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仲人管理職  作者: 野原いっぱい
7/10

変転(一)


挿絵(By みてみん)


大地を季節が通り抜ける。

駆け足で次の四季走者にバトンが渡されていく。

灼熱のうだるような暑さが、いつの間にか肌刺す冷気にすり替わり、街路も樹木も田畑に河川、遠くの山々に至るまでそれに合わせて模様替えを急ぐ。

ところが、長年月の生活で学び経験豊富な人々がその変化に順応できずにまごついている。

いや、むしろ積み重なった知性が逆に、環境の変化と同一歩調する妨げとなっているのかも知れない。

このことは日常の人々の暮らしの中にも見え隠れしている。

まさか、こんなはずではなかった等の言葉で表現されるような予想外の、もしくは、心の片隅にはあったとしても、現実とかけ離れた、避けたい出来事が起こった時、右往左往することが結構見受けられる。

そして、その場面によって、悲喜こもごも百人百色の状況が展開されるのである。

今回、ありふれた家族、二例でもって物語をスタートしていきたい。


*

映画で名が売れた私鉄沿線のあるファミリーマンションに、北村早苗と娘、真矢が暮らしていた。

早苗は美容院に勤めているが、仕事は週に4日程度で時間も短く割合楽であった。

もちろん資格ももっており、技術レベルも高く職場では大変重宝されている。

今年三十で、結婚して六年目になるが、今は長期に出張している夫の留守を預かっていた。

夫は報道カメラマンで年中無休のマスメディアとしての職務から、国内外を問わず出かけていることが多い。

結婚して娘が生まれ数年は家族で過ごすことが多かったが、年々出張の回数が増え、さらに最近は長期になっていた。

早苗は夫の仕事柄やむおえないものと理解し、


「もう少ししたら管理する側に回るから」


との言葉を信じている。

けれども、二か月前に帰ってきた時は、ほとんどくつろぐ間もないままに、次の出張先に出かけていった。


「パパはいつ帰ってくるの?」


と娘の真矢から聞かれるたびに、


「もうすぐよ」


と答えはするが、はっきりとは知らなかった。

今回は、


「海外の取材で長引くかもしれない」


と言い置いて出かけてしまった。

また国外なので連絡もとれない。

気がかりではあるが、幸い真矢が無邪気で少しおしゃまな性格のため大いに助けられていたし、また、日程が頻繁に変わることから、急に帰ってくるかもしれないとの期待もあった。


 今日はいつもと同様1階にゴミ捨てのかたわら、郵便物を確認に行った。

3通来ていたが、部屋に戻り、そのうち1通を見て「おや?」と思った。

海外からのもののようだが、差出人が書いてなかった。

一瞬、夫へのものと思ったが、宛名は間違いなく北村早苗様となっている。

筆記で丁寧に書かれていたが、その筆跡には見覚えがあった。

腑に落ちなかったが、とりあえず開けてみることにした。

封書を破ると2枚の用紙が出てきた。

1枚目の手書きの便箋には書き出しが、『北村早苗様』となっており、それに続けていきなり、


『すまない。僕はもうこの国を離れられなくなってしまった。君に謝っても許してもらえないと思うが、何度も思い悩んだ末で決心したんだ』


それは夫からの驚くべき内容の手紙であった。

途中でもう1枚の用紙に目を通した。

いつの間に手に入れたのか、離婚届けに夫のサインと押印がしてあった。

一瞬にして顔がこわばり手も小刻みに震える。

ショックのあまりもうそれ以上は読み進めながった。


「ママ、お腹空いちゃった。何か食べたい」


との娘の声もほとんど聞き取れなかった。


*

影山啓太は今日も自分の部屋のテレビの前に座っていた。

トイレに行く時と、母親から食事に呼ばれた時以外はほとんど部屋から出なかった。

小学校2年生になったのだが、最近はほとんど自宅から出ず、登校することはなかった。

いわゆるひきこもり児童である。

学校に行きだしていじめられたことが原因であったが、もともと性格は内向的で兄弟もいず、子供どうし交わって遊ぶよりも黙々と一人遊びしていることを好んだ。

登校したがらなくなって最初のうちは母親も無理やり家から送り出したが、そのうち学校に行かず近くの公園や神社で過ごすことが度重なった。

先生や近所の顔見知りから連絡がいき、母親からその都度叱られ、悪い子だとガミガミと言い聞かされる。啓太にとって母親はしょっちゅう苛立たしげで、苦手であったが、父親は啓太には優しく接してくれて好きであった。

