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Disease of Calamity  作者: 田鰻
本編
104/105

星あおぐ夜 - 27

長身の青年が、悠々と死の町を歩いている。

汚れひとつない祭服に身を包み、まっすぐに背を伸ばして歩く様は、死者を弔う為の旅を続ける聖職者のようであった。

踏み出した足が、溶解した臓腑の作る小川を踏む。伸ばした手が、樹木のように立ち並ぶ骨を脇に避ける。昨日までは――否、ほんの今朝までは、輝く太陽に照らされていた美しい町が、いまやその面影さえない。

見渡す範囲の隅々にまで、死が満ちていた。

槍を握ったまま倒れた兵士の皮膚は緑色に変色し、幼子を抱き締めて蹲る母親の眼窩からは悪臭を放つ膿が流れている。街路樹は水という水を吸い尽くされたかのように立ち枯れて、ひび割れた裂け目には羽の抜け落ちた鳥が半身を突っ込んで死んでいた。建物の外壁は、内側から支える力を全て失い、ぼろぼろとした塊になって崩壊している。そこかしこに散らばる大小の破片は、全てが虫の死骸であった。


この町に生命は無い。


激しく腐敗しながらも辛うじて形の残っている死体を除けば、町はまるで打ち捨てられて百年を経た廃墟だった。あらゆる生命活動の途切れて久しい風化した光景が、僅か半日に満たず形成されたのだと言われても、一体誰が信じるであろうか。

だが、事実だ。

比類なき大都市は夜の訪れを待たずに腐り果てた。

指一本触れられる事のないままに、人も獣も鳥も虫も魚も皆死んだ。草は枯れ樹木は朽ちた。壁は崩れ屋根は落ち金属は腐食した。この地獄でいまだ生きていられるものがいるなら、それは命を持ちながら生命から距離を置いた存在だけだろう。


祭服の青年が足を止めた。

細まる双眸の先には、うんしょ、うんしょと掛け声をあげながら、倒れた人間を引き摺っている少女がいる。いかにもわざとらしく聞こえる反面、引き摺られている側は成人男性の体格をしており、実際その少女が一人で移動させるのは難しく思えた。

単に小柄で、華奢だからというだけではない。

見る者誰もが思わず手を差し伸べたくなる程に、死臭運ぶ風に白銀の髪をなびかせる少女は美しかったのだ。滅びを哀れんだ神が、天の御座より遣わした使者かと錯覚する程に。


「何をなさっているのですか、サイカ様」


声で初めて気付いたのか、少女の視線が青年の方を向いた。

つまらないものを視界に入れたと言わんばかりに、黄金に輝く双眸が歪む。


「なーんだ、生きてたのかよ」

「ご期待に添えず申し訳ありませんが、なかなか死にづらい身でしてね」

「お前って自分にちょっとでも期待される価値があるとか思ってんの?」

「これは手厳しい」


瓦礫と死体の間を縫って、ゆっくりと歩いてきたのはハーメルンであった。

相対するサイカの口調は剣呑だが、同時に気安さもある。

一度は自分を出し抜き屈辱を味わわせた相手を、それ以上嘲弄するでもなく、喉笛を切り裂きにかかるでもなく、病魔の王は静かに問う。


「そーいやあの色ボケ女は? 死んだ?」

「どうでしょう。一応逃げた方が良いとは言い残してきましたが、ついでに他にもあれこれと言い残してきましたので、果たして部屋を出る気にさえなっていたかどうか」

「ふーん」


聞いておきながら、さして興味もなさそうにサイカは欠伸をした。

そのまま首を反らし、雲すらも死んだのか黒一色に染まった空を見上げる。

ハーメルンに、リヴィエラの生死を気に留める様子はなかった。

もとより宿主を必要としない特殊な病魔であり、そして今はその宿主との繋がりさえも切れている。ならば、ただの人間の末路がどうなろうと知った事ではなかった。改めて探る気もなく、そもそも探る為の能力もない。


