入江君の体験
入江サトルは浪人生であった。
高校生活最後の今年になって、センター試験を受け志望大学にチャレンジしたが、残念ながら不合格であった。
従って、4月から塾通いを始め毎日受験勉強に取り組んでいる。
ところが5月に入り、今一つ勉強に身が入らなくなってしまった。
参考書を開いても集中力散漫で、少しもはかどらない。
まだ本格的な受験シーズンまで9ヶ月近くの長丁場で、気のゆるみが出ていることもあるし、また、いわゆる5月病に陥っているかもしれないと思った。
もともと彼は自らすすんで勉強するタイプではない。
かといって遊び好きでも体育会系でもなかった。
俗に言うオタクの一員で漫画本やアニメに興味があり、ファミコン等の各種ゲームにはかなり精通している非社交的な学生であった。
見た目に地味なタイプで、もちろん彼女もいなかった。
そういう彼も希望の進路である理系の大学をめざして、3年になって受験勉強に力を入れたが、いかんせん実力不足の感があった。
浪人となって、この1年は学業に専念しなければならないと自覚している。
そのためにも好きな趣味はしばらく封印する必要がある。
ところが自宅で勉強疲れが出た時、どうしても身近にあるアニメ雑誌やゲーム機に目がいってしまうのである。
本人は自分の内向的な性格が災いしていると思っている。
もう少し外に出て大人にならないといけない。
そして誘惑に負けず強くなることが合格への第一歩と考えた。
***
今日は本来休講であったが、学習塾で勉強しようと家を出た。
塾生向けに教室を解放しており、お互いが刺激になり結構利用する者も多い。
ところが来てはみたものの、結果は芳しくなかった。
参考書の内容が少しも頭に入らない。結局予定より早めに切り上げて、街をぶらつくことにした。
息抜きもたまには必要と考えたのだ。
最近評判の人気スポットに行くため電車に乗り、最寄りの駅で降りた。ホームを歩いていると、逆路線の列車待ちの最前列に、一人の若いジャケット姿の男性が強引に割り込むのが見えた。
見るからに粗野な風体であった。
「皆、きちんと並んでいるのよ。後に回ってもらえません?」
中年女性が注意すると、ジャケット男性は、
「何!俺は最初からここに並んでるじゃねえか。文句あっかババア」
と声を荒げた。
その権幕にその女性も思わず尻込みする。
周りの人たちも係わらないよう見て見ぬふり。サトルも同様その場を通り抜けようとした。
その時、別の女性から声が上がった。
「私も見ていました。皆ルールを守って並んでいるんです。やはり割り込みは良くないことだと思います」
若い女性であった。
水色の衣服がよく似合うフレッシュな容姿に惹き付けられた。
思いがけない相手に言葉を浴びせられ男は激昂した。
「なにお、ねえちゃん。俺を誰だと思ってやがる。なめると承知しないぞ!」
思い切り凄みを効かせ言い放った。
近くにいた子供たちも怯えて大人の後に隠れてしまった。
けれども彼女はひるまなかった。
「やっぱり私たち大人が決められたことを守らないとよくないと思います。たとえ誰であろうと」
「このあまあ、ふざけやがって!」
男はついに切れてしまった。
彼は右手を振り上げ彼女に掴みかかろうとした。
サトルと同様周りの人たちも、これはまずいことになったと感じた。
だが、その瞬間彼の腕は別の男性の手で握られていた。
彼女の真後ろにいたスーツ服の男性であった。
「僕も見ていたよ。やはり君が間違っているよ」
「な、なにお・・」
ジャケット男性は勝手が違ったか動きが止まった。
「鉄平さん」
女性がスーツ男性の名を呼んだ。
どうやら知り合いのようだ。
「大丈夫だよ、茜。僕も二度と警察に行きたくないからね」
落ち着いたその様子にジャケット男性は怯んだ。
「け、警察?」
「ただ、マナーもそうだが、女性に対するその言葉づかいは良くないな。おまけに子供たちもいるんだぞ。反省してほしいな」
スーツ男性はその男を直視しながら穏やかに言った。
その間も腕はしっかりと握られている。
しばらく二人は睨みあった。
周りの者は固唾を呑んで見守る。
やがてジャケット男性は屈したようで、目をそらして言った。
「わかったよ。謝るよ。悪かったな」