ただ、仕事が営業職で毎日帰りが遅く、休みの日も疲れが溜まっているようで、家族一緒に外出することはほとんどなかった。

時々、啓太のことで夫婦喧嘩するのが聞こえてくることがあって、父親からも登校するように促された。

その時は渋々学校に行きはするものの、二日ともたないことが繰り返されていった。

啓太は一人でいることに退屈しなかった。

同年の子供たちと一緒にいて、馴染めずにからかわれたり、気をつかったりするより、一人で身近にあるもので遊んだり、テレビや絵本等を見ているほうが楽であった。

ついには、母親も匙を投げてしまい、無理にでも行かそうとはしなくなってしまった。

その代わりに怒りっぽい気性に拍車がかかり、不機嫌な表情が目立つようになった。

理由は定かではなかったが、しばしば両親が言い争っているのを耳にした。


ある日の夕刻、啓太は自分の部屋で好きなテレビのアニメ番組を見ていた。

母親の声がして入って来てもいつものように振り向かなかった。

放映中のシーンに関心が集中していたのだ。

背後からかすかに声が聞こえてくる。

すべては聞き取れなかったが断片的に耳に入った。


「もうつくづく愛想が尽きたわ」

「啓太もあの人も愚図で自分勝手なのには我慢できなくなったのよ」

「私行ってしまうからね」


声がしなくなってからもしばらく母親が後ろに居る気配がした。

そのうち扉の閉まる音が聞こえたが、なんとなくいつもと異なる雰囲気がした。

番組が終わりテレビのスイッチを切り部屋から外に出る。

物音ひとつなく様子が変であった。

キッチンに行くと既に食事の支度がしてあった。

心なしかいつもより食べ物の量が多く感じる。

テーブルの端に父親あてであろう置手紙らしきものがあった。

ただ、いつもと違って封筒に入っている。

啓太にはもう母親が帰ってこないように思えた。


*

その女性の足取りはたいへんゆっくりとしていた。

ひたすら前方を見つめ、行き交う人々や自転車や車が近づいても一向に気にしていない様子であった。

髪の毛は乱れており地味な色のセーターとスカートの普段着姿である。

履物もゴムサンダルで隣近所にでも行くような身なりであった。

もう少しよく見ると、顔は蒼白で化粧もせず、目はまっすぐ前に向けられているものの焦点が定まっていないようで、うっすら涙が滲んでいる。

唇が震え、痛みがあるのか片手で腹部をさすっていた。

年は三十近くに見えるが、もう少し若いのかもしれない。

家族や知り合いが見れば何かおかしいと感じただろう。

けれども周囲の人々は単に見知らぬ歩行人の一人と見做してすれ違い追い越していった。

そのまま進むと私鉄電車の踏切があった。

遮断機が何度も開閉し、快速や各停が通り過ぎていく。

通行人も自動車等の乗り物も規則正しく踏切を渡っている。

ただその女性には前方の障害物を意識している様子がまるでなかった。

ただきわめてスローだが、確実に近づいていく。

表情も足取りも全く変わらない。

相変わらず周りと隔たった淡々とした歩みであった。

そして、目前に踏切が迫った。

その途端警報機が鳴りだし、電車の接近を知らせた。

それでも彼女は立ち止まらずに進み、左右を見ようともしない。

遮断機が下り踏切内に侵入してしまった。

だが、歩くスピードは一向に速くならない。

電車が近づく。

警報機は鳴り続いている。

彼女の足が線路にさしかかった。

ようやく踏切の外にいる人々も気が付いて騒ぎ出した。

一瞬彼女がその場に立ち止まり、首を振り上げたように見えた。

電車の警笛が鳴り響く。

前後から悲鳴が聞こえる。

けれども彼女の耳にそれが届いているのかどうか誰もわからなかった。


*

大藪次郎は妻や娘と一緒に自宅のリビングで招待状の返信ハガキに目を通していた。

それには来年開催する交歓会の出欠の返事が記入されている。

彼は今年五十台後半にさしかかったが、すでに二十数組の仲人役を果たしていた。

その数の多さと、いずれのカップルもその後円満な家庭を築いていることから、雑誌出版社に勤めている娘婿の新藤が、その家族を対象の懇親会を開いてはどうかと提案してきた。

