ひと巻き分のわたがし。
「というわけで、クラスの出し物は綿菓子にしましょう!」
文化委員さんが教壇に立ちながら、声高に叫ぶ。
クラス中の視線がそちらへ集まり、暇だからと会話していた声も止んだ。
僕はといえば、黒板へと向かいながら、綿菓子に二重丸をつけていた。
いやはや、随分あっけなく決まったものである。
……そして、一ヶ月が経過する。
勿論手軽さの観点から、クラスから反対意見が出ることもなく事態は進む。
備品のわたがし機の借用手続きを終わらせて、文化祭当日をつつがなく迎えた。
そこにドラマなどなく、あえて思い出す必要性もなかったので割愛。
強いていえば、文化祭の準備で数組のカップルが出来たことがドラマらしいドラマだ。
……んでもって、文化祭が始まってもう半日が経っている。今は午後の二時半だ。
つまり閉店時間三十分前。ザラメの残り弾数も少ない。
当番になった僕と如月さんは、そんな報告を受けながらエプロンを引き継いだ。
「さぁて、頑張りましょうかね!」
「……いや、頑張るも何も、もう人もまばらだし来ないと思うけど?」
「いや、私には何となくわかります。きます……きますよ」
本当かねぇ、なんて口にしながら、エプロンを頭からかぶる。
何のいろどりも、まして飾りすらない、白無地のエプロンである。
「男子のエプロンも、ちょっとは模様とかあってもよかったかもしれないですね」
「確かに。2-5とかでも入れとくと、ちょっとは違って見えるんだろうなぁ」
「です。そうでなくても、お花とかお菓子とか、そういうポップなものでもいいんじゃぁありません?」
そうかもね、と軽く返答する。
ちなみに、如月さんが着ているエプロンは、花柄のワンポイントがついているし、桜色の模様が描かれている可愛らしいものだ。もちろん、僕やその他大勢の男子には似合いそうにもない。
そんなことを思っていると、店の外から声がかかった。
お客さんだろうか。とりあえず振り向くと、そこには親子がいた。
チケットを子供に渡しながら、こちらへと子供を押し出すように背中へ手を添えている。
「これひとつ、ください!」
子供が明るく元気に、受け取ったチケットを差し出してくれる。
如月さんがそれを受け取っているうちに、僕は割り箸とザラメを用意しながらわたがし機の電源を入れる。
ぶおおおんと、低い唸り声をあげて起動するわたがし機。
「瀬尾くん、ちょっと厚めに巻いてあげませんか?」
「ザラメの残り、割と少ないんだけど大丈夫?」
「多分大丈夫だと思いますよ? ほら」
回転数をあげるわたがし機のモーター。低く続く音を聞きながら、如月さんが指さす方向を見る。
体育館の入口だ。人がまるで川のようにうねりながら吸い込まれていく。
……ああ、そうか。そろそろ自由参加の発表会か。この学校の文化祭の中では、一二を争うほどの人気イベントである。
「なるほど。あれなら閉店まで客はこなさそうだね」
「ね? だから、ほら。もっとくるくるーって巻いちゃいませんか?」
「確かに、それもいいかもね」
一瞬、如月さんの全身がぱぁ、と光る。ダークブラウンの髪の毛なんか、ふわりふわりと浮かんで、いかにも嬉しそうだ。
「でも、ダメ」
「なっ……」
「子供だからって量を増やしていたら、きちんと買ってくれたお客さんはどう思う?」
「なっ、ばっ、バレれば問題は――!」
「問題ありありなんだよなぁ」
大きさが程よくなってきた綿菓子を引き上げる。
しかし、それを急に止める影が一つ。
言うまでもなく如月さんだ。
「こうなったら力づくでもぐるぐるします……!」
「…………。いや、それでもいいけど……回せる?」
「舐めないでください。これでも私、よく図書館で本を移動させたりしてるので筋力はあるんですよ」
「ほぉん、へぇん。……じゃあ、回してみてごらんよ」
顔の赤みを誤魔化しながら、呟く。
誰だって女性の手がピタリと自分の手に重なってたら照れる。そうにきまってる。
声や態度に、この焦りが出ていないか、細心の注意を払いながらゆっくりとわたがし機から棒を離す。
ぐぬぬ、ぐぬぬと踏ん張りながら、全体重をかけて僕の手をわたがし機に戻そうとする如月さん。
だが、僕の手が一定以上の高さへと行くと、ついにその手がだらりと下がった。如月さんは背丈が小さい。僕は高い。つまり勝利である。
「瀬尾くん……」
「…………そんな目をしても、ダメなものはダメだよ」