その瞬間、スーツ男性は手を放した。
「チェッ、なんだい・・」
ジャケット男性は腕を摩りながらその場を離れて行った。
「まあ、なんて乱暴な男性でしょう。身勝手なのにもほどがあるわ。でも娘さんからも言っていただいてほんと助かったわ」
最初に注意した中年女性が言った。
「いえ、私も正しいと思って言っただけです。でも本当は少し怖かったです」
と若い女性が言うと、中年女性もうなずいた。
「それは私も同じ。どうなることかとハラハラしたわ。彼に助けてもらって本当によかったこと」
それを聞いてスーツ男性は照れ臭そうに微笑んだ。
その時、彼らが待っていた電車が入線してきたため、会話は終わった。
それを機にサトルも再びホームを歩き始めた。
彼は感銘を受けていた。
女性達の勇気ある発言と男性の落ち着いた行動に。
よし、やってみよう。
同じような場面に遭遇したら、率先して声を掛けよう。
幸い相手をひるませるのに、『警察』という言葉を発すれば効果があることを覚えた。
もしもの時は利用すればいいと思いながら改札口に向かう。
そして、その機会はすぐにやってきた。
ただ、サトルは知らなかった。
ジャケット男性が怯んだのは、彼の腕を掴んだスーツ男性の力が非常に強く、全く動けなかったからだということを。
*
駅前広場は多くの人々が行き来し、同時に集う場であった。
入江サトルは気分転換の散策ということもあって、のんびり周りを見回しながら歩いていた。
すると、前方で皮ジャンを着た若者が女子高生風の少女をナンパしているのが目に入った。
どうやら少女は嫌がっているようであった。
けれども若者は諦めず何度もしつこく言い寄っている。
サトルは今こそが実行する場だと直感した。
そして彼らに近寄り思い切って声をかけた。
「困っているようだから、やめておいたほうがいいよ」
若者は気が付いて振り向いた。
そしてサトルをジロジロ見回し、やがて言った。
「なんだよにいちゃん、俺になんか用あんのかよ」
勝手が違った。
そのはすっぱな言いように腰が引ける。
「だ、だって嫌がってるのを無理にしなくても・・」
「なんだとう、無理矢理やってるだとう。ふざけんな」
その怒声にサトルは動転してしまった。
「け、警察・・」
その言葉は逆に状況を悪化させた。
「警察だとう、俺が何をしたっていうんだ。なめやがってこの!」
と若者は声を張り上げた。
「いったいどうしたんだシンジ」
少し離れた場所にいた男が近寄ってきた。
若者と同じような外見であった。
「ああ、兄貴、俺が女の子と話してたら、この兄ちゃんが警察を呼ぶっていうんだ」
「なにい!俺のダチになんてことを言いやがるんだ」
「そ、そんなつもりは・・僕は・・ただ・・」
もはやしどろもどろの有様。
「どうしたんだよう。アニキ、シンジ」
更に悪いことに彼らの仲間も集まってきた。
バイクを乗りながら近づきはやしたてる。
どうやら暴走族グループのようだ。
一瞬にしてサトルは彼らに囲まれ絶体絶命の窮地に陥ってしまった。
言い寄られた当の少女は、その場から離れてしまっている。
これはサトルにとっては誤算であったが、実はからかい半分の彼らにとっても大誤算であった。
話を聞いた仲間たちは一斉に罵声を浴びせた。
「侮辱だぜ。これは俺たちに対する侮辱だぜ」
「ふざけやがって、俺たちを誰だと思ってやがるんだ」
「にいちゃん、おとしまえをつけてもらおうか」
一人に突っつかれて、後ろにひっくり返ってしまい、持っていたカバンが路上に転がった。
もはやサトルは頭の中が真っ白になった。
「少年、助太刀しようか?」
その時、囲んでいた彼らの間から女性の顔が不意に現れた。
そして彼女は気の毒そうな表情でサトルを見て言った。
暴走族仲間もびっくりして、一斉に彼女を見た。
彼女はバンダナのようなもので長い髪の毛を結び、活動的なコスプレ風の衣装を着ており、背中に大きなリュックをかついでいる。
取り囲まれて泡を食っていたサトルは思わず首をたてに振る。
彼女は笑ってうなずいた。
「なんなんだようネエチャン、いったいどうしようっていうんだよ」
今度は離れたところから声が掛かった。
「おおい、波留。道草食ってる暇はないぞ」
