病魔サイカ - 7
「世話になったな。おかげでゆっくり休めた」
「ううん」
礼を言う男に、リサは首を横に振った。
町の外れである。結局、男は宿に戻らなかったのだ。リサも何度か引き留めたが、頑として頷かなかった。
早朝の澄んだ空気の下、リサの周りだけが暗くなっている。
「……ごめんね、恩人に野宿なんてさせちゃって」
「状況が状況だ、やむを得ないさ。
あれだけ注目されている中で一緒に帰ったりしては、お前さんの宿に悪い評判が立つ」
それは、病魔憑きの自分を泊めてくれた相手に余計な迷惑をかけたくないという、男の気遣いであった。
ごめんね、と、リサが再び呟く。
確かに引き留めはしたが、腕を引っ張って強引に宿に連れ戻すまでは、彼女もできなかったのだ。
いや、できなかった、ではない。しなかった。
「俺が自分の判断で選んだ事だ、謝る必要はない」
「でも、あんたはこの町を救ったのに」
「それも俺が、勝手にやった事だ。
言ったろ、仕事でやっている訳じゃないと」
少しでも男を慰めようとしたというのに、逆に、リサが慰められるような形になっていた。
この男は、どこまで心が広いのだろう。あるいは、どこまで諦めているのだろう。
こうなるまでに、どれだけ多くのものを見、味わってきたのだろう。
それともこの男だけでなく、病魔に憑かれると、皆、いずれはこうなっていくのだろうか。
ならざるを、得ないのだろうか。
「じゃあな、お前さんも見られる前に戻れ」
「あ、待って」
大事なことを思いだし、リサは顔を上げた。
首を傾げる男に、持ってきた包みを差し出す。
「持ってって、朝ごはん」
「代金は、夕食付きの分しか払っていないが」
「半分くらいは野宿させちゃったんだから、その割り当てよ」
「ベッドは使わせてもらった」
「いいから! 人の厚意は素直に受け取っとくもんよ」
強引に押しつけられた、まだ仄かに暖かい包みを、男は戸惑ったように受け取った。
片手で持てる程度の重さの包みを、いかにも持ち慣れていない物を持つようにしているのが、何かおかしい。
暫くの間、早く去れとリサに言ったのも忘れて、男はじっと手の包みに目を落としていたが、やがて顔を上げると、まっすぐにリサの目を見下ろして言った。
「ありがとう」
リサもまた、今度こそ力強く頷く事ができた。
一歩、一歩、男の大きな背中が町から遠ざかっていく。
サイカの姿は、どこにも見えなかった。
あの少女の事だ、姿は見えなくとも近くにいて、何かあれば現れるのだろう。
病魔を狩る為に、弱者を嘲笑う為に。至高の美しさで、悪意をくるみ込んで。
「ねえ!」
大声に、男が足を止めて振り返った。
「あんた、名前は?」
何を言われたか分からないというように、一瞬ぽかんと呆けた男の顔に、やがて明るい笑みが浮かぶ。
「レッシュ。
名を口にしたのは、人間らしい食事をしたのより、もっと久しぶりだ」
包みを持つ手を高く掲げ、リサに向かって振る。
「――ありがとう、レッシュ!! ありがとうー!!」
人目を引く可能性を構いもせず、リサもまた手を大きく振りながら叫び続ける。
快活な感謝の声援に送られて、男は再び歩き始める。
朝の光の中、その姿が霧に霞んで見えなくなってしまうまで、いつまでも、リサは手を振り続けていた。