もっとも特殊というなら、眼前の光景を上回るものもそうそうないだろう。

死んだ男の足首を掴んで引き摺り、死骸の山を掻き分けて進む、光の化身の如き少女。

紛れもなく、ここには悪夢と奇跡とが同居していた。


「それで、何を?」

「んー、イイ感じの場所を探してる」


サイカは、引き摺っている男を見た。

ハーメルンも視線を下げる。

日に焼けた仰向けの顔は、泥と血に塗れていた。


「死んでるよ」


あっさりとサイカが告げる。

事実、引き摺られている最中も、こうして話している今も、男は何の反応も示さない。

脱力し、思い思いの方向に曲がった四肢。表情は消え、呼吸も止まり、口と鼻から流れた血液は黒く変色して固まっている。肉体が活動を停止しているのは明らかだが、まともな輪郭すら保っていない周囲の死体に比べれば、まだ綺麗なものだった。


「亡くなられたのですね、レッシュ様は」

「これで生きてたら拍手喝采だよ。死んだふりの達人としてショーに出られるぜ。究極の死んだふりが見たい観客で劇場は連日満員間違いなしだ!」

「満員になる程そんなものを見たい人間がいればの話ですがね。……良い場所というのは、埋葬の為の?」


宿主が永遠の眠りに就くのに相応しい場所を探して、広大なシャトサムを彷徨っていたのか。

そんな訳あるかと、形の良い眉を顰めてサイカが否定する。


「でもまあ、この辺でいいや。そろそろ歩くのも飽きてきたし」


サイカが足首から手を離した。

自由になった脚が、どさりと地面に落ちる。

わざわざ運び続けてきたにしては、扱いにまるで頓着していない。しかも雑に引き摺ってきたせいで、元は上等だった衣服は泥と血膿に塗れ、皮膚は擦り傷だらけだった。もしも愛する者がこのような無残な遺体となって戻ったなら、誰もが運命を呪い慟哭するだろう。


「どこへ行こうとしていたのかは存じませんが、抱えてあげればいいでしょうに。死んだ後まで嫌がらせのように引き摺り回さなくても」

「あ、それ無理。もうまともに力が出ないの」


サイカは、レッシュの足首を掴んでいた手をぷらぷらと上下に動かしてみせる。

おどけた仕草には真剣味の欠片もない。

当たり前だ。素手の一撃で都市の門を難なく砕いてみせる怪物が、人間一人を抱えるのに苦労するものか。


そう、普通なら。


「エデンも死んだし、ヤツの軍勢ももれなくぶっ殺したし、つーか殺せるもんは全部ぶっ殺し尽くしたし」


サイカは順番に指を折って数えていく。

ひとつ、ふたつ、そして三番目まで数え終えると。


「だから、私もここまでだ」


くくく、と動かぬ骸に向かって笑う。

サイカは語りかけていた。

ハーメルンではなく、もう二度とその目を開かないレッシュへと。


「ビックリした? ここまでなんだよ。

全種共通って言ったろ。あれって誇張なしの全種でさ、自分の宿主まで殺しちまうんだ。正真正銘全生命を殺し尽くす力があるのに、全生命を殺し尽くせるせいで世界を殺し尽くすとこまで行けないんだよ。だってその前に宿主が死んじまうからな、まさに今のお前みたいに。

……にしてもすっごいマヌケ面! きゃはは、そんなに悔しかった? 恐ろしかった? ちょーっとレーセーに言葉の意味考えりゃ分かりそうなもんだったのになァ。まっ、あんな状況じゃ難しいか。

でもよ、おかげで最高の幕切れだったぜ。

最後は絶対ああいう顔が見たいなって、ずっと思ってたんだよ私。お前の愉快なツラは山程見ちゃきたが、あれは飛び切りの大傑作だった。尊い自己犠牲を選んででも大敵を斃し人々を救おうとした筈が、なんと世界を滅ぼしちまうって知った時の、あの顔! あれを超えるお前の醜態なんて、今後どう頑張っても見られないだろーな。だからさ、ここで終わる事に満足してるよ私は」