よく見ると、男性で女性と同じような黒っぽい衣服を着用していた。
「わかってるわ小太郎、少しだけ与太者の相手していくから、すぐに済ませるわ」
これを聞いた男たちは激昂した。
「なにおう、女だてらに俺たちとやろうっていうのか」
「生意気な女だぜ、ケガするぜ」
「女だからといって容赦しないぞ」
サトルも半信半疑で首をひねる間もなく、その女性が動き出した。
けれどもほとんどその動きは見えなかった。
瞬きを数回している間に、男たちが悲鳴を上げ、倒れていく。
気が付くとあたりは修羅場と化していた。
暴走族は腹や首、頭を押さえ、唸りのたうちながら地面に転がっている。
乗っていたバイクも横倒しになっている。
「まったく不甲斐なかったわね。大丈夫よ、急所外してあるから」
とサトルを見て言った。
「遊んでいる暇ないぞ。これから信州までひとっ走りだからな」
と相方が言うと、女性は、
「今、いくわ、じゃね少年」
と笑顔を送って走り始めた。
というより、二人の男女は動き出し、まるで映像の早送りのように、あっという間に去って行った。
『急所?遊び?信州に走る?』
『あの大きな荷物をかついだまま、いったいどうして、しかも女性が?』
サトルは助けられたことより、悪い夢を見ているような気がして茫然と座り込んでいた。
「警察を呼べ!」
「いや、救急車だ」
暴走族たちの惨状を見て周囲は騒ぎ始めた。
サトルは現実に戻り、一刻も早くこの場から離れたほうが賢明だと思った。
そして、彼らの呻きを耳にしながら起き上り、落ちているカバンを拾って速やかに駅前広場から抜け出して行く。
*
入江サトルは思った。正義感を伴う行為は自分に相応しくないと。
ではどのような取り組みが、自己変革の糸口につながるのか考えながら、歩道を通り大きな交差点を渡った。
そこで一人の杖を突いた老母が目に入った。
腰が曲がって足が悪そうだ。片手には嵩のある袋を持っている。
信号が青に変わって後ろから見ていると、老母は歩き出そうとしたが、途中で止まり元の場所に戻ってしまった。
交差点が広く渡りきるのに自信がなさそうである。
その間に信号待ちの人々が足早に通り過ぎて行く。
とうとう赤に変わってしまった。
サトルはその時、声を掛けようかと迷った。
自分が付き添って横断歩道を渡ってあげるのだ。
次の青信号で同行しよう。ところが、どうしても言い出せない。
相手に変に思われたりしないだろうか。
年寄扱いされるのが嫌な老人もいる。
親切心もあだになるかもしれないと。
あれこれためらっていると、彼より前に声を掛ける人が現れた。
「奥さん、ご一緒しませんか」
礼服姿の中年紳士で和服を着た女性を伴っている。
穏やかな表情で言った。
「実は今日いいことがありましてね」
まるで親しい知り合いに話しかけるような口調である。
「おやまあ、どおいうことかね」
老母が尋ねた。
「近々テレビに出るかもしれないんですよ」
「まあ、あなたったら、初対面の方にそんなこと言って、おかしいですよ」
隣の妻と思われる女性がたしなめた。
「へええ、そんな偉い人と一緒できるなんてうれしいわね」
「いやいや、普通のサラリーマンですよ。ついでにそこまで荷物も持ちましょう」
「ありがたいわね。でも楽しみだわね。テレビに映るなんて」
そして、信号が青になり、夫妻が老母を挟んで横断歩道を渡り始めた。
もちろん紙袋は紳士が持っている。
そのやりとりは全く自然で気負いもわざとらしさもなかった。
サトルとしては、年の功と言ってしまえば気が楽になるが、少しは見習いたいと思った。
*
彼は歩きながら考えた。
性格を変えるなんてすぐに出来ることじゃない。
可能なことから意識してやっていけばいずれ成果がでてくるのかもしれない。
十年後、二十年後に今の紳士のように自然体で気配りが出来るようになるのかもしれないと。
しばらく駅前ビル街に沿って歩いていると、一人の老夫人がたたずみ、キョロキョロ見回している姿が目に入った。
落ち着いた色柄のワンピースを着用し、品の良さが窺えるが、バックも持たず手ぶらであった。
行先がわからず迷っているのだろうか。