大藪が了承すると、早速新藤は企画ものとして社内に図った。

なにぶんにも出席者が多人数になると予想され、パーティーそのものとそれぞれの往復の交通費、宿泊費等々、かなりの費用負担が見込まれるため、企業が主催あるいは後援するイベントとする必要があった。

幸い珍しい企画で、話題を呼びそうだとの期待で、メディア系スポンサーが数社つき、会社も乗り気になり実現の運びとなった。

名称は大藪夫妻仲人カップル交歓会とし、日程が決められ案内状が送られた。

そして一通り返送用のハガキが届いてきたのだった。


「まあ、ほとんどの人が出席してくれるのね。うれしいわ」


と妻の八千代が感激して言った。


「ああ、そうだな、転勤で海外に行っているものを除いてはほぼ参加のようだな。来れない人も祝電を送ってくれるそうだ」


大藪も満足そうである。


「あれ、これこの前の変わった人たちじゃなかった?」


次女の真知が1枚のハガキを覗き込みながら言った。


「これ!そんな言い方するものじゃありません。中沢夫妻じゃないですか。アルプスのペンションでは大変お世話になったのよ。でも奥様の認知症大丈夫なのかしら」


八千代が首をひねると、


「ハガキには、ご迷惑でなければぜひ出席したいと思っています。妻も皆様のことを覚えてないとは思いますが、当日初対面のご家族の方々とご一緒できることを、喜んでくれるものと思います。と書いてあるな。むしろ奥さんにとっては、今までとは違った分野の人と交わるのもいいかもしれないな。私は大歓迎だよ」


「私も同じ意見だわ。それに少しでもこの前のお返しできればうれしいわ。でももう一組の熊飛夫妻かしら、あの忍者だったというお二人。宛先不明で返ってきてるわ」


「やっぱりね。思った通りだわ。今頃山奥の洞穴で何に化けるか相談してるかもしれないな」


「ま、真知、また妙なことを言って。そんなことはあるはずがありません」


「冗談、冗談、でもほとんどの参加が決まって大盛況ね。成功間違いなし」


「ところが、そうとも言えないな。まだ返事のきていないところがあってな。やっぱり駄目だったのかな」


大藪が少々気落ちした表情で言うと、八千代も思い出したように答える。


「ああ、例のカップルね。今までも連絡がきたことないわね。ただ不明の返送がないところからすると、住所は間違いないようね」


「え!それどういう人?別れたカップルがあるの?」


と真知が興味深々で尋ねた。


「うーん。真知も知らないはずだな。もう十年以上前のことだからな。私に仲人の依頼をしたのは新婦の方からでね。彼女は当時私と同じ職場にいて、社外の人と結婚するので媒酌人になってほしいと直接頼んできたんだ。なかなか気が強くて神経質な女性でね。少しでも仕事の上で不条理なことがあると、上司にも食って掛かるもので回りからも敬遠されていたんだ。彼氏とは友人の紹介で知り合ったそうだが、結婚式を挙げる段になって、男性側に適当な仲人役がいず、彼女に任され私にお鉢が回ってきたというわけだ。私はそれまでにも何組かの仲人を引き受けていてね、彼女の耳に入っていたんだろう」


「ふーん、じゃあ彼氏より彼女のほうがしっかりしていたわけ?」


「そうなんだ。式前に彼氏に引き合わされたんだが、大人しくって、内気な男性でね、ほとんど彼女が喋っていたんで、これは尻に引かれるぞと思ったもんだが、それからだもっとびっくりしたのは」


