表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
夜の王  作者: 狐面
12/113

湖氾~2~

 夢の中で大体(だいたい)4年が過ぎた。

 相変わらず、リュックは脱げない。

 自分でも気にしているのか、唯一(ゆいいつ)、眠るという描写は無い。断続的に時間が過ぎるのだ。


 それでも、4年は長い。

 どうして目が覚めないのだろう。

 ふと、昔読んだ物語を思い出した。

 夢の中で、何年も過ぎるということはあるのだろうか?

 不安に(さいな)まれる。

 せめて、家族と共に過ごしているのが救いだった。

 妻と娘は背中にリュックなど背負(せお)っていない。その代わり、俺のリュックも見えていないようだった。

 リュックについてだが、少しずつ小さくなっている。

 それに(ともな)って、感覚が芽生(めば)え始めた。

 触感、味覚、痛覚、聴覚に、はっきりと話している自覚もある。

 細切れの日常とは言え、不満は無い。

 いつも通りの仕事に、家族との団欒(だんらん)

 ――もう、このままでも良いんじゃないか――。

 諦めとも、麻痺ともとれる、何とも言えない感情が、俺を支配していた。


 ある時、朝の目覚めからシーンが始まった。

 俺は、いつものようにベッドから立ち上がる。

 時計を見ると、いつもより時間が早い。

 矢張(やは)り出来たか。

 感覚が鋭敏(えいびん)になってきた所為(せい)か、ある程度のコントロールが()くようになっていた。

 顔を洗って、リビングへと向かう。

 キッチンでは、妻が朝食を準備しているだろう。


「お、おお……」


 なんだ?


 何かが(うめ)いている。

 妻の声ではない。

 侵入者だろうか。妻の無事を確認しなくては。

 俺は、ゆっくりとキッチンの扉を開けた。


「おおおおお……」


 そこには、妻が()た。

 大口を開けた妻が。


 ()()()()()()()()()()()()


 俺は、(こぼ)れそうになる悲鳴を(こら)えた。


 なんだこれは!


 必死に口を押さえる。

 娘は流動体から固まり、無表情に立ち上がる。


「「おはよう」」


 二人は見つめ合い、口を(そろ)えて言う。


()()がそろそろ起きる頃よ。起こして来なさい」

(わか)った」


 娘のような『なにか』が、こちらを向く。


 まずい!


 全身が泡立った。

 こっちに来る!

 背中に、顔に、冷たい粒が吹き上がる。


 どうする!


 どうする!


 頭を必死に回転させる。

 アレの歩幅は小さい。

 俺は、出来る限り静かに、しかしなるべく早く距離を取り、さも今起きてきたかのような顔をした。


「おはよう」

「あれ? パパ、今日は早いね」


 娘のようなものは、俺を見つけると笑顔を向けた。

 近付(ちかづ)いてきて手を引く。

 大丈夫だろうか。

 俺は鳥肌が立ったままだ。

 狼狽(うろた)えながらキッチンに入ると、妻が振り返る。


 その顔が、一瞬固定された。


「…………」


 しまった。


「…………」


 冷や汗を()いていない。


「お、おはよう」


 頼む。

 気付かないでくれ。


「あら、早かったわね」

 何処(どこ)か、見透(みす)かされているような視線を感じながら、俺は無理矢理(むりやり)口角を上げる。



 出勤した振りをして、()ぐ会社に休みを告げた。

 公園で時間を(つぶ)す。

 まだ午前も早いからか、他に人は()なかった。

 子供は学校に出ただろう。

 妻は専業主婦だ。

 つまり、このままこっそり戻って、普段(ふだん)家で妻が何をしているのか見るつもりだ。

 ベンチに座っていると、目の前に足袋(たび)(うつ)る。


「大丈夫か?」


 顔を上げると、眉間(みけん)(しわ)を寄せた男が立っていた。

 和服だ。

 住宅街の公園に、和服の男。

 浮いている。


「あ? ああ」


 俺が(うつ)ろな返事を出すと、男は横に座った。


(たち)が悪いのに捕まったな」

「え?」


 男は、握った拳を差し出す。


「このままでは死ぬぞ?」


 ゆっくりと拳を開く。

 そこには、植物の破片が置いてあった。


「この世界が気に喰わないのなら、これを噛むがいい」

「これは?」


 手に取って見つめる。

 大きさは、小指の爪くらい。

 球面から切り出したようなものだった。


「なあ、これは……」


 ふと顔を向けると、もう男は居なかった。



 ゆっくりと鍵を開け、家に入る。

 リビングで物音がした。

 どうやら、妻を(かたど)ったものは、其処(そこ)に居るらしい。 

 リビングのドアにはガラスが()め込まれている。

 俺は、少しだけ中を(のぞ)いた。


 妻が。


 溶けていた。


 かろうじて妻だと見える顔が、肌色の波に浮いている。

 そして、家具の上を泳いでいた。

 俺は、意を決して扉を開く。


「何をしているんだ」


 妻の顔は、目だけでこちらを見つめた。


「あなた……」

「あなたじゃない。お前は誰だ?」


 肉の溜まりを見る。


「お前達は何だ?」


 思い出した。

 4年?

 本当か?

 俺は。


 ()()()()()()()()()


 いつからが夢だったんだ?

 俺は心の中の絶望を隠し、妻が形作(かたちづく)られていく(さま)を待つ。


「私は、湖だ」


 あの時の。


「喰おうとして逃げられたのは、お前が初めてだ」

「だから、追い掛けて来たのか?」

「喰おうと思っていた」

「ああ」

「でも、お前の眼は優しくて。少し様子を見ようと思った」

「それで?」


 何が言いたい。


「解らない。ただ、喰べたくなくなった。それだけだ」

何故(なぜ)だ?」

「解らない」


 何なんだ。

 化け物が愛してるとでも?

 馬鹿馬鹿しい。


「くだらない」


 俺は(つぶや)く。

「ああ」

「くだらない」

「ああ」


 それでも、4年は長過ぎた。

 結婚していなかった。

 知らない女だったとしても。

 それが化け物だろうとも。


「くだらない」

「あなた」


 俺は泣いていた。


「あなたじゃない」


 (のど)()まる。


「おなたじゃないだろう」


 言葉が濡れる。


 どうすればいい。

 俺だって(わか)らない。

 もう(すで)に、あの湖に(おぼ)れてしまったのだ。


「どうすればいい」


 ポケットの横で、拳を握りしめた。

 ふと、手に何かが当たる。

 俺は、ポケットからそれを取り出した。

 さっきの植物だ。


「くそ!」


 訳が解らなくなった俺は、口に放り込んだ。

 そして、噛んだ。



 こうして、俺は目を覚ました。

 もう二度と、その夢を見なかった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