まるで相手がまだ生きて、憎悪に燃える眼光を向けてきているかのように。

最後の最後まで、自分が世界を滅ぼす引き金を引いてしまったのだと信じて死んでいった男の骸にサイカは語り続ける。

死後に時間が経過し、筋肉の緊張がほぐれた顔に、表情らしい表情は無い。

しかし、死の直前までそこに浮かべていたであろう無念と絶望は、こうしているハーメルンにも読み取れるようだった。


「……とはいえ、シャトサム全域と周囲の土地を蝕むには充分すぎましたよ。

この町に人の出入りが絶える日はありませんが、そのせいで一定の距離内にいた行商人も旅行客も大自然も片端から餌食になりました。城壁の外側はもれなく死体の山ですよ。異常を察して調べに近付いた人間が、そこでまた倒れて死ぬという連鎖になっているようです。あれ、毒素が抜けるまでに何年かかるのです?」

「へえー、いつかそいつらの死体でひと回り大きい壁が出来そうだな。ちょっと見てみたいけど、私はもう寝る」


その時、驚くべき現象が起きた。

死んだ筈のレッシュの体が、変化を始めたのである。

投げ出された腕が逆方向に曲がり、皮膚はみるみる膨れ上がって衣服を破り、骨という骨は引き伸ばされて、まるで自分自身を抱き締めるように、あらゆる人体のパーツが折りたたまれていく。

頭、首、肩、腕、胴、下肢。

ぴたりとくっついた皮膚同士は、やがて溶けながら融合を始めた。

臓器と筋肉と脂肪が混ざり合い、撹拌されている音が、変貌する外皮を通して聞こえてくる。

人が、人ではない形に変わっていく。

折られ、曲げられ、潰され、伸ばされ、また折られて。


まるで、ひとつの巨大な箱のように。


「それが、貴女の巣ですか」

「カケラも夢がねえ言い方すんじゃねーよ。寝所とか閨とか呼べ」


ぎちぎちと軋み、微細な脈動を続ける箱の側面を、サイカはにやりと笑って撫でる。

箱の大きさは、既にサイカの胸を通り越し鼻の高さにまで迫りつつあった。

真下には、血と脂に染まった衣服が千切れ落ちている。

箱。巣。閨。

元はレッシュだったもの。

やがて、箱の成長が止まった。次には厚みが増し、表面が鉄錆びた色に黒ずんでいく。

辛うじて残っていた人間の名残も、今、消えていこうとしている。

サイカはひょいと箱の縁に飛び乗った。こうしているとまるで丁度いい椅子のようだ。


「ふああ……眠くてたまんねー。

動けなくはないけど動こうって気にならない! だんだん思考が途切れてきてんなァ」

「宿主の死亡によって病魔もまた死につつあるから……というだけが理由ではなさそうですね。そもそも、貴女こそ本当に宿主が必要なのですか?」

「ああ? そんなの要るに決まってんだろ」


最後の餌としてな、とサイカは付け足した。

ハーメルンは無言だったが、表情は明らかに続きを催促している。


「私の終の棲家さ。

なんて事はない、宿主が死ぬと、私はその体を使って産卵用の寝床を作る。

このどえらく頑丈な繭は、私の子株が孵化するまでの餌も兼ねててな。可愛い可愛いベイビーちゃんは、安全な箱の中でトロトロに溶けたパパママスープをゆっくりじっくり喰らいながら育っていくのさ。けけ。――ああ、私もそうやって生まれた。いや、それとも肉体を更新しただけなのかな? お前はどっちだと思うよ?」


とん、とん、と踵で箱の側面を蹴りながら質問してくるサイカに、ハーメルンは答えられなかった。お前は前の個体の子供なのか、それとも前の個体が延々と肉体を作り直し続けているだけなのかなど、当人でさえあやふやな正解を当てようがない。

あるのは、どちらにせよ救いがないサイクルだという事実だけだ。


孵化したサイカは、終生の宿主となる人間に寄生する。

宿主が死亡した場合、その肉体を利用して繁殖用の繭を作る。

時を経て繭から孵化した次のサイカは、再び宿主を探す。


ハーメルンは人間のような溜息をついた。


「この人間はいつか貴女を消す事を生きる希望にしていたようですが、憑かれた時点でおしまいだったのです。死によって逃れる道さえ無かった。骸は食い尽くされ、あまつさえ次代の貴女を守り育てる為の揺り籠となる。まったく、むごい事を」

