一日目後半
足湯から上がってからは、もう一度、ゲレンデに向かうことはなく、尾崎と他愛もない会話をしながら、伊月達の帰りを待っていた。昼の営業時間ギリギリまで伊月達は滑り続けたらしく、戻ってきたのは営業時間の終了間際だった。伊月曰く、「やっぱり、北海道の雪は違う」とのことだった。雪の質がいいから、半日で滑れるようになったのかもしれない。連れてきてくれた伊月に重ねて感謝だ。井原も特にトラブルに巻き込まれることはなかったようだ。伊月は尾崎との約束を果たしたようだ。
どこに泊まるかということも聞いていなかったので、伊月に言われるままに、レストハウスの中で少し待っていると、迎えの車が来た。山道をさらに登っていくと迎えの車の側面に書かれていた名前と同じ旅館が見えてきた。
見るからに高そうな立派な門構え、入り口から玄関までの道の両脇には、しっかりと手入れされているのであろう石庭らしきもの雪を被っていた。中に入ると照明の加減だろうか、暖色に照らされた暖かく懐かしい空間ながら、おばあちゃんの家にはない清潔感を併せ持っていた。高級旅館のようだが、高級なところ特有の圧迫感や押し付けがましさみたいなものは感じられなかった。
「すごく、広いお部屋だね」
井原は、感嘆の声を挙げた。口が少し開いている。上品な着物の女性に鍵を渡されて向かった先にあった部屋は、4人が中に入っても、狭く感じることはなかった。居間に敷き詰められた畳、障子の引き戸、板張りの縁側、基本的なつくりは和風で、寝室だけは洋室と和室があるようだった。
「震えるだろ?これが全部無料なんだぜ」
「間違っても、高校生が泊まるような部屋ではないわね」
尾崎の言葉に同感だった。確かに、これだけ、豪華な部屋だと気が引けてしまう。
「気にしない、気にしない」
井原は引け目に感じている尾崎のことをなだめるように優しく言った。
「そうだぞ、美緒、俺たちは客なんだ。旅館の人に迷惑をかけないようにして、目いっぱい堪能して、笑顔で最高でしたって言って帰ればいいんだよ。そんな辛気臭い顔されたら旅館の人も困っちまうだろ」
伊月はいつも通りだった。その通りかもしれない。尾崎は納得しただろうか。
これまた豪華な料理を中居さんが運んできてくれて、伊月はその中居さんのことを気に入ったのか、あれこれと料理の質問をして、あげく、彼女の連絡先を聞こうとしていた。彼女は困った顔をしていた。やんわりやんわり断られていた伊月は、全くめげている様子はなかった。それを井原はにこにこと観察しており、尾崎はそんな伊月を見てどこまでも無表情だった。
夕食を食べ終えると「温泉に入ってからは、館内を浴衣で移動してください」という中居さんの指示に従い、浴衣を持って温泉に向かった。途中で、卓球ができるスペースがあるのを伊月が見つけ、後でやろうということになった。一日移動と滑りっぱなしだったにも関わらず、伊月はずっと元気だった。
「無理はしてないのか?」
体を洗い、露天風呂があったので、どうせならそっちにしようとなって、露天風呂に二人で向かった。
「え、何が?」
伊月は女子風呂をどうにかして覗けないかと、竹で作られている仕切りに張り付きさまざまな角度を探っている。
「ずっと、テンション高いじゃないか?頑張って楽しい伊月を作らなくていいんだぞ」
伊月は、隙間から見るのは無理と判断したのか、桶を重ねて上から覗こうとしている。
「俺さ、もともと根暗なんだよ。しかも、周りの雰囲気を暗くしてしまうようなタイプのやつ。でさ、そんな自分を変えようと思って、最初は無理にでも、頑張ってでも明るくあろうとしたんだ。で、気づいた、最初は無理くりやってたことがいつの間にか、自然にできるようになって、それで今では、人といるときに明るくふるまうことが出来るようになってたこと。俺は自信を持って今の自分は無理してないっていえるぞ、だから、裕孝の心配は不要だ」
伊月と一緒にいると楽しい気持ちになる。そんな伊月に俺は何かしてあげられているのだろうか、不安になるときがある。
「そうか、余計なこと言ったな」
伊月は今の自分を気に入っているようだった。
「そうだぞ、わかったら、裕孝も手伝え、下が滑りやすいから桶じゃ不安定なんだ、肩車を頼む」
「いやだ」
「なんでだよ、俺が見終わったら、上と下変わってやっから」
「いいよ、俺は見なくて、なんでそんなに必死なんだ?」
「逆になんでそんなに頑張らないの?女子の裸だよ?男子高校生はみんな女子の裸のことしか考えてないんじゃないの?じゃあ、お前は何を考えて生きてるの?」
「今晩の献立どうしようとか、弟の勉強のこと、スーパーの特売とかかな?」
「至極、まともなこと言ってんじゃねーよ。この、むっつりスケベが、知ってんだぞ、裕孝がおっぱい星人なの」
「誰だよ、そんなこと言ったやつ」
「クラスの女子が言ってましたぁ、裕孝くんが胸を見てくるっていってましたぁ」
全くと言っていいほど心当たりがない。
「いや、俺は胸より脚の方が好きだぞ」
「なんか、そっちの方が変態っぽい感じがするわ」
生暖かい目でこっちを見るのはやめてほしい。女子風呂を本気で覗こうとしているやつには言われたくなかった。