「だってほら……子供って可愛いし、笑っててほしいし……ね?」
「ね、じゃないよ、ね、じゃ。……まったくもう」
でも、そうやってお願いする如月さんは可愛くて。
その期待に答えてあげるのは、なんというか、やらなければならないことのような気がした。
本当にちょこっとだけザラメを投下し、ぐるぐると回す。
そうして出来上がった、ちょこっと大きいサービスサイズ。
それを笑顔で子供に手渡す如月さんを見て、ああ、やっちゃったなと思いながら、ぼーっとそちらを見つめる。
一度例外を許すと、つけ上がられるのが常である。
まぁ、それも悪くない……なんてちょっと思いながら、僕は音楽が響く体育館へと耳を傾ける。
芝居がかったセリフが聞こえてくるところを見ると、どうやら演劇の最中らしい。
「瀬尾くん、今日の演題ってなんでしたっけ?」
「……確か、創作劇だった気がする。タイトルは……えと、『紅い薔薇の花言葉』らしいね」
「わ、『情熱的な愛』、ですか。それはちょっと見てみたかったかも知れません」
少しだけ恍惚とした表情で体育館の方向を見る如月さん。
そんな如月さんを見た僕は、一つの妙案が頭に浮かぶ。
「そうだ、ちょっと見に行ってみない?」
「えっ、確かに行ってみたいですけど、店の当番がありますし……」
「人も来ないだろうし、売上金だけ無くさないように持ってれば大丈夫だって」
「でも……」
「……さっき如月さんは、わがままを言って、僕はそれを聞いた。じゃあ今度は僕の番だ。ーー一緒に見に行こう、如月さん」
硬直する如月さんを見て、はっと正気に戻る。
今凄まじくキザっぽいセリフを吐いた気がする。
一発で黒歴史になるような、そんなセリフをだ。
……そして、まるでその危惧を肯定するように、如月さんから笑い声が漏れてきていた。
我慢出来なかったのか、口を開けて笑い始める如月さんに、少しの怒りを覚える。
「……あの、如月さん?」
「くふ……あはは! 案外茶目っ気もあるんですね! わかりました、いいでしょう、フケちゃいましょう。そして赴きましょう。役者が星と輝く、燦然のステージライブへ……!」
「……なかなかに如月さんも茶目っ気があるみたいだね。うん。……行こう、あの舞台へ」
そう言いながら、僕はわたがし機の電源を切った。ぶおぉんと、回転数が下がっていくわたがし機のモーターが、僕達を咎めているような気がしたが、多分きっと、勘違いだろう。
□
体育館へと足を運んだ僕達は、役者が星と輝く、燦然のステージライブを目の当たりにしていた。
ちなみに、道中で役者が星と輝く――云々で如月さんをおちょくっていた。少し古めかしさとあざとさを感じる、両手で胸板ぽかぽかなんてものを繰り出す如月さんには、正直閉口した。
いや、普通に可愛いと思ったけど。
それはともかく。
「……瀬尾くん、その」
「ああ、言いたいことはわかるよ。少なくとも、高校生の舞台演劇としては、だいぶ際どい劇だね」
目の前で繰り広げられる、"役者が星と輝く、燦然のステージライブ"とやらは、昼ドラの形相を呈していた。
以下、劇中のセリフである。
『私の旦那を寝とったわね! この泥棒猫!』
『寝取ったんじゃないわ。寝取られたのよ』
『まさか不倫してるの……?! 飛んだアバ〇レね!』
はっきり言おう。演劇部の顧問は何をしているのだろうか。まさか、昼ドラ同然のドロドロ展開を許容したわけじゃないだろうな。……もしかしたら、それが面白いと思ってゴーサインを出したのかもしれない。そうだとしたら、それはそれは大層なご趣味をお持ちなのだろう。
……いやまぁ、面白いのは事実だ。でも、『情熱的な愛』を期待して演劇を見に来た如月さんにとっては、あまり面白そうな演劇ではない。
「これじゃ、役者が星と輝く、じゃなくて、役者が泥を投げ合う、だね」
「……うまい事言ったと思ってます? 全然上手じゃないですからっ!」
「うはは。燦然のステージライブじゃなくて、暗澹のステージライブだね」
「懲りてませんね!?」
小さい背をめいっぱい伸ばして、ふしゃーっと、猫のように僕を威嚇する如月さん。なんだろう、クラスの皆が如月さんをマスコットとして扱う気持ちがひどくわかる。
こんなに可愛らしい反応を見せる彼女をいじるのは楽しい。反応がいちいち楽しませてくれるのだ。もしかして、それを計算してリアクションをしているのかもしれない。
でも如月さんにそんな気配は見られない。天然ならなお面白い。