「私も覚えていますわ。まさかこんな時にとハラハラしたものよ」


「それ、どういうこと?」


八千代が相槌を打つと、真知が続きを催促した。


「そう、披露宴も無事に進行し私も出番が終わって胸をなでおろし参列者が退場直前だったな。急に新婦が新郎に向かって怒り出してね。要するに挨拶の仕方が悪いとかマナーがなってないとか、皆がまだいる前で、それもハッキリ聞こえる声で注意しだしたものだからびっくりしてしまったよ。新郎はうなだれて聞いているものだから気の毒だったんだが、ご親族も招待客も唖然として会場は静まり返ってしまったんだ。それも延々と続くものだから私もこれはまずいと思って、お客様を誘導してお引き取り願ったんだが、いまだもって前代未聞の披露宴だったな」


「それでそのあとどうなったの?」


「結局どちらかのご両親に促されて、我々も会場を後にしたんだが、それからしばらくして彼女が会社まで私にお礼と謝りに来たのを最後に、そのあと会うこともなくなってね。それだけならいいとしても、それ以来今日までぷっつりと連絡が来なくなったんだ」


「ということは、二人が別れたことは確実か」


と真知が言うと、八千代が幾分憤慨して口を挟んだ。


「でもそれならそうと手紙くらい寄越すべきだわ。少なくとも仲人に対してハガキくらい出すべきよ。社会人として失格ね。もし今度二人に会う機会があったら、私お説教するわ」


「まあまあ、何か事情があるのかもしれないじゃないか。ただ、それよりも今回の企画が幸せをもたらす仲人役という触れ込みなんだが、彼らが別れているとすると、真実味が乏しくなってしまうな」


「そんなことないですよ。私がみたところ大半のご家族がうまくいっているように思えますよ」


八千代が否定すると、真知も同意して言った。


「その通りよ、お父さん。今日び離婚する人なぞ大勢いるわよ。この前テレビで見たけどアメリカの女優でエリザベス・テイラーという人は8度も結婚したそうよ」


これには大藪も八千代もあきれてしまった。


「まったく。引き合いに出す人物が間違ってる」


その時、玄関のチャイムが鳴った。


「私が見てくる」


と真知が部屋から出ていった。


「まあ、もう少し待って来なければ新藤君に調べてもらおう」


「そうねえ、私もどうなったか知りたいわ」


と二人が相談していると、真知が戻ってきた。


「お兄ちゃんだったわ」


それを聞くと二人とも俄然明るくなった。


「そうか、この前彼女を紹介しにきて以来だな。あの時は玄関で挨拶を交わしただけだったが、その後進展しているか聞いてみないとな」


と大藪が言うと、八千代も続ける。


「そうそう、鉄平にも交歓会の件を詳しく話さないといけないわね。もし差支えなければ、二人にも出てもらってはどうですか」


ところが、真知は困った顔をして言った。


「でもお兄ちゃん、泣いてる」


夫婦は顔を見合わせた。

首をひねった後、怪訝な顔つきで大藪が立ち上がる。

そして廊下に出た。後に八千代と真知が続く。

玄関を見ると、上り口に鉄平が腰掛けて、手のひらを額に押し当てて俯いていた。

大藪は驚いた。

物心ついて以来、鉄平が涙している姿を見たことがなかった。

そして声を掛けた。


「どうした鉄平?」


彼はむせびながら答えた。


「彼女が、彼女が・・」


「彼女がどうしたんだ?」


大藪が促すと、鉄平は言った。


「か、彼女が死んでしまったんだ」


その言葉に三人とも茫然と立ち尽くしてしまった。


立花早苗は娘の真矢と一緒にテーマパークのユニバーサルスタジオに来ていた。

今日は母子で思い切り余暇を楽しむことと、実はもう一つ目的があった。

彼女は二年前に夫と別れてから、旧姓に戻り、現在は娘との二人暮らしである。

もともと、以前の夫は一年の大半が出張の報道カメラマンで、あまり自宅には帰らなかったため、生活に変化はそうなかったが、それでも突然離婚の申し出を受けたことは寝耳に水で大変な衝撃であった。