「まあでも、俺は覗きはやらない。旅館の人に迷惑かけないんじゃなかったのか?というか普通に犯罪だからな。女子の裸を見せてほしかったら、正直に頼んでみたらいいじゃないか」
「それは無理だろ」
「無理だな」
どれほどのイケメンでも「裸見せてくれないかな」というニュアンスの言葉を爽やかに言ってみたところで気持ち悪いことは疑う余地が無かった。ともかく、伊月は覗きは迷惑も掛かるし犯罪ということで諦めたようだった。温泉から上がるといつもより肌がつるつるになったような気がした。温泉の効用のところには美肌、疲労回復、筋肉痛を和らげるなど、多くの効果が期待できると書かれていた。
浴衣に着替え休憩スペースで待っていると少ししてから井原と尾崎もやってきた。温泉が気持ちよかったのか井原はいつにもまして笑顔、尾崎もそんな井原を見て頬が少し緩んでいた。その後は、伊月がやりたいと言っていた卓球をした。最初はあまり乗り気ではなかった尾崎も最終的には、一緒になって白熱したミックスダブルスの試合を繰り広げた。俺、井原ペア、伊月、尾崎ペア、僅差だったものの、惜しくも負けてしまい、温泉の定番だというコーヒー牛乳を俺たちがおごることになった。三人と肩を並べて座っているの見て、初めての旅行が充実したものになっていると実感する。本当に来れてよかった。それでもって、他の三人が同じことを思ってくれていると最高なのではないかと思った。
部屋に戻ると、寝室を男女で分け、すぐに寝ることになった。「私たちの寝室の入ってきたら、学校にいられなくしてあげるから」という恐ろしすぎる尾崎の一言で伊月の表情は氷付き、戦意喪失していた。意気消沈した伊月は布団に入るなり、すぐに寝息を立て始めた。やはり無理してないとは言え、動きっぱなしだったから、疲れたのだろう。俺はというと、疲れてはいるものの、旅行に来た高揚感からか妙に頭が冴えてしまって寝つけないでいた。伊月を起こさないようにこっそりと寝室を出るとそこには、少し驚いた顔の井原がいた。
「どうしたんだ、井原、寝付けないのか?」
「いや、ここにいたら椎名くんが来るんじゃないかなーと思って」
いつからそうしていたのだろう、井原は椅子の上でひざを抱えていた。
「なんだそれ、まあ、結果として起きてきたんだけど」
「そうだね、ちょっとびっくりしちゃった、まさかほんとに来ると思ってなかったから。ねえ、ちょっと歩かない?」
館内の全体の消灯時間まではもう少しあるようだった。
「いいぞ、今のままでは眠れそうにないからな」
大きな音を立てないように入り口の扉を開けて外に出た。消灯前ということもあり、館内は同じように浴衣を着た観光客がちらほら歩いているのが目に入った。井原は俺の少し前を歩いている。
「卓球惜しかったね。もう少しで勝てたのに」
井原は背中の方で手を組んで足を放り出すように歩いている。
「そうだな。でも、楽しかった」
「そうだね、私も楽しかったよ」
「友達と来る旅行がこんなに楽しいとは思ってなかった」
「椎名くんは旅行初めてって言ってたもんね、あの聞いてもいいのかな?旅行に行けない理由とか、学校終わったらすぐ帰っちゃう理由とか、たまにお弁当を忘れてきたと言って何も食べずに昼を過ごす理由とか。いやだったらごめん、今の話忘れて」
踏み込むことをためらうような口調。俺の少し前を歩きながら「椎名くんのこともっと知りたいんだ」と言った井原はやはり、優しい女の子だと思った。
「家は貧乏なんだ、母さんが一人で働いて、俺と妹と弟を養ってる。旅行に行けないのは、お金がないからだし、すぐ帰るのは、スーパーの特売、弟の迎えとかがあるから。弁当は四人分作るから、たまに足りなくなる時があるんだ。別に食材を買うお金が無かったわけじゃなくて、俺のミスが原因なんだけど。でも、それで辛いと思うことも、周りをうらやましいと思うこともなくて、学校に行って友達と話してバカなことをして、勉強して毎日が楽しいよ。てか、井原は俺のことよく見ていてくれてるんだな」
こんなことを話したのは井原が初めてだった。伊月は何となく察してくれていたけれど、それを直接言ったことは無かったし、人に言うことでもないと思っていた。こんなことを聞いたらきっと困ってしまうだろう。引かれてもおかしくない、家庭の事情。
井原は振り返ると俺の手を取って思いつめたように見つめてくる。井原の手は暖かかった。
「話してくれてありがとう。椎名くんはずっと頑張ってるんだね」
全てが許してくれるような井原の笑顔。なぜだか、涙が出そうになった。もしかしたら俺はずっとそう言ってもらいたかったのかもしれない。
「井原は優しいな」
何か言わないと涙がこぼれそうだったので、いつもの井原に対する印象を言っておいた。人のことを優しい気持ちにすることが出来る暖かい笑顔、思いやりが感じられる言葉、井原は本当に優しい女の子だった。
「そんなことないよ。私はずるいんだよ」
そう言って、彼女は少し寂しそうな笑顔を見せた。気が付くと部屋のすぐ近くまで来ていた。寝ている二人を起こさないように静かに戸を開け、それぞれの寝室に戻っていった。井原が言った「ずるいんだよ」という言葉が耳に残っていた。