「うまく出来てるよねー、生き物って」

「貴女が、どうあっても世界を殺しきれない点も含めてね」


旅などやめてしまえ、全てを諦めて静かに暮らせと、サイカはたびたびレッシュに言った。

挫折と堕落への誘いとしか受け取っていなかったそれが、結局は最も正解に近かったのだ。

どうあっても逃れられない以上、少しでも長生きをするのが最善の選択だった。

もしも生前にそれを知る機会があれば、彼はどんな顔をしていただろうか。


「貴女ほど純粋に人間を蝕み、苦しめるのを楽しんでいる者は他にいないでしょうね」

「そりゃそうさ。逆にエデンやてめーの存在は、私という苦痛に対するひとつの解答だ。心底うんざりだ嘘つきめ。病を冒涜してんじゃねーよ」


そこだけは本気で憎々しげにサイカは言う。

結果は勝利に終わったとはいえ、麻薬と仮病、どうあれこのふたつは間違いなくサイカと並び立つものである。

認めるが故に嫌悪し、許せないのだろう。

いつかは更に数が増えるのか、それとも減るのか。


「今、この場で」


ハーメルンが、ふと思い付きを口にする。


「その繭を破壊すれば、貴女のサイクルを食い止められるのではありませんか?」

「お、試してみる? これすっごい頑丈だから、孵化間近まで私が内側食いまくって縮まないと傷付けるのさえ難しいぜ。ってかそういう対策を思い付いた奴が過去にいなかった訳ないのに、いまだに私が健やかサイカちゃんな意味を考えてみろよ」

「やってはみたが、壊せなかったと?」

「知らね、憶えてないから。

壊せなかったのかもしれないし、壊したけど無駄だったのかもしれないし、壊したらもっと酷い展開になったのかもしれない。最悪なのは三番目だった時だよな。ドロドロに煮崩れた病を、殻ぁ壊して飛び散らせたらどうなるかは私も興味があるねー!」


サイカは紛れもなく最悪の病魔である。

その実態を知って、孵化を阻止できるならしたいと願わぬ者はおるまい。

だが成体で生まれてきて宿主を得るからこそ、人間の姿で活動できる範囲にしか被害が及ばないとも言えるのだ。壊れた繭から流れ出すのが、輪郭の無い――即ち、限界を持たぬ病そのものなのだとしたら、その時こそ世界の全てが今のシャトサムと同じ光景になる。


ふああ、と、またしてもサイカが大欠伸をした。

声は一層精彩を欠いてきている。


「お別れですね」

「だな、そろそろテメーみたいな意識の端にも引っ掛からねぇ残りカスの相手をしてやるのさえ億劫になってきた。とっととあの色狂いババアの愉快な死に顔でも眺めに戻れば? 表情判別できるぐらい顔面の組織が残ってればの話だけどぉー」

「そうですねえ……別に見に戻る気はありませんでしたが、貴女が勧めるならそうしても良いのかもしれません。さようなら、サイカ様。その命が紡がれ続いていくというのなら、いずれまた会う事もありましょう」

「ハイハイ、さよならさよなら」


ぞんざいに手を振るサイカに一礼し、ハーメルンは歩き始めた。

ざりざりと砂を踏み、サイカの横を通り過ぎ、そのまま一歩、二歩、三歩。


どん、と一瞬その全身が揺れる。


背後から突き飛ばされたように、両足が数歩前方へよろめいた。

どうにか転倒は免れつつ姿勢を立て直したハーメルンが、黙って視線を下げる。

胸から腹へかけて、人の頭ほどの大穴が開いていた。

血液なのか、他の体液なのか。混濁した液体が削り取られた傷跡から噴き出し、脚を伝って地面に溢れる。

ハーメルンは絶叫もしなければ、振り向きもしなかった。

上半身を傾かせたまま右足を踏み出し、左足を踏み出し――そのまま、どうと前へ倒れる。

偶然そこにあった骸が潰れ、飛び散った体液が白い祭服を汚す。

それきり、仮病の病魔は二度と動かなくなった。

神経質そうな指先から手が溶け始め、やがてそれは腕を伝って衣服をも巻き込み、全身へと広がっていく。さしたる時間もかからず、ハーメルンは黒い染みとなって消滅した。皮肉にも、彼が憧れた普通の病魔と同じように。

