因縁餓狼
私は、気付けばショッピングモールに立っていた。
「んー」
首から身体まで曲げて考える。
カユみは……引いてる。
いつ来たんだっけ?
「んー?」
よく覚えてない。
確か、誰かのお葬式をして……。
誰の?
あれ?
お葬式なんて、したっけ?
判んない。
記憶が抜けまくってる。
若年性アルツハイマー、とか?
『間も無く浸水が始まります。ご来場の方々は、注意して上階にお進み下さい』
ドコからか放送が鳴った。
え?
し、浸水?
私はワケも分からず、とりあえず近くのエスカレーターを上った。
2階に着いて、下を覗く。
なんにも起こらないじゃん。
なんだったの?
誰も居ないみたいだし……ドッキリ?
なワケないか。
私、ただの一般人だし。
『浸水が始まりました。ご来場の方々は、お早めにお上がり下さい』
見ていると、みるみる水が流れて増えだした。
げっ、なにアレ?
ヤバくない?
私はエスカレーターを駆け上がり、3階に上る。
下を見ると、水かさはどんどん増してきていた。
どうしよう!
下から来たら逃げらんないじゃん!
「ど、どっかに屋上への出口は……」
呟いて周囲を見る。
ふと、遠くで犬が首を振っているのが目に入った。真っ白くて、ふさふさとした大型犬だ。
い、犬?
あの子、大丈夫かな?
犬が私に気付き、コチラへと駆けだした。
「あ、え? え?」
その姿が、近付くにつれて大きくなる。
「え? え?」
始めは距離感によるものかと思っていたけど。
「……でかっ!」
大きすぎる。
しかも、明らかに歯をむき出しにしている。
これ、噛み付かれるんじゃ……。
犬は大きく口を開き、私に飛びかかってきた。
「きゃあ!」
「退け」
私の身体は引きずり倒され、目の前に白衣が現れる。
その人物はオモチャの棒を両手で持ち、犬の口角に当てて押し戻す。
「ガア!」
白い塊は跳び退いて、私を見て唸る。
「また会ったな」
白衣の人物が振り返った。眼鏡をかけた男性で、とても背が高い。
「えっ……と……」
この人は誰?
会ったことあるっけ?
犬が唸っている。やっぱでかい。
なにコレ……ホントに犬なの?
お手なんかして噛み付かれたら、無事じゃすまなそう。
もしかしてオオカミ?
オオカミでもでかいかな。
って、オオカミの大きさ知らんし。
「そ、そうだ。下から水が……」
「水?」
彼は階下を見て、眉間にシワを寄せた。
「やれやれ、君とは水場でよく会うな」
「え、えー、はい」
よく解らないけど、一応返事しとく。
「この状況はどういうことだ?」
白衣の男性は、眼鏡を上げながら言う。
「え、えーとですね」
……知らんがな。
「貴様、何者だ」
「しゃ、しゃべった!?」
オオカミが口から言葉を出した。私と彼は、思わずそちらを見る。
「そのゴミを渡せ」
ゴミって……。
褒められたもんじゃないだろうけど、流石にそこまでの人生歩んできてないよ?
「断る」
目の前の男性は、顎を上げて返す。
「お前は何だ?」
「なに、只の医者だ」
「人間が!」
オオカミは口を開け咆哮する。
全身ごと鼓膜を焼かれるような、ビリビリと強い衝撃が走った。
「そうだ。人間だ。だから、犬畜生にくれてやる人など持ち合わせていない」
「人だと? それが?」
今度は笑いだした。
なに? なんなの?
「教えてやろう人間! それは、人などという高尚なものではない! それは……」
「そこまで」
白銀のオオカミの前に、真っ黒いスーツを着た男性が立っていた。
「お前は……」
「余計なことを吹き込まないで下さい」
彼の足元を見て気付いた。
水が、もう膝まで上がってきている。
「くっ……主が……」
オオカミは短く言葉を発する。
「女……次こそ、次こそ仕留めてくれる」
言うなり向きを変え、あっという間に走って行ってしまった。
「……それで? お前は何をしている」
白いオオカミと代わり、今度は白衣の男性が黒スーツと対峙する。
「それよりも彼女でしょう?」
「え? 私?」
と思ったら、いきなり矛先が私に変わる。
「またこんな夢を……目を覚ませ」
「え? あ……?」
「ちょっと! またそんな、混乱させること言わないで下さい!」
「五月蠅い!」
「貴方ですよ!」
この二人、知り合いなんだろうか?
仲が悪いことだけは確かだと思う。
「しかし、この状況は、こちらとしてもとても不都合です――仕方ありません。今回は特別に、記憶を抹消してあげましょう」
「なっ」
「お先にどうぞ」
スーツの美形が指をパチンと弾くと、白衣の男は消えてしまった。
「今、何を……」
「貴女も、一旦戻りなさい。此処は危険です」
もう、水は腰まで上ってきていた。
「え、でも……」
彼が、再び指を鳴らす。