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Disease of Calamity  作者: 田鰻
本編
4/105

病魔サイカ - 4

寝静まった宿の中――。

動くもののなかった、完全な静寂が破られる。

荒い息づかい。それは苦しげであると同時に、どこか別の色も含まれていた。

よろめきながら、人影が台所に入る。水瓶の前に立ち、蓋を開け、掬った中身をごくごくと飲む。塗れた口周りを乱暴に拭うが、渇きは一向に収まらず、喉はべたべたと粘ついたままだ。

唾液が、後から後から湧いてくる。


「なん、なのよ――これ……」


はあっ、と吐息が漏れる。

息が熱い。動くだけで、夜着と擦れる肌が疼く。

心当たりはある。全く未知の感覚という訳ではない。だがそれは今まで味わった事がない程に強く、激しく、単なる衝動を超えて、己の根元から発しているかの如くに、リサを揺さぶってくる。

とうとう立っていられなくなり、リサはその場に前のめりに膝をついた。

深夜の冷えた床を感じ、自らの身体の熱さを一層意識する。


わからない、どうして、急にこんな。

自らに降りかかった事態を把握できないままに、肉体だけが勝手に昇り詰めていく。

理由不明な感覚の恐怖を、それを上回る陶酔が塗り潰す。重なる脚が、リサの意志とは別に勝手に擦れ合った。


「……これはまた、ある意味じゃ一番困った方向に出たな」


気配もなく背後から響いた声に、ハッとリサは顔を向ける。

いつ起きていつ降りてきたのか、リサのいる台所を覗き込むように、真っ暗な食堂に男が立っていた。隣にはサイカもいる。相変わらず哀しげな瞳が、身悶えるリサを静かに見下ろしていた。

高い背。広い肩幅。無駄のない筋肉。

男を見た瞬間、それまでひたすらにリサの内側で膨れ上がっていた欲望が、一直線となって弾けた。


ああああっ――!


雄叫びをあげて、リサが男に襲いかかる。

一歩、サイカが前へ進み出た。

次なる踏み込みと共に、無造作に繰り出された掌底が、真下からリサの腹に入る。


「かっ……!」


直に腹部を突き上げられる衝撃に、リサは吐きそうになった。

その背中が盛り上がり、服をもすり抜けて、何かが勢いよく飛び出す。

床に落ちて跳ね回るそれの、少し細くなっている、首を思わせる箇所を、サイカの細い足が踏みつけた。

次は、頭。2度の踏みつけで、完全に動かなくなる。

床に蹲り、げほげほと噎せているリサに、男はやや眉を顰め、既に息絶えた獲物を蹴っとばして遊んでいるサイカに言った。


「患者は丁寧に扱ってやれ、サイカ」

「あー? 腰振って襲ってきた雌をどうぞ丁重に扱ってくださいって、そんな高貴な趣味があったとは知らなかったなぁ」

「やれやれ……。

お前さんも、どうにもおかしな状態は治まったようだな」

「う……ん、なんとか、ね。げほっ」

「サカってんじゃねーよ、きゃはははは」


よろめきながらも、リサは立ち上がった。

身体に残っているのはサイカに打たれた腹の痛みのみで、先程までの全身を巡る熱く耐え難いうねりは、跡形もなく消え失せている。

サイカに頭を蹴られ、ぼん、と床を跳ねた死体を恐ろしげに見つつ、リサは己に起きた事を理解して、青ざめた唇を震わせた。


「わ、私、どうなっちゃうの……?」

「どうもならん。

取り返しがつかなくなるのは、症状が最後まで進み、病魔との融合を果たした場合のみだ。ましてやお前さんは発症直後、治療後の身体への影響は全く無い」

「そ、そうなんだ。よかったわ……私も化け物になっちゃうのかなと……」

「病魔は、倒してしまえば消える。

最終ステージに至れば残念ながら手遅れだが、その前なら根治が可能だ。そいつの腕前にもよるだろうがね」


安堵からか、リサは涙声になっている。

床に伸びた死骸を見下ろして、男は言った。


「こいつは病魔フロイド。

しかし妙だな、飯の時、お前さんから病の匂いは――」


その時、宿の外での激しい怒声と騒音が、食堂内に聞こえてきた。

二人は顔を見合わせ、揃って外に向かう。後ろを、心底どうでもよさそうにサイカがタラタラ歩いていった。






飛び出すと、騒ぎは宿のすぐ近くで起こっていた。

深夜という時間帯にも構わず、路地で数名の人間が罵声をあげながら殴り合っていた。

御世辞にも治安が良いとは言い難い町、ちょっとした小競り合いは珍しくないが、これはどう見てもちょっとしたの範囲を超えている。何よりもその顔ぶれに、リサは仰天した。

鼻血を流し、腕を押さえて呻き、それでもなお凶暴な形相を崩さず獣じみた声を発し、殺し合いと呼んだ方が正確な争いに興じているのは、皆リサの見知った、近所の者ばかりであった。


「ちょっ……鳥屋のおじさんとおばさん!!

