いや、見えない。館の者にもだ」
条件は何だろう。
判らないな。
「あんたの友達? だがな」
爺さんは続ける。
「アイツが、なんです?」
「連れて来なかったのには理由がある」
「それは、どういう……」
「袋が首から下がっているだけだ。どうやったら、あんなに小さくなるんだ?」
僕は、言葉を返せなかった。
「あ?」
不意に爺さんが沈む。
膝が折れ、体勢を崩したのだ。
「おい!」
咄嗟に身体を支えるが、身体が震えている。
やっぱり、あのお茶に何か入っていたのか。
「貴方、飲んでいなかったのですか?」
横からメイドの声が響いた。
手でガードしたが、僕は吹き飛ばされる。
いってえ。
感覚が芽生えるのも困りもんだ。
蹲る僕をよそに、メイドは爺さんを持ち上げる。
バケモンが。
どれだけの力があるんだ。
「仕方ない。こちらの方から、先に処理させていただきます」
「処理?」
「他のお客様も、お待ちでしょう」
友人の顔が浮かぶ。
まずかった。
一人行動も良くないが、人数の分散も抵抗力が落ちる。
「あなた」
そんなメイドの腹が。
裂けた。
「え?」
落ちる爺さんを、別のメイドが支える。
いつから居たんだ?
「誰だ!」
叫ぶ僕をよそに、爺さんはメイドを凝視している。
「探しましたよ」
メイドが微笑む。
とても愛おしそうだった。
「お、ま、ぇ……」
爺さんが声を絞り出す。
笑っていた。
「おそく、なった」
「ほんとです」
「す、まなかっ、た」
「ええ」
え?
知り合い?
メイドが僕を見る。
「此処は大丈夫、行きなさい」
ポケットをまさぐる。
烏羽玉を取り出した。
少し千切って、爺さんの手を取る。
「何かあったら、これを齧ってください」
しかし、爺さんは首を振った。
「いら、ん」
「でも」
「いらん。もう、かえる、つもりは、ない」
手を払われる。
「どうして!」
「おれは、ずっと、ここに、かえり、たかったんだ」
言いながら、メイドの手を掴んだ。
たしか、爺さんは結婚していないと聞いた。
もしかして、この人に操を立てていたんだろうか。
「いけ。きに、するな」
遠くから悲鳴が聞こえた。
どうする。
「いけ」
僕は、また、救えないのか?
マスターのように。
「たのむ」
爺さんは、僕を真っ直ぐに見つめた。
「お願いします」
メイドも見る。
「でも」
「これで、いいんだ」
「これでいいんです」
二人は、固く手を結んでいた。
悲鳴は続いている。
「くそっ!」
僕は立ち上がる。
「ありがとう」
背後から声が聞こえた。