その後、何度か話し合いを重ねたが結局彼が海外から戻らないことが確実となり、泣く泣く了承する以外なかったのである。

もちろん娘は早苗が引き取ることになったのだが、美容師としての仕事もあり、当面生活に困ることはなかった。

しかしながら、日数を経るに従って、二人だけの暮らしに不安を感じるようになってきた。

また、彼女の周囲からいくつか再婚の話が持ち上がった。

娘はいるものの彼女自身まだまだ若かったし、器量も人並み以上だったことから、何件か勧められた。

そして、ひと月ほど前、その内の一人を紹介されたのだった。

相手は大手企業の営業社員で、早苗より三つ年上で小学生の男の子がいる。

数年前に妻と別れ、現在父子二人暮らしなのは、お互い似た境遇であるように思えた。

早苗も、いわゆるお見合いは初めてで、会う前は不安で緊張したが、話をしている内に相手が気に入ってしまった。

非常に誠実そうに思えたし、営業職ということもあってか、気配りが細かく話も上手であった。

気になった仕事もたまに出張はあるが、それも長くても2日程度とのこと。

その後、二回会ってお互いが好印象をもち、婚姻まで一歩進んだが、次回は子供も一緒に会おうということになった。


ただ、早苗は相手にも言ってない懸念材料があった。

いまだに娘の真矢が別れた夫のことを慕っているのではないかという恐れである。

離婚当初はしばらく、


「パパはいつ帰ってくるの?」


と、盛んに質問を浴びせられた。

その都度無邪気な娘を適当にごまかしはしたが、何度か泣かれてしまった。

その内、あきらめたのか、それとも忘れてしまったのか夫のことは口に出さなくなった。

早苗からも以前のことを触れないよう注意して、今日に至っている。

けれども娘の胸の内まではわからない。

まだ、父親への想いが強く、早苗の再縁の話を知ると、駄々をこねるかもしれなかった。

そして話すきっかけがつかめないまま、ズルズルと伸びてしまっていたが、今日、ユニバーサルスタジオの催しものを充分堪能した後で、切り出そうと思っている。


「ああ、ママ、さっきのショーはドキドキ、ワクワクの連続でとっても面白かったわ」


「そうね、私もよ。とってもスリルがあってびっくりしたわ」


手をつないだ早苗、真矢の母子とも感激に浸っていた。


「じゃあ、次のアトラクションに行ってみましょう」


その時、突然真矢が立ち止まり、指さした。


「ママ、あれ・・」


その先の建物の真横に3歳くらいの男の子が母親を呼びながら泣きじゃくってる。


「どうやら迷子のようね」


と周りを見回したが、母親らしい姿はなかった。


「あの子はぐれたようだわ。放っておく訳にはいかないようね」


二人は近寄りとりあえずなだめることにした。


「ボク、お名前は?どちらから来たの?」


優しく接したのが功を奏し泣き声は小さくなったが、しくしく泣き続いており、もちろん質問にも答えはなかった。


「この子可哀そう」


「そうね、このままここに居てもお母さん現れそうにないわ。ちょっと遠回りだけど、迷子センターまで連れてってあげましょ」


そして、その男の子とも手をつなぎ、入り口の方向に歩き出した。

しばらく行くと、後から


「ここだ、ここだ」


と男の声が聞こえてきた。

振り向くと、赤ん坊を抱いた三十台後半くらいの男性が息を弾ませ走り寄ってきた。


「捜したんだぞう。こんなところにいたのか」


彼は一緒にいる早苗や真矢にも気が付いて言った。


「どうもすみません。目を離したすきにいなくなってしまって。ご面倒おかけしたようで、ありがとうございます」


「良かったですわ、早めにお父さんと巡り合えて」


と早苗は言ったが、一方で赤ん坊をあやす男性が気の毒に思えた。

彼は盛んに恐縮していたが、男の子も泣き止まずいささか持て余し気味な様子。


「ちょっと待って、ママを呼ぶからな」


そして携帯を手にして、相手と話し出した。

居場所を告げた後、電話を切り、早苗に何度も頭を下げて礼を繰り返す。

けれどもまだ、子供たちが泣き続いているため、母親が来るまでもうしばらくいることにした。

そして10分くらいして母親が到着した。

驚いたことに女の子も含め三人の子供たちも一緒だった。


「パパ、駄目じゃない。ちゃんと見ててくれなくちゃ」


と母親は赤ん坊を受け取り抱きかかえる。


「ごめん、ごめん、ほんの一瞬だったんだよ。いなくなってしまったのは」


父親は何度も謝った。

泣いていた男の子は、三人の子供たちがあやすと、瞬く間にご機嫌が治ってしまった。

なんと、この夫婦には五人も子供がいたのである。

彼らは早苗に感謝すると、次のアトラクションを体験するため、一緒ににぎやかに離れていった。

早苗は幾分安堵して娘の真矢を見ると、羨ましそうに彼らの様子をながめている。

一人っ子だけに兄弟姉妹がおらず、寂しいのだろうと思った。

その時、不意に思い出した。

お見合いの相手に男の子がいたのを。

早苗は話すのは今しかないと思った。


大藪鉄平は私鉄電車の最寄り駅から少し離れた住宅街の一角にいた。

彼が訪れようとしている住居はもう目と鼻の先である。

1週間前、勤務先の同僚で恋人でもあった高野美紀が鉄道事故で死んでしまった。

突然の悲報に接し、鉄平にはあまりにもショックが大きく食事も喉に通らない状態に陥ってしまった。

彼女は同じ会社の総務課であったが、四か月前に会社の行事で言葉を交わしたのが交際の始まりであった。鉄平は彼女の清楚で慎み深い性格に、逆に彼女は鉄平の実直さに好意を抱く。