サトルはこの辺りの地理に詳しく、道を教えることくらいできるかもしれない。彼女に近寄り声を掛けた。
「どちらに行かれるんですか?もしかしたらわかるかもしれませんが」
ところが彼女の反応は思ってもみないものであった。
サトルの顔を見るなり、
「まあ、ダイちゃん。いったいどこに行ってたの。捜したのよ」
と目を輝かせた。
これにはサトルも面食らってしまった。
「いえ、ぼ、僕は入江サトルと言います。間違いだと思いますが」
けれども彼女は構わずに続けた。
「皆、心配してたのよ。一緒に帰りましょ」
いったい誰だと思っているのかサトルは困惑してしまった。
「申し訳ありませんが、僕は別人です。人違いです」
彼女は嬉しそうに言い張った。
「良かったわ。ダイちゃんのこと皆待ってるわ。喜ぶはずよ」
「だから、僕はダイさんではなく、サトル・・」
サトルは途中まで言って、ようやく妙に思った。彼女の笑顔を観察すると、まるで子供のような無邪気さを感じた。
もしかしたら精神が病んでいるのかもしれない。
「失礼ですが、お名前は?どちらから来られました?」
とりあえず質問してみた。
「私たち家族よ。早く帰らないとね」
まったく取り合わず、同じことの繰り返し。
どうやら間違いないと確信した。
でもなぜ彼女はここに一人でいるんだろう。
まさか自宅からここまで歩いてきたんじゃあ。
もしかしたら記憶障害の老人が徘徊しているのかもしれない。
サトルが推測している間も、相変わらず彼女は再会を喜んでいる。
さてどうしたらいいのだろう。
このまま彼女を置いてさっさと行ってしまってもいい。
けれどもそれではあまりに薄情だ。
今日、肌で接し学んだ親切心から言ってもとてもそれはできない。
だからと言って、彼女の今の様子では、どこの誰なのか聞けそうもない。
そして色々思案して思い当ったのが、駅前に交番があったことだった。
そうと決まったらしばらくは『ダイちゃん』になりきる以外ないと思い、彼女に言った。
「わかりました。じゃあ一緒に帰りましょ」
「まあ嬉しいわ。皆喜ぶわ」
サトルは彼女を伴い駅前に向かって歩き始めた。
なぜこんな目に遭わなくちゃならないんだろうと、ブツブツこぼしながら。
その時、背後から女性の声がした。
「お母さん、お母さん、待って!」
振り向くと、三十歳くらいの女性が走り寄ってくる。
息切れしている様子で真っ赤な顔をしていた。
その後から子供たちもついてきている。
「おばあちゃん、いた。いた!」
「捜したのよ。お母さん、どこに行ったのかと心配で、心配で」
どうやら、彼女の娘のようで、ほっとした気持ちがありありとうかがえる。
娘はもう一人連れがいるようで、子供に呼びに行かせた。
「あらまあ、私は大丈夫よ。これからダイちゃんと一緒に家に帰るところよ」
どうやら娘のことはわかるようだ。
娘はサトルを直視し、そしてすぐに言った。
「違うわよ、この方。お母さんの見間違いよ」
その言葉に母親は、ジロジロ首を傾げながらサトルの顔をながめた。
「そういえば少し違うかもしれないね」
娘は安堵した表情でサトルに言った。
「どうもご迷惑をお掛けしたようで、ご免なさい」
「い、いえ、行先が判らないようなので、とりあえず駅の方に行こうと思っていたところだったんです」
そして、経緯をかいつまんで娘に話した。
その内、子供に先導された老年紳士が現れた。祝いごとでもあったのか白ネクタイを着用している。
「お父さん、お母さんが見つかったのよ。この方が一緒についていて下さって本当に助かったわ」
「ああ、よかった、よかった。買い物の最中にいなくなってしまって、事故にも遭いやしないかと気が気でなかったんです」
どうやら彼女の夫のようだった。
「家内は病気でね。親切にしてくださって助かりました。ありがとうございます」
サトルは年配の人に丁寧な感謝の言葉をかけられ恐縮してしまった。
「ぜひお礼をさせて頂きたいのですが」
「い、いえ、僕は何もしていないので・・ただ」
サトルはひとつだけ聞きたいことがあった。
「ダイちゃんというのはどなたですか?」
老紳士はすぐに答えた。
「ああ、大吾君のことです。家内の弟で仲が良くてね。あなたと面差しが似ているんでしょう。今はアメリカに住んでいるんですよ」