マキシおじさんも、何してるのよ!! やめてよ!!」


思わず駆け寄ろうとするリサの腕を、男が掴んで止めた。

もがくリサに黙って首を振ると、何かを見定めるかのように、争う人々へと両目を細める。


「ムダムダ、病人に言葉は効かず、ただ叩き伏せるのみだよ」


乱暴な持論を披露し、サイカがつかつかと男達に歩み寄る。

リサにしたのと同じように次々と攻撃を決めては、飛び出た病魔を順に始末していく。

全てが片付き、熱狂から醒めた人々が、訳の分からなさと傷の痛みに呆然と夜の道に座り込むまでは、あっという間だった。


「ははあ……」

「何がははぁよ……何なのよこれ……」


おばさんと呼んだ太った女性の、赤く腫れ上がった鼻に布を当てていたリサが、何かを掴んだらしい男に、半ば自棄を起こしたように聞く。


「さっきも言ったが、お前さんや彼らがやられていたのは、フロイドという病魔だ。

こいつは人間に潜在する欲望を、ランダムでひとつ増幅する。

この3人はどうやら暴力衝動、お前さんは――」

「野良犬とおっぱじめる前に止まって良かったなあ、きゃははは!」


顔を赤くするリサに、男は鼻頭をぽりぽり掻いて続けた。


「だが、感染から発症までは極めて短いとはいえ、俺と会った時点でお前さんが感染していれば、気付かなかった筈はないんだ」

「えっと……じゃあ、夕食の後でやられたのね?

もしかして、おじさん達からうつってきた、とか?」

「いや、フロイドは伝染力を持たない。

だから、彼らからうつったという事はない。また、お前さんひとりならともかく、4人がほぼ同時に別個のフロイドに感染して発症した可能性も、限りなくゼロに近いというべきだろう」


ややこしい話を頭の中で懸命に整理しながら、リサは問う。

ないない尽くしで、つまり結局、どうしたらこうなるというのか。


「他からうつってきたと考えるべきだろうな」

「は? でもあんた、今これはうつらないって自分で言ったじゃない」

「つまり、フロイドは伝染力を持たないが、このフロイドは伝染力を持っていたんだ」

「……どういう事?」

「この伝播速度――病魔マース。

奴ら、互いに食い合って変異したな」


男は落ち着いていたが、表情は幾分厳しさを増していた。

言葉の意味は不明なれど、それだけで、口調ほど悠長に構えてはいられない事態なのが分かり、リサはぞっと身震いする。


「病魔マース。その性質は、増殖。

これとフロイドが合体する事で、伝染力のあるフロイドが誕生した。乱暴に説明するとそういう事だ」

「そんな事が起こるの!?」

「起こる、稀にだがな。

伝染速度は速いものの潜伏期間は数十年単位、万一発症しても症状はほぼ無く、進行も遅い、言ってしまえば無害な部類の病魔なんだが――よりによって最も厄介な形で互いの特性を取り込んでしまったな。マースの速度なら、町全体に行き渡るまでそうはかからん」


いや、リサの話からすれば、既にかなりの広範囲に広がりつつあると考えるべきだろう。町で増えているという小競り合い、それはこの変異型フロイドの仕業に間違いなかった。

反面、殺し合いにまで至っていないのが不思議だが、推測するに、変異の過程で伝染力を得る代わりに、症状そのものは多少弱まったのかもしれなかった。

それも、全ては推測だ。当てずっぽうよりも今は、解決しなければならない現実がある。


「どっ、どうするの! 病魔にやられてる人、片っ端から治療して回るの?

いくら小さい町ったって、くまなく回れば結構広いわよ!」

「いや、順に治していったのでは堂々巡りになってキリがない。

増殖型の病魔にはな、必ず大元が、感染源となった最も強い本体がいる。病はまず元を絶たなきゃな」

「だから、どうやってその本体とやらを見つけるのよ!」

「その為にこいつがいる。頼むぞ、サイカ」

「ほいほい」


つつ、と歩み出ると、サイカは空に向かって愛らしく鼻をひくつかせる。

と思うや、あっさり指をひとつの方角に向けた。


「あっち」

「ほ、本当に?」

「小娘は信じなくていいよ」

「だっ、誰が小娘っ!?」

「後にしろ、行くぞ!」


一言告げるや、男はサイカの指さした方向へ全力で駆けだした。


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