一陣の風が吹いた後にはもう、風変わりな病魔がいた痕跡は何処にも残っていない。


「誰が会うかよ、馬鹿め」


サイカもまた、ハーメルンを見てはいなかった。

それどころか箱から降りてもいない。

振り向かず、立ち上がりもせず、どうやって胴体に風穴を空けたのかは不明である。

だが、どうとでもなるのだろう。少女は病魔の王であり、そしてそもそも、力が出せないというのは嘘だったからだ。


「残念だったなあ。私が誠実なのは宿主に対してだけなんだぜ?」


嘘によって最強の病魔を封じた偽物の病魔は、最強の病魔の嘘によって命を落とした。

意趣返しの成功にサイカは仰け反って大笑いし、そのまま仰向けに箱の中へ倒れ込む。

まともに力が出せないのは嘘だが、もはや全力が出せないのは本当だ。

そして耐え難い眠気の波が押し寄せるたびに、残っている僅かな意識が攫われていくのも本当だ。


箱は完成していた。


最終的な形状はほぼ完全な立方体で、側面は水を浴び続けて錆びた鉄の色をしている。

外観は巨大な金属の箱にしか見えない。子供なら余裕で、大人でも手足を丸めれば中にすっぽり入れてしまう程の大きさがあった。

とりわけ奇妙なのは、天井部分である。

本来なら蓋に該当する部分が無く、変わって半透明の膜が深く内側へ落ち窪んでいた。まるで限界までたわんだハンモックである。膜は摘んで引っ張れるほど薄くて柔らかく、内部を満たしている液体が透けて見えた。

砲弾の直撃にも容易に耐えそうな側面と比較して、あまりに脆い。

軽く刃物を当てるか、ちょっとした荷物を乗せただけでも容易く破れてしまうだろう。


いかに子供とはいえ、そこへ人一人が全身を預ければどうなるか。


ずるり、と、サイカの体が沈み込んだ。

ただの被膜にそれを受け止める強度はなく、サイカは腰から内容液の海へどぼりと落ちる。無数の浮遊物が漂う赤黒い液体が、純白のワンピースを汚し、白銀の髪を染め、瑞々しい素肌を飲み込み汚していく。

サイカはまるで気にせず、仰向けとなり四肢をほぼ真上に伸ばした窮屈な格好で、箱に収まっていた。

四方は壁。見えるのは、四角く切り取られた夜空だけ。

その限られた視界も、四辺から迫り出してくる天井によって狭まりつつある。

繭が閉じ始めたのだ。サイカの全身もまた、液体に浸かった部分から溶け始めているのかもしれない。

培地であり、土台であり、養分であり、餌であり、母体であり、寝台であり、そして封印。

まだ眼球は両方とも残っていたが、眠くてとても確認する気にはなれなかった。

残された時間は数えるほど。ならば今は、生まれた時からこうなると知っていた自分の体などよりも、塞がっていく隙間から静かに夜空を見上げていたい。


この旅が終わる、最後の瞬間まで。


「……ああ、星が見えるな。いつだったかに、雲ひとつない星空を眺めるのがいいと言っていたっけ。今なら眺め放題だぜ、レッシュ」


内容物を食い、食い尽くした後には壁すら喰らい、足りなくなれば掻き集め、寄せ集め、また食らう。そうして長い歳月が過ぎ、遂には掌に乗る程までに縮み、あちこちがひび割れ脆くなった繭の中で、じきに訪れる孵化を待つ。

殻を割って産声をあげた次の自分の前にも、こんな夜空が広がっているのだろうか。

夜空を見て、ひとつ前の自分が抱いた何かを振り返りはするのだろうか。

ばらばらに散っていく思考を、サイカはそれを考えるのに使う事にした。

考えて、考えて、考えて――そして、まあどうでもいいなと笑う。


――きゃは、きゃはは、きゃははははははははっ!







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