その説明にサトルは納得がいった。
「じゃあ、僕はここで失礼します」
と歩き出したが、老紳士や娘さんに何度もお辞儀され、照れ臭く感じた。
サトルは少しもったいなかったかなと思う一方で、ダイちゃんは今幾つだろうと想像をめぐらす。
いずれにしても、はじめは狼狽してしまったが、結果として胸を撫で下ろすこととなった。
*
入江サトルは覚えた。
親切な行為は必ずしも感謝されるばかりではないと。
しばらくして、振袖姿の若い女性とすれ違った。
横目で見ると頭髪の白い花飾りがとても似合い可憐に思えた。
今の自分には眺めるだけの高嶺の花である。
なにしろ、同世代の女性とは打ち解けて言葉を交わすことなど皆無であった。
それよりも、今は勉強に専念する時であると自らに言い聞かせ歩を速める。
ところがすぐに、自分の名を呼ぶ声が聞こえた。
「入江君、入江君?」
女性の声だが、空耳かなと疑った。
ところが再び、
「入江君じゃない?」
と声が、間違いなく耳に入った。
どうやら後からのようで、立ち止まり振り返った。
そしてキョロキョロ見回す。
「ここよ、ここ、前にいるわ」
サトルは唖然とした。
呼びかけたのは先ほどの振袖女性であった。
まさか、何かの間違いではと目を凝らした。
「私よ、わからない?オオヤブ・・マチ・・よ」
「ええ!ま、真知姫、いや、大藪さん?」
サトルは仰天してしまった。
彼女とはつい最近まで高校の同クラスだったが、言動が常識外れで、外見や服装がラフであったりして、少し変わっているとの評判であった。
目立つ存在の彼女は、同級生から真知姫と呼ばれていた。
「真知でいいわよ。それより入江君はどこに行くの?」
「あ、ああ塾からの帰りでブラブラと・・」
サトルはそう言ってからしまったと思った。が彼女の反応は意外なものであった。
「じゃあ、浪人してるんだ。うらやましいな」
「え、どうして?」
「だって、それだけ長く学生してられるもの」
確かに少し変わった意見である。
けれどもおしゃれでカラフルな振袖を着こなした彼女は、高校生当時の一見ルーズな印象が影をひそめ、上品で可愛らしく感じられた。
「入江君のことだからレベルの高い大学を狙っているのよね」
「いや、そんなことないよ」
「私の場合、両親から行儀作法を習いなさいと言われて、私立の女子大に入れさせられたの」
彼女は笑みを浮かべながら言った。
「4月から行き始めたんだけど、まあまあいい大学だったわ。でもさっきまで一緒だった友達は、一つ年下なんだけど、来年卒業したら働くって言うの。人それぞれね」
サトルはまさかこのような所で、彼女から打ち明け話を聞くことになるとは、思ってもみなかった。
思い切って聞いてみた。
「今日は何かあったの?」
「ええ、うちの両親が主役のパーティーがあったの。私も受付係りで出席したのよ。だからこんな恰好してるの。ちょっと窮屈よね」
「いや、とても似合ってるよ。で、どうだったの雰囲気は?」
「とっても楽しかったわ。大勢の人で出し物が色々あって。ただちょっぴり期待外れもあったけど」
今度はいたずらっぽく笑った。
「そうだ、入江君、お茶行かない?」
「え、ええ!」
サトルはびっくりしてしまった。
成りゆきでも彼女から誘われるとは思ってもみなかった。
「私、会場でちょっぴりお酒頂いてしまったの。顔に出てるでしょう」
よく見ると、頬にうっすら赤みがさしている。
もしかしたら思いがけない変貌の理由の一つかもしれない。
「だから少し醒ましたいの。それとも何か急ぎの用事がある?」
「い、いや、何もないけど」
「よかった。じゃあ、行こ行こ、さっき感じのいい茶店を見つけたの」
と言いながら彼女はサトルの腕に触れ引き寄せる。
サトルは戸惑いながらも悪い気はしなかった。
二人は一緒に歩き始める。
どうやら初めてのデートになりそうだった。
「私、今日友達とデュエットしたの・・・」
サトルは彼女の話に相槌を打ち、同時に自分はこの後どんな話をしようかと考えた。
自分の趣味や受験のことには関心がないかもしれない。
入江サトルは決めた。今日ここまで体験したことを話そうと。
もっとも、信じてもらえないかもしれないけれど。
(完)