鉄平にとっては、ストレスの多い販売業務から社内に戻ってくるたびに、彼女が声をかけてくれるのが、何よりも仕事の励みとなった。

お互い急速に惹かれ合い、休日には食事に映画鑑賞、レジャー等お互い誘い合う。

鉄平は少し早いとは思ったが、デートの帰りに両親にも紹介してしまった。

もうその時には、自分の伴侶になるのは彼女しかいないと決め込んでいた。


ところが、彼女は亡くなる1週間前に急に休んでしまった。

会社への届けはインフルエンザということである。

鉄平は彼女とはしばらくは会えないなと少しがっかりした。

もうそろそろプロポーズをしてもいいと思っていた矢先である。

そして、1週間経ち、彼女の顔が見られるのではと期待しながら出社して、彼の耳に飛び込んできたのが逆に最悪の悲報であった。

鉄平にとっては晴天の霹靂であまりの悲しみになにも手につかなくなってしまった。

それでも懸命に自分を取り戻し、事実を確かめるために動く。

警察の調べでは、彼女の死因は明らかに電車への飛び込み自殺と断定していた。

彼女が遮断機をくぐって走ってくる快速電車に身を投じる目撃者が多数いたのだ。

運転手もブレーキを掛けたもののとても間に合わなかったようだ。

身元は身に着けていたものからすぐに分かった。

その日のうちに家族へ連絡がいき、会社には次の日の朝、訃報が知らされた。

ところが、彼女の投身自殺の理由については一時的な精神疾患とだけしか知らされなかった。

鉄平は納得いかなかった。

今まで彼女と過ごした記憶を振り返っても、精神の病があるとは聞かされていなかったし、見た目にも健康だったので、とても信じるわけにはいかない。

何か理由があるはずである。

もしかしたら彼女に悩みや隠し事があったのかもしれない。


悲痛な気持ちを抱きながらも、次の日から周囲の人々に聞いて回った。

会社の同僚や仲が良かった女子社員、懇意にしている上司等々。

ところが、いずれも彼の知っている以上の情報はなかった。

逆に親しくしていた鉄平から自殺の理由を聞きたがった。

もちろん、通夜と告別式にも参列。

非礼にならない程度に弔問客に聞いてみたが、目ぼしい話は聞けなかった。

仕事の合間をみて、警察にも足を運んだが、発表した以外の新しい情報はないとの回答。

万事休すで、鉄平は意気消沈してしまった。

それでも真実を知りたいという気持ちは変わらない。

彼女に何が起こったのか、なぜ自殺に追い込まれたのか、それを知ることが自分の使命と感じた。

もはや残る心当たりはひとつしかなかった。

高野美紀の家族であった。

葬式の遺族でもある。

確か両親と妹の4人家族と彼女から聞いている。

ただ、鉄平にはいずれも面識はない。

また、美紀が彼のことを話しているかどうかも聞いてはいない。

いずれ会う機会がくるだろうと高をくくっていたことを悔やんだ。

一番悲しんでいるのは家族だろうし、初対面の自分が話しかけても、答えてくれる自信は皆目なかった。

またいきなり訪問しても会ってもらえないかもしれない。

けれども、いろいろ考えてはみたものの、ほかに方法はなかった。

そして彼は決心し、初七日が済んだ日を待って訪問することにした。


鉄平は家の門の前に立っていた。

表札には高野と記載されており、間違いはない。

呼び鈴のボタンが目に入ったが、押すのをためらってしまった。

けれどもここで引き返すわけにはいかない。

深呼吸してボタンに手を伸ばしゆっくりと指を押し当てる。

するとしばらくしてインタフォン越しに、


「ハイ?」


と女性の声が聞こえてきた。

鉄平は少し焦ったが、気を取り直し、何度も復唱を繰り返した言葉をインタフォンに向けて発した。


「わたくし大藪と申しまして美紀さんと同じ会社に勤めている者です。このたびは大変痛ましいことで、皆さまさぞお力落としのこととお察しいたします。心からお悔やみ申し上げます。このような時に大変失礼とは思いますが、ぜひお伺いしたいことがありまして参りました。どなたかお会いできないでしょうか」


言い終わったあと、相手に正しく伝わっているのかやや不安になった。

だが少し間を置いて返事があった。


「少しお待ちください」


ここまでは何とかこぎつけた。

さあ次はどう切り出そうと思っていると、玄関の扉が開き若い女性の顔が現れた。

彼女はそのままの姿勢で鉄平に言った。


「すみません。その角を左側に曲がり百メートルほどまっすぐ進むと、右側に喫茶店があります。そこでお待ち願えないでしょうか。私もすぐに参りますから」


鉄平はすこし面食らったが「ハイ」とうなずいた。

そして、確認がすんで再び扉が閉まった。

鉄平は彼女が言った通りに歩きだす。

美紀からは大学生の妹がいると聞いていたが、間違いないと思った。

一目見ただけだが、印象は違うものの面差しは似たようなところがあった。


しばらく行くと、洒落た外見の喫茶店があった。

中に入ると結構奥に広く、数組の客が入っている。

BGMが心地よく鳴っていて、落ち着いた雰囲気の店である。

彼女との話の内容がプライベートなことに係わるため、出来るだけ他の客から離れた隅の席に座った。

飲み物の注文は相手が来るまで待ってもらった。

ほどなくして、彼女が現れた。

お互い会釈した後、コーヒーと紅茶を頼んだ。

改めて彼女と対面して、若いが目つきが鋭く、聡明そうな印象を感じる。

頃合いを見て鉄平が再度自己紹介した。


「私、大藪鉄平と申します。美紀さんと同じ会社に・・」


「知ってます」


彼女は鉄平が言い終わらない内に口を挟んだ。


「姉から大藪さんのことは聞いていました。大変実直で優しい方だって。私妹の茜と言います」


鉄平は安堵した。

自分のことが家族に伝わっているなら、ある程度説明が省けるからだ。

ところが、そのあとも彼女は続けた。


「私、大藪さんがいらっしゃるのをお待ちしていたんです。お会いして心に描いていた通りの方で安心しました。もしかしたら、姉の自殺の理由を知りたいと思われたんじゃあないですか」


鉄平は驚いてしまった。

まさか訪問の訳まで予期しているとは思わなかった。


「その通りです。警察の発表以上のことは誰に聞いても分かりませんでした。けれども美紀さんに何かあったはずで、事情があったのならどうしても知りたいと思ったんです。それが美紀さんに親しくして頂いた自分の努めだと思いました」


鉄平がそう話すと、茜の瞼から涙がこぼれ出した。

そして彼女は言った。


「ありがとう。ありがとうございます。そう言って頂くと姉も喜びます」


頬に伝わる大粒の涙を拭おうともせず続ける。


「誰にも話さないように言われていますが、大藪さんにはすべてお話します。私、姉が可哀想で、可哀想で、そして悔しくて」


彼女は姉、美紀の自殺の理由を語り始めた。
















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