「……なんか失礼な事考えてませんか?」
「いいえ? ……あ、役者が家具を投げ出した。泥玉よりもっとすごいね」
「……ふえぇ」
若干涙声になりつつある如月さんに、嗜虐心といういけない感情を抱きつつ、それをぐっと飲み込む。過度ないじりはいじめと変わらないからだ。そこあたりの分別はわきまえてる……つもりだ。
最後には紆余曲折を経て、互いの妻と互いの夫が元通りになったところでエンドを迎えた。普通に感動できる内容だったのが凄まじく腑に落ちない。劇作家はある意味天才なのだろう。
会場の所々から、感動の涙が見られるが、隣の如月さんからはいろんな感情が宿った感じの涙が見られた。感動とか、悔しさとか……なんかそんな感じの。
「……悔しいですが、感動してしまいました。なんだか屈辱です……!」
「……奇遇だね。僕もだよ」
「瀬尾さんもですか? ……お仲間ですね?」
陰が見える笑顔を浮かべる如月さんから目をそらす。いちいち如月さんの笑顔に顔を赤くしていたら世話がない。そろそろ慣れるべきかもしれない。
そう思って如月さんの笑顔をまた見るけれど、やっぱり顔が赤くなってまたそらす。それを不思議そうに首をかしげて見つめる如月さん。……演劇のおかげで、会場が暗いことが幸いした。バレてはいなさそうだ。
「……ああ、次は軽音部の発表か」
「へぇ、私あんまり得意じゃないんですよね」
「ふむ、珍しい。どうして?」
「なんかこう、ぎゅーんって感じで、がぃーんって感じがあまり合わないと言うか……」
「……ああ、ギターにドラムか。でも、ちょっとわかるなぁ」
僕のその言葉に、如月さんは驚きを浮かべた。
「え、瀬尾さんって割とそういうの聞きそうなイメージがあったんですけど、そうでもないんですか?」
「僕は、どちらかというとバラードとかの方が好きだからね……」
「へぇ……。その、落ち着いた音楽の方が好きなんですか?」
「ああ、そう言われればそうなるね。僕は落ち着いた音楽が好きだ」
お仲間ですね、とはしゃぐ如月さん。……そんな些細なことで喜べる如月さんが純真すぎて眩しい。
と思ったら、ただ単に会場が明るくなったせいで眩しく感じていただけだった。……いや、確かに如月さんが眩しく映ったのは事実だけど。
□
あれから、ぎゅーんとしてがぃーんとしてぐわわわわーん(如月さん談)としている軽音部のライブが終了し、体育館での自由発表は終了した。
やはり一番人気は軽音部らしく、発表が終わったあとは、軽音部の話題で持ち切りだった。……選曲がジャストミートだったらしい。
そして、俺たちは出店へと戻り、文化祭の終了までただひたすらに他愛ないことを話していた。
アナウンスが流れ、まるで魔法の時間が終わった、とでも言うように、生徒達には落胆が広がった。……逆の表情を見せる生徒ももちろんいたが。
「終わっちゃいますねー」
「……そうだね」
「瀬尾さん、ちょっと残念そうですね。もしかしてまだ楽しみたかったこととかあったりするんですか?」
「いや、特にないけど。……その、如月さんと一緒にいる時間がこれで終わりかと思うと、少し残念でね」
「……え? そ、それって……」
「いじりがいがあって、楽しいもん。一緒にいてこんなにお話するなんて思ってもみなかった」
僕のその言葉に、如月さんは落胆の息を吐いた。
……それはどういう意味で吐いた息だ。おい、惑わせるんじゃねぇ。はっきりと言え、おい。……といった粗野な声は心に押しとどめて。
「でも、一緒にいて楽しかったって言うのは事実だよ」
「そう、ですか? なら嬉しいです。えへへ」
今どきえへへなんていう女子は見当たらない。それが似合わないと思っているのかもしれないし、あるいはぶりっ子だと思っているのかもしれない。
でも、そんな言葉を躊躇いなく如月さんは使うし、実に似合っていると僕は思う。
「あ、そうだ。瀬尾さん、一つご提案があるんですけれど」
「ん、どうしたの?」
「二月にある修学旅行、一緒の班になりません? きっと瀬尾さんとなら、楽しいかなーって思うんです」
突然の提案だった。しかし、なんともその提案は魅力的で――。
「もちろん」
「やったぁ」
わたがし機で作った、サービスサイズのわたがしのように、少しだけ僕の気持ちにサービスしてあげてもいいかな、なんて思った。
たぶん、修学旅行の時が来たら、もっと甘くなってしまうのかもしれない。そんな甘やかな危惧を